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2007年3月22日 (木)

日永@永き日や手に職もなくカント読む

Photo_93 永き日や手に職もなくカント読む

ウソとまでは言わないが若干の誇張あり。というのは、「純粋理性批判」などは読まない(読めない)からだ。哲学原典ムツカシイから嫌い、わかりやすい入門書大好きだ。
ちなみに原典で読んだのは、「善の研究」「西田幾多郎哲学論集」「論理哲学論考」「エティカ」だけだ。

 永き日を囀りたらぬひばりかな      芭蕉
 永き日の飢へさゑも生いくさなすな  中村草田男
 永き日やみな憂ひもつ患者の目    古賀まり子
 鶏のどこかへ行きて日の永き     下村槐太

槐太の「どこかへ」がやや言い過ぎ。つまり、そこには若さが出ていて、自己を直接は出していない不器男の句の方が老成度が高いと稔典さんが評している。不器男の句については俺の「読む本は俳句本ばかり永き日や」を参照。
俳句は自分を隠して自己を表現する詩である。この点、ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」(善と悪とは主体によってはじめて登場する。そして主体は世界に属さない。それは世界の限界である。)の世界を連想させる。

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コメント

若い頃書道の時間に「日永一堂静」と書いたのを思い出しました。観念的なものは苦手でどんな日永でも哲学書には手を出さないでしょうね。私の人生はそんな風に終わりそうです。

投稿: Ivoryboat | 2007年3月22日 (木) 午後 08時03分

「日永一堂静」ですか。お寺の風景でしょうか。
観念好き、理屈好きは体質みたいなものだと思います。私はガキの頃から理屈を捏ねるのが好きでした。でも観念は親の敵と思っています。

投稿: 土曜日の各駅停車 | 2007年3月23日 (金) 午前 04時38分

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