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2007年4月28日 (土)

強制連行訴訟判決、最高裁は司法権を放棄し国益を損ねた

「日中共同声明はサンフランシスコ平和条約と同様の枠組みで、個人の賠償請求権を放棄したと解釈できる」しかし「旧日本軍監視下の西松建設による強制連行・労働で原告は極めて大きい精神的・肉体的苦痛を受けたと認められる」よって「裁判上の請求権はないが、自発的対応は妨げられず、被害救済に向けた努力が期待される」とした最高裁判決。ちょっと唖然とする。これでは司法権放棄ではないか。

揉め事が当事者間で決着しないから裁判所にお裁きをお願いするのに、これでは「おまえら適当に処理せえ」と自らの義務を放棄したようなものだ。しようがないから最高裁に成り代わって、俺が整理してやろう。

日中共同声明はサンフランシスコ平和条約と同様に個人の戦争被害請求権放棄を定めたものと解釈するのが相当。よって原則、私人間(「強制連行」被害者と西松建設)においても請求権なし(中国がいちゃもんを付けても日本司法権の判断で押し通す)。もっともこの請求権放棄は戦争被害ではなく不法行為による損害賠償請求権まで放棄したものとは考えられない。よって、当裁判所は今回の事案において不法行為の存否につき以下のように判断する。

こうすれば、国家間の問題とは別に不法行為の判断を事案に即して行えるから、裁判所の機能も放棄されず、当事者は事実の認定を巡って具体的に争うことが可能になる。
しかし、最高裁は(俺でもわかるような)妥当な法律構成を採らなかった。何故か。

想像するに、上のような法律構成で「不法行為の抜け穴」をつくると、従軍慰安婦や南京事件やその他もろもろ訴訟ラッシュを恐れたのだろう。これしかないよ。
しかし、最高裁が今回の判決のように問題を当事者や政治に投げ返すことは「国益」にならない。中国韓国で例によっての反日言論を高めるし、アメリカでの性的奴隷騒ぎにも油をそそぐ。
だから、こうした問題は裁判所が引き受けて事案ごとに「強制」「不法行為」があったのかを判断するしかない(これは政治家の仕事でも歴史家の仕事でもない)。
そうすることが法治国家日本のプレステージを上昇させる。また更に、国家的犯罪(拉致)を隠蔽し続けようとする北朝鮮に対抗するためにも戦争による被害と不法行為による被害とを峻別することが絶対に必要だ。仮に日朝国交回復条約で相互に戦争被害請求権を放棄したとしても個人レベルの不法行為・犯罪は許さないというスタンスを維持することにつながるからだ。

つまりは、国家レベルの問題と個人レベルの問題とは明確に区別するべきだということだ。戦争にあっても国際法に違反するような行為は戦争犯罪として裁かれるのだから文明国として当然のことである。

残念ながら、最高裁も国家官僚の一環にしかすぎず、個人の権利の味方ではないことを今回露呈した。いやそれ以前に法律家としての資質に欠けるというべきだろう。次の最高裁判事信任投票には絶対に×をつけようね、忘れてなければ。

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