山笑ふ@女心ならびてゐたり山笑ふ
「山笑ふ」はいつか使いたかった季語だ。こんな形で実現するとはまさに写真のお陰である。面白そうな被写体があれば撮る。撮っておけば後付けで句ができる(あるいは在庫済みの句とコラボできる)。この句などは句単独では意味を伝えられない句だろう。写真俳句はやり出すと止められないのである。
故郷やどちらを見ても山笑ふ 正岡子規
山笑ふ村のどこかで子が生れ 尾形不二子
山わらふ母あるごとく胸張つて 寺田京子
みちのくの山笑ひをり昼の酒 青柳志解樹
新緑が美しくなってきた。カメラを始めて目が変わったので、たとえば昨日も藤の花芽がこんなに大きいんだと感じ入った。人間は見ようとするものしか見えないのである。存在が認識を規定するのではなく認識が存在を規定するのである(カントのコペルニクス的転換)。
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