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2007年4月

2007年4月30日 (月)

牡丹@緋牡丹の豪奢に過ぎていやになり

Photo_739 緋牡丹の豪奢に過ぎていやになり

日本は桜、西洋は薔薇、そして中国は牡丹だそうだ。言われてみれば確かに、牡丹は中国好みのように思う。例えば楊貴妃なども花にたとえるならば牡丹しかないだろう。
写真は町田ぼたん園での撮影であるが、吟行していて少々嫌になるぐらい牡丹にむせてしまった。豪奢な美人は消化不良になるのである。やはり、「あはれ」か「をかし」が日本の美なのかもしれない。そして俺は(特に野草に)「けなげ」を感じるのである。この点、牡丹には人工的な美を感じて辟易する。やはり、女性は健気がいいのだ(言い過ぎるとセクハラになってしまうので自戒自戒)。
ちなみに、牡丹の品種はもともとは三種のみを数えるに過ぎなかったと町田ぼたん園の案内にあった(「観賞用としては南北朝時代に始まるとされるが,唐代になって大流行し,おびただしい品種群が作出された」とのネット記事もあり)。

さて、例句。「大関は引き立て役の牡丹かな」という戯れ歌の時に引いたものとかぶらないように引く。

 牡丹百二百三百門一つ           阿波野青畝
 火の奥に牡丹崩るるさまを見つ       加藤楸邨
 落日のごとく崩れし牡丹かな         稲垣きくの
 ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに    森 澄雄

牡丹を詠むのは写生の練習にもなりそうだ。「華麗で気品のある花の奥にある深いものをつかみたい」と「花の歳時記 夏」にあったが、好みではないとけちをつけるだけの句は今回限りとしよう。「日向ぼつこ日向がいやになりにけり」久保田万太郎。

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鶯@あけぼのや鶯のこゑ瑠璃色に

Photo_738 あけぼのや鶯のこゑ瑠璃色に

毎朝、夜が白む頃になると鶯が啼いてくれる。居間でパソコンを立ち上げてごそごそしていると啼いてくれるのだ。思えばこれこそ豪奢な環境というべきだろう。
しかし、なかなか姿は捉えられず、「俳句の鳥・虫図鑑―季語になる折々の鳥と虫204種」の鶯のページを撮って代用とした。蛍光灯が反射して光っているのがお粗末である。

 鶯や茶の木畠の朝月夜       丈草
 鶯や下駄の歯につく小田の土   凡兆
 鶯に終日遠し畑の人         蕪村
 我病んで鶯を待つ西枕      正岡子規

「あけぼのや」とくれば「明ぼのや白魚しろきこと一寸」芭蕉である。この名句にあやかりたくて敢えて「あけぼのや」とした気分もある。名句は一日にして成らず。単純な感動を単純に詠むことがまず第一歩と思うのではあるが。

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朧月@老眼鏡外して眺める朧月

Photo_736 老眼鏡外して眺める朧月

下手糞な写真だ。よう、こんなん公開しよったなあと思うぐらい下手である。
本句を相当以前に在庫していて、そろそろ朧月の時期になったので撮ってみたのだが(予想通り)まるっきしアカン。いつか(死ぬまでに)ちゃんとしたカメラと技術と三脚で撮ることもあるだろう。その時の記念に敢えて写真を公開した次第である。

 大原や蝶の出て舞ふ朧月          丈草
 浄瑠璃の阿波の鳴門の朧月        富安風生
 おぼろ夜のかたまりとしてものおもふ   加藤楸邨
 針と糸借してごらんよ朧月          請地 仁

月見ての思ひさまざま遥かなり。秋の月も夏の月も冬の月もそして春の月もいろんな情感を催させてくれる。時間(季節)と情感こそが我が友なりき。

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2007年4月29日 (日)

朧@おぼろなる脳の味はふ缶ビール

Photo_735 おぼろなる脳の味はふ缶ビール

なんとか、節酒が継続している。なんとかというのは、原則、平日は缶ビール一本のみ、土日は焼酎・日本酒解禁であるが、大抵、平日のうち1多いときは2日は原則を守れないからである。しかしながらしかし、酒量は半分には落ちた。だからアルコール耐性も弱くなり、昨日も缶ビール一本と焼酎お湯割り二杯で眠り込んでしまった次第だ。
ちなみに、節酒のきっかけについては「かんがへて飲み始めたる一本の二本とならぬ冬のゆふぐれ」を参照。

春は大気中の水分が多いために、昼は霞、夜は朧というのが定説である。脳を朧にするのは定説違反であるが、先例句もあるので許して頂きたい。

 すこしづつ死す大脳のおぼろかな   能村登四郎
 東入る西入る知らず朧かな       草間時彦
 さる方にさる人すめるおぼろかな    久保田万太郎
 白魚がどうと生るゝおぼろかな       一茶

草間時彦の句は京都市内の地名を示す言葉である「東入る西入る」を知らなかったことを詠んだものだ。「朧」の句は面白いものが出来そうだけれど、なかなか浮かばなぬ朧である。 

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満天星の花@満天星の新妻の歌くちずさむ

Photo_734 満天星の新妻の歌くちずさむ

どうだんつつじを満天星躑躅と書くことを初めて知った。「満天星」は白い花を満天の星にたとえたことから来ているそうだ。なるほど、俺もこの白い清楚な花を新妻にたとえようと思い本句になった。だから「新妻の歌」に具体性は無い。つまりは無意味な句(のつもり)である。

 満天星の花がみな鳴る夢の中      平井照敏
 受難曲満天星の雨しろがねに     古賀まり子
 触れてみしどうだんの花かたきかな   星野立子
 満天星に隠りし母をいつ見むや     石田波郷

今年、写真の満天星はあまり咲かなかったような気がする。毎年はもっと咲きこぼれていたのにと思うおぼろなる脳の記憶である。

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藤@藤垂れてこの世に死後のなきごとく

Photo_733 藤垂れてこの世に死後のなきごとく

昨日、町田ぼたん園に吟行してきたが、生憎の曇り空、更には雷雨まで来て早めに切り上げて帰らざるを得なかった。また、出直すことにする。しかしながら、枝振りのいい白藤に出会えたことは幸いであった。あ、匂いを嗅ぐのを忘れたぞ。

 白藤や代々の女の伏瞼       香西照雄
 滝となる前のしづけさ藤映す    鷲谷七菜子
 暮れ際に茜さしたり藤の房     橋本多佳子
 飢ふかき一日藤は揺れにけり   加藤楸邨

例句を引くために歳時記を引いたら「藤垂れてこの世のものの老婆佇つ」三橋鷹女があるではないか。「美しき恋などせむか藤の花」をつくった時に自分でも引いているのに、すっかり失念していた。でも、まあいいか。意図せぬ本歌取りであったことにしよう。

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2007年4月28日 (土)

強制連行訴訟判決、最高裁は司法権を放棄し国益を損ねた

「日中共同声明はサンフランシスコ平和条約と同様の枠組みで、個人の賠償請求権を放棄したと解釈できる」しかし「旧日本軍監視下の西松建設による強制連行・労働で原告は極めて大きい精神的・肉体的苦痛を受けたと認められる」よって「裁判上の請求権はないが、自発的対応は妨げられず、被害救済に向けた努力が期待される」とした最高裁判決。ちょっと唖然とする。これでは司法権放棄ではないか。

揉め事が当事者間で決着しないから裁判所にお裁きをお願いするのに、これでは「おまえら適当に処理せえ」と自らの義務を放棄したようなものだ。しようがないから最高裁に成り代わって、俺が整理してやろう。

日中共同声明はサンフランシスコ平和条約と同様に個人の戦争被害請求権放棄を定めたものと解釈するのが相当。よって原則、私人間(「強制連行」被害者と西松建設)においても請求権なし(中国がいちゃもんを付けても日本司法権の判断で押し通す)。もっともこの請求権放棄は戦争被害ではなく不法行為による損害賠償請求権まで放棄したものとは考えられない。よって、当裁判所は今回の事案において不法行為の存否につき以下のように判断する。

こうすれば、国家間の問題とは別に不法行為の判断を事案に即して行えるから、裁判所の機能も放棄されず、当事者は事実の認定を巡って具体的に争うことが可能になる。
しかし、最高裁は(俺でもわかるような)妥当な法律構成を採らなかった。何故か。

想像するに、上のような法律構成で「不法行為の抜け穴」をつくると、従軍慰安婦や南京事件やその他もろもろ訴訟ラッシュを恐れたのだろう。これしかないよ。
しかし、最高裁が今回の判決のように問題を当事者や政治に投げ返すことは「国益」にならない。中国韓国で例によっての反日言論を高めるし、アメリカでの性的奴隷騒ぎにも油をそそぐ。
だから、こうした問題は裁判所が引き受けて事案ごとに「強制」「不法行為」があったのかを判断するしかない(これは政治家の仕事でも歴史家の仕事でもない)。
そうすることが法治国家日本のプレステージを上昇させる。また更に、国家的犯罪(拉致)を隠蔽し続けようとする北朝鮮に対抗するためにも戦争による被害と不法行為による被害とを峻別することが絶対に必要だ。仮に日朝国交回復条約で相互に戦争被害請求権を放棄したとしても個人レベルの不法行為・犯罪は許さないというスタンスを維持することにつながるからだ。

つまりは、国家レベルの問題と個人レベルの問題とは明確に区別するべきだということだ。戦争にあっても国際法に違反するような行為は戦争犯罪として裁かれるのだから文明国として当然のことである。

残念ながら、最高裁も国家官僚の一環にしかすぎず、個人の権利の味方ではないことを今回露呈した。いやそれ以前に法律家としての資質に欠けるというべきだろう。次の最高裁判事信任投票には絶対に×をつけようね、忘れてなければ。

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木蓮@悔いのなき人生あらず紫木蓮

Photo_732 悔いのなき人生あらず紫木蓮

朝吟行で枯れかけた紫木蓮を見かけて、もう木蓮も終わりだなあと思いつつ通り過ぎたらその瞬間に「悔いのなき」が浮かんだ(多分、コマツ株の利益確定が少々早すぎたのを悔やんでいたのだろう)。
そこで数歩戻って写したものだ。枯れ始めた紫木蓮の花は(あまり美しい花ではないだけに余計に)切なく哀れである。

 昔男ありけり風の紫木蓮          島 紅子
 紫木蓮北空低き町なりし         紅露ゆき子
 木蓮に大風やまぬ日なりけり       木下夕爾
 はくれんの無垢極まりし過疎の村    竹内こうぞう

白木蓮まだ覚めやらぬ青き恋」「生きてゐる白木蓮も青空も」「悲の恋も童話のごとく紫木蓮」で引いていない例句を「花の歳時記 春」から引いた。木蓮の叙情が少しわかりかけてきた(ような気がする)。

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チューリップ@チューリップみんな仲良くいじめなく

Photo_731 チューリップみんな仲良くいじめなく

なかよく咲いているチューリップに眼を止めての即吟。初案「チューリップ仲良しこよしいぢめせず」だったが、声調心地よくに留意して推敲した(つもりの)ものだ。
チューリップ化粧上手を買ひに行く」「どんな時も遊び忘れずちゅうりっぷ」「チューリップ黄色が好きで遊び好き」と既に三句もつくっているから俺は相当のチューリップ好きかもしれない。幼い心の持ち主なのだろう、多分。

 賛成賛成とチューリップは咲けり     今瀬剛一
 朝礼の訓話不動のチューリップ      幸喜美恵子
 チューリップ飴の包みを入れられる    大久保昇
 チューリップ真直ぐに立ち退院す     新井みち子

こうしてみるとチューリップという記号は我々の子供時代の思い出につながっているのだなあ。大人になった今よりは素朴だっただろう、大抵の人は。素朴の対立概念は世間知。人生、世知辛いのは当然な所以である。

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青鷺@青鷺の塑像のごとく佇ちゐたり

Photo_730 青鷺の塑像のごとく佇ちゐたり

朝吟行の定例コースの一つの公園で写真の鳥を見かけて、とにかくシャッターを切った。いったいなんの鳥だろうかと「俳句の鳥・虫図鑑―季語になる折々の鳥と虫204種」をめくったのにわからず。しぶちんの俺がせっかく買ったのになあと思いつつネット検索してごそごそしていると青鷺だろうと判断がついた。長い首をすくめるとこのような姿になる写真に出会ったからだ。ちなみに、青鷺がナマズやウナギを飲み込む写真も見つけて迫力あるなあと感じ入った。
これで俺の心にまた財宝をひとつ積むことが出来たとちょっと満足したのである。

 夕嵐青鷺吹き去つて高楼に灯    高浜虚子
 青鷺の真中に下りる最上川      中西舗土
 青鷺や水に浮かびし后陵       大島民郎
 青鷺のみじんも媚びず二夜泊つ   殿村莵絲子

眼で見て写真に撮って俳句にして例句を引いて。写真、俳句の中味は別にして、いいパターンを俺は身に着けることができたと思う。このパターンでしっかりした記憶を脳内に形成できる。記憶だけが人生なのだ。

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2007年4月27日 (金)

著莪の花@やうやくに雨あがりけり著莪の花

Photo_729 やうやくに雨あがりけり著莪の花

先日の景信山行で著莪の花を教えてもらって写真を撮ったのだが、あまり出来がよくなかった。またの機会だなあと思っていたら、なんと近所の公園に咲いているではないか。
手元の歳時記(角川合本俳句歳時記)に季語として収録されていないのでネット検索してみると、「昨夜の雨人知れず著莪咲きにけり」一葉という句をつくっていらっしゃる方がある。そこで「花の歳時記 夏」を見ると季語として収録されていた。そうか、ポケット歳時記では矢張り限界があるのかと感じた次第だ。
ちなみに、この一葉さんのブログに「こうして花の名を覚えると、思わぬところでその花たちに出会い、今まで気付かずに見過ごして来たことがなんと多かったことかと、驚かされます」とある。句歴が浅い俺ではあるが全く同感である。心に財を積んでいるとさえ思うのだ。

 くらがりに来てこまやかに著莪の雨   山上樹実雄
 書に力抜くところあり著莪の花      根本好宏
 親鸞へ蓮如へ著莪のなだれ咲き     関 清子
 譲ることのみ多き日々著莪の花     塙  義子

著莪の中国名は胡蝶花だそうである。胡蝶舞ふ水辺に著莪の咲きにけり。

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薔薇@歳なれば棘なき薔薇を愛でにけり

Photo_728 歳なれば棘なき薔薇を愛でにけり

この棘のない薔薇を木香薔薇と呼ぶということをつい先日、知った。垂れて咲くことからスダレイバラという別名もあるようだ。花に白と黄があって「白には芳香があるが黄色には香りがない」と、本やカタログに書かれているが、よく匂ってみると黄の花もいい香がするそうだ。早速今日、試してみよう。

 夕風や白薔薇の花皆動く         正岡子規
 番傘の軽さ明るさ薔薇の雨        中村汀女
 薄暮、微雨、而して薔薇しろきかな   久保田万太郎
 薔薇よりも淋しき色にマッチの焔     金子兜太

万太郎の句の「而して」は「しこうして」と読ませる。小澤實「万太郎の一句」から拾った句だが、この本末尾の「久保田万太郎小論  余技・無内容・影響」で小澤は、例句のように句読点を積極的に使った万太郎を高柳重信の多行形式俳句につながる先進性・前衛性として評価している。平明でシュールでかつ無内容な句を目標とする俺にとって非常に参考になった。冬菫平明詩人万太郎

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春落葉@薄味が好みとなりぬ春落葉

Photo_727 薄味が好みとなりぬ春落葉

春落葉という季語も手元愛用の合本俳句歳時記にはなく、花の歳時記で知った。その上で周りを見ると、特に楠が落葉している。常緑樹においても「春から初夏にかけて人知れず古葉と新葉が入れ替わっている」現象をいうのである。

 加齢とは落葉のうへの春落葉     友岡子郷
 晩年の師の文字太し春落葉      堀口星眠
 春落葉えたいの知れぬものも掃く   鍵和田■(ゆう)子
 跼みては佇ちては春の落葉焚     石田波郷

春の明るさの中の落葉。もう少し使い込んでみたい季語だ。いや、季語の本意に迫りたいと慎み深く思うのである。

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2007年4月26日 (木)

集団的自衛権入門

政府は二十五日、憲法解釈上禁じられている集団的自衛権行使の事例研究を進める有識者懇談会の設置を発表した。
訪米前の見え見えのお土産タイミング、そしてメンバーの顔ぶれをみると結論は既に出たような懇談会だ。しかし、その個別事例が生々しく具体的だ。

(1)米国を狙った第三国の弾道ミサイルを、ミサイル防衛システム(MD)で迎撃(2)公海上で自衛艦と並走中の米艦船が攻撃された場合の反撃(3)多国籍軍への後方支援(4)国連平和維持活動(PKO)

おいおい、(1)アメリカ本土を守るための自衛隊活動まで認めようというのかい、とビックリだがこれは見せ玉で、本音は(2)以下を合憲とすることにあるような気がする。いずれにしても憲法改悪に持ち込むための雰囲気作りであることは間違いない。

ところで新聞に集団的自衛権の行使は「国連加盟国による集団的安全保障体制の下、国連安全保障理事会の措置がとられるまでの時限的な権利」と位置づけられていることは認識していなかった。集団的自衛権は国家の自衛権の一環として当然の権利だと思い込んでいたけど、国連はそれを制限しているんだ。国連の制限が実質的に機能するか否かは別にして(アメリカのイラク侵略を想起せよ)、こんなことぐらいは知ってないといけなかった。ハズカシイ。

(1)国際協調(国連重視)(2)憲法9条(3)自衛隊(4)現行日米安保の枠組み内で、アメリカ・中国・ロシア・アジア・ヨーロッパその他と上手に付き合って国益を確保してほしいのに。
安倍ちゃん、なんでそこまでアメリカに傾斜するのかねえ。アメリカだけが世界じゃないぞ。ドルの長期低落は止められないのに歴史に逆行する反動たちよ。

参考: 集団的自衛権という考え方は、20世紀前半までは「軍備の自由」や「戦争の自由」などとともに「同盟の自由」として、安全保障の考え方における、国家の普通にありふれた選択でした。ところが、二次大戦後、国連憲章ができて、国連憲章二条四項では戦争の違法化を明記しました。その例外は、一つは侵略されたときの反撃であり、もう一つは国連の制裁が行われるまでの集団的自衛。この二つを除いて国家が武力行使をすることを違法だと禁じたわけです。ですから軍事同盟による防衛というのは、本来国連憲章のもとでは時代遅れであり、大手を振って歩けないような理念になったのです。

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蝮蛇草@念力でひねる俳句や蝮蛇草

Photo_726 念力でひねる俳句や蝮蛇草

先日の景信山登山での写真である。これが「まむしぐさ」と言うんだよと教えてもらって撮った。この草は日本三大毒草(トリカブト・ハシリドコロ・まむし草)の一つだそうだ。触っただけで触った部分に激しい痛み(しびれ)を感じるらしい。秋にはトウモロコシに似た赤い色の実をつける。縁があったら撮りたいなあ。

 まむし草疎んじをれば挑みけり   文挾夫佐恵
 蝮蛇草風ひき寄せてさびしけれ   鳥居おさむ

先日テレビで再放送していた「皇居の四季」に出てきた浦島草と同じものかと思っていたが、「うらしま草とまむし草はうり二つ。うらしま草は、ひげがのびて、まるで釣りをしているように見えるからうらしま草で、まむし草はひげがありません」とのことだ。こちらは毒がないのだろうか。

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一人静@一人静湖底の村に駐在所

Photo_725 一人静湖底の村に駐在所

先日の景信山登山の山道で教えてもらって撮影した。名前は聞いたことがあるように記憶していたが、ほうそうか、これがと感じた次第である。「花の歳時記」によるとこの花には花弁が無いとのことだ。二人静との対比と写真についてはブドリさんの心象スケッチを参照してほしい。

ところで本句はちょっと難儀した。「花の歳時記」の例句を参考にして初案「一人静愛に名前をつけてみる」だっだが、もうこんな観念遊戯は止めようと思い「一人静高尾山中高速道」としたが全くの駄句である。今朝、起き抜けに念力のお陰でようやく本句を得た。念じ続ければいつか希望は実現するのである。ただし、事実世界ではなくあくまでも記号世界の話だ。

 一人静この村を出て帰らざる    岡田博充
 吉野静愛は先着順ですか      田口一男

吉野静、眉掃草(まゆはきそう)とも呼ばれている。一人静は「茎の色が紫褐色です。山野草愛好家の間では,左の写真のような茎の色が緑色のものを“青軸ヒトリシズカ”Chloranthus japonicus cv. Albiflorusと呼んで珍重しているようです」とのことだ。

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花@花の昼見知らぬ街の顔と顔

Photo_724 花の昼見知らぬ街の顔と顔

この句、没にしようかしまいかずうっと迷っていたが、結局、意味不明なところがいいと判断して残すことにした。写真は単なるつけ合わせである。

 本丸に立てば二の丸花の中     上村占魚
 昏き扉の少しひらきて花の昼    鷲谷七菜子
 朝の花木馬をぬらす雨降れり    田中午次郎
 花の土手妻子の網に曳かれ行く   安藤柚青

花見ての様々な思い、生活、記憶が詩をつくらせると思う。大事なことはそれに気づくかどうかだ。想像力の扉を開け、網に曳かれていずに。

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2007年4月25日 (水)

八重桜@八重桜多情多恨の半生よ

Photo_721 八重桜多情多恨の半生よ

どうも写生が下手である。八重桜を写生しようとしても浮かばない。そこで二句一章に走ることになる。いわゆる取り合わせで読ませようとする句である。本句も「八重桜」と「多情多恨」の取り合せだ。多少の生活実感があるのが救いではある。

 奈良七重七堂伽藍八重ざくら      芭蕉
 起居憂し咲きただれたる八重桜    福田蓼汀
 八重桜日輪すこしあつきかな      山口誓子
 夜がくれば夜の冷えおくる八重桜   能村登四郎

芭蕉の句は言葉遊びが面白く、伽藍との取合せでもある。蓼汀の句は「起居憂し」との取り合せだが「咲きただれ」に表現上の工夫がある。そして、誓子の句は「日輪あつき」、登四郎の句は「夜の冷え」との取合せだ。要するに、対象に何を見てどう感じたかが焦点(すなわち句の思想)であり、その思想を写生で表現するのか、取合せとして配置するかの違いである。更に言えば、写生も広い意味では取合せの範疇に入ると思う。
つまりは対象からどんな思想を引き出せるかが、俳句の力すなわち俳筋力である。

WHY:なぜ俳句をつくるのか。WHAT:何を表現したいのか。HOW:いかに表現するのか。
WHYに答えは無いけれど、常にWHYを問い続けること。そして一句ごとにWHATを確認することだ。そうすれば、いつかええこともあるやろう。

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春の山@泣いてみよ笑うてみよと春の山

Photo_720 泣いてみよ笑うてみよと春の山

景信山から眺めた高尾の山々と相模湖だ。新宿高層ピル群、横浜ランドマーク、江ノ島も見えたが、快晴上天気ではなかったので写真に残すほどの風景ではなかった。天気がよければ富士も見えるようだ。
ご近所登山隊の一員として登ったのだが、大山登山の時に脱落しかけたことがあったので少々心配だった。体重削減の効果が出たと思っておこう。

 春の山たたいてここへ坐れよと   石田郷子
 背に近くもたれ心や春の山     河東碧梧桐
 春の山持ち上げて切る蛸の足   加藤彦次郎
 春の山らくだのごとくならびけり   室生犀星

石田郷子の句が意識下にあったために本句になったような気もする。若緑をたたえてらくだのように連なった春の山が美しかった。美しきものに会ひたし春の山。

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春愁@春愁や思へば青春また青春

Photo_723 春愁や思へば青春また青春

景信山に登る途中で修行者ご一行を見かけたので無断撮影させてもらった。俳句は日曜の日経俳壇にあった春愁の句に触発されたもので、初案「春愁や青春いまだわれにあり」だった。推敲してよくなったと思っているがどうだろうか。
春愁をもてあましたり鼻毛抜く」というアホな先行句があるなあ。駄句から一歩ずつ這い出よう。人生は長い。

 春愁や船から船を眺めをり       矢島恵
 春愁に言ひ寄られゐるどうしやう   内田美紗
 古書店の奥の奥にて春愁       能村研三
 春愁もヤクルト一本分くらい      中居由美

取合せはモノとの取合せを出来るだけ探るべきだ。季語とモノとの接点に詩が生れるのだから。季語は既に相当の観念の衣をまとっているから、季語と観念との取合せは単なる観念操作に陥る危険性があると思う。そこで一句。春愁や滝に打たれる人もゐて。

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2007年4月24日 (火)

綿帽子@綿帽子地上に降りし宇宙船

Photo_718 綿帽子地上に降りし宇宙船

「綿帽子」が季語として定着しているかどうか、ちょっと検索してみたが不明であった。わたしの俳句歳時記には冬の帽子の綿帽子があったが、タンポポの綿帽子は無かった。まあ、赤信号みんなで渡れば怖くない。後続が続けばよいのだ。あ、本句にそんな力はないか。そこで蒲公英から例句を引く。

 たんぽぽの絮ふるさとを出奔す    青柳志解樹
 風愉したんぽぽの絮少女の髪     草間時彦
 職退きし日よたんぽぽをちぎりゆく   植田祥雲
 たんぽぽや嬉しきときにでる泪     成毛克子

まあしかし、カメラのお陰で蒲公英の綿帽子をしっかり観察することができた。何回も書くけれど、人生見過ごしてきたことばかりなのだ。

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筍@筍の掘られ脱がされ棄てられて

Photo_717 筍の掘られ脱がされ棄てられて

多摩市と八王子の境をなして「からきだの道」という遊歩ルートがあるが、写真はそこでの所見だ。そうか、もう竹の子掘りの季節か、それにしても無残だなあと句にした。ちなみに俺は竹の子はあんまり好物ではない。

 筍の光放つてむかれたり              渡辺水巴
 たかんなの影は竹より濃かりけり        中村草田男
 筍を三日くらひて飽かざりき            石田波郷
 たけのこ煮、そらまめうでて、さてそこで    久保田万太郎

筍は夏の季語だが、もうそんな季節がやってきているのである。筍や夏の予感の盗掘者。

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藤@美しき恋などせむか藤の花

Photo_716 美しき恋などせむか藤の花

藤が咲き始めた。王朝の心伝えて藤の花という風情を感じる。手元の歳時記には「春の汗ばむ頃の気分とこの花の濃艶な美しさが一致し、いかにも春行くといった感じが深い」とある。普通、あたりで見かけるのは野田藤(紫藤)という種類だそうだ。この「のだふじ」は、今から約600年前(南北朝時代)その美しさで知られ、「吉野の桜」「高雄の紅葉」とともに三大名所と言われ、野田の藤見物が盛んでした、と大阪市福島区のHPにある。

 草臥て宿かる比や藤の花         芭蕉
 白藤や揺りやみしかばうすみどり    芝不器男
 藤垂れてこの世のものの老婆佇つ   三橋鷹女
 藤の昼膝やはらかくひとに逢ふ     桂 信子

芭蕉の句は旅の名句である。こうした一句を覚えていると、しんどいなあと思ったときに藤の垂れている様子を思い浮かべて幾許かの慰めになる。叙情は勇気と優しさ(桂信子の句参照)につながると思うのである。

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2007年4月23日 (月)

早期利上げ、株式五月バーゲンセール到来の予感

先週、ミニチャイナショックで急落した株式市場だけれど今日は先週末のNY急騰に追随するだろう。しかし、ここで留意すべきはミニチャイナショック時に一部で流された日銀、早期利上げの可能性だ。
これだけ企業業績がいいのにこんなに低金利が続いていいのだろうか、と以前から思いっているのだが、今朝の日経を見ると注目記事が二つ。

一つ目は「月曜経済観測」での米CEA元委員長フェルドシュタイン氏の発言。日銀の金融政策についての意見を問われて「あまりに緩すぎる。(物価の伸びを差し引いた政策金利で見た)欧米の実質金利は2~3%だが、日本はほぼゼロだ。これほど低い水準である必要があるだろうか」と言う。おいおい、米ドル高政策に協力しての日本の低金利政策だぜよと言いたいぐらいにあからさまな日銀批判だ。

もう一つはスイッチオンマンデー面の「週目点」での中前忠氏コラム。この人は以前から早期利上げ論者だが、「実質ゼロの預金金利で家計の利子所得が奪われ、国内消費は不振」「円安は輸入価格の上昇を通じて消費者の購買力を低下させる」という従来からの利上げ論拠に加えて、「日銀は景気論争をやめ、金利水準の正常化が利上げ目的であることを明確にすべきではないか」と提言している。要するに、デフレ脱却したか否かなどの景気論争を止めて、利上げに踏み切れと言っているのである。

思うに、属国日本の金融政策は所詮、米帝金融政策の一環でしかあり得ない。ドルがユーロに対して下げ続けている(無謀なイラク侵略継続の付けが回って当然)のに、ドル/円が高いのは人為的な日銀低金利政策のお陰である。
しかしこんな人為的な政策は身内(フェルドシュタイン氏)からも批判が出るような状況になりつつある。中小企業は別にして、大企業がこんなに儲けているのに実質ゼロ金利継続の理由が無い。
また、アメリカが年後半にも利下げするならば日本が早期に小幅利上げでショックを前倒しして地ならしをしておく必要もあるだろう。

ということで、参院選前、早ければ五月利上げの可能性が強くなってきたと考える。とすれば、利上げ→円高→株式五月急落・バーゲンセールがあり得るなあ。今日の高値の具合によってはコマツを利食いしておくか。それから先週また手を出してしまった日経225ミニ先物も。

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2007年4月22日 (日)

山吹@晩年や八重山吹の色の濃き

Photo_715 晩年や八重山吹の色の濃き

山吹にも八重があることを(恥ずかしながら)この歳になって初めて知った。そこで接写(接写多用は少々下品と思いつつ)。花びらのひとつひとつに表情があると「晩年」は思うのである。山吹や永き晩年いかにせむ。

 門跡は二十歳におはす濃山吹    福島壺春
 わがいのち知らぬ我かも濃山吹   原 コウ子
 山吹にぶらりと牛のふぐりかな      一茶
 ほろほろと山吹散るか滝の音      芭蕉

山吹は「山吹や停年挨拶葉書の来」に続き二句目。例句を引くことによって山吹の本意に少しは近づけるようになっているだろうか。それは別にして、山吹の花は眼に馴染んできているのは事実だ。散歩道今まで気づかぬ花山吹。

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竹の秋@熟年と自称するまじ竹の秋

Photo_714 熟年と自称するまじ竹の秋

「3、4月頃になると、地中の筍を育てるため、竹は葉が黄ばんでくる」現象を「竹の秋」という(わたしの俳句歳時記)。写真は少し不明瞭だがこのような現象だと思う。
ところで、熟年って誰の造語なのだろうか。この言葉が出来るまでは中年と老年しかなかった。その間に更には両者を包み込んで熟年が通用するようになったと思うのだが、この経済効果は相当なものだと思う。熟年向け商品・サービスと銘打てばそれだけで一定の需要喚起力があるのだから。
ちなみに俺は、テレビで宣伝している商品に碌なものは無いといつも思う。NOVA然り再春館製薬(組織暴力がらみの企業だと確かな筋から聞いた記憶あり)然りである。

 夕方や吹くともなしに竹の秋     永井荷風 
 門前の古き旅籠や竹の秋     中村吉右衛門
 老夫婦のみの隣家も竹の秋     飯田龍太
 結局みんなおふくろ定食竹の秋   飯島晴子

俳句に接しなければ「竹の秋」という現象に触れずじまいで俺の人生は終っただろうなあ。人生は一粒の記憶竹の秋。

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仲春@春なかば人生なかば芸の道

Photo_713 春なかば人生なかば芸の道

歳時記をめくっていたら「仲春」の項に「春なかば」という季語があるのに気づいて、「人生なかば」が自ずと導かれた。そこで問題はオチ(下五)だが、「泳ぎをり」「顎を撫づ」などと付けたがつまらない。「人生も芸の内なり花曇」という旧作の延長線上に置けばいいのだと気づいて本句となった。俺には芸の道しか残されていないのだ。
ちなみに写真は西武秩父線高麗駅の風景。この彫像は朝鮮半島では『チャンスン』と呼ばれ、守り神として村の入口に建てられたものだそうである。面白い被写体だと思ってとりあえず撮影しておいたら、本句で役に立った。これも芸の内である。

 仲春の少女がこぼす壺の水     岡本正敏
 仲春や庭の繚乱古机        松根東洋城
 冴え返り冴え返りつつ春なかば   西山泊雲
 末雪に次ぐ大雨や春半ば       伊藤後槻

まあしかし、人生、春ばかりではない。大暑もあれば大寒もあるのである。そのことだけは忘れないようにしよう、極楽トンボよ。

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2007年4月21日 (土)

花水木

Photo_712 佳き写真撮れゝば嬉し花水木
偏屈な医者の庭にも花水木

花水木は好きな花だ。清楚でモダンで理想的な女性のようである。そうそう、紅花水木もある。紅も白も美し花水木。

 くれなゐの影淡くゆれ花水木       小島花枝
 真昼間の空を押しあげ花水木       伊藤敬子
 花水木咲き新しき街生まる         小宮和子
 はなみづき帽子のつばをへこませて   嶋田麻紀

そういえば、新しい街の街路樹に花水木がよく植えられているような気がする。ところで、花水木は桜を贈った返礼にアメリカから贈られた木だそうである。「アメリカヤマボウシ」とも呼ばれているとのことだ。還暦となりし憲法はなみづき。

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菜種梅雨@菜種梅雨止みてしばしの青き空

Photo_710 菜種梅雨止みてしばしの青き空

つまらない句だけれど写真と合わせてちょっぴり爪の垢ほどの値打ちはあるかもしれない。よく降った(東京の話)。まだ少しぐずつくみたいだが、気がつけば四月も下旬。五月晴れの季節もまもなくだ。

 死へつづく病と思ふ菜種梅雨   古賀まり子Photo_711
 菜種梅雨念仏の膝つめあはせ   桂 信子
 菜種梅雨子の大足が家歩む    宮本由太郎

ところで、鬱陶しい気分を吹き飛ばすニュース「狩野のサヨナラ打で阪神が大逆転勝ち! 巨人は豊田が大炎上」。三点差がついた12回表でテレビ応援を放棄。あとを見ないでこのような快感を味わうのが通のファンである(と悔し紛れもあり)。

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松の花@雷蔵の古き映画や松の花

Photo_709 雷蔵の古き映画や松の花

しぶちんな俺が思い切って買った「花の歳時記」を(当然ながら)重宝している。草木の花のカラー写真と例句と解説を手放せない。この句もそのお陰である。
そこで松の花だが、「晩春の頃、雌花は新芽の頂に、雄花は新芽の下部に群がって咲く。雌雄同株の花である。風が吹けば雄花は花粉を煙の様に飛ばし、それが道路や庭の隅に散りたまったのを見かける。受粉後、雌花は松毬となる」(わたしの俳句歳時記)とあって、松の花には雌花と雄花があるとのことだ。
こういう文字情報に加えて「花の歳時記」の写真イメージを脳内に記憶させて吟行していたら、出会ったのが写真(多分、雄花)だ。雌花はゆんフリー写真素材集  No. 1093 松の花 [日本 - 長野]に美麗な写真があるので是非、参照願いたい。
これで俺は松の花について世間並み以上の知識を得たことだろう、多分。それがどうしたと言われると困るのだが。

ああ、「雷蔵」は市川雷蔵、「古き映画」はこのところBS2が放映していた眠狂四郎シリーズである。あんまり好きな映画ではない。雷蔵映画では中野学校シリーズの方が俺には面白かった。

 降る雨に須磨の海濃し松の花     高橋淡路女
 象潟や一茶も来たり松の花       森 澄雄
 晴れてくる気配となりし松の花      菖蒲あや
 みんなみはしらなみいくへ松の花   上田五千石

須磨の海が懐かしい(加古川生まれだから)。故郷はわが胸の底松の花。

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2007年4月20日 (金)

燕@初勝利楽天の星初つばめ

昨日、燕を見かけた(と思う)。飛ぶスピード、腹部が白かったことからして燕に間違いないと信じている。

 初勝利楽天の星初つばめ

ご存知ない方もひょっとしていらっしゃるかもしれないのでリンクを張っておこう。一昨日楽天の新人投手「田中1勝でかした!13K完投」だったのである。そして昨日も楽天は勝って【楽天】初の本拠地同一カード3連勝なのである。王監督には悪いけれどこれでソフトバンクと並んで3位に浮上。春の椿事というべきである。
ついでに、「楽天、TBS株買い増し 20%超へと意向通告」とこちらも元気だ。そうだ俺は楽天の一株株主だった。TBS乗っ取りに成功した場合の保険で一株だけ買ってずうっと含み損のままだけれど。

 夕燕我には翌のあてはなき        一茶
 燕来て新しき泥落としけり        佐藤くにを
 つばめつばめ泥が好きなる燕かな   細見綾子
 つばくらめ父を忘れて吾子伸びよ    石田波郷

燕の写真を撮るには相当の根性と技能が必要だろうなあ。諦めたらアカン、楽天だって優勝するかも、TBSを乗っ取るかもしれないのだから。

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蠅生る@蠅生る阪神今日は勝つやろか

Photo_708 蠅生る阪神今日は勝つやろか

こんな句をつくったものだから、見てみい、昨日は六点差を中日にひっくり返されたやないか。アホ。

 蝿生れ早や遁走の翅使ふ     秋元不死男
 祝福もなしに無数の蠅生まる    三谷昭
 蠅生るなにかと言ひて妻太る    清水基吉

いったい「蠅」が正しいのかそれとも「蝿」なのか。どちらも手書きしようとすると苦労だ。特に前者はまず書けないなあ。

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芝桜@芝桜のびのびしたる秩父かな

Photo_707 芝桜のびのびしたる秩父かな

句はありきたりだが、写真はありきたりでも自己評価Aなので写真俳句にせざるを得なかった。まだ芝生が少し疎らなのが残念な、秩父羊山公園自慢の芝桜の先日日曜日の光景である。

 芝桜若きカメラマン沈思      金子兜太
 芝桜の緋色緻密や愛なき婚   楠本憲吉

上の例句、二句ともになんで芝桜なのかよくわからない。わからないのが面白いのかもしれないけれど。

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2007年4月19日 (木)

フランス大統領選、左右激突?

昨日のクローズアップ現代は「“競争”か“平等”か~左右激突・フランス大統領選挙~」と銘打って「サルコジ候補は、手厚い労働者の保護政策が、フランスの国際競争力を低下させたとして、アメリカ流の自由競争至上主義を導入し、強いフランスの復活を訴える。一方、フランス初の女性大統領を目指す野党・社会党のロワイヤル候補は、弱者保護の伝統的な社会主義政策を打ち出し、広がる格差の是正を訴える。"競争"か"平等"か、根源的な選択を迫られるフランスの姿を描く。」と大上段であった。

放送によると、サルコジ候補は融通の効かない硬直的な35時間制労働がフランス経済を損ねると主張し、ロワイヤル候補は35時間労働制と人間的生活の保持を訴えているようで、まさに競争か平等かの左右対決のようだ。
そこで35時間労働制で検索してみると、「平均的なフランスの労働者は一年間に1525時間働くのに対して、日本の労働者は、平均で、1975時間働く(2003年)」と確かに労働時間の大きな差が生じている。そうか、これではフランス経済が弱体化するのも当然かとも思う。
ところが更に検索すると、ロワイヤル候補も「週35時間労働制は低迷するフランス経済の一部産業に問題を引き起こしていると正式に認めた」と伝えられている。

そもそもこの制度、「ジョスパン首相時代の2000年に1つの労働政策を施行した。1週間の労働時間を35時間に制限し、その一方で月給は労働時間カット前の水準を保つことを企業に義務付けたのだ。労働時間を制限すれば企業は生産を維持するために新たに人を雇わなければならない。そうすればフランスを悩ませている高失業率問題も解決するはずだ、というのが法律の基本的な狙いだった。いわゆるワークシェアリングを法律で義務付けたわけだ」ということで失業率低下を意図したワークシェアリング(デフレ一色時代の日本でも議論された)という短期的政策という側面もあったようだ。
だから、クローズアップ現代の取り上げ方は(左右対決に違いはないとしても)ちょっとセンセーショナルに過ぎミスリードの可能性がある。よその国の選挙結果の上っ面だけを見て、左が勝った右が勝ったと騒ぐ人たちが出てきそうだから敢えて書いておく。

ハートは左に(平等)お財布は右に(自分の取り分はなるべく大きく)。これが人間の自然である。だから、平等と競争は対立軸ではあり得ない。対立軸は(1)反帝国主義←バグダッドで昨日もテロで200人余が殺された(2)自由主義(3)多元主義(4)社会的共通資本の重視にある。左翼よ、結集せよ。

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花@桃桜過ぎて市議選花盛り

Photo_706 桃桜過ぎて市議選花盛り

市議選が始まっている。多摩市は前の市長が汚職で辞めたので市長選が統一地方選の時期とはずれてしまったので市議選のみ。都議選もだいぶ昔の騒動で統一地方選とは別の時期になっている。
それにしても長崎市長暗殺事件の動機→背後関係(多分あるだろう、ヤクザが腹が立ったからといって逮捕確実の状況で単純な犯罪を犯す筈が無い)の解明を捜査機関に望む。組織暴力を権力が利用している限りこの種の犯罪は無くならない。

 花よ花よと老若男女歳をとる   池田澄子
 別々に拾ふタクシー花の雨    岡田史乃

「花」の例句は引き尽くしたつもりになっているので、清水哲男『新・増殖する俳句歳時記』を季語検索して更に年月索引で鑑賞へのリンクをつけた(この点、稔典さんのサイトは一句がひとつのページでリンク付けされているので使いやすい)。上の二句は鑑賞と共に是非、味わって欲しい。句を読む世界の広さ深さは句を詠むことに通じているのだ。

ところで池田澄子は中年から出発した俳人。明日の「今日の一句」(右サイド)に再び登場予定。この「今日の一句」はなるべく連続性を持たせようとしているつもりなのだが、感じて頂いているだろうか。

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一輪草@名舞台女の一生一輪草

Photo_704 名舞台女の一生一輪草

BS2の杉村春子没後十年記念番組をあらかた観た。「女の一生」「怪談牡丹灯篭」「続・二号」「華々しき一族」などの舞台が楽しめたが、「女の一生」は白黒の古いビデオ映像のせいもあってかいまいち。「怪談牡丹灯篭」がよかった凄かった。相手役の北村和夫との掛け合い共演に熱が入っていたのでビデオを永久保存。いつかまたじっくり観ようと思う。
この北村和夫、没後十年経った現在でも杉村春子のことを思うとぼろぼろ涙が出るのだろう、座談会では号泣寸前であった。

 一輪草一つといふは潔ぎよし    山崎ひさを
 手にのせて風も小さく一輪草    きくちつねこ
 道なき谿一輪草の寂しさよ     加藤知世子
 一輪草父母より姉の墓古き     平田岐久

一輪草って例句のごときイメージなんだなあ。女も男も最後は一輪草。生死は一人なり。

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蝶@初蝶来明日の便りの届きけり

Photo_703 初蝶来明日の便りの届きけり

この句、自分では気に入っているのだけれど、伝わっているだろうか。明日の便りが今届くというシュールを詠んでいるつもりなのだ。ああ、解説してしまった。野暮をしてもうたよ。
ところで写真もお気に入り。だって飛んでいる蝶々がなんとか撮れたんだもん。トリミングして蝶々の付近のみを切り取ったので、それと認識できるようになった写真だ。

 初蝶来何色と問ふ黄と答ふ         高浜虚子
 方丈の大庇より春の蝶            高野素十
 一日物言はず蝶の影さす          尾崎放哉
 詠みし句のそれぞれ蝶と化しにけり   久保田万太郎

縦横に俳句という形式を操作する虚子の凄さ、写生に徹して音楽を響かせる素十、心にしみいる放哉。秀句を得れば懐から蝶が飛んで行く心地がするのである、多分。

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2007年4月18日 (水)

馬酔木@眠さうな男馬酔木を通り過ぐ

Photo_702 眠さうな男馬酔木を通り過ぐ

実は(恥かしながら)ようやく馬酔木の花を認識できた。まさに「白い壺形の小花が集まり房になって垂れ下が」っている(わたしの俳句歳時記)。今まで通り過ぎていたのだろうか、それとも認識のチャンスに恵まれなかったのだろうか。写真は薬師池公園@町田の野草園で撮影したものだ。

 馬酔木咲き歳月戻す雨の中         古館曹人
 来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり   水原秋桜子
 百済観音背高におはし花あしび       鈴鹿野風呂
 月よりもくらきともしび花馬酔木        山口青邨

青邨句の「月よりもくらきともしび」がいい。花を灯に喩える技法は覚えておこう。

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枝垂桜@歳月や風に吹かるゝ糸桜

Photo_701 歳月や風に吹かるゝ糸桜

写真は秩父清雲寺の枝垂桜。埼玉県の天然記念物に指定されてる樹齢約600年といわれるエドヒガンザクラである。境内に何本も枝垂桜があって見事で、写真の木は花時を過ぎてはいたが楽しめた。句は類句がありそうでつまらない。まあしかし、芸の肥やしにはなったと思おう。

 紅枝垂雨にまかせて紅流す    鍵和田■(ゆう)子
 月光裡しだれてさくらけぶらへり    大野林火

 しだれ櫻観音堂を入れて咲く      中嶋秀子
 葺き替し屋根にほころぶ糸桜     高浜虚子

風ではなく何か具体的な物と取り合わせるべきだろうなあ。本堂に募金箱あり糸桜。

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菜種梅雨

Photo_700 嘘泣きの上手な女菜種梅雨
ヴィオロンのやさしくかなし菜種梅雨
菜種梅雨毎日飽かぬお喋りめ

ブラームスのバイオリンソナタを聴きながら、小澤實「万太郎の一句」から句を拾って歳時記に書き込んでいたら二句目が浮かんだ。そのときの万太郎の句は「春水のあふれてゐたるところ」だった。小澤實は解説に「折口信夫が最高と説く無内容の句には、このようなものを掲げてもいいかもしれない」と書いている。
そうなのだ、名句とは、純音楽と同様に指示対象が存在せず、感情そのものを抽象化普遍化したものではないだろうか。
それにしても毎日よく降る。ご苦労なことである。

 唄はねば夜なべさびしや菜種梅雨   森川暁水
 菜種梅雨負け犬去りてわれ佇ちぬ   岸田稚魚
 昼汽車のひと日の空費菜種梅雨    桂 信子
 わが魔羅の日暮の色も菜種梅雨    加藤楸邨

暗く冷たく淋しいけれど、どこか生命力を感じさせる雨が菜種梅雨であると楸邨の秀吟を見て思う。男は嘘泣き出来ないのだ(ということにしておこう)。

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2007年4月17日 (火)

ブログ検索で読める万太郎句集

ココログが使いやすい検索エンジン「サイト内検索」を紹介してくれたので左サイドトップにPhoto_699 設置した。試みに「久保田万太郎」をキーワードに検索してみると万太郎の句が70句ほど表示される。必要十分な検索結果のみ表示されるので気持ちがいい。

これで俺のブログは検索機能付き歳時記(作者別・季語別その他)への進化の道を踏み出した。まだ、本格的に俳句を始めてから半年ばかりだけど。歳月や菜種梅雨降る万太郎。

写真は