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2007年4月

2007年4月30日 (月)

牡丹@緋牡丹の豪奢に過ぎていやになり

Photo_739 緋牡丹の豪奢に過ぎていやになり

日本は桜、西洋は薔薇、そして中国は牡丹だそうだ。言われてみれば確かに、牡丹は中国好みのように思う。例えば楊貴妃なども花にたとえるならば牡丹しかないだろう。
写真は町田ぼたん園での撮影であるが、吟行していて少々嫌になるぐらい牡丹にむせてしまった。豪奢な美人は消化不良になるのである。やはり、「あはれ」か「をかし」が日本の美なのかもしれない。そして俺は(特に野草に)「けなげ」を感じるのである。この点、牡丹には人工的な美を感じて辟易する。やはり、女性は健気がいいのだ(言い過ぎるとセクハラになってしまうので自戒自戒)。
ちなみに、牡丹の品種はもともとは三種のみを数えるに過ぎなかったと町田ぼたん園の案内にあった(「観賞用としては南北朝時代に始まるとされるが,唐代になって大流行し,おびただしい品種群が作出された」とのネット記事もあり)。

さて、例句。「大関は引き立て役の牡丹かな」という戯れ歌の時に引いたものとかぶらないように引く。

 牡丹百二百三百門一つ           阿波野青畝
 火の奥に牡丹崩るるさまを見つ       加藤楸邨
 落日のごとく崩れし牡丹かな         稲垣きくの
 ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに    森 澄雄

牡丹を詠むのは写生の練習にもなりそうだ。「華麗で気品のある花の奥にある深いものをつかみたい」と「花の歳時記 夏」にあったが、好みではないとけちをつけるだけの句は今回限りとしよう。「日向ぼつこ日向がいやになりにけり」久保田万太郎。

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鶯@あけぼのや鶯のこゑ瑠璃色に

Photo_738 あけぼのや鶯のこゑ瑠璃色に

毎朝、夜が白む頃になると鶯が啼いてくれる。居間でパソコンを立ち上げてごそごそしていると啼いてくれるのだ。思えばこれこそ豪奢な環境というべきだろう。
しかし、なかなか姿は捉えられず、「俳句の鳥・虫図鑑―季語になる折々の鳥と虫204種」の鶯のページを撮って代用とした。蛍光灯が反射して光っているのがお粗末である。

 鶯や茶の木畠の朝月夜       丈草
 鶯や下駄の歯につく小田の土   凡兆
 鶯に終日遠し畑の人         蕪村
 我病んで鶯を待つ西枕      正岡子規

「あけぼのや」とくれば「明ぼのや白魚しろきこと一寸」芭蕉である。この名句にあやかりたくて敢えて「あけぼのや」とした気分もある。名句は一日にして成らず。単純な感動を単純に詠むことがまず第一歩と思うのではあるが。

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朧月@老眼鏡外して眺める朧月

Photo_736 老眼鏡外して眺める朧月

下手糞な写真だ。よう、こんなん公開しよったなあと思うぐらい下手である。
本句を相当以前に在庫していて、そろそろ朧月の時期になったので撮ってみたのだが(予想通り)まるっきしアカン。いつか(死ぬまでに)ちゃんとしたカメラと技術と三脚で撮ることもあるだろう。その時の記念に敢えて写真を公開した次第である。

 大原や蝶の出て舞ふ朧月          丈草
 浄瑠璃の阿波の鳴門の朧月        富安風生
 おぼろ夜のかたまりとしてものおもふ   加藤楸邨
 針と糸借してごらんよ朧月          請地 仁

月見ての思ひさまざま遥かなり。秋の月も夏の月も冬の月もそして春の月もいろんな情感を催させてくれる。時間(季節)と情感こそが我が友なりき。

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2007年4月29日 (日)

朧@おぼろなる脳の味はふ缶ビール

Photo_735 おぼろなる脳の味はふ缶ビール

なんとか、節酒が継続している。なんとかというのは、原則、平日は缶ビール一本のみ、土日は焼酎・日本酒解禁であるが、大抵、平日のうち1多いときは2日は原則を守れないからである。しかしながらしかし、酒量は半分には落ちた。だからアルコール耐性も弱くなり、昨日も缶ビール一本と焼酎お湯割り二杯で眠り込んでしまった次第だ。
ちなみに、節酒のきっかけについては「かんがへて飲み始めたる一本の二本とならぬ冬のゆふぐれ」を参照。

春は大気中の水分が多いために、昼は霞、夜は朧というのが定説である。脳を朧にするのは定説違反であるが、先例句もあるので許して頂きたい。

 すこしづつ死す大脳のおぼろかな   能村登四郎
 東入る西入る知らず朧かな       草間時彦
 さる方にさる人すめるおぼろかな    久保田万太郎
 白魚がどうと生るゝおぼろかな       一茶

草間時彦の句は京都市内の地名を示す言葉である「東入る西入る」を知らなかったことを詠んだものだ。「朧」の句は面白いものが出来そうだけれど、なかなか浮かばなぬ朧である。 

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満天星の花@満天星の新妻の歌くちずさむ

Photo_734 満天星の新妻の歌くちずさむ

どうだんつつじを満天星躑躅と書くことを初めて知った。「満天星」は白い花を満天の星にたとえたことから来ているそうだ。なるほど、俺もこの白い清楚な花を新妻にたとえようと思い本句になった。だから「新妻の歌」に具体性は無い。つまりは無意味な句(のつもり)である。

 満天星の花がみな鳴る夢の中      平井照敏
 受難曲満天星の雨しろがねに     古賀まり子
 触れてみしどうだんの花かたきかな   星野立子
 満天星に隠りし母をいつ見むや     石田波郷

今年、写真の満天星はあまり咲かなかったような気がする。毎年はもっと咲きこぼれていたのにと思うおぼろなる脳の記憶である。

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藤@藤垂れてこの世に死後のなきごとく

Photo_733 藤垂れてこの世に死後のなきごとく

昨日、町田ぼたん園に吟行してきたが、生憎の曇り空、更には雷雨まで来て早めに切り上げて帰らざるを得なかった。また、出直すことにする。しかしながら、枝振りのいい白藤に出会えたことは幸いであった。あ、匂いを嗅ぐのを忘れたぞ。

 白藤や代々の女の伏瞼       香西照雄
 滝となる前のしづけさ藤映す    鷲谷七菜子
 暮れ際に茜さしたり藤の房     橋本多佳子
 飢ふかき一日藤は揺れにけり   加藤楸邨

例句を引くために歳時記を引いたら「藤垂れてこの世のものの老婆佇つ」三橋鷹女があるではないか。「美しき恋などせむか藤の花」をつくった時に自分でも引いているのに、すっかり失念していた。でも、まあいいか。意図せぬ本歌取りであったことにしよう。

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2007年4月28日 (土)

強制連行訴訟判決、最高裁は司法権を放棄し国益を損ねた

「日中共同声明はサンフランシスコ平和条約と同様の枠組みで、個人の賠償請求権を放棄したと解釈できる」しかし「旧日本軍監視下の西松建設による強制連行・労働で原告は極めて大きい精神的・肉体的苦痛を受けたと認められる」よって「裁判上の請求権はないが、自発的対応は妨げられず、被害救済に向けた努力が期待される」とした最高裁判決。ちょっと唖然とする。これでは司法権放棄ではないか。

揉め事が当事者間で決着しないから裁判所にお裁きをお願いするのに、これでは「おまえら適当に処理せえ」と自らの義務を放棄したようなものだ。しようがないから最高裁に成り代わって、俺が整理してやろう。

日中共同声明はサンフランシスコ平和条約と同様に個人の戦争被害請求権放棄を定めたものと解釈するのが相当。よって原則、私人間(「強制連行」被害者と西松建設)においても請求権なし(中国がいちゃもんを付けても日本司法権の判断で押し通す)。もっともこの請求権放棄は戦争被害ではなく不法行為による損害賠償請求権まで放棄したものとは考えられない。よって、当裁判所は今回の事案において不法行為の存否につき以下のように判断する。

こうすれば、国家間の問題とは別に不法行為の判断を事案に即して行えるから、裁判所の機能も放棄されず、当事者は事実の認定を巡って具体的に争うことが可能になる。
しかし、最高裁は(俺でもわかるような)妥当な法律構成を採らなかった。何故か。

想像するに、上のような法律構成で「不法行為の抜け穴」をつくると、従軍慰安婦や南京事件やその他もろもろ訴訟ラッシュを恐れたのだろう。これしかないよ。
しかし、最高裁が今回の判決のように問題を当事者や政治に投げ返すことは「国益」にならない。中国韓国で例によっての反日言論を高めるし、アメリカでの性的奴隷騒ぎにも油をそそぐ。
だから、こうした問題は裁判所が引き受けて事案ごとに「強制」「不法行為」があったのかを判断するしかない(これは政治家の仕事でも歴史家の仕事でもない)。
そうすることが法治国家日本のプレステージを上昇させる。また更に、国家的犯罪(拉致)を隠蔽し続けようとする北朝鮮に対抗するためにも戦争による被害と不法行為による被害とを峻別することが絶対に必要だ。仮に日朝国交回復条約で相互に戦争被害請求権を放棄したとしても個人レベルの不法行為・犯罪は許さないというスタンスを維持することにつながるからだ。

つまりは、国家レベルの問題と個人レベルの問題とは明確に区別するべきだということだ。戦争にあっても国際法に違反するような行為は戦争犯罪として裁かれるのだから文明国として当然のことである。

残念ながら、最高裁も国家官僚の一環にしかすぎず、個人の権利の味方ではないことを今回露呈した。いやそれ以前に法律家としての資質に欠けるというべきだろう。次の最高裁判事信任投票には絶対に×をつけようね、忘れてなければ。

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木蓮@悔いのなき人生あらず紫木蓮

Photo_732 悔いのなき人生あらず紫木蓮

朝吟行で枯れかけた紫木蓮を見かけて、もう木蓮も終わりだなあと思いつつ通り過ぎたらその瞬間に「悔いのなき」が浮かんだ(多分、コマツ株の利益確定が少々早すぎたのを悔やんでいたのだろう)。
そこで数歩戻って写したものだ。枯れ始めた紫木蓮の花は(あまり美しい花ではないだけに余計に)切なく哀れである。

 昔男ありけり風の紫木蓮          島 紅子
 紫木蓮北空低き町なりし         紅露ゆき子
 木蓮に大風やまぬ日なりけり       木下夕爾
 はくれんの無垢極まりし過疎の村    竹内こうぞう

白木蓮まだ覚めやらぬ青き恋」「生きてゐる白木蓮も青空も」「悲の恋も童話のごとく紫木蓮」で引いていない例句を「花の歳時記 春」から引いた。木蓮の叙情が少しわかりかけてきた(ような気がする)。

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チューリップ@チューリップみんな仲良くいじめなく

Photo_731 チューリップみんな仲良くいじめなく

なかよく咲いているチューリップに眼を止めての即吟。初案「チューリップ仲良しこよしいぢめせず」だったが、声調心地よくに留意して推敲した(つもりの)ものだ。
チューリップ化粧上手を買ひに行く」「どんな時も遊び忘れずちゅうりっぷ」「チューリップ黄色が好きで遊び好き」と既に三句もつくっているから俺は相当のチューリップ好きかもしれない。幼い心の持ち主なのだろう、多分。

 賛成賛成とチューリップは咲けり     今瀬剛一
 朝礼の訓話不動のチューリップ      幸喜美恵子
 チューリップ飴の包みを入れられる    大久保昇
 チューリップ真直ぐに立ち退院す     新井みち子

こうしてみるとチューリップという記号は我々の子供時代の思い出につながっているのだなあ。大人になった今よりは素朴だっただろう、大抵の人は。素朴の対立概念は世間知。人生、世知辛いのは当然な所以である。

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青鷺@青鷺の塑像のごとく佇ちゐたり

Photo_730 青鷺の塑像のごとく佇ちゐたり

朝吟行の定例コースの一つの公園で写真の鳥を見かけて、とにかくシャッターを切った。いったいなんの鳥だろうかと「俳句の鳥・虫図鑑―季語になる折々の鳥と虫204種」をめくったのにわからず。しぶちんの俺がせっかく買ったのになあと思いつつネット検索してごそごそしていると青鷺だろうと判断がついた。長い首をすくめるとこのような姿になる写真に出会ったからだ。ちなみに、青鷺がナマズやウナギを飲み込む写真も見つけて迫力あるなあと感じ入った。
これで俺の心にまた財宝をひとつ積むことが出来たとちょっと満足したのである。

 夕嵐青鷺吹き去つて高楼に灯    高浜虚子
 青鷺の真中に下りる最上川      中西舗土
 青鷺や水に浮かびし后陵       大島民郎
 青鷺のみじんも媚びず二夜泊つ   殿村莵絲子

眼で見て写真に撮って俳句にして例句を引いて。写真、俳句の中味は別にして、いいパターンを俺は身に着けることができたと思う。このパターンでしっかりした記憶を脳内に形成できる。記憶だけが人生なのだ。

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2007年4月27日 (金)

著莪の花@やうやくに雨あがりけり著莪の花

Photo_729 やうやくに雨あがりけり著莪の花

先日の景信山行で著莪の花を教えてもらって写真を撮ったのだが、あまり出来がよくなかった。またの機会だなあと思っていたら、なんと近所の公園に咲いているではないか。
手元の歳時記(角川合本俳句歳時記)に季語として収録されていないのでネット検索してみると、「昨夜の雨人知れず著莪咲きにけり」一葉という句をつくっていらっしゃる方がある。そこで「花の歳時記 夏」を見ると季語として収録されていた。そうか、ポケット歳時記では矢張り限界があるのかと感じた次第だ。
ちなみに、この一葉さんのブログに「こうして花の名を覚えると、思わぬところでその花たちに出会い、今まで気付かずに見過ごして来たことがなんと多かったことかと、驚かされます」とある。句歴が浅い俺ではあるが全く同感である。心に財を積んでいるとさえ思うのだ。

 くらがりに来てこまやかに著莪の雨   山上樹実雄
 書に力抜くところあり著莪の花      根本好宏
 親鸞へ蓮如へ著莪のなだれ咲き     関 清子
 譲ることのみ多き日々著莪の花     塙  義子

著莪の中国名は胡蝶花だそうである。胡蝶舞ふ水辺に著莪の咲きにけり。

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薔薇@歳なれば棘なき薔薇を愛でにけり

Photo_728 歳なれば棘なき薔薇を愛でにけり

この棘のない薔薇を木香薔薇と呼ぶということをつい先日、知った。垂れて咲くことからスダレイバラという別名もあるようだ。花に白と黄があって「白には芳香があるが黄色には香りがない」と、本やカタログに書かれているが、よく匂ってみると黄の花もいい香がするそうだ。早速今日、試してみよう。

 夕風や白薔薇の花皆動く         正岡子規
 番傘の軽さ明るさ薔薇の雨        中村汀女
 薄暮、微雨、而して薔薇しろきかな   久保田万太郎
 薔薇よりも淋しき色にマッチの焔     金子兜太

万太郎の句の「而して」は「しこうして」と読ませる。小澤實「万太郎の一句」から拾った句だが、この本末尾の「久保田万太郎小論  余技・無内容・影響」で小澤は、例句のように句読点を積極的に使った万太郎を高柳重信の多行形式俳句につながる先進性・前衛性として評価している。平明でシュールでかつ無内容な句を目標とする俺にとって非常に参考になった。冬菫平明詩人万太郎

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春落葉@薄味が好みとなりぬ春落葉

Photo_727 薄味が好みとなりぬ春落葉

春落葉という季語も手元愛用の合本俳句歳時記にはなく、花の歳時記で知った。その上で周りを見ると、特に楠が落葉している。常緑樹においても「春から初夏にかけて人知れず古葉と新葉が入れ替わっている」現象をいうのである。

 加齢とは落葉のうへの春落葉     友岡子郷
 晩年の師の文字太し春落葉      堀口星眠
 春落葉えたいの知れぬものも掃く   鍵和田■(ゆう)子
 跼みては佇ちては春の落葉焚     石田波郷

春の明るさの中の落葉。もう少し使い込んでみたい季語だ。いや、季語の本意に迫りたいと慎み深く思うのである。

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2007年4月26日 (木)

集団的自衛権入門

政府は二十五日、憲法解釈上禁じられている集団的自衛権行使の事例研究を進める有識者懇談会の設置を発表した。
訪米前の見え見えのお土産タイミング、そしてメンバーの顔ぶれをみると結論は既に出たような懇談会だ。しかし、その個別事例が生々しく具体的だ。

(1)米国を狙った第三国の弾道ミサイルを、ミサイル防衛システム(MD)で迎撃(2)公海上で自衛艦と並走中の米艦船が攻撃された場合の反撃(3)多国籍軍への後方支援(4)国連平和維持活動(PKO)

おいおい、(1)アメリカ本土を守るための自衛隊活動まで認めようというのかい、とビックリだがこれは見せ玉で、本音は(2)以下を合憲とすることにあるような気がする。いずれにしても憲法改悪に持ち込むための雰囲気作りであることは間違いない。

ところで新聞に集団的自衛権の行使は「国連加盟国による集団的安全保障体制の下、国連安全保障理事会の措置がとられるまでの時限的な権利」と位置づけられていることは認識していなかった。集団的自衛権は国家の自衛権の一環として当然の権利だと思い込んでいたけど、国連はそれを制限しているんだ。国連の制限が実質的に機能するか否かは別にして(アメリカのイラク侵略を想起せよ)、こんなことぐらいは知ってないといけなかった。ハズカシイ。

(1)国際協調(国連重視)(2)憲法9条(3)自衛隊(4)現行日米安保の枠組み内で、アメリカ・中国・ロシア・アジア・ヨーロッパその他と上手に付き合って国益を確保してほしいのに。
安倍ちゃん、なんでそこまでアメリカに傾斜するのかねえ。アメリカだけが世界じゃないぞ。ドルの長期低落は止められないのに歴史に逆行する反動たちよ。

参考: 集団的自衛権という考え方は、20世紀前半までは「軍備の自由」や「戦争の自由」などとともに「同盟の自由」として、安全保障の考え方における、国家の普通にありふれた選択でした。ところが、二次大戦後、国連憲章ができて、国連憲章二条四項では戦争の違法化を明記しました。その例外は、一つは侵略されたときの反撃であり、もう一つは国連の制裁が行われるまでの集団的自衛。この二つを除いて国家が武力行使をすることを違法だと禁じたわけです。ですから軍事同盟による防衛というのは、本来国連憲章のもとでは時代遅れであり、大手を振って歩けないような理念になったのです。

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蝮蛇草@念力でひねる俳句や蝮蛇草

Photo_726 念力でひねる俳句や蝮蛇草

先日の景信山登山での写真である。これが「まむしぐさ」と言うんだよと教えてもらって撮った。この草は日本三大毒草(トリカブト・ハシリドコロ・まむし草)の一つだそうだ。触っただけで触った部分に激しい痛み(しびれ)を感じるらしい。秋にはトウモロコシに似た赤い色の実をつける。縁があったら撮りたいなあ。

 まむし草疎んじをれば挑みけり   文挾夫佐恵
 蝮蛇草風ひき寄せてさびしけれ   鳥居おさむ

先日テレビで再放送していた「皇居の四季」に出てきた浦島草と同じものかと思っていたが、「うらしま草とまむし草はうり二つ。うらしま草は、ひげがのびて、まるで釣りをしているように見えるからうらしま草で、まむし草はひげがありません」とのことだ。こちらは毒がないのだろうか。

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一人静@一人静湖底の村に駐在所

Photo_725 一人静湖底の村に駐在所

先日の景信山登山の山道で教えてもらって撮影した。名前は聞いたことがあるように記憶していたが、ほうそうか、これがと感じた次第である。「花の歳時記」によるとこの花には花弁が無いとのことだ。二人静との対比と写真についてはブドリさんの心象スケッチを参照してほしい。

ところで本句はちょっと難儀した。「花の歳時記」の例句を参考にして初案「一人静愛に名前をつけてみる」だっだが、もうこんな観念遊戯は止めようと思い「一人静高尾山中高速道」としたが全くの駄句である。今朝、起き抜けに念力のお陰でようやく本句を得た。念じ続ければいつか希望は実現するのである。ただし、事実世界ではなくあくまでも記号世界の話だ。

 一人静この村を出て帰らざる    岡田博充
 吉野静愛は先着順ですか      田口一男

吉野静、眉掃草(まゆはきそう)とも呼ばれている。一人静は「茎の色が紫褐色です。山野草愛好家の間では,左の写真のような茎の色が緑色のものを“青軸ヒトリシズカ”Chloranthus japonicus cv. Albiflorusと呼んで珍重しているようです」とのことだ。

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花@花の昼見知らぬ街の顔と顔

Photo_724 花の昼見知らぬ街の顔と顔

この句、没にしようかしまいかずうっと迷っていたが、結局、意味不明なところがいいと判断して残すことにした。写真は単なるつけ合わせである。

 本丸に立てば二の丸花の中     上村占魚
 昏き扉の少しひらきて花の昼    鷲谷七菜子
 朝の花木馬をぬらす雨降れり    田中午次郎
 花の土手妻子の網に曳かれ行く   安藤柚青

花見ての様々な思い、生活、記憶が詩をつくらせると思う。大事なことはそれに気づくかどうかだ。想像力の扉を開け、網に曳かれていずに。

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2007年4月25日 (水)

八重桜@八重桜多情多恨の半生よ

Photo_721 八重桜多情多恨の半生よ

どうも写生が下手である。八重桜を写生しようとしても浮かばない。そこで二句一章に走ることになる。いわゆる取り合わせで読ませようとする句である。本句も「八重桜」と「多情多恨」の取り合せだ。多少の生活実感があるのが救いではある。

 奈良七重七堂伽藍八重ざくら      芭蕉
 起居憂し咲きただれたる八重桜    福田蓼汀
 八重桜日輪すこしあつきかな      山口誓子
 夜がくれば夜の冷えおくる八重桜   能村登四郎

芭蕉の句は言葉遊びが面白く、伽藍との取合せでもある。蓼汀の句は「起居憂し」との取り合せだが「咲きただれ」に表現上の工夫がある。そして、誓子の句は「日輪あつき」、登四郎の句は「夜の冷え」との取合せだ。要するに、対象に何を見てどう感じたかが焦点(すなわち句の思想)であり、その思想を写生で表現するのか、取合せとして配置するかの違いである。更に言えば、写生も広い意味では取合せの範疇に入ると思う。
つまりは対象からどんな思想を引き出せるかが、俳句の力すなわち俳筋力である。

WHY:なぜ俳句をつくるのか。WHAT:何を表現したいのか。HOW:いかに表現するのか。
WHYに答えは無いけれど、常にWHYを問い続けること。そして一句ごとにWHATを確認することだ。そうすれば、いつかええこともあるやろう。

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春の山@泣いてみよ笑うてみよと春の山

Photo_720 泣いてみよ笑うてみよと春の山

景信山から眺めた高尾の山々と相模湖だ。新宿高層ピル群、横浜ランドマーク、江ノ島も見えたが、快晴上天気ではなかったので写真に残すほどの風景ではなかった。天気がよければ富士も見えるようだ。
ご近所登山隊の一員として登ったのだが、大山登山の時に脱落しかけたことがあったので少々心配だった。体重削減の効果が出たと思っておこう。

 春の山たたいてここへ坐れよと   石田郷子
 背に近くもたれ心や春の山     河東碧梧桐
 春の山持ち上げて切る蛸の足   加藤彦次郎
 春の山らくだのごとくならびけり   室生犀星

石田郷子の句が意識下にあったために本句になったような気もする。若緑をたたえてらくだのように連なった春の山が美しかった。美しきものに会ひたし春の山。

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春愁@春愁や思へば青春また青春

Photo_723 春愁や思へば青春また青春

景信山に登る途中で修行者ご一行を見かけたので無断撮影させてもらった。俳句は日曜の日経俳壇にあった春愁の句に触発されたもので、初案「春愁や青春いまだわれにあり」だった。推敲してよくなったと思っているがどうだろうか。
春愁をもてあましたり鼻毛抜く」というアホな先行句があるなあ。駄句から一歩ずつ這い出よう。人生は長い。

 春愁や船から船を眺めをり       矢島恵
 春愁に言ひ寄られゐるどうしやう   内田美紗
 古書店の奥の奥にて春愁       能村研三
 春愁もヤクルト一本分くらい      中居由美

取合せはモノとの取合せを出来るだけ探るべきだ。季語とモノとの接点に詩が生れるのだから。季語は既に相当の観念の衣をまとっているから、季語と観念との取合せは単なる観念操作に陥る危険性があると思う。そこで一句。春愁や滝に打たれる人もゐて。

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2007年4月24日 (火)

綿帽子@綿帽子地上に降りし宇宙船

Photo_718 綿帽子地上に降りし宇宙船

「綿帽子」が季語として定着しているかどうか、ちょっと検索してみたが不明であった。わたしの俳句歳時記には冬の帽子の綿帽子があったが、タンポポの綿帽子は無かった。まあ、赤信号みんなで渡れば怖くない。後続が続けばよいのだ。あ、本句にそんな力はないか。そこで蒲公英から例句を引く。

 たんぽぽの絮ふるさとを出奔す    青柳志解樹
 風愉したんぽぽの絮少女の髪     草間時彦
 職退きし日よたんぽぽをちぎりゆく   植田祥雲
 たんぽぽや嬉しきときにでる泪     成毛克子

まあしかし、カメラのお陰で蒲公英の綿帽子をしっかり観察することができた。何回も書くけれど、人生見過ごしてきたことばかりなのだ。

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筍@筍の掘られ脱がされ棄てられて

Photo_717 筍の掘られ脱がされ棄てられて

多摩市と八王子の境をなして「からきだの道」という遊歩ルートがあるが、写真はそこでの所見だ。そうか、もう竹の子掘りの季節か、それにしても無残だなあと句にした。ちなみに俺は竹の子はあんまり好物ではない。

 筍の光放つてむかれたり              渡辺水巴
 たかんなの影は竹より濃かりけり        中村草田男
 筍を三日くらひて飽かざりき            石田波郷
 たけのこ煮、そらまめうでて、さてそこで    久保田万太郎

筍は夏の季語だが、もうそんな季節がやってきているのである。筍や夏の予感の盗掘者。

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藤@美しき恋などせむか藤の花

Photo_716 美しき恋などせむか藤の花

藤が咲き始めた。王朝の心伝えて藤の花という風情を感じる。手元の歳時記には「春の汗ばむ頃の気分とこの花の濃艶な美しさが一致し、いかにも春行くといった感じが深い」とある。普通、あたりで見かけるのは野田藤(紫藤)という種類だそうだ。この「のだふじ」は、今から約600年前(南北朝時代)その美しさで知られ、「吉野の桜」「高雄の紅葉」とともに三大名所と言われ、野田の藤見物が盛んでした、と大阪市福島区のHPにある。

 草臥て宿かる比や藤の花         芭蕉
 白藤や揺りやみしかばうすみどり    芝不器男
 藤垂れてこの世のものの老婆佇つ   三橋鷹女
 藤の昼膝やはらかくひとに逢ふ     桂 信子

芭蕉の句は旅の名句である。こうした一句を覚えていると、しんどいなあと思ったときに藤の垂れている様子を思い浮かべて幾許かの慰めになる。叙情は勇気と優しさ(桂信子の句参照)につながると思うのである。

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2007年4月23日 (月)

早期利上げ、株式五月バーゲンセール到来の予感

先週、ミニチャイナショックで急落した株式市場だけれど今日は先週末のNY急騰に追随するだろう。しかし、ここで留意すべきはミニチャイナショック時に一部で流された日銀、早期利上げの可能性だ。
これだけ企業業績がいいのにこんなに低金利が続いていいのだろうか、と以前から思いっているのだが、今朝の日経を見ると注目記事が二つ。

一つ目は「月曜経済観測」での米CEA元委員長フェルドシュタイン氏の発言。日銀の金融政策についての意見を問われて「あまりに緩すぎる。(物価の伸びを差し引いた政策金利で見た)欧米の実質金利は2~3%だが、日本はほぼゼロだ。これほど低い水準である必要があるだろうか」と言う。おいおい、米ドル高政策に協力しての日本の低金利政策だぜよと言いたいぐらいにあからさまな日銀批判だ。

もう一つはスイッチオンマンデー面の「週目点」での中前忠氏コラム。この人は以前から早期利上げ論者だが、「実質ゼロの預金金利で家計の利子所得が奪われ、国内消費は不振」「円安は輸入価格の上昇を通じて消費者の購買力を低下させる」という従来からの利上げ論拠に加えて、「日銀は景気論争をやめ、金利水準の正常化が利上げ目的であることを明確にすべきではないか」と提言している。要するに、デフレ脱却したか否かなどの景気論争を止めて、利上げに踏み切れと言っているのである。

思うに、属国日本の金融政策は所詮、米帝金融政策の一環でしかあり得ない。ドルがユーロに対して下げ続けている(無謀なイラク侵略継続の付けが回って当然)のに、ドル/円が高いのは人為的な日銀低金利政策のお陰である。
しかしこんな人為的な政策は身内(フェルドシュタイン氏)からも批判が出るような状況になりつつある。中小企業は別にして、大企業がこんなに儲けているのに実質ゼロ金利継続の理由が無い。
また、アメリカが年後半にも利下げするならば日本が早期に小幅利上げでショックを前倒しして地ならしをしておく必要もあるだろう。

ということで、参院選前、早ければ五月利上げの可能性が強くなってきたと考える。とすれば、利上げ→円高→株式五月急落・バーゲンセールがあり得るなあ。今日の高値の具合によってはコマツを利食いしておくか。それから先週また手を出してしまった日経225ミニ先物も。

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2007年4月22日 (日)

山吹@晩年や八重山吹の色の濃き

Photo_715 晩年や八重山吹の色の濃き

山吹にも八重があることを(恥ずかしながら)この歳になって初めて知った。そこで接写(接写多用は少々下品と思いつつ)。花びらのひとつひとつに表情があると「晩年」は思うのである。山吹や永き晩年いかにせむ。

 門跡は二十歳におはす濃山吹    福島壺春
 わがいのち知らぬ我かも濃山吹   原 コウ子
 山吹にぶらりと牛のふぐりかな      一茶
 ほろほろと山吹散るか滝の音      芭蕉

山吹は「山吹や停年挨拶葉書の来」に続き二句目。例句を引くことによって山吹の本意に少しは近づけるようになっているだろうか。それは別にして、山吹の花は眼に馴染んできているのは事実だ。散歩道今まで気づかぬ花山吹。

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竹の秋@熟年と自称するまじ竹の秋

Photo_714 熟年と自称するまじ竹の秋

「3、4月頃になると、地中の筍を育てるため、竹は葉が黄ばんでくる」現象を「竹の秋」という(わたしの俳句歳時記)。写真は少し不明瞭だがこのような現象だと思う。
ところで、熟年って誰の造語なのだろうか。この言葉が出来るまでは中年と老年しかなかった。その間に更には両者を包み込んで熟年が通用するようになったと思うのだが、この経済効果は相当なものだと思う。熟年向け商品・サービスと銘打てばそれだけで一定の需要喚起力があるのだから。
ちなみに俺は、テレビで宣伝している商品に碌なものは無いといつも思う。NOVA然り再春館製薬(組織暴力がらみの企業だと確かな筋から聞いた記憶あり)然りである。

 夕方や吹くともなしに竹の秋     永井荷風 
 門前の古き旅籠や竹の秋     中村吉右衛門
 老夫婦のみの隣家も竹の秋     飯田龍太
 結局みんなおふくろ定食竹の秋   飯島晴子

俳句に接しなければ「竹の秋」という現象に触れずじまいで俺の人生は終っただろうなあ。人生は一粒の記憶竹の秋。

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仲春@春なかば人生なかば芸の道

Photo_713 春なかば人生なかば芸の道

歳時記をめくっていたら「仲春」の項に「春なかば」という季語があるのに気づいて、「人生なかば」が自ずと導かれた。そこで問題はオチ(下五)だが、「泳ぎをり」「顎を撫づ」などと付けたがつまらない。「人生も芸の内なり花曇」という旧作の延長線上に置けばいいのだと気づいて本句となった。俺には芸の道しか残されていないのだ。
ちなみに写真は西武秩父線高麗駅の風景。この彫像は朝鮮半島では『チャンスン』と呼ばれ、守り神として村の入口に建てられたものだそうである。面白い被写体だと思ってとりあえず撮影しておいたら、本句で役に立った。これも芸の内である。

 仲春の少女がこぼす壺の水     岡本正敏
 仲春や庭の繚乱古机        松根東洋城
 冴え返り冴え返りつつ春なかば   西山泊雲
 末雪に次ぐ大雨や春半ば       伊藤後槻

まあしかし、人生、春ばかりではない。大暑もあれば大寒もあるのである。そのことだけは忘れないようにしよう、極楽トンボよ。

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2007年4月21日 (土)

花水木

Photo_712 佳き写真撮れゝば嬉し花水木
偏屈な医者の庭にも花水木

花水木は好きな花だ。清楚でモダンで理想的な女性のようである。そうそう、紅花水木もある。紅も白も美し花水木。

 くれなゐの影淡くゆれ花水木       小島花枝
 真昼間の空を押しあげ花水木       伊藤敬子
 花水木咲き新しき街生まる         小宮和子
 はなみづき帽子のつばをへこませて   嶋田麻紀

そういえば、新しい街の街路樹に花水木がよく植えられているような気がする。ところで、花水木は桜を贈った返礼にアメリカから贈られた木だそうである。「アメリカヤマボウシ」とも呼ばれているとのことだ。還暦となりし憲法はなみづき。

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菜種梅雨@菜種梅雨止みてしばしの青き空

Photo_710 菜種梅雨止みてしばしの青き空

つまらない句だけれど写真と合わせてちょっぴり爪の垢ほどの値打ちはあるかもしれない。よく降った(東京の話)。まだ少しぐずつくみたいだが、気がつけば四月も下旬。五月晴れの季節もまもなくだ。

 死へつづく病と思ふ菜種梅雨   古賀まり子Photo_711
 菜種梅雨念仏の膝つめあはせ   桂 信子
 菜種梅雨子の大足が家歩む    宮本由太郎

ところで、鬱陶しい気分を吹き飛ばすニュース「狩野のサヨナラ打で阪神が大逆転勝ち! 巨人は豊田が大炎上」。三点差がついた12回表でテレビ応援を放棄。あとを見ないでこのような快感を味わうのが通のファンである(と悔し紛れもあり)。

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松の花@雷蔵の古き映画や松の花

Photo_709 雷蔵の古き映画や松の花

しぶちんな俺が思い切って買った「花の歳時記」を(当然ながら)重宝している。草木の花のカラー写真と例句と解説を手放せない。この句もそのお陰である。
そこで松の花だが、「晩春の頃、雌花は新芽の頂に、雄花は新芽の下部に群がって咲く。雌雄同株の花である。風が吹けば雄花は花粉を煙の様に飛ばし、それが道路や庭の隅に散りたまったのを見かける。受粉後、雌花は松毬となる」(わたしの俳句歳時記)とあって、松の花には雌花と雄花があるとのことだ。
こういう文字情報に加えて「花の歳時記」の写真イメージを脳内に記憶させて吟行していたら、出会ったのが写真(多分、雄花)だ。雌花はゆんフリー写真素材集  No. 1093 松の花 [日本 - 長野]に美麗な写真があるので是非、参照願いたい。
これで俺は松の花について世間並み以上の知識を得たことだろう、多分。それがどうしたと言われると困るのだが。

ああ、「雷蔵」は市川雷蔵、「古き映画」はこのところBS2が放映していた眠狂四郎シリーズである。あんまり好きな映画ではない。雷蔵映画では中野学校シリーズの方が俺には面白かった。

 降る雨に須磨の海濃し松の花     高橋淡路女
 象潟や一茶も来たり松の花       森 澄雄
 晴れてくる気配となりし松の花      菖蒲あや
 みんなみはしらなみいくへ松の花   上田五千石

須磨の海が懐かしい(加古川生まれだから)。故郷はわが胸の底松の花。

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2007年4月20日 (金)

燕@初勝利楽天の星初つばめ

昨日、燕を見かけた(と思う)。飛ぶスピード、腹部が白かったことからして燕に間違いないと信じている。

 初勝利楽天の星初つばめ

ご存知ない方もひょっとしていらっしゃるかもしれないのでリンクを張っておこう。一昨日楽天の新人投手「田中1勝でかした!13K完投」だったのである。そして昨日も楽天は勝って【楽天】初の本拠地同一カード3連勝なのである。王監督には悪いけれどこれでソフトバンクと並んで3位に浮上。春の椿事というべきである。
ついでに、「楽天、TBS株買い増し 20%超へと意向通告」とこちらも元気だ。そうだ俺は楽天の一株株主だった。TBS乗っ取りに成功した場合の保険で一株だけ買ってずうっと含み損のままだけれど。

 夕燕我には翌のあてはなき        一茶
 燕来て新しき泥落としけり        佐藤くにを
 つばめつばめ泥が好きなる燕かな   細見綾子
 つばくらめ父を忘れて吾子伸びよ    石田波郷

燕の写真を撮るには相当の根性と技能が必要だろうなあ。諦めたらアカン、楽天だって優勝するかも、TBSを乗っ取るかもしれないのだから。

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蠅生る@蠅生る阪神今日は勝つやろか

Photo_708 蠅生る阪神今日は勝つやろか

こんな句をつくったものだから、見てみい、昨日は六点差を中日にひっくり返されたやないか。アホ。

 蝿生れ早や遁走の翅使ふ     秋元不死男
 祝福もなしに無数の蠅生まる    三谷昭
 蠅生るなにかと言ひて妻太る    清水基吉

いったい「蠅」が正しいのかそれとも「蝿」なのか。どちらも手書きしようとすると苦労だ。特に前者はまず書けないなあ。

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芝桜@芝桜のびのびしたる秩父かな

Photo_707 芝桜のびのびしたる秩父かな

句はありきたりだが、写真はありきたりでも自己評価Aなので写真俳句にせざるを得なかった。まだ芝生が少し疎らなのが残念な、秩父羊山公園自慢の芝桜の先日日曜日の光景である。

 芝桜若きカメラマン沈思      金子兜太
 芝桜の緋色緻密や愛なき婚   楠本憲吉

上の例句、二句ともになんで芝桜なのかよくわからない。わからないのが面白いのかもしれないけれど。

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2007年4月19日 (木)

フランス大統領選、左右激突?

昨日のクローズアップ現代は「“競争”か“平等”か~左右激突・フランス大統領選挙~」と銘打って「サルコジ候補は、手厚い労働者の保護政策が、フランスの国際競争力を低下させたとして、アメリカ流の自由競争至上主義を導入し、強いフランスの復活を訴える。一方、フランス初の女性大統領を目指す野党・社会党のロワイヤル候補は、弱者保護の伝統的な社会主義政策を打ち出し、広がる格差の是正を訴える。"競争"か"平等"か、根源的な選択を迫られるフランスの姿を描く。」と大上段であった。

放送によると、サルコジ候補は融通の効かない硬直的な35時間制労働がフランス経済を損ねると主張し、ロワイヤル候補は35時間労働制と人間的生活の保持を訴えているようで、まさに競争か平等かの左右対決のようだ。
そこで35時間労働制で検索してみると、「平均的なフランスの労働者は一年間に1525時間働くのに対して、日本の労働者は、平均で、1975時間働く(2003年)」と確かに労働時間の大きな差が生じている。そうか、これではフランス経済が弱体化するのも当然かとも思う。
ところが更に検索すると、ロワイヤル候補も「週35時間労働制は低迷するフランス経済の一部産業に問題を引き起こしていると正式に認めた」と伝えられている。

そもそもこの制度、「ジョスパン首相時代の2000年に1つの労働政策を施行した。1週間の労働時間を35時間に制限し、その一方で月給は労働時間カット前の水準を保つことを企業に義務付けたのだ。労働時間を制限すれば企業は生産を維持するために新たに人を雇わなければならない。そうすればフランスを悩ませている高失業率問題も解決するはずだ、というのが法律の基本的な狙いだった。いわゆるワークシェアリングを法律で義務付けたわけだ」ということで失業率低下を意図したワークシェアリング(デフレ一色時代の日本でも議論された)という短期的政策という側面もあったようだ。
だから、クローズアップ現代の取り上げ方は(左右対決に違いはないとしても)ちょっとセンセーショナルに過ぎミスリードの可能性がある。よその国の選挙結果の上っ面だけを見て、左が勝った右が勝ったと騒ぐ人たちが出てきそうだから敢えて書いておく。

ハートは左に(平等)お財布は右に(自分の取り分はなるべく大きく)。これが人間の自然である。だから、平等と競争は対立軸ではあり得ない。対立軸は(1)反帝国主義←バグダッドで昨日もテロで200人余が殺された(2)自由主義(3)多元主義(4)社会的共通資本の重視にある。左翼よ、結集せよ。

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花@桃桜過ぎて市議選花盛り

Photo_706 桃桜過ぎて市議選花盛り

市議選が始まっている。多摩市は前の市長が汚職で辞めたので市長選が統一地方選の時期とはずれてしまったので市議選のみ。都議選もだいぶ昔の騒動で統一地方選とは別の時期になっている。
それにしても長崎市長暗殺事件の動機→背後関係(多分あるだろう、ヤクザが腹が立ったからといって逮捕確実の状況で単純な犯罪を犯す筈が無い)の解明を捜査機関に望む。組織暴力を権力が利用している限りこの種の犯罪は無くならない。

 花よ花よと老若男女歳をとる   池田澄子
 別々に拾ふタクシー花の雨    岡田史乃

「花」の例句は引き尽くしたつもりになっているので、清水哲男『新・増殖する俳句歳時記』を季語検索して更に年月索引で鑑賞へのリンクをつけた(この点、稔典さんのサイトは一句がひとつのページでリンク付けされているので使いやすい)。上の二句は鑑賞と共に是非、味わって欲しい。句を読む世界の広さ深さは句を詠むことに通じているのだ。

ところで池田澄子は中年から出発した俳人。明日の「今日の一句」(右サイド)に再び登場予定。この「今日の一句」はなるべく連続性を持たせようとしているつもりなのだが、感じて頂いているだろうか。

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一輪草@名舞台女の一生一輪草

Photo_704 名舞台女の一生一輪草

BS2の杉村春子没後十年記念番組をあらかた観た。「女の一生」「怪談牡丹灯篭」「続・二号」「華々しき一族」などの舞台が楽しめたが、「女の一生」は白黒の古いビデオ映像のせいもあってかいまいち。「怪談牡丹灯篭」がよかった凄かった。相手役の北村和夫との掛け合い共演に熱が入っていたのでビデオを永久保存。いつかまたじっくり観ようと思う。
この北村和夫、没後十年経った現在でも杉村春子のことを思うとぼろぼろ涙が出るのだろう、座談会では号泣寸前であった。

 一輪草一つといふは潔ぎよし    山崎ひさを
 手にのせて風も小さく一輪草    きくちつねこ
 道なき谿一輪草の寂しさよ     加藤知世子
 一輪草父母より姉の墓古き     平田岐久

一輪草って例句のごときイメージなんだなあ。女も男も最後は一輪草。生死は一人なり。

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蝶@初蝶来明日の便りの届きけり

Photo_703 初蝶来明日の便りの届きけり

この句、自分では気に入っているのだけれど、伝わっているだろうか。明日の便りが今届くというシュールを詠んでいるつもりなのだ。ああ、解説してしまった。野暮をしてもうたよ。
ところで写真もお気に入り。だって飛んでいる蝶々がなんとか撮れたんだもん。トリミングして蝶々の付近のみを切り取ったので、それと認識できるようになった写真だ。

 初蝶来何色と問ふ黄と答ふ         高浜虚子
 方丈の大庇より春の蝶            高野素十
 一日物言はず蝶の影さす          尾崎放哉
 詠みし句のそれぞれ蝶と化しにけり   久保田万太郎

縦横に俳句という形式を操作する虚子の凄さ、写生に徹して音楽を響かせる素十、心にしみいる放哉。秀句を得れば懐から蝶が飛んで行く心地がするのである、多分。

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2007年4月18日 (水)

馬酔木@眠さうな男馬酔木を通り過ぐ

Photo_702 眠さうな男馬酔木を通り過ぐ

実は(恥かしながら)ようやく馬酔木の花を認識できた。まさに「白い壺形の小花が集まり房になって垂れ下が」っている(わたしの俳句歳時記)。今まで通り過ぎていたのだろうか、それとも認識のチャンスに恵まれなかったのだろうか。写真は薬師池公園@町田の野草園で撮影したものだ。

 馬酔木咲き歳月戻す雨の中         古館曹人
 来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり   水原秋桜子
 百済観音背高におはし花あしび       鈴鹿野風呂
 月よりもくらきともしび花馬酔木        山口青邨

青邨句の「月よりもくらきともしび」がいい。花を灯に喩える技法は覚えておこう。

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枝垂桜@歳月や風に吹かるゝ糸桜

Photo_701 歳月や風に吹かるゝ糸桜

写真は秩父清雲寺の枝垂桜。埼玉県の天然記念物に指定されてる樹齢約600年といわれるエドヒガンザクラである。境内に何本も枝垂桜があって見事で、写真の木は花時を過ぎてはいたが楽しめた。句は類句がありそうでつまらない。まあしかし、芸の肥やしにはなったと思おう。

 紅枝垂雨にまかせて紅流す    鍵和田■(ゆう)子
 月光裡しだれてさくらけぶらへり    大野林火

 しだれ櫻観音堂を入れて咲く      中嶋秀子
 葺き替し屋根にほころぶ糸桜     高浜虚子

風ではなく何か具体的な物と取り合わせるべきだろうなあ。本堂に募金箱あり糸桜。

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菜種梅雨

Photo_700 嘘泣きの上手な女菜種梅雨
ヴィオロンのやさしくかなし菜種梅雨
菜種梅雨毎日飽かぬお喋りめ

ブラームスのバイオリンソナタを聴きながら、小澤實「万太郎の一句」から句を拾って歳時記に書き込んでいたら二句目が浮かんだ。そのときの万太郎の句は「春水のあふれてゐたるところ」だった。小澤實は解説に「折口信夫が最高と説く無内容の句には、このようなものを掲げてもいいかもしれない」と書いている。
そうなのだ、名句とは、純音楽と同様に指示対象が存在せず、感情そのものを抽象化普遍化したものではないだろうか。
それにしても毎日よく降る。ご苦労なことである。

 唄はねば夜なべさびしや菜種梅雨   森川暁水
 菜種梅雨負け犬去りてわれ佇ちぬ   岸田稚魚
 昼汽車のひと日の空費菜種梅雨    桂 信子
 わが魔羅の日暮の色も菜種梅雨    加藤楸邨

暗く冷たく淋しいけれど、どこか生命力を感じさせる雨が菜種梅雨であると楸邨の秀吟を見て思う。男は嘘泣き出来ないのだ(ということにしておこう)。

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2007年4月17日 (火)

ブログ検索で読める万太郎句集

ココログが使いやすい検索エンジン「サイト内検索」を紹介してくれたので左サイドトップにPhoto_699 設置した。試みに「久保田万太郎」をキーワードに検索してみると万太郎の句が70句ほど表示される。必要十分な検索結果のみ表示されるので気持ちがいい。

これで俺のブログは検索機能付き歳時記(作者別・季語別その他)への進化の道を踏み出した。まだ、本格的に俳句を始めてから半年ばかりだけど。歳月や菜種梅雨降る万太郎。

写真は有鄰 No.455 P1 座談会「文学都市としての鎌倉」 (1)<鎌倉文庫の会合 (里見邸で、昭和21年頃) 左から真船豊・大佛次郎・里見弴・久保田万太郎・川端康成・中山義秀 (財)日本近代文学館提供>から勝手拝借/感謝です。

ついでながら、右サイドトップは俺のブログの中で過去30日のアクセス頻度が多いもの順10位。人気記事というほどのものではない。

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インフレの前兆か、穀物急騰

昨日のクローズアップ現代「忍び寄る穀物高騰~人と車の争奪戦~」が「最近パンの値上げが相次いでいる。食用油の価格の急な値上がりがその理由だ。乳牛や鶏などの飼料も高騰、経営危機に陥る農家が増えている。穀物の国際価格の異常な値上がりが、少しずつ目に見える形で私たちの生活に影響を及ぼし始めている。背景にあるのが"バイオ燃料ラッシュ"だ」と伝えていた。エタノールの原料となるとうもころしの価格が去年後半からから倍になっているとか、それに釣られて大豆価格も上昇とのことだ。

そういえばキューバのカストロ議長が「トウモロコシなど植物を原料とするエタノールを石油代替エネルギーとして普及させようとする米国の政策を、世界の穀物価格を押し上げて貧困国で飢餓を加速させると批判。ブッシュ大統領の政策を「大量虐殺の国際化」と切り捨てた」との報道も以前にあった。これを読んだときは大袈裟なと思ったが、主食をとうもろこしや大豆に頼っている発展途上国にとって価格が倍になるということは確かに飢餓につながる話だ。

では、アメリカは何故、代替燃料に力を入れるかというと、イスラエルの敵であるイランをはじめとする中東産油諸国とか、ロシアの力を削ぐことにあるのは明白だし、農産物価格上昇がアメリカ農民票の獲得にもつながるし、劣勢にあるアメリカ自動車産業のてこ入れにもなる。
① 補助金の支給 ガソリンにエタノールを混入させることによってエタノール1ガロン当たり0.51 ドル(1リットル当たり0.1348 ドル)の補助金の支給
② 税制優遇   エタノール生産施設や精製施設投資へ数年間の固定資産税の免除
           エタノール燃料を使用することで自動車燃料税の減額
③ 財政的支援  治水・電気・道路やインフラ整備を提供

など国費を投入するのもアメリカにとっては当然だろう。

さて、非産油国たる中国はこのような穀物急騰に対し、どんな対応をしようとしているのだろうか。そしてアメリカに穀物資源を委ねる我が属国日本はどうするのだろうか。

軍事力だけでは国は守れない。憲法九条・自衛隊・日米安保セットの上で自主外交をどのように展開するかが問題だ、安倍ちゃん。訪米では、アメリカの行き過ぎにちゃんと釘を刺してね。まず無理だろうけど。

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芝桜の二句

Photo_697 武骨なる山に絨毯芝桜

秩父の羊山公園に芝桜吟行してきた。平成12年から芝桜をボランティアの手を借りて繁殖させて、今年からは有料化して秩父の観光スポットとして成長してきたものだ。
まだ疎らなところもあり満開はこれからだ。近くに田んぼの中の臨時駐車場もあるが、道は混むのでお出かけは早朝からがいいだろう。
武骨なる山は武甲山。武骨というよりは、石灰岩採掘により無惨である。
Photo_698 なにごともそのままがよし芝桜

ついでにスナップ一句。どこのどなたか存じませんが感謝です。無断撮影をお詫びします。

 芝桜好天あますところなし        石原舟月
 横町は仲よき暮し芝桜          高橋行々子
 どの道を行きても墓へ芝桜       福田甲子雄
 芝ざくら保母のオルガン地に出さる   加藤たけし

俳句も写真も取り合せ。武甲山と芝桜の取り合せに気づかずじまいになるところを、たまたま見かけた公園のポスターで認識して撮影スポットに移動したものだ。そこには写生している人も居て、やはり見るべき人は見ていると感心した。

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春の雷@春の雷わが躁鬱もおさまりて

Photo_696 春の雷わが躁鬱もおさまりて

雷の写真を撮れそうにもないので高圧線鉄塔で代替した。なにせ根が生真面目なもので何事もきっちりしないと気持ちが納まらないのだ。そして、こういう人間が鬱病になるのである。躁はその反動だ。
しかしまあ、還暦も間近なのだから躁鬱とはもうお別れだろう。ストレスがあるなどと言ってはお天道様に申し訳ない。

 春雷や仮縫ひ服にピンを打ち     白石多重子
 春雷の運ばれてゆく青畳        石母田星人
 パイプ椅子を並べておれば春の雷   小倉喜郎
 三山の天心にして春の雷         沢木欣一

取り合わせるものは矢張り物がいい。上の例句におけるピン、青畳、パイプ椅子のような物だ。観念とか精神的なものは実感→インパクトに欠けるのだ。鬱にならない範囲で真面目に考えようね。もっと物に興味を持つということだ。

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残花@少々は銭も欲しきや名残り花

Photo_695 少々は銭も欲しきや名残り花

人生、チャンスと努力とサム・マネー(チャップリン)。チャンスをものにする気力と能力と努力に欠ける者にとっては矢張りカネが頼りであることは否定できない。でも少々でいいのである。その少々がどの程度かが問題なのだが。

 毎日のかなしき日記残る花     山口青邨
 夕さりし残花なまめき女帝陵    下村槐太
 人を見ぬ残花や山河くすくすと   永田更衣 
 上人に一人の客や残る花      高野素十

本句も写真のお陰である。とりあえず撮っておき、写真を見返して句をつくる。写真に頼らず溺れず、自立した句を得たい。

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2007年4月16日 (月)

躑躅@初恋の淡き色かな白つつじ

Photo_694 初恋の淡き色かな白つつじ

初案「ひつそりと初恋淡く白つつじ」だった。「ひつそりと」と「淡く」がかぶっているので「ひつそりと」を削除。極短詩たる俳句において言葉がかぶるのは無駄、贅沢である。余分を削ぎとることに少しは気がついたのだとちょっぴり自己満足である。

 花びらのうすしと思ふ白つつじ      高野素十
 旅籠屋の夕くれなゐにつゝじかな      蓼太
 死ぬものは死にゆく躑躅燃えてをり   臼田亜浪
 つつじ咲き何事のなく世のありぬ    仲原山帰来

つつじはこれから本番。燃えるごとき躑躅にいのち見つけたり。

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桜桃の花@桜桃の花童貞の歳月よ

Photo_693 桜桃の花童貞の歳月よ

朝、吟行するのでこの季節はまだ陽射しが斜めから進入する。その陽射しを受けて花びらの透ける様子を捉えた写真である。山形の佐藤錦とかいう話だ、このさくらんぼ。ちなみに童貞のするどき指に房もげば葡萄のみどりしたたるばかり」春日井建という歌がある。

 桜桃の花満面に茂吉歌碑      皆川盤水
 蕎麦くふや桜桃の花咲く頃の     森 澄雄
 桜桃の花の静けき朝餉かな     川崎展宏
 桜桃の花みちのべに出羽の国   角川源義

桜の華やかさをかなり削いで桃の香をちよっとつけて東北に持って行くと「桜桃の花」になるように思う。「花桜桃」では安易、だから「桜桃の花」ときっちり詠み込むべきだろう。次回また挑戦。

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桜草@桜草いつか俺にも痴呆の来

Photo_691 桜草いつか俺にも痴呆の来

65は責任、80目標100理想を標榜している俺だが、いつどんな死因で自分が死ぬか興味津々である。ネット検索すると、ガン(悪性新生物)、心疾患、脳血管疾患が死因の上位だそうだ。ブレスローの7つの健康習慣(睡眠、禁煙、体重、節酒、運動、朝食、間食不可)という戒めもあるようである。若い頃はこんなのを馬鹿にしていたが今は素直に従おうと思う。
そして、長寿を達成できたとしたら痴呆リスクがある。まことに人生は生き辛いのであるが、その分、生き甲斐があると言うべきである。俺は漫然と歳をとらないぞ、ゼッタイに。

 桜草たのしげに咲き増えにけり    高田風人子
 桜草灯下に置いて夕餉かな       富田木歩
 カラーの糊きき過ぎてをり桜草      村沢夏風
 さくら草少女にかかる夜の電話     保坂伸秋

桜草の句には「さりげない日常生活と取り合わせた句が多い」と花の歳時記にある。しあはせは日常にあり桜草。

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2007年4月15日 (日)

山吹@山吹や停年挨拶葉書の来

Photo_690 山吹や停年挨拶葉書の来

恥ずかしながらこの歳になってようやく山吹の花を認識した。そこで一句「山吹やチェロ弾く青年黙々と」としたのだが、俺の生活実感にちょっと遠い。俳句は生活に根ざしたものでなければならぬと反省していたところ、たまたま出向挨拶の葉書が来た。そうか、あいつあんまり出世せなんだか、矢張り(桃の花優しき男出世せず)と思っていたら本句を得た。
俺は停年まで辛抱もできなんだナア。

 あるじよりかな女が見たし濃山吹   原 石鼎
 山吹や酒断ちの日のつづきをり    秋元不死男
 やすらかに死ねさうな日や濃山吹   草間時彦
 山吹や日はとろとろと雲の中      岡田日郎

原石鼎の句は長谷川かな女・零余子夫婦のことを皮肉ったもので喧嘩になったとかならなかったとか読んだ記憶がある。濃山吹の濃厚なイメージを定着させた感がある句だ。
ところで、よく見れば山吹はその辺の庭、公園に植えてある。こういうのを俺は見過ごしていたのだ。人生における多大な損失である。

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二輪草@くたびれて離婚する妻二輪草

Photo_689 くたびれて離婚する妻二輪草

熟年夫婦の2007年問題というのがあるそうだ。

「離婚しても夫の同意または裁判所の決定があれば、結婚期間に相当する厚生年金などを最大2分の1、妻が受け取れる「年金分割」の制度が4月から導入されたからだ。離婚セミナーや法律事務所には、妻からの問い合わせが殺到、「熟年離婚」の増加に拍車がかかると専門家は予測している」とのことである(クローズアップ現代4/10放送より)。
俺には無関係、俺たち夫婦に限ってそんなことはあり得ないと思っているそこの貴方、安心していたら危ないよ。あ、俺が一番危ないか。

 手を焼くは団塊世代の男たち自立もならず自説も曲げず
                           東京都 青木孝子

という歌もあるのである。

 二輪草まだ一輪の白さかな     星野恒彦
 一花は妹のをさなさ二輪草     堀口星眠
 膝折ればわれも優しや二輪草   草間時彦
 押し花にしても二輪の二輪草     池田秀水

先日、薬師池公園の野草園で二輪草、一輪草と合わせて認識した。これで川中美幸の唄もしっかり鑑賞できる。ことほど左様に俺は花音痴なのだ。

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いそぎんちゃく@隅に置けぬ男ありけりいそぎんちやく

Photo_687 隅に置けぬ男ありけりいそぎんちやく

先日の母子像の傍に、この考える人像もあった。初案「菜の花や休むに似たる考へも」だったが、ありきたりでつまらぬ。何かで「隅に置けない」という語句を読んで、いそぎんちゃくと接着させて本句となった。何が言いたいのか自分でもわからぬ。

 別れた日いそぎんちゃくを見ていたの    寺田良治
 岩の間のいそぎんちやくの花二つ      田中王城
 忘れ潮いそぎんちやくもゆめを見る      藤田湘子
 いそぎんちやくその他生きとし生けるもの  京極紀陽

そういえば昔の大映映画で「夜のいそぎんちゃく」というのがあった。検索すると渥美マリという女優が主演している。観たような観てないような記憶がもういそぎんちゃくだ。
それはともかく、生きとし生けるもの皆生命、愛すべき哉。

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2007年4月14日 (土)

葉桜@葉桜や人生晴れは短くて

Photo_686 葉桜や人生晴れは短くて

まあなんだかんだ言っても、土砂降りにならなければ幸せである。そしてこの先、戦争とインフレが来ないことを願うばかりだ。そのために俺は闘う(所存である)。

 葉ざくらにとかくの義理のつらきかな    久保田万太郎
 葉桜を月わたるなり誕生日          山口青邨
 花は葉に少年にある午後の飢え       田中太朗
 葉桜や洗ひちぢみし児の帽子        森重 昭

しまった。またやってしもうた。葉桜は夏の季語であった。

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山笑ふ@ダイスKは大輔のこと山笑ふ

Photo_685 ダイスKは大輔のこと山笑ふ

一昨日の夕刊、見出しから「ダイスK」を拾った。Dice-Kとあちらでは呼んでいるとのことだ。アメリカのボールは日本とは違って滑りやすくスライダーが落ちにくくなるので、その克服に苦労したそうだ。なにごとも名人は努力の結晶である。俺は凡人だから努力は嫌いだ。「権力と権威・強制嫌ひなり努力もせずにまた夏が来る」短歌旧作である。

 一列に乾く雑巾山笑う         中原幸子
 手のひらは元あしのうら山笑う    寺田良治
 山笑うなかなか開かぬお菓子箱   茂木綾子
 初孫はいとしき獣山笑ふ       増田耿子

「山笑ふ」は「山眠る」より使いやすいような気がしてきたなあ。稔典さんは春が好きなそうだ。「物事がぐにゃぐにゃした感じが好ましい」と言っている。
そうだなあ。四角四面は人工的に過ぎておかしい。全て物事はぐにゃぐにゃしているのがまともな筈なのだ。

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土筆@つくしんぼ昔真面目な男の子

Photo_682 つくしんぼ昔真面目な男の子

いつからぐれはじめたのだろうか。思春期かなあ。思えば、多感多情であった。
しかし、中学から高校へかけての時期が俺の人生で宝物みたいな時代だった。帰らぬ時間といえばこの頃を思う。

 土筆煮て飯くふ夜の台所          正岡子規
 補助輪のとれて土筆野ひた走る     高野愛子
 つくしんぼまたひとつから子が数ふ   木附沢麦青
 土筆の向うに土筆より低い煙突      永 六輔

昨日、NHKがいじめで自殺した子供たちのパネル展のドキュメントを放送していた。パネル展を観て涙ぐんだ人もいるようだ。子供が生きにくい時代は辛い時代である。

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2007年4月13日 (金)

花水木@愛といふ永遠の謎花水木

Photo_673 愛といふ永遠の謎花水木

いつもと違うコースで朝吟行したら、花水木の花の傍の母子像に出会った。公団ではなく民間の分譲マンションの敷地だから、こんな洒落たことも出来たのだろう。
「私、あなたを愛してる」「ウソやろう、おまえは俺を愛してる自分を愛してるだけだろう」「ひどーい。この偏屈」などという会話を捏造する俺はホンに変なオヤジである。自愛より他に愛など知らず我老いて行かむか花を愛でつつ。

 花水木わすれたやうな空があり     南部憲吉
 一つづつ花の夜明けの花みづき    加藤楸邨
 昏るるとき白き極みよ花みづき     中村苑子
 城出でてしんじつ白き花みづき     宇咲冬男Photo_674

とろで、写真に撮ってから気づいたのだが、花水木の蘂は豆粒が集まったようになっていて面白い。俺は人生に見逃してきたことがいっぱいあるのだ。だから屁理屈ばかり捏ねるのだと反省しきりである。

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こでまりの花@こでまりのちひさき風に吹かれゐし

Photo_672 こでまりのちひさき風に吹かれゐし

日本語は主語を明示しなくても文として成立する。上の句もいったい、風に吹かれているのはこでまりの花なのかそれとも作者なのか第三者なのか不明瞭である。そこがオモロイねん、この句、と作者は自慢したいようだ。アホやなあ、つまらぬことで喜ぶなんて。

 小でまりの愁ふる雨となりにけり   安住 敦
 こでまりやあるじ些か仕事呆け    石塚友二
 こでまりや盃軽くして昼の酒      波多野爽波
 小でまりの花に風いで来りけり    久保田万太郎

こでまりは「小粉団」「小手毬」「小手鞠」と漢字表記する。団子花ともいうそうだ。喜ぶんだったらこういう知識を得たことを喜ぶべきである。

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花衣@ジーンズにカメラぶらさげ花衣

Photo_671 ジーンズにカメラぶらさげ花衣

もう葉桜だというのに、まだ未練たらしく花衣だ。花衣とは「花見に着てゆく女の晴れ着のこと。昔は桜重ねの衣、すなわち表が白で、裏がスオウ色をしたかさねの色目のことをいったが、現在は花どきに女が着る美服をいう。」とわたしの俳句歳時記にあるから、男の場合には花衣を使ってはならないのかもしれない。まあしかしユニセックスの時代でもあるのだから構わないだろう、多分。

 花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ    杉田久女
 花衣脱ぎもかへずに芝居かな     高浜虚子
 留守の戸の鍵を袂や花衣        皆吉爽雨
 きのふ近江けふは吉野の花衣    福永耕二

久女の句は花衣ではなく人生を詠んでいると受け止めるのが正しいだろう。人は裸で生れるのだが、生の中で様々な衣や紐がまとわりつく。それを脱いで捨てるのが円熟した老いなのかもしれない。でも、芝居も相撲も観たいしなあ。

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花@淋しさや花の心の明るさに

Photo_670 淋しさや花の心の明るさに

まだ名残りの花がちらほらと残ってはいるが、今年の桜も終ろうとしている。あと何回、花を見ることができるだろうかとちょっとセンチになって、今年の桜の写真を眺め直しての一句(の気分)だ。実際は何かで「淋しさや」という語句を読んで中七下五が閃いたものだ。音楽で言えば、長調の曲を聴くと短調の悲しみが湧き起こるということである。
ところで、本句を詠んだ後で「かなしみは明るさゆゑにきたりけり一本の樹の翳らひにけり」前登志夫があったのを思い出した。影響されて得た句と言っていいだろう。

 忌み明けや花咲きそろひ冷えそろひ   鷲谷七菜子
 まぼろしの花湧く花のさかりかな      上田五千石
 花びらやいまはの息のあるごとし     長谷川櫂
 花と花つなぐ橋なり渡りけり         平井千詠

花の向うに花あり。花はなにごとの象徴にもなり得る。言葉(記号)はそもそも事実世界の象徴なのだから。そして、人間は記号を得たことにより文明を開いた、善くも悪しくも。 

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2007年4月12日 (木)

デジカメ写真修整術入門

今まで撮影した写真をそのまま使っていたのだけれど、トリミングしたい、曇天のため暗い写真をパッとさせたいなどと漠然と感じていた。対応策としてPaintShopという有名なソフトがあるようだが、操作が難しそうでとっつきにくく敬遠していたところ、図書館で「デジカメ写真は撮ったまま使うな!」を発見しタイトルに釣られて借り出して読んだところ大いに参考になった。

そこで、この本から俺が理解した範囲での写真画像の加工の基本的な手順を紹介する。

1.トリミング(不要な部分をカットする)
2.リサイジング(使う用途に合わせて適切なサイズ=解像度に変換する)
ブログ用には、横600ピクセル縦450ピクセルを基本にすることにした(ちなみに、このブログの記事部分は横500ピクセル、サイド部分は左右各々200ピクセルだ)。
このようにリサイズすることによりファイル容量は縮小する。世間相場は写真一枚100kバイト以下のようだ。
3.明暗、コントラスト、色調の調節
この本によると明暗はガンマ調整、コントラスト・色調はカラーヒストグラムノーマライズ調整がお奨めである。いずれもフリーソフトJTrimでワンクリックで出来る簡単操作だ。
4.アンシャープネス調節
よく読んでいないのでここには書くことなし。

以上のうち、リサイジングはブログにアップする場合は必須。これに加えてトリミングとカラーヒストグラムノーマライズ調整だけを俺は使っている。下の左がリサイズのみ、右がトリミング+リサイズ+カラーヒストグラムノーマライズ調整の例である。
Photo_666  Photo_667

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泰二句会に投句した句

Photo_664 学成らず銭も儲けず桜散る
地球上人類不在花月夜
花冷や金小日の高笑ひ

以上の三句を投句した。金小日と(ほんとうに)誤記してしまった、申し訳ない。
どの句も矢張りひとりよがりだなあと改めて実感した。バランス感覚があってこその個性である。精進。

泰二主宰の総評は「皆さんの作品・選句を見ていると、テーマオンリーの気がします。どういう内容が述べられているかを気にして、それがどう表現されているかには無関心なように見えます」である。何事もWhat、HowそしてWhyの三点がポイントと理解した。あらためて泰二主宰に感謝である。皆様の選句についてはこちらにリンクしておく。

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春の日@春の日の稜線やさし八ヶ岳

Photo_669 春の日の稜線やさし八ヶ岳

春の朝の八ヶ岳の情景だ。写真に撮ってから、何度も見返してこの句を得た。なんの変哲もない面白くもない句だ。鍛錬鍛錬。

 春の日や穴を掘る人見入る人   児玉硝子
 春日を鉄骨のなかに見て帰る    山口誓子
 大いなる春日の翼垂れてあり    鈴木花蓑
 美しき春日こぼるる手をかざし   中村汀女

写真修整フリーソフトを入手したのでトリミングしてみた。果たしてその効果があったか否かはわからない。春の日や手探りで行くデジカメ道。

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ビオラ@ビオラ咲く未練心をくすぐりて

Photo_661 ビオラ咲く未練心をくすぐりて

恥ずかしながらビオラなる花をようやく認識した。パンジーは大きい花、ピオラは小さい花ということだ。でも時々間違えそう。
さて例句だがビオラの句が見つからないのでパンジーで代替する。どちらも同じく広くは菫なのだから。

 三色菫勤勉をたゞ誇とし           藤田湘子
 女教師の日記パンジー咲くことも     石谷秀子
 パンジーのみなパンジーにうづもれて   高田正子
 パンジーに妻が放てる水曲がる       摂津幸彦

曇り日に撮った写真だったので修整ソフトでコントラストをくっきりさせてみた(ヒストグラムのノーマライズ機能を使用。詳しくは後刻後日)。ちょっと光りすぎてるようにも思うのだが。

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花祭@花祭散りて愛しきいのち哉

Photo_660 花祭散りて愛しきいのち哉

ちらちらしているのはゴミではなく、花吹雪だ。あんまり上手く撮れてはいないなあ。でも、この写真を撮ったおかげで本句を得た。花祭はお釈迦様の誕生日なのに、散るいのちとは論理的ではないが輪廻ということでお許しを乞う。

 花まつり母の背ぬくし風甘し    楠本憲吉
 花祭みづやまの塔そびへけり   飯田蛇笏
 街の天かもめまぶしく花祭     石原舟月
 花祭後れじと蹤く風の稚子     石塚友二

そういえば俺もガキの頃、お稚児さん行列をした記憶がある。そうか、あれが花祭だったのか。花祭わけもわからず稚児なりき。

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2007年4月11日 (水)

鶯@今朝も鳴く鶯けなげ雨上がる

Photo_658 今朝も鳴く鶯けなげ雨上がる

この写真、正直言って鶯と全く無関係だ。なのに、鶯の句とくっつける。けなげな心に共通するものがあるからだ。いや、違う違う。美人の写真を得たので自慢したいだけなのだ。俺ってどうしてこんなに正直なのだろう。
先日の日曜日に聖蹟桜ヶ丘の桜祭りにたまたま出くわして、写真に収めたものである。今朝の写真は全てこのフラメンコダンスを利用させて頂いた。肖像権の侵害などと野暮は言われないだろう、多分。

 うぐひすの笠おとしたる椿哉    芭蕉
 鶯や茶の木畠の朝月夜      丈草
 鶯に終日遠し畑の人        蕪村
 我病んで鶯を待つ西枕      正岡子規

ここ数年来、多摩ニュータウンのわが宿の近辺では鶯がよく鳴くようになった。誰かが餌付けした訳でもないだろうから、山に餌が無くなったのかそれとも地球温暖化の何らかの影響なのか。いずれにしても(とりあえずは)心地の良いことである。

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山笑ふ@女心ならびてゐたり山笑ふ

Photo_657 女心ならびてゐたり山笑ふ

「山笑ふ」はいつか使いたかった季語だ。こんな形で実現するとはまさに写真のお陰である。面白そうな被写体があれば撮る。撮っておけば後付けで句ができる(あるいは在庫済みの句とコラボできる)。この句などは句単独では意味を伝えられない句だろう。写真俳句はやり出すと止められないのである。

 故郷やどちらを見ても山笑ふ    正岡子規
 山笑ふ村のどこかで子が生れ   尾形不二子
 山わらふ母あるごとく胸張つて   寺田京子
 みちのくの山笑ひをり昼の酒    青柳志解樹

新緑が美しくなってきた。カメラを始めて目が変わったので、たとえば昨日も藤の花芽がこんなに大きいんだと感じ入った。人間は見ようとするものしか見えないのである。存在が認識を規定するのではなく認識が存在を規定するのである(カントのコペルニクス的転換)。

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日永@永き日やスペインダンス花舞台

Photo_656 永き日やスペインダンス花舞台

スパニッシュダンスとかフラメンコでは中七に置きづらいのでスペインダンスにしてしまったのを一寸反省している。でも、ひたむきに踊っていらっしゃる様子に感じ入るのは同じだ。「人はみななにかにはげみ初桜」深見けん二。

 永き日や漱石に髭子規に鬚       矢島渚男
 永き日を漕ぎ出していく鼻の穴      本村弘一
 永き日のわたしはイルカ遊び好き    土谷 倫
 永き日やなまけて写す壺ひとつ     水原秋桜子

こうしてみると永き日は人生そのものだ。日永を楽しめるのは最高の快楽であり幸福である。

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春の蚊@春の蚊や妻の妬心の微かなる

Photo_655 春の蚊や妻の妬心の微かなる

最近はどうも写真俳句でないと俳句にした気持ちがしなくなってしまった。そこで、この句もいささか無理筋で写真俳句に仕立てた感がある。でも、結構、写真と俳句とが響き合っているじゃんと(どこまでも)人には厳しく自分には甘い俺である。
ところで何の関係もないけれど昨日は阪神、中日に勝利。今岡が打って、ジャンとかいう新外人投手が二勝目。ヒーローインタビューでのジャンのはにかみぶりが可愛かった。
つまりは、男は愛嬌、女は度胸である。

 春の蚊やひとの情事のとばつちり    安住 敦
 観音の腰のあたりに春蚊出づ      森 澄雄
 何か曳き春の蚊飛べり三鬼亡し     秋元不死男
 春の蚊や職うしなひしことは言はず   安住 敦

春の蚊を写真に撮りたかったのだが、まだ出会えていない。また、出会えたとしても俺の腕では撮影は不可能である。

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2007年4月10日 (火)

危なっかしい、安倍教育改革

今朝の日経によると安倍教育改革の柱は(1)競争原理導入と(2)規範意識の徹底のようだ。

まず、(1)競争原理導入だが、「児童・生徒の集まる人気校への予算の重点配分や、優秀な教員の給与引き上げなどが論点」とのことだ。日経本紙には悪名高い「成果主義」の徹底という言葉もある。成果主義は、民間でもあの富士通が失敗したように、公務員の世界では更なる現場軽視、上ばかりみるごますりの横行になる可能性が高い。勤務態度の良くない教員追放という必要性は理解できるとしても、現場管理職と十分すり合わせた上での実施が必要だと思うけどナア。
そして、(2)規範意識。これは更に難問だろう。現場無視で頭ごなしに規範、規範と言ってもねえ。

改革するなら現場で下から盛り上げるのが不可欠だと思う。日教組と歴史的和解ぐらいの姿勢で臨まないと火傷するよ、安倍ちゃん。
まず教師の仕事量を減らしてあげて人心掌握するべきだ。信長でもなく家康でもなく秀吉流がうまくいく秘訣だと思うんだけどナア。

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春の夢@春の夢泣いて目覚めてまた泣いて

Photo_653 春の夢泣いて目覚めてまた泣いて

なんか類句がありそうだなあと思いつつ、こういう忸怩たる句が好きなもので公開する。
写真は富士見高原の多摩市保養所からの甲斐駒ケ岳の朝焼けの眺望だ。「雪残る頂一つ国境」子規を思い起こした。
ところで、こうした市営の保養所は今後近いうちに整理されそうな気がする。金曜に泊まったのだけれど客は二組だけであった。しかし、自治体間で共通利用するなど売り上げ増→延命の案はありそうに思う。なにせ一泊二食6千円なのだから。

 春の夢あまたの橋をわたるかな     桂 信子
 春の夢鳥のことばのよく解り        太田寛郎
 春の夢の中ではらはらしてゐたる     猪俣千代子
 軍服の若き夫来る春の夢内        堀 正恵

仕事の夢を時々見る。また前の職場に勤めているのだ。イヤだなあ、泣きはしないまでも。

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枝垂桜@甲斐駒に名所枝垂の桜かな

Photo_659 甲斐駒に名所枝垂の桜かな

この句はつらかった。というのも、甲斐駒ケ岳と枝垂桜の取り合わせなので、これだけで10音。残り7音に助詞を含んで何を詠み込めるかということだ。結局、「名所」を採ったわけだが、つまらぬ句である。もともと枝垂桜が苦しいのに加え上記の事情があり、我が能の乏しきを再確認するのであった。

 大枝垂桜の中の大虚かな     三村純也
 葺き替し屋根にほころぶ糸桜   高浜虚子
 雨霧の飛ぶ山国の糸桜       高浜年尾
 糸桜夜はみちのくの霧深く     中村汀女

写真は神田のオオイトザクラ。好天なればもっといい写真が撮れたのに。中央本線がすぐ傍を走っているので電車からも見えるはずだ。

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桜@歳月や桜いづこも美しき

Photo_651 歳月や桜いづこも美しき

歳月と面影は俺にとっては貴重なキーワードだ。というのもこの句のように切れ字「や」等をつけて上五を形成できるからだ。「歳月に枝垂桜の巨木かな」「面影や庭にひともと八重椿」で実証済みである。
もっとも、このようなテクニックは句を平板、月並みにする限界を合わせ持っている。それを知った上で使うこと、いずれはこのようなテクニックから脱却することと自戒すべきである。

 喪の帯を締め合つてゐる桜かな    黛まどか
 朝ざくら閻魔堂まで十二段       平沢陽子
 桜満ちる十日 障子の桜色      伊丹公子
 大砲を引き出すように桜咲く      児玉硝子

「桜を待ち望み、花見を楽しむのも生活上の通俗。通俗は個人と他者を結ぶ大事な要素である。そのことにもっとも敏感な俳人がまどかかもしれない」と稔典さんがまどかの句を評している。なるほど、通俗から詩への経路があるんだなあ、勉強しよう。

以上の例句は全て稔典さんから引かせてもらった。こうしてみると掲題句も下五をも少しひねるべきだったかなあ。例えば「桜色」などと。しかし、やはりここは「美しき」でなくてはならぬ。歳月が桜の美しさを造形するのだから(女性も同様)。

言い忘れた。写真の場所は薬師池公園@町田市だ。橋が風情のあるものだったら日本の桜名所ベスト100には絶対に入るのになあ。

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入学@入学の父も嬉しき背中かな

Photo_650 入学の父も嬉しき背中かな

先週の金曜日が大体どこも小学校の入学式だったようだ。いつも通りに朝吟行していると盛装した親子連れ(最近はお父ちゃんも会社を休む人が多いんだ)が歩いて行く。そうか入学式かと思い、これは被写体になると追いかけて桜を撮るようなふりをして撮った写真である。
昨日、写真を見つめていたら念力が通じて一句を得た。ありがとう、お父さん。

 入学の吾子人前に押し出だす    石川桂郎
 学帽を耳に支へて入学す        上野 泰
 入学児に鼻紙折りて持たせけり    杉田久女
 入園児父が与へし名を胸に      今津りん一

掲題句、写真から離れて独立した一句になっているかどうかちょっと懸念。まあしかし、男の哀愁は背中に滲むということもあるので大丈夫だろう。人には厳しく自分には甘くが俺のモットーである。

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2007年4月 9日 (月)

花@花の空富士も見えたるニュータウン

Photo_649 花の空富士も見えたるニュータウン

初案「あな嬉し富士に桜やニュータウン」だったが、あまりにも幼稚なので手直しした。春の空に富士と桜とを撮れたことが嬉しいというだけの句である。

 水の上に花ひろびろと一枝かな    高野素十
 呼鈴を押す深く鳴る花の館       原子公平
 まぼろしの花湧く花のさかりかな   上田五千石
 花の世へあまたの石を踏んでゆく   柿本多映

花の句のあまたを詠んで老いてゆく。幼稚な句も肥やしにせねばならぬ。

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桃の花優しき男出世せず

Photo_648 桃の花優しき男出世せず

俺のことではないから誤解しないようにして頂きたい。あくまでも一般論である。クールに時に酷薄でないと仕事は出来ない。つまり、理がなければ人は納得せぬし、利がなければ人は動かぬし、そして情がなければ人はついてこない。更には志が無ければ己が立たない。まことに立身出世とは難しきことである。

 桃の花ゆつくり歩くひとに咲く      西野理郎
 桃生けて菜の花生けて不足なし    後藤夜半
 野に出ればひとみなやさし桃の花   高野素十
 旅にして昼餉の酒や桃の花      河東碧梧桐

だから凡人はゆっくり歩み、足ることを知り、人にやさしく、適度に快楽することが肝要である。ああ、凡人が最も難し桃の花。

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桃の花@野を埋めて甲府盆地は桃の花

Photo_647 野を埋めて甲府盆地は桃の花

甲府盆地が一面、桃の花で埋Photo_646められている様子を写真にしたいのだが俺の腕ではこのぐらいが限度だ。黒駒勝蔵農場近辺で4/7撮影したものだ。右の写真は、今の時期に花を剪定していいものだけを残して果実につなげる作業をやっているとのことだ。

 ふるさとに残す足あと桃さかり    桂 信子
 アルプスの濡身かがやく桃の花   矢島渚男
 強かな枝のありけり桃の花      森下草城子
 泥人形声たて笑う桃の花       岸本マチ子

桃に葡萄にワインに甲州は豊かな土地のように思えるが、ここに至るまでには多大な努力があったことだと思う。努力せぬものに花も実も無いと自戒しておこう。

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桃の花@紅白や源平枝垂桃の花

Photo_645 紅白や源平枝垂桃の花

またまた実は(恥ずかしながら)枝垂れの桃があるのを知らなかった。写真の花をところどころで見かけるので、「桃の花 枝垂れ」で検索して源平枝垂れ桃があるのを知った次第である。
人生、いつまでも勉強。そして「1つの桃の木に、紅白二色の花をつけます。しかもよく見ると、1つの花が紅白の花弁を持っているのもありますね。淡い色合いがとても春らしいです。」と親切に教えてくれてしかも素敵な写真を鑑賞できるのもネットのお陰である。

 戀人をつくるにいい日桃の花    三池 泉
 この峡の水を醸して桃の花     飴山 實
 しあわせや白桃の蕊曝しおく   竹本健司
 びつしりと住ふ夜に浮く桃の花  鈴木詮子

桃の花は素直なようでいて、「中年や遠くみのれる夜の桃」西東三鬼を思い起こすせいか何処かエロティックな花でもある。俺の掲題句はそんなこととは無関係に花の名前を知った嬉しさをそのまま出しているだけの句だ。

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2007年4月 8日 (日)

虚子忌@虚子の忌や後生極楽皆俳句

Photo_644 虚子の忌や後生極楽皆俳句

昨日は時間に余裕が無かったので。例句引用等を今書く。
実は本句、「九十五齢とは後生極楽春の風」富安風生と「秋風や眼中のもの皆俳句」の合成である。本歌取りというものがあるにせよ、ここまでやっていいのか一寸疑問である。しかし出してしまったなあ。申し訳ない。

 虚子の忌の大浴場に泳ぐなり      辻 桃子
 うらうらと今日美しき虚子忌かな     星野立子
 墓前うらら弟子等高声虚子忌かな   山口青邨
 虚子忌たり椿に鵯のよく来る日     石田波郷

虚子忌で句を作ったのも、辻桃子のこの句を引きたかったからだ。なんだかんだ言っても虚子は巨星。俺は大浴場の更衣場の片隅に入ったばかりにすぎない。

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花@投票日花に埋もるゝ都知事選

Photo_643 投票日花に埋もるゝ都知事選

やっぱり負けたか。マスメディアは慎太郎勝利の要因を、街頭演説で「反省している」と頭を下げる。歯にきぬ着せぬ言動を見慣れた都民に、それが新鮮に映る。「石原か反石原か」が争点化する芽を、摘みとる形になったと書いている。結局、選挙なる民主主義はカネと組織力と候補者の花(人を引き付ける魅力。ウソでもいい→小泉純一郎を見よ)で決まる。上の写真で立候補者ポスター掲示板が花に埋もれているのに留意されよ。

 雪山のどこも動かず花にほふ    飯田龍太
 花の雨みごもりし人の眉剃る     石川桂郎
 花を見しまなうら白く睡るかな     草間時彦
 手を打たばくづれん花や夜の門   渡辺水巴

まあしかし、世間は花ある強力な指導者を期待していることは確かなようだ。小泉純一郎がそういう時代を作ったのであり、長期不況の閉塞の時代が小泉純一郎を用意したのでもあるのだろう。出でよヒトラー閑かに花の雨の降る。お、名句ではないか。

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花見@観桜や都知事選挙の行き帰り

Photo_642 観桜や都知事選挙の行き帰り

いつもと変わらぬ朝Walk。お、今朝はいつもより人が多いなあ。やはり花の季節かと思ったら、前を行くおじさんが手にしっかりと投票券を握ってらした。そうだった、今日は投票日だったと気がついたのだ。

 老いそめて花見るこゝろひろやかに  飯田蛇笏
 草野球帰りの花の筵かな        服部 満
 ねぱーるはとても祭で花むしろ    阿部完市
 門を出てわれら花見に死ににゆく   津沢マサ子

蛇笏の句の気持ちはわかるような気がする。「ひろやかに」は「寛やかに」だから、加齢と共に意固地に自己中心になる老人の気持ちを戒めた句だと理解しよう。老人はひねくれ者でいずれ死に近くなりゆく者(それでいて自分が死ぬとは思っていない)なのだから。

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2007年4月 6日 (金)

共産党、しっかりせえよ

昨日、電話が鳴ったので取ってみると「共産党です。安斉なんとかさんの」という。これはオモロイ、ちょっと相手してみようと思い、とりあえず「共産党、キライ」と応えてみたら「そうですか。わかりました」で愛想なく切れてしまった。

あかんなあ、こんなんでは。その辺のテレアポでも「どうしてですか?」と一応は食い下がるぜよ。やる気ないのんとちゃう?

共産党員も読んでいらっしゃると思うのでアベシントラックバックピープルに流します。共産党に投票はしないけど心の中でいつも応援しています。心より愛をこめて。

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花見@観桜やバスもゆつくり街を行く

Photo_641 観桜やバスもゆつくり街を行く

写真のバスはミニバスだ。一般の路線バスとは異なった経路を多くの停留所を回りながら時間をかけて運行する。高齢化社会の交通弱者向けにここ数年、あちこちの自治体が補助を出して運行させている。俺もいくつまで車を運転できるかなあ。十五年ぐらい先にはミニバスのお世話になっているかもしれない。あ、その頃は財政破綻で走っていないか。

 重箱に鯛おしまげて花見かな     夏目成美
 天才に少し離れて花見かな      柿本多映
 花見舟とほき巷の風が見ゆ      大野林火
 花見にも行かずもの憂き結び髪   杉田久女

そういえば、飲んだり食ったりの花見をしなくなって久しいなあ。老いくれば花見しづかに花を見る。

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花冷え@花冷やポケットにある鍵ひとつ

Photo_640 花冷やポケットにある鍵ひとつ

「花冷え」は最も美しい日本語の言葉といわれているから、これはなんとしても句にしなければとリキんだ。しかし、花そのものではなくワンクッション置いた季語だからだろうか、これがムツカシイ。
「花冷や白くなりたる顎の髭」「花冷えも意気と洒落とで押し通す」「花冷や人生洒落で押し通す」などをひねったが、いまいち花冷えとの関連性と詩想に欠ける。更に苦吟してようやく本句を得た。はたして鍵は何の象徴だろうか。

 花冷や箪笥の底の男帯        鈴木真砂女
 花冷のちがふ乳房に逢ひにゆく     真鍋呉夫
 花冷えのマスクをかけて眉の濃き  久保田万太郎
 花冷えの底まで落ちて眠るかな     古館曹人

真砂女の句と掲題句とは同じパターンだと気づいた。ひょっとして潜在記憶に真砂女の句が眠っていたのかもしれない。
真鍋呉夫の句は象徴詩だと本人がNHK俳句で語っていた。なるほどなあと思ったけれど何の象徴かを俺は説明できない。眉の濃い女の夢でも見て眠るとするか。

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桜@オバサンとカメラ談義の桜かな

Photo_638 オバサンとカメラ談義の桜かな

写真を撮っていたオバサンがいたので、「デジカメですか」「いいえ、ちがうんです」「そうですか。現像代もばかにならないでしょう」から会話が始まった。
オバサンの求めに応じて、「デジカメには大きく二種類(一眼レフとコンパクト)、俺のはその中間の中途半端なデジ一もどき、でもちゃんとしたファインダーが欲しかったからこれに決めた」などと嬉しそうに講釈してしまった朝である。

 さくらさくらもらふとすればのどぼとけ   黛まどか
 ミス卑弥呼準ミス卑弥呼桜咲く      茨木和生
 桜らんまん人知れず人憎む        篠崎圭介
 わたし素足さくらも素足さようなら     小西雅子

「のどぼとけ」句はエロい。エロいけれど死を連想させもするので詩になっていて、切ない思い(いや、即物的な思いかもしれない)が伝わってくる。他の句についても稔典さんの講釈が楽しめる。講釈を短詩にすれば俳句かな。

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2007年4月 5日 (木)

オバマ旋風

昨日のクローズアップ現代が大統領候補選挙に出馬表明した民主党オバマ上院議員をPhoto_637 取り上げていた。そこで、ネット情報も含めて彼のポイントを押さえておこう。

出自ハワイ・ホノルル生まれ。父親はケニア生まれのイスラム教徒であり、母親はカンザス州出身の白人。1961年生まれ。
キャリア:ハーバードロースクールを出て弁護士に。クロ現によると、もっと高い報酬の仕事を得ることができたのに、貧困層を支援する法律事務所で働いたとのことだ。1997年に上院議員に選出。
知名度アップの契機2004年ケリー上院議員を大統領候補として選出した民主党大会で「リベラルのアメリカも保守のアメリカもなく、ただアメリカ合衆国があるだけだ。黒人のアメリカも白人のアメリカもラテン人のアメリカもアジア人のアメリカもなく、ただアメリカ合衆国があるだけだ」。「イラク戦争に反対した愛国者も、支持した愛国者も、みな同じアメリカに忠誠を誓うアメリカ人なのだ」との基調スピーチを行い、その模様が広く全米に中継されるとともに高い評価を受けた。クロ現は融合のシンボルと伝えていた。その若さとカッコよさからケネディを髣髴とさせるのが人気の理由のようだ。
政策:未知数。オバマの経済問題へのスタンスは凡庸というかよくわかりませんとの評あり。

要するに、出自・キャリア・ルックスからニューアメリカンシンボル(格差社会の反動としての融合期待)としてもてはやされているようだ。アメリカ大統領選の最後はカネがものを言う。産官軍複合体の共和党か、も少しウォール街寄りの民主党かの争いであり、所詮、米国大統領は米帝国主義の傀儡にすぎないと思う。

それにしてもアメリカはメディア操作が上手やね。安倍ちゃん、もう少し生まれが悪かったら日本国民融合の象徴になれたのになあ、残念。

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落花@ノンポリの今は無党派花筏

Photo_636 ノンポリの今は無党派花筏

都知事選は浅野候補に投票するつもりだけれど、選挙民にイメージは浸透していない。はっきり言って男前ではないから、優柔不断、変なオヤジ、ダサイ、胡散臭いという先入観を持たれているのではないか。かといって共産党には金輪際投票するつもりもない。
しかし、負けるとわかっていても投票するのが左翼の意地である。

 花吹雪いずれも広き男の胸      桂 信子
 ちるさくら海あをければ海へちる   高屋窓秋
 花吹雪旧予科練の鉄扉        岩田一止
 風に落つ楊貴妃桜房のまま      杉田久女

高屋窓秋には「頭の中で白い夏野となつてゐる」という秀吟がある。朱夏(赤い夏)という固定的イメージをを頭の中で白化させたコペルニクス的転換というのは言いすぎだろうか。固定的先入観こそは詩歌及び左翼の敵である。

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落花@桜散る空にきのふはなかりけり

Photo_635 桜散る空にきのふはなかりけり

昨日の東京は大変な天気だった。花冷えに花の雨さらには春の雪で春雷もありまさに春の嵐だ。これでだいぶ散ったかなあ。写真は昨日の朝の多摩ニュータウン我が家近辺の状態である。
「空にきのふ」は「いかのぼりきのふの空のありどころ」蕪村から頂戴した。自然に昨日も今日も無いけれど(時間と空間は主観の形式→客観とか論理とか、結局は「客観(と認識されるもの)」「論理(と認識されるもの)」に過ぎない)、人は今日、昨日の空を探すのだ。

 人恋し灯ともしごろをさくらちる    白雄
 空をゆく一とかたまりの花吹雪    高野素十
 花散らす雨にうるほふ大地あり   稲畑汀子
 桜散るあなたも河馬になりなさい  坪内稔典

加舎白雄(かやしらお・1738~1791)は与謝蕪村とならび称される江戸中期の俳人、文学史上“天明中興の五傑”に数えられている。他に「さうぶ湯やさうぶ寄くる乳のあたり」などがある。叙情的な作風の俳人だ。

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桜@夕桜告げざりしことたゞひとつ

Photo_634 夕桜告げざりしことたゞひとつ

写真は下手糞だし、俳句は歌謡曲みたいだし俺は機嫌が悪いのだ。せめて写真だけでもなんとかすればいいのに、ちょっとした努力もしない自分に腹が立つ。
「権力と権威・強制嫌ひなり努力もせずにまた夏が来る」。ほらね、旧作短歌まで引っ張り出して開き直って自己弁護するその態度が気に食わないぞ。

 かごめかごめかごはほころび夕桜   石川サト子
 死ぬ死ぬという奴死なぬ夕桜      前田吐実男
 盛装し下着はつけず観る桜       江里昭彦
 夜桜やうらわかき月本郷に        石田波郷

季語「花」もいいけれど「桜」もいい。「桜」の方が具体性に富むから諧謔味を出しやすい。あ、俺は「死ぬ死ぬ」とも言わないし言わせないし、下着はいつもつけている。

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2007年4月 4日 (水)

桜草@庭先のちひさき幸や桜草

Photo_633 庭先のちひさき幸や桜草

先日、町内草むしり大会があって咲いていた花の名前をおばさんに訊いたら(少し呆れ顔で)桜草だと教えてくれた。そこで、ご近所をカメラ吟行してみたら、桜草でいっぱいのお庭に出会って撮らせて頂いたものだ。ついでにプランター一個を頂戴した。

 我国は草も桜を咲きにけり       一茶
 桜草たのしげに咲き増えにけり   高田風人子
 桜草灯下に置いて夕餉かな      富田木歩
 万巻の書は読まずとも桜草       後藤夜半

桜草の鉢植えは水をやるだけで結構、繁殖するらしい。一方、自生のものは絶滅危惧種に指定されているようだ。「さりげない日常風景と取り合わせた句が多い」と花の歳時記にある。

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花@ロマン・ロラン読みし日のあり花の空

Photo_632 ロマン・ロラン読みし日のあり花の空

ロマン・ロランは高校から大学にかけて読んだかなあ。まだ教養主義に憧れる年齢であり時代だった。就職してからはとんとご無沙汰。小説で読むのは、司馬遼太郎と城山三郎、渡辺淳一ぐらいだ。もう、カタカナ大作家は(漢字作家も)読まないだろう、多分。

 花は莟嫁は子のない詠哉      井原西鶴
 花の昼動く歩道を大股に        佐々木峻
 娘泣きゆく花の人出とすれ違ひ   星野立子
 火の隙間より花の世を見たる悔   野見山朱鳥

例句に詰まってきたので、清水哲男『新・増殖する俳句歳時記』から引いてきた。花を見ての感慨、花のある情景など様々である。そうか、「花の世」というのも句にしやすいかもしれなぬ。「花の世をよそ目にラーメンすすりをり」なんてね。

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花@花影や愛煉獄を過ぎて来し

Photo_630 花影や愛煉獄を過ぎて来し

泰二さんのブログ俳句会に出すつもりでいたが、脂肪分の少ない別の句を得たので差し替えた。まあ、人生は地獄でも天国でもなく煉獄だろう。花影や重ねし罪の数いくつ。

 ふたりづつふたりづつ花の中に入る   桂 信子
 いにしへの花の奈落の中に座す     角川春樹
 煙草きらして花の下にて我転ぶ      清水哲男
 曾孫までが車座となる花の庭       尾池和夫

桜の花は人を様々な感慨に浸す。花ありて我の人生花散りて死を思ふなり嗚呼花盛り。

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2007年4月 3日 (火)

浅井慎平の俳句

先日のNHK俳句の時間は特別号でフォト五七五、つまり写真俳句の特集であった。Photo_629
そこで放送していた浅井慎平の俳句が面白かったので引いておく。

 ルノワール女の腰の春深く
 始まりも終わりもなけれ冬銀河

浅井さんは写真俳句の本「二十世紀最終汽笛」も出しているとのこと。早速、図書館にリクエスト済み。やっぱり眼の俳人である。

ところで、最近俺はスナック通いを始めた。俳句と写真「俳写」で集う、スナックBAR「ひぐらし」で乾杯!だ。酒を飲まずに酔えてしかもコストゼロだからこんなにいいものはない。

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李の花@朝食はフレンチトースト花李

Photo_628 朝食はフレンチトースト花李

初案「朝食はハムトーストや花李」だったが、ハムトーストではなんかそぐわないのでフレンチトーストに変更(甘いので味は気に入らない)。姉妹句で「お別れはフレンチキッスで花杏」と付けたいところだが、これは没とする(いや、悪くはないなあ)。

「凡人の平凡な庭すもも咲く」で「すももの樹陽が差しこんでフランス船」若森京子(あ、これ、李の花ではなく樹を詠んだ句だった。夏の句だ)を引いたおかげでこの句を得た。

 雲裏の日のまぶしさよ花すもも    木下夕爾
 奥飛騨のあかつきうごく花すもも   菅井静子
 故里の厠の貧し李咲く         滝沢伊代次
 みちのくは閉ぢてすももの花盛り   鈴木俊策

こうしてみると季語「李の花」の本意は可憐で素朴な味わいにあると思う。そこに「フレンチトースト」を配したのがお手柄の掲題句だと自己評価しておこう。

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Photo_627 雨上がり鶯ケキョとホを略す

鶯の撮れて嬉しき散歩かな」で鶯とおぼしき写真を掲載したが、どうもあれはメジロではなかったかと反省している。そんな反省が通じたのか、この写真の鳥は紛れも無く鶯だ。泣き声の発信源はここしか無いことを俺の耳と目が現認したからだ。
ところが残念なことに、写真が不鮮明。

ピンボケの鶯撮れりわがカメラ

なのである。ズーム操作が間に合わなかった、乃至、間に合ったけれどこの映像がわがカメラの限界なのかもしれない。いや、わが腕の(いまのところの)限界だ。

しかしまあ、「うぐひすのまだ世慣れせぬ鳴き心地」「夕も啼く鶯いとしニュータウン」と句を得ることが出来る多摩ニュータウンはわが後生極楽の地である。

 うぐひすのケキョに力をつかふなり   辻桃子
 鶯のとびうつりゆく枝のなり       横光利一
 観音の胎内にゐて初音聞く       柏原眠雨
 鶯や明けはなれたる海の色      中川宋淵

今年はこれまでになく鶯が啼いた年だった。そろそろ鶯の啼く季節も終ろうとしている。

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花見@戦知らず地震にも遭はず花見かな

Photo_626 戦知らず地震にも遭はず花見かな

あと何年生きられるか神仏のみご存知だが、これまで安穏に暮らせたことはありがたいことだ。そしてこれからもそうあって欲しい。だから、アメリカにも中国にも北朝鮮にも軟着陸して欲しい。だけど、いくら憲法九条でも地震を防ぐことはできない。人間の知恵には限界があるということを改めて思う。

 けふもまた花見るあはれ重ねつつ   山口青邨
 老いそめて花見るこゝろひろやかに  飯田蛇笏
 花見にも行かずもの憂き結び髪    杉田久女
 お花見の転がつてゐるネヂ廻し    火箱游歩

一輪が咲けばたちまち花見かな」に続いて「花見」は二句目。青邨と蛇笏の句の季語は「花見」ではなく「花」ではなかろうかとも思うが、些細なことだ。酒を飲んでも飲まなくても花見は花見である。そうそう「桜狩」という言葉も「花見」に属する季語だ。今度は「桜狩」で一句を。

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2007年4月 2日 (月)

富人と農民工

社会主義中国でこんなに酷い格差がある。昨日のNHKスペシヤル「激流中国」だ。

富人といっても、コネとか内部情報を利用した投機的取引での利益の蓄積。全うな経済とはちょっと思えない。そして、一方では低賃金労働、出稼ぎの人たち。
これが社会主義の国とは到底思えないし、いつかどこかでこれは社会的不安として爆発しそうに思えてくる。こうした中国のリスクに比べるとアメリカの住宅バブルなんて小さい小さい。すぐには中国崩壊はないかもしれないが、共産党統治はいずれ崩壊する、絶対に。北京オリンピックの反動が怖い。大要注意だ。

そこで、ブログ検索して皆さんの反応を見ると
今のインドはいい方向へ向かっていると思いますが(一部の金持ちと大多数の貧しい人たちという社会から、中流層が育ち増大している)、中国は長期的に見て どうなのでしょうか…
とか
これから開発がやまほどあるのに仕事が無い、国などからの援助が全くなくまた保険もないから、まったくの自力で生きて行かなくはならない過酷だ
である。

今夜もNHKスペシャル|激流中国 ある雑誌編集部 60日の攻防があるから、皆さんビデオセットされるべし。

日本の価値は、安全・清潔・自由かつ公正。自由かつ公正の方向に中国社会を誘導してなんとかソフトランディングして下さい、中国共産党同志各位(殆ど絶望だけれど)。

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菜の花@菜の花やこんな私も生きてゐる

Photo_625 菜の花やこんな私も生きてゐる

「生きている」と現代仮名遣いにしてもよかったのだが、こだわって歴史的仮名遣いにした。「ゐる」と少しひねくれた方が放哉・山頭火・方代の雰囲気が出ると思ったからだ。
菜の花や姑米寿に近づきぬ」よりは格段に出来がいいと思う。

 菜の花の遙かに黄なり筑後川    夏目漱石
 家々や菜の花いろの燈をともし   木下夕爾
 菜の花や投網を肩にして若き    ふけとしこ
 菜の花や園児一人が行方不明   井口さだお

今度は菜の花と何かモノの取り合わせでつくってみよう。写真在庫あり。

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李の花@凡人の平凡な庭すもも咲く

Photo_624 凡人の平凡な庭すもも咲く

実は(恥ずかしながら)李の花を知らなかった。ご近所に咲いているのを見つけて、木の名前の立て札があったので李だと認識した次第である。そこで汚名挽回と詠んだのがこの句である。

 すもも咲き寂しさの肌ねむくなり       草間時彦
 多摩の瀬の見ゆれば光り李咲く       山口青邨
 溺れ咲く李か利根の夕濁           堀口星眠
 すももの樹陽が差しこんでフランス船    若森京子

李の写真、まだ在庫あり。そこでもう一句をいま仕込んだ。今度は洒落た味わいの句だと自認し明朝公開予定。

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辛夷@人の世に青き空あり花辛夷

Photo_623 人の世に青き空あり花辛夷

これは写真俳句の成果の句である。というのも、写真を撮るようになってから眼が変身して、見る眼が変わったのだ。辛夷の白と青空という取り合わせが見えるようになり、句を得て、句に配すべき被写体と構図を見つけてコラボレーションしたのである。

 曇ぐせいつよりつきし辛夷かな    安住 敦
 青空ゆ辛夷の傷みたる匂ひ      大野林火
 雑木山にこぶし点々子の初旅     細見綾子
 夜も青空辛夷千手の拳開く      原子公平

曇る日に小さく咲けり花辛夷」「うつくしやお国自慢の花辛夷」からは確実に俺の句は進歩している(と思おう)。

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石鹸玉@シヤボン玉愛の向うは広い空

Photo_622 シヤボン玉愛の向うは広い空

絶対の自信作だったのに一票も誰も入れてくれないとは。世間は闇だ。めくらだ。
「私が死んで50年たてば、私の時代がくるだろう。そのときリヒャルト・シュトラウスの時代が終わる」グスタフ・マーラー。ちなみに、マーラーを梅田新道の名曲喫茶日響で聴いたのが遠い俺の青春だ。

 中年に反抗期ありシヤボン玉     藤田弥生
 しやぼん玉こゝろもとなくふくれけり  日野草城
 空に出て色消ゆ焼跡のしやぼん玉  金子兜太
 シヤボン玉吹きて貧しき顔残る    猿山木魂

この季語は多様な展開の可能性を秘めている。子供心にときめいたシャボン玉から中年の反抗期を経て、更には老残へ。人生に残り滓なしシヤボン玉。

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春風@春風や友に弔辞の京言葉

Photo_621 春風や友に弔辞の京言葉

春風やロングブーツと短足と」「春風のやうに逝きたしジョギングす」「座右銘春風駘蕩台東区」「恋唄のひとつふたつも春の風」「気合では勝てぬ相撲や春の風」の中では一等賞の句であると自認している。なぜなら無意味無内容な句だから。読み手に無限の多様な解釈を委ねるのが名句ではないだろうか。

 春風や阿波へ渡りの旅役者      正岡子規
 春風に飛ばしてならぬ子とたばこ    飯田龍太
 春風の重い扉だ              住宅顕信
 拝みたき卒寿のふぐり春の風      飯島晴子

住宅顕信は「昭和62年2月7日23時23分、永眠。享年25。俳人としての創作期間はわずか3年で、生涯に残した俳句は281句だった」という俳人。尾崎放哉に傾倒して若さとはこんな淋しい春なのか」などの句を残している。合掌。

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2007年4月 1日 (日)

インターネット俳句会三月の結果

初参加の成績及び選句は以下の通り。

<投句のポイント獲得結果>計10点

 人の世に青き空あり花辛夷    4 点
 凡人の平凡な庭すもも咲く      1 点
 菜の花やこんな私も生きてゐる  3 点
 シヤボン玉愛の向うは広い空   0 点
 春風や友に弔辞の京言葉     2 点

「シヤボン玉」が一番の自信作であったが、主観と客観とは食い違うものだ。ともかくもまあ、千句以上から選んでいただいたのだから有り難い話である。
ちなみに高得点句5句を転載する。以降の高得点句は現代俳句協会を参照。

11点 卒業生静かに手話の別れかな   貢人
10点 春昼を掻きまぜている象の鼻    石口 翼
10点 三月の風モナリザにある鎖骨    暁 兵
8点 アネモネという言の葉の眠さかな  坂井 八佑
8点 行く春や廃線列車に挙手の礼    北川 

<俺の選句>

 春泥にステップジャンプ赤ブーツ     公 剛
 職退いて新聞小説春炬燵                   藤岡初尾
 紅梅や旅立ちの日の深呼吸       帯 ひろし
 三月の風モナリザにある鎖骨       暁 兵
 菜の花やゆらゆら昇る観覧車      松井 ただし

「モナリザ」は採っていたなあ。後は高得点句にはなかった。多様性こそ豊穣の海である。

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四月馬鹿

Photo_619 優等生私真面目に四月馬鹿
Photo_620 万愚節もとより吾もその一人

エイプリルフールって起源は何だろうと思って検索すると、「その昔、ヨーロッパでは3月25日を新年とし、4月1日まで春の祭りを開催していたが1564年にフランスのシャルル9世が1月1日を新年とする暦を採用した。これに反発した人々が、4月1日を「嘘の新年」とし、馬鹿騒ぎをはじめた」のが事の始まりという説があるようだ。そうか、ヨーロッパでも年の始まりは春だったのか。思えば、太陽暦はきわめて人工的なものである。

 四月馬鹿朝から花火あがりけり     久保田万太郎
 万愚節に恋うちあけしあはれさよ     安住 敦
 四月馬鹿病めど喰はねど痩せられず  加藤知世子
 万愚節半日あまし三鬼逝く         石田波郷

波郷と三鬼は俳壇流派を越えて年来の盟友であった。親友を喪う悲しさを俺は知らない。

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三鬼忌@禁煙のまたも吸ひたし三鬼の忌

Photo_618 禁煙のまたも吸ひたし三鬼の忌

今日は西東三鬼の忌日だ。稔典さんも「阿呆富みて春は明るく健康に」三鬼を採り上げている(皮肉諧謔句だと俺は思う)。三鬼の代表作は「水枕ガバリと寒い海がある」とされているが、「秋の暮大魚の骨を海が引く」が景が大きく且つ寂寥に満ちていると俺は思う。

ところで「またも吸ひたし」は俳句的誇張であって、タバコの味はこんな味だったなあと思い出す程度が事実であることを付言しておく。「禁煙も五年が過ぎぬ寒の水」まずまずと自己評価である。

 釘買って出る百貨店西東忌       三橋敏雄
 女物干してあるなり三鬼の忌       湯浅康右
 横文字の新聞燃やす三鬼の忌     桂 信子
 誰も乗らぬ木馬のワルツ三鬼の忌   藤田昌子

もう一句だけ三鬼を引こう。「中年や遠くみのれる夜の桃」。
俺は疾うに中年を過ぎた。しかし、老人を65歳以上とすると、老人及び初老でも無い(と言い張る)。そして、熟年なんて呼ぶ奴は蹴飛ばしてやる。

※写真は大高弘達「西東三鬼の世界」のお世話になった。感謝です。

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