牡丹@緋牡丹の豪奢に過ぎていやになり
緋牡丹の豪奢に過ぎていやになり
日本は桜、西洋は薔薇、そして中国は牡丹だそうだ。言われてみれば確かに、牡丹は中国好みのように思う。例えば楊貴妃なども花にたとえるならば牡丹しかないだろう。
写真は町田ぼたん園での撮影であるが、吟行していて少々嫌になるぐらい牡丹にむせてしまった。豪奢な美人は消化不良になるのである。やはり、「あはれ」か「をかし」が日本の美なのかもしれない。そして俺は(特に野草に)「けなげ」を感じるのである。この点、牡丹には人工的な美を感じて辟易する。やはり、女性は健気がいいのだ(言い過ぎるとセクハラになってしまうので自戒自戒)。
ちなみに、牡丹の品種はもともとは三種のみを数えるに過ぎなかったと町田ぼたん園の案内にあった(「観賞用としては南北朝時代に始まるとされるが,唐代になって大流行し,おびただしい品種群が作出された」とのネット記事もあり)。
さて、例句。「大関は引き立て役の牡丹かな」という戯れ歌の時に引いたものとかぶらないように引く。
牡丹百二百三百門一つ 阿波野青畝
火の奥に牡丹崩るるさまを見つ 加藤楸邨
落日のごとく崩れし牡丹かな 稲垣きくの
ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに 森 澄雄
牡丹を詠むのは写生の練習にもなりそうだ。「華麗で気品のある花の奥にある深いものをつかみたい」と「花の歳時記 夏」にあったが、好みではないとけちをつけるだけの句は今回限りとしよう。「日向ぼつこ日向がいやになりにけり」久保田万太郎。
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