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2007年5月

2007年5月31日 (木)

北は米中阿吽の呼吸で生かされている犯罪国家

米中北馴れ合いもいい加減にしろ@世界共和国ブログ参照。

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米中協調オペの成果、NY株上昇

俺の昨夜の予想が当たった→NY株上昇(ダウ△111.74、NASDAQ△20.53)。これは確実に米中協調オペレーション(戦略経済対話、グリーンスパン収縮発言、中国の印紙税上げ)の成果だなあ。

つまりは、米中は経済的利害を共通にするのである。それなのに、中国及びその支配下にある北朝鮮を仮想敵国にして憲法改悪・米軍下請推進を図る安倍政権は米帝国主義(産軍複合体・ウォール街)の走狗と言わざるを得ない。目覚めよ、日本人民諸君。

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石楠花@石楠花の秘め事淡く渓谷に

Photo_814 石楠花の秘め事淡く渓谷に

西沢渓谷吟行で得た石楠花だ。西沢渓谷は秋は紅葉、春は新緑そしてアズマシャクナゲで有名だということを今回再認識した。というのは、アズマシャクナゲは普段よく見る西洋石楠花とはかなり異なる花だということを今回実感したからだ。ご覧のように淡いピンクが可憐なのがアズマシャクナゲなのである。これに対して、西洋石楠花<(洋種シャクナゲ、ロードデンドロン)と呼ばれる種類は、日本産以外のシャクナゲ類や、その園芸品種などを総称したもの>は(俺に言わせると)人工的に過ぎると思うのだ。
そこで、もう少し石楠花薀蓄。まず石楠花とは、狭義にはアズマシャクナゲやツクシシャクナゲをいうが、学術上ではシャクナゲ類は広くツツジ属のうち常緑性のものを指すとのことだ。「花の歳時記 夏」に「狭義には東日本の山地から深山の岩場などに生える<東石楠花>を指す」とあるのはこのことを言っていて、俳句でも石楠花は本来、アズマシャクナゲのことなのだった。
そして、日本に自生するシャクナゲは、ツクシシャクナゲ、ハクサンシャクナゲ、キバナシャクナゲ、ホソバシャクナゲの四種類に分類され、アズマシャクナゲはツクシシャクナゲの変種の中ではもっとも高地に自生するものだそうである。
以上、これでアズマシャクナゲと西洋石楠花との位置関係を理解できて満足である。

さて、例句。「石楠花や快晴富士の男ぶり」で引いたもの以外から追加する。

 石楠花や水櫛あてし髪しなふ     野沢節子
 石楠花にかくれ二の滝三の滝     宮下翠舟
 石楠花の頃は過ぎたり咲き残り    清崎敏郎
 石楠花や影振りすててゆく峠     鷲谷七菜子

ところで本句の写真はフリーソフトJTrimでカラーヒストグラムノーマライズ調整したものである。新樹の中で可憐に咲く(盛りを過ぎていたのが残念)アズマシャクナゲに樹光がつくる微妙な陰影を再現したかったからである(ちょっとやりすぎたかもしれぬ)。

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新樹@新樹光肺の底まで洗ひけり

Photo_813 新樹光肺の底まで洗ひけり

本句はまたもや「しんしんと肺碧きまで海のたび」篠原鳳作の影響下に得たものである。西沢渓谷の新緑をたっぷり吸収してきたことを俳句に記録したかったからだ。写真はその新緑を表現できているだろうか。
そう言えば、NHK趣味悠々「デジタル一眼レフ風景撮影術」で新緑は葉の裏から撮影するのがコツなどと言っていたなあ。この番組のテキストは一眼レフを持っていない俺にも役立つ良書である。

 新樹光産湯に伸びて子のふぐり     今瀬剛一
 やんはりと嬰抱き上ぐる新樹光     小島とよ子
 月光菩薩の臍かくふかく新樹光     能村登四郎
 雲行けば新樹を渡る光あり        池内友次郎

作曲家池内友次郎は虚子の次男だったのだ。虚子のDNAは俳句・ビジネスだけではなく芸術一般に及んでいるのだ。まさに巨人である。

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2007年5月30日 (水)

明日の相場は晴れ(と予想)

米中戦略経済対話→グリーンスパン「上海株、劇的収縮」警告→今回の中国印紙税引き上げ→グリーンスパン警告の学習効果で今夜のNY相場には影響せず(と予想)。

当たるも八卦、当たらぬも八卦なり。相場は相場に聞けともいう。

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安倍総理の力量がこれでわかる

ピンチ(松岡大臣自殺の責任をとわれる状況)はチャンス(信頼回復、人気挽回)。安倍総理になり代わってピンチ克服の手段を考えてみたけど、

「今回の事件の事実関係を率直に明らかにし、このようなことが二度と起こらないような抜本策(清潔な政治の実現)を打ち出すこと」しかなかった。

詳しくは、総理は責任をどうとるべきか@世界共和国ブログへ。

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ゆりのきの花@天上にゆりのき咲けば明日も晴れ

Photo_810 天上にゆりのき咲けば明日も晴れ

近くの保育園のゆりのきの花だ。
ゆりのきの花は季語になってないようなので本句は無季となる。もっとも本句が仮に人口に膾炙すればゆりのきの花も立派に季語として認められたことになる。そんなことはあり得ないが。Photo_812 
ところで、ゆりのきは北アメリカ原産(明治初期に渡来)、木蓮科に属し「明治23年、のちの大正天皇が皇太子の頃に小石川の植物園を訪ね、そこにある日本最古のユリノキ種の木を見て、その木を「ユリノキ」と命名したとされる」そうだ。そういえば、どことなくバタくさい花である。

例句を引こうと「ゆりのき 俳句」でググッたが見当たらず。本句はゆりのきの花の句の草分けに属することになろう。ははっ。 

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薔薇@薔薇に棘蜜には毒の人生よ

Photo_809 薔薇に棘蜜には毒の人生よ

白い薔薇も真紅の薔薇もいいけれど、こういう淡い紅もいいなあ。ご近所にたまたま咲いていてはっと目を引かれた。
何か句をつけないと写真を公開できないので月並み俳句をこしらえつけた。棘も毒も人生のトッピングである。くれぐれも大火傷(特に先物相場)せぬよう自戒。
白薔薇の咲いてかなしき夢見頃」「歳なれば棘なき薔薇を愛でにけり」「音楽が好きです薔薇も愛します」で例句を引き尽くしたかなあと思いつつ歳時記をめくれば、佳句にまた出会った。

 太宰の恋白薔薇ひとひらづつ毀れ      島貫 恵
 自らへ贈るくれなゐ強き薔薇          櫂未知子
 薔薇の辺やこたびも母を捨つるがに     石田波郷
 バラ散るや己がくづれし音の中         中村汀女

薔薇もまた人生の象徴である。咲くときも散るおりも。

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師匠、感謝です

師匠からメールを頂戴した。実に的確な指摘だと思うので、ご許可を得ずにその一部を参考までにここに記録しておく。

「土曜日さんは、ライブドアのブログで気楽な口ずさみを続けていらっしゃるせいか、
句に突き詰めたところが少ないようにお見受けします。テーマが重いのに表現が軽い、そういう不釣合いを感じます。

これからどういう方向を取られるのか、興味を持って期待しております」

自分の立ち位置はなかなか自分ではわからない。こうして客観的ポジションを示唆して頂いてまことにありがとうございます。「突き詰めたところが少ない」のはひょっとしたら生来の性格に由縁するのかもしれないなア。

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2007年5月29日 (火)

農水相自殺で気になること

週末に選挙区、自宅に戻った農水相が、週明け月曜日に議員会館を最後の場所に選んだのは何故か。また、なぜパジャマ姿だったのか。

発作的な自殺だったと見ることもできるし、政治家故に政治的効果まで考えた上のこととも考え得る。

そしてまた、家族上京に先立って総理は病院霊安室でご遺体と面会したようだ。病院にいた時間は17分間とテレビニュースは伝えていた。個人的にどういう関係だったか知らないのでなんともいえないが、面妖な感じもしないでもない。前総理秘書官の飯島氏も病院にかけつけている。

事件の第一発見者たる秘書の話がメディアに出てこないのも気になる。警察が当面は情報管理しているとしても、後日明らかにしてほしい。

以上のようなことを敢えて書いたのは事柄が個人的な範囲に納まらず政治的事件となっていると思うからである。しっかりメディアをチェックする所存だ。

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えごの花@生き方は死に方のことえごの散る

Photo_808 生き方は死に方のことえごの散る

花をたくさん下向きにつけて馥郁たる香りをもたらす木の存在に(この歳になってようやく)気がついた。いったい何という名前なのだろうと数日間悶々としたが判らないでいたところ、庭にこの木を植えているお宅を通りかかったらたまたま家人の方が見えたので、思い切って尋ねて判明した次第である。
実を食べたときにのどを刺激して”エグイ(ひどい)”味がすることから」えごの木と呼ばれているとブドリさんが紹介されている。ブドリさんがエゴノキをたまたま昨日取り上げられているのも何かのご縁かもしれない。

 えご散るや田水はつねに新らしき      松村蒼石
 えご散るやうつうつと妻妊りぬ        杉山岳陽
 えごの花遠くへ流れ来て居りぬ       山口青邨
 まだ森を隣りに持ちてえご匂ふ       及川 貞

名前は判ったものの句がなかなかできなかった。「日々相場そして俳句やえごの散る」「世の行方恋の行末えごの散る」などを没にしてようやく本句となった。昨日の松岡大臣自殺報道のテレビで「死に方」という言葉を得たものである。天寿を全うすることは義務だと思っている。

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桜の実@生きものにわれも如かずや桜の実

Photo_807 生きものにわれも如かずや桜の実

僕だけが見つけたんだよ桜の実」は歩道橋の傍の桜の木の実を探して写真俳句にしたものだが、この桜は沢山の実(しかも熟する前の実も黒く熟した実も)をつけている。木によって実のつけ方が随分違うものだという発見から本句となった。思えば、この身も実の成れの果てなのである。

 午後よりの雲うごかざり桜の実     杉山岳陽
 吹き降りの眉山に熟れて桜の実     林 徹
 茶の作法とんと知らずよさくらの実   星野麥丘人
 桜の実虎のくしやみが二、三回     谷さやン

寅と言えばタイガース岡田監督が屈辱的な敗戦に試合後会見を拒否したとのことだ。野村監督だったらどんな対応をしただろうか。くしゃみニ、三回で記者会見とするのもおつなものではなかろうか。

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2007年5月28日 (月)

ほんとうの構造改革とは

「ほんとうの構造改革とは、「官から民へ」などという皮相なものではない。貧困を撲滅し環境破壊を阻止するための全体最適、新しい経済システムの構築こそが構造改革だ」@世界共和国ブログ

左翼とは(1)反帝国主義(2)自由主義(3)多元主義(4)社会的共通資本の重視(すなわち新しい経済システムの構築)である。この要件には、宮沢喜一氏も中曽根大勲位も同意可能である。つくろう、人民戦線そして世界共和国。

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2007年5月27日 (日)

夏めく@はじけぬは上海バブル夏兆す

Photo_806 はじけぬは上海バブル夏兆す

土曜日に西沢渓谷を吟行してきた。全長、標準所要時間3時間35分のコースを6時間かけて踏破(写真撮影と寄る年波のせい)した。渓谷終点まではアップダウンの多い山岳(ちょっと大袈裟か)ハイク、帰りはなだらかでちょっと退屈な下りというコースである。思えば、この渓谷を踏破できるのもあと十年か。我が老化のメルクマールになるかもしれない。

 夏めくや海より生れしいろの蝶    朝倉和江
 夏めくや花鬼灯に朝の雨       中村楽天
 夏めくと課長上衣をぬぎにけり    日野草城
 なにもかも夏めく影を落すかな    久保田万太郎

グリーンスパン発言で米国株はちょっと反省したが、上海A株は止まらない。中国市場の取引代金が日本市場のそれを抜いたとの報道もあるので、銭ゲバ中国人のみの問題とは言えなくなってきた。相場はババ抜きゲーム、ある日、夏=逃亡崩落が始まるのだ。

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芍薬@芍薬や愛に飢ゑたる日々ありき

Photo_805 芍薬や愛に飢ゑたる日々ありき

写真はだいぶ以前の大船植物園吟行時のものだ。ようやく、芍薬の一句を得ることができた。
ところで「立てば芍薬」というのは「芍薬が花茎を伸ばし、頂に花を咲かせるため」と旅ガイド本「関東 花の旅」にあった。ネット検索してみたけれど該当する記述は見当たらない。どこまでホントウかは不明だが、芍薬と牡丹を弁別するキーにはなる。また、牡丹は落葉低木、芍薬は草本である。中国では牡丹は「花の王」、芍薬はそれに次ぐ「花の宰相」とされてきたそうだ(「花の歳時記 夏」より)。

 芍薬やつくゑの上の紅楼夢       永井荷風
 芍薬の一ト夜のつぼみほぐれけり   久保田万太郎
 芍薬を嗅げば女体となりゐたり     山口誓子
 芍薬に逢瀬のごとき夜があり      森 澄雄

例句が示すように「花の宰相」は「花の王」よりエロティックである。花にエロスを思うのは男の性(さが)ではあるが。

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2007年5月26日 (土)

石楠花@石楠花や快晴富士の男ぶり

Photo_803 石楠花や快晴富士の男ぶり

山中湖花の都公園からの富士である。雲があるので「快晴富士」は虚偽とも言えるが俳句的誇張と許して頂きたい。いや、少々の傷があった方が男ぶりが上がるというものだろう。Photo_804
ほんとは石楠花と富士の取り合わせの写真にしたかったのだが、残念ながら撮影できなかった。代わりに水車と西洋石楠花を取り合わせた写真を付けておく。

 石楠花に碁の音響く山深し        高浜虚子
 石楠花によき墨とゞき機嫌よし      杉田久女
 深山石楠花この世かの世の遠い空   岸 秋渓子
 石楠花や主峰のの男ぶり       水沼三郎

最後の句、「男ぶり」を使ってるやん。困ったなあ。「花の歳時記 夏」から引いたのだがこの句を本句作句以前に見てないとは言えない。無意識下に残っていたのかもしれないが、「快晴富士の男ぶり」は俺のオリジナルである。

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オニグルミ@オニグルミ羊の顔に笑みたまふ

Photo_802 オニグルミ羊の顔に笑みたまふ

これも山中湖花の都公園での所見。ボランティア案内の方がこの木の存在を教えてくれた。
オニグルミはクルミ科の、山野の川沿いなどによく生えている,高さ 25 メートルくらいにもなる落葉高木だそうである。ネット検索したら冬芽が多様な表情を見せるのを集めたページもあった。生きものはまことに多彩である。

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2007年5月25日 (金)

イラク大詰めか?

ブッシュ大統領が記者会見で、「向こう数週間か数か月間は新戦略実行の上で重要な時期となり、戦闘の激化も予測される」と発言したそうだ。最後の軍事的賭けだと言っているように思う俺は平和ボケである。

ついでに全く無関係だけれど上海株指数が見られるサイトを何かのご参考までに。

上海株価指数が見られるサイト

http://cn.finance.yahoo.com/
http://cn.finance.yahoo.com/q?s=000001.ss

上海A株と思われます(中国語が読めない)。いずれも自動更新ではないのでリロードクリックして下さい。私も昨日から見はじめました。

午後は上げます。私が日経225ミニ買ったからです。平均単価17513なり。
ただ、心配なのはアメリカのバブルがまだ剥げ足りないかという点です。まあ来週には日本は戻すでしょう。

以上、ストボで探していらっしゃる方がいらしたので小さな親切大きなお世話。もう俺はダメだけど若者よ、英語と中国語は生き抜くために必須だよ。

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グリーンスパン発言はバブル鎮静化策

Photo_50 米国相場が下げている。現時点でNYダウ▼84.28、NASDAQ▼39.13、CME(シカゴの日経225先物)17520と昨日大証終値比▼140だ。これでしこっていた売り建て玉(17518)を利益確定できそうだなあ。しかし、昨日現物引け後に買い建てた17690が今度はしこりになりそうだ。 Photo_9

米国の下げの理由が現時点では不明だが、グリーンスパン「劇的収縮」発言も影響しているのは間違いないだろう。昨日の日経先物、上海A株(中国人のみ参加可)、上海B株(外国人も参加可)を記録として残しておく。Photo_8

もうちょっと分析を後刻予定。米中共同口先介入の成果ではないかと憶測している。

さて、ここからが続き。米国株下げの理由は「4月の新築住宅販売件数は市場予想を大幅に上回り、前月から急増。住宅市場の回復期待を誘い、住宅建設株の支援材料となった」ため利益確定売り、金利下げが遠いたとの失望売りPhoto_9が理由と伝えられている。中国株(特に上海B株)下げは一部の資源株下げにつながっていると朝のモーニングサテライトは伝えていた。

それにしても、米中戦略経済対話第二回終了時に合わせたかのようなグリーンスパン発言、両国政府共謀しての株バブル鎮静化策とも思える。日本のバブル経験に照らせば、バブルは早期に破裂させた上での持続的な高株価維持が為政者にとっては賢明、好都合であろう。

だから、グリーンスパン「劇的収縮」発言に過剰に反応してはならない。米国株下げも金利下げ失望売りにすぎず、米景気は強いことの証拠である。
それでも相場は過剰に反応する(ヤフー掲示板を見よ、ネットウヨまで蠢いている)。そこが賢い博打打ち(一応、そのつもり)のつけいるべき穴だ。

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夏の海@機関銃一挺浮かべ夏の海

Photo_800 機関銃一挺浮かべ夏の海

下田了仙寺吟行の途中立ち寄った下田道の駅でたまたま海上保安庁巡視船を公開してくれていたので見学した。
機関室は立ち入り禁止、通信室は撮影禁止だったけれど、それ以外は撮影可で職員の方が熱心に説明してくれた。俺は乗組員用の風呂まで撮影したが、句にして公開するとなると機関銃になってしまった(やっぱり子供なのかなあ)。
初案「軽武装機関銃一挺夏の海」を本句のごとく推敲し、これでは面白くないと「機関銃愛ずぶずぶの夏の海」に直したけれど、一晩置いて見直してみると本句がすっきり爽やかシュールなので(誰も言うてくれへんから自分で言う)決定稿とした。「セーラー服と機関銃」 なども連想してご賞味頂きたい。

 夏の海水兵ひとり紛失す             渡辺白泉Photo_801
 戦亡の友いまあがりくるよ夏の浜   三橋敏雄
 夏潮に水葬礼の銅鑼鳴りぬ      丸山哲郎
 乳母車夏の怒涛によこむきに     橋本多佳子

白泉の句は人をモノ扱いする軍隊を詠んだもの、多佳子の句は抽象的だが「夏の怒涛」に個(乳母車)を翻弄する時代、世界、世間を象徴させているとも思える。いずれも安倍総理にしっかり鑑賞して頂きたい秀句である。

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初夏@はつなつや下田港に姫ふたり

Photo_799 はつなつや下田港に姫ふたり

これも下田道の駅でのスナップだ。黒船祭仮装参加ツアーでもあるのだろうか、この女性たちに写真をおねだりしたら「喜んで」と快諾してくれた。
「普段からお着物は召していらっしゃるのですか」「いえ、あのそのう」「そうですか、ちょうどいい練習ですね」と会話させて頂いた。なにごとも平和が一番である。

 初夏とノートに書いてそれっきり     津田このみ
 初夏や蝶に眼やれば近き山       原 石鼎
 見習の稚き初夏のメス洗ふ        平畑静塔
 初夏のわれに飽かなき人あはれ     永田耕衣

耕衣の句はたまたま今日の増殖する俳句歳時記に掲載されている。解説を読んで「耕衣は俳句の技法においては、どんなカードでも切れる人だ」に納得した。まだまだ技法序の口の吾なれど。

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2007年5月24日 (木)

上海市場安定(今日のところは)

上海が落ち着いているのを確認するまでの今朝の兜町は手控え。確認できたら、するすると上昇。俺は(残念ながら)勇気が無くて確認前の安値を拾えなかった。相場の勝負は後場だなあ。

ところで、中国チワン族自治区(どの辺りか知らない)で出産制限政策(罰金)反対暴動があったそうだ。詳しくは出でよ北京のゴルバチョフ@世界共和国ブログへ。

※ひょっとしたら上海の投機家はグリーンスパンが誰か知らないのではなかろうかと(悔し紛れの)冗談である。

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グリーンスパン、中国株収縮を懸念

自らのブランドと発言の重みをを意識していないのか、あるいは意識しているせいなのか、グリーンスパンが昨日、重大発言。

過熱する中国株式について「劇的な収縮」を懸念していると述べ、急落の恐れを警告した

このニュース、上海の証券会社の門前に列をなす中国人大衆に伝わっているだろうか。ネット規制はあってもクチコミでは伝わっているだろう、ひょっとしたらかなり歪曲されて。

上海株は日本時間10:30スタート。今日は最大注意である。
ちなみに俺は日経ミニ先物両建てで相場を張っている。現在のポジションは買い17615×2枚、売り17518×4枚(今週急騰直前のしこり玉)だ。買い玉は寄り付きで即、売っておこう。

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花筏@花筏清しく生きて花の咲く

Photo_798 花筏清しく生きて花の咲く

山中湖花の都公園での熊谷草見学ツアーの際に出会った。名前と写真で知っていたので実際に見たときに思わず「あっ、花筏だあ」と言ったら案内のボランティアの方が「よくご存知で」と褒めてくれた。
葉の中央につく花を、筏に人が乗った姿に見た名前」ということから花筏という名前がついているが、粋なネーミングだ。「葉の縁にこまやかな鋸歯がある」と「花の歳時記 夏」にあるが、その通りに写真に撮れているので嬉しい。「ままっこ」という名前も持っている。

 ままつこや櫟ざわざわ鳴るばかり    廣瀬直人
 峡の陽にちひさな叫び花筏        今村博子
 ささやかな夢懐に花筏           緑川美世子

禁煙したので俺も「すがしく」生きていると、この点では胸を張れる。花が咲くかどうかはわからぬが、ささやかな夢を懐に暮らすとしよう。

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マーガレット@マーガレット淋しき顔で純愛す

Photo_797 マーガレット淋しき顔で純愛す

昔、「少女マーガレット」なる雑誌があったよなあ、と思って検索したら間違い。正しくは「マーガレット」だった。「少年マガジン」「少年サンデー」の連想から、つい、「少女」をつけてしまうのだが「少女」はついてない。
幅広い年齢層に読んでもらいたいという売り手の戦術なのだろうか。それとも、男は自分が少年であるかどうかには無頓着だけれど女はそれに意識的(すなわち、少女ではなくて私は女よという意識)ということなのだろうか。どうでもいいことだけれど(いや、どうでもよくはないかもしれない)。

 マーガレットの夕べ足首に繃帯し     加倉井秋を
 マーガレット主の椅子を犬が占め     中村汀女
 マーガレット東京の空よごれたり     阿波野青畝
 マーガレット束ねて消ゆる悔ならず    岡本 眸

つまりは、女にとって少女は通過点、男はいつまでも少年ということではないだろうか。女はとかく母親になりたがるもんね。そうか、「少年や六十年後の春の如し」永田耕衣を理解できてしまったぞ。

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2007年5月23日 (水)

中国に貸しをつくって護憲しよう

中国国内における外資企業と純粋国内部門との間の格差は、生産性でみても9倍だそうだ。だから、格差(何を基準に計るべきか知らないが)としてはおそらく十数倍以上になるだろう。
中国の課題はこの格差問題の解決にある。これを日本が助力して解決し、貸しをつくれば北朝鮮問題も憲法改悪も沖縄基地問題もたちどころに解決するのになアと妄想するのである。詳しくは世界共和国ブログへ。

だけど米帝国主義の走狗たる日本国政府にはその意志も能力も無い。倒そう、安倍政権。

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熊谷草@死者の声木霊の響く熊谷草

Photo_796 死者の声木霊の響く熊谷草

この日曜日に山中湖花の都公園で熊谷草(絶滅危惧種。ブドリさんの紹介で知った)を見学してきた。この公園、植物園として見ると少し物足りないのだが、今の季節は森の案内人とゆく1時間のネイチャーウォークがあるのでこれは絶対にお薦めである。
熊谷草、花筏などの珍しい野草が一般では見られない保護エリアにあって、それをNPOボランティアの人の案内付きで見学出来るのだ。
熊谷草はおよそ数メートル四方のエリアに群生して咲いていた。こんな群生を見られるのはここだけではないだろうか。今年は5/27まで。よろしければ是非どうぞ。

 熊谷草母衣一つづつ群落す      清崎敏郎
 熊谷草甲冑すでにほろびけり     河野南畦
 竹散るや熊谷草の母衣の上      綾部仁喜
 山かげに母衣のをさなき熊谷草    佐藤桂子

個体は滅んでも種がある限り生命は続く。俺の遺伝子が数十億年前に遡るということは思えば凄いことである。「海見れば遠き記憶の甦る遺伝子の神生命の連鎖」。

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君子蘭@亡き母の遺品のひとつ君子蘭

Photo_795 亡き母の遺品のひとつ君子蘭

何を思ったのだろう、亡母が君子蘭を買ってきたことがあった。その君子蘭が今年も花を咲かせている。毎日、亡母を思い君子蘭を眺めている。情が強い人だった。99年の夏に東京に連れて来て同居して五年で他界した母である。享年75歳。

 端然と襟を正して君子蘭      富安風生
 君子蘭の鉢を抱へる力なし    阿部みどり女
 自動ドア過敏にあくや君子蘭   星野恒彦
 校訓を筆太に垂れ君子蘭     木村ひでき

ところで君子蘭はヒガンバナ科の植物とある。蘭の仲間ではないんだなあ。そして蘭が秋の季語となっているのもまたおかしい。どうでもいいことではあるが。
更に本句。「亡き母」「遺品」がだぶっている。「強き母」では字余りだし意味が通じにくいしなあ。こちらはいささか問題だと思いつつ君子蘭を眺めた。

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2007年5月22日 (火)

中国政府が米ファンドに出資!

これはひょっとしたら大ニュースかもしれない。

中国政府が設立する投資会社による米大手投資会社ブラックストーングループへの30億ドルの出資は、1兆2000億ドル(約144兆円)を超える巨額の外貨準備を抱える中国が、世界の金融・資本市場で存在感を強めていることを象徴している。

公的資金をアメリカの民間企業に出資すること自体も驚きだが、折からワシントンで第2回米中戦略経済対話が開かれていることを考えると、中国政府のみならず米政府の意思もこの件には働いているのは確実だ。中国の巨額な外貨準備(ドル)を背景にした米中のせめぎあい乃至共通利益の追求と見るべきである。

これに対して、中国に次ぐ世界第二位外貨準備高を誇る日本の外貨準備運用は全くアメリカ政府にお任せ、米国債の売却はおろか、米国債の利子さえももらえないという「通常の商取引では考えることのできない異常な日米財務省関係」が構築されている。つまりタダレタ日米関係なのだと評する見方もある。

そして我が官房長官はこの件で記者会見で質問されて「安全性と流動性そして収益性を考えてやるべきだ。日本は日本の政策をとるということに尽きる」と答えた(5/22日経)。

違うだろう!「属国日本はアメリカの政策に従う」と正直に言ったらどうなんだ。
こんな政府に憲法を変えさせるな!

ちなみにブラックストーンの上場に対しては、AFL・CIOが「ファンドはSECの監督外で、上場しても企業統治体制が不十分。投資家保護にも悪影響が出る」と主張して上場差し止めを米証券取引委員会(SEC)に要請している。今更わかりきった話だけれども、中国共産党が指導する中華人民共和国政府が米労働者の味方ではないことは明らかだ。おまえらそれでもコミュニストか!

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ジャスミン@ジャスミンのごとく女と生れけり

Photo_794 ジャスミンのごとく女と生れけり

先週の土曜日に伊豆の下田まで吟行してきた。了仙寺のアメリカジャスミンを句にするのが目的である。
行ってみたら満開でまことに濃厚な香り・匂いであった。また、ちょうど下田黒船祭というものを開催中で、時代装束に仮装した人たち(そういうツアーがあるようだ)やアメリカ軍艦の乗組員・家族で街は賑やかな雰囲気だった。
下田は日米友好発祥の地、了仙寺は日米和親条約調印の場所である。米帝は嫌いだけれどアメリカは好きな俺である。

 ジャスミンにめくるめく日の爪木崎     渡辺恭子
 素馨とは白き香りの白き花         後藤夜半
 茉莉花の香指につく指を見る        横光利一
 茉莉花に帽子の鍔の触るるまで      西村和子

素馨は「そけい」、茉莉花は「まつりか」「まうりんか」「まりか」と読む。いずれもジャスミンのことだそうだ。
アメリカジャスミンは「咲いた時は紫で、2、3日後に真っ白に変わり、白と紫の花が一斉に咲き乱れて美しい。南アメリカ原産で、明治末期に渡来、別名:アメリカンジャスミンというが、ジャスミンの仲間でなくナス科。花色が変化することから、英名はYesterday-today-and-tomorrow」 というのが面白い。そういえば「昨日、今日、明日」というソフィア・ローレン主演の映画があったなあ。

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さくらんぼ@さくらんぼ我が性欲も衰へし

Photo_793 さくらんぼ我が性欲も衰へし

昔、「黄色いさくらんぼ」という歌謡曲があった。当時にしてはかなり刺激的な歌詞で印象が強く、さくらんぼを見るとそっちの方に連想が働いてしまう。
だけど、月山錦という品種があって「赤色系の品種がほとんどの中、黄色いさくらんぼとして貴重な品種」だそうである。また、さくらんぼが高価な「その答えは簡単で、大変栽培の手間がかかる果実だからなのです」とのことだ。以上、連想修正のための豆知識であった。

 くちびるに触れてつぶらやさくらんぼ    日野草城
 桜桃のこの美しきもの梅雨の夜に     森 澄雄
 恋人はめんどうな人さくらんぼ        畑 耕一
 国家よりワタクシ大事さくらんぼ       摂津幸彦

摂津幸彦の句に双手を挙げて大賛成。49歳で夭折した団塊世代の人のようである。「あたし赤穂に流れていますの鰯雲」などの摂津の句と戦略的分析がこちらで読める。俳句っていかがわしくてをかしくてフカイなあ。

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2007年5月21日 (月)

日本の運命を決める三年間

5/19日経が「集団的自衛権の解釈見直しを是とする」という驚くべき見出しの社説を掲げた。是とする理由はいつもながらの現行解釈(集団的自衛権の否定)は「日米同盟の信頼関係や自衛隊の国際協力活動の支障になりかねない」というもののようだが、国の運命を決めるような憲法解釈の変更に際してはもっと具体的説得的な理由を挙げて欲しい。独立国だから集団的自衛権は当然などという理由で米帝国主義軍事下請化推進のお先棒を振るな、日経の阿呆。

一方、集団的自衛権解釈変更については自民党内からさえも異論が出ている。「船田氏、憲法めぐる首相方針を批判 本当なら憲法を改正して、集団的自衛権をどこまで認めるべきか議論すべきだ。(従来の)解釈をさらに再解釈して(集団的自衛権を)認めるのは本末転倒。それが通るなら憲法改正はいらないと皮肉った」とのことだ。

面白くなってきたなあ。日経も今日の論説副委員長のコラム「憲法改正は大連立次第」では「覚悟問われる自・民・公3党」と題して2/3の国会発議の壁を理由に「憲法改正は各党によほどの覚悟と決意がなければ実現し得ないテーマ」と改憲勢力の覚悟を求めている。

改憲は吉田茂以来の国策大方針(軽武装路線)の大転換である。郵政民営化のごとき小泉劇場詐術で誤魔化されるほど国民も愚民ではないだろう(多分、かなり自信ないけど)。
そして改憲は、戦争か平和かという思想的問題であると同時に、落ち目の米帝国主義に今以上のコミットをするかとどうかの政策的問題である。すなわち、ミサイル防衛など軍事強化で米産軍複合体・ウォール街に血税をむしりとられるか否かの問題でもあるのだ。

だからこの三年間が日本の運命を決定する。懸命な日本国民諸君、お願いだから浅薄な国家主義に騙されて改憲に賛成しないで欲しい。俺は安穏な老後を送りたい。

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2007年5月20日 (日)

夏の蝶@己が影見つめてゐたり夏の蝶

Photo_792 己が影見つめてゐたり夏の蝶

病気なのだろうか、じっと地面にいたのである、この蝶。
模様の感じから判断してタテハチョウ科のツマグロヒョウモンと思われる(間違っていたら指摘して下さい)。じっとしてくれているので俺でも撮れた。
そしてようやく句も得ることができた。最近、被写対象の立場に立って擬人法で句を発想することを心がけている。写真はヒストグラムノーマライズしてコントラストを夏らしく強調した。

 縁側は家内か外か黒揚羽     宇多喜代子
 遠く来て夢二生家の黒揚羽     坪内稔典
 ヴィーナスの臍深くして夏の蝶   福島壺春
 日本海つひに夏蝶見失ふ      日美清史

福島壺春の句が面白いなあ。表現明快意味不明な句が名句なり。どうせ句をつくるなら奔放に作りたい。

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栃の花@終焉のいつか来たらむ栃の花

Photo_791 終焉のいつか来たらむ栃の花

存在が認識を規定するのではなく認識が存在を規定する(カントのコペルニクス的転換)。要するに、見れども見えず、見る気にならなければ見えないということだ。
この栃の花、その辺の街路樹にいっぱい咲いているのだが、俳句カメラを始めるまでは全く気づかなかった(お恥ずかしい)。カメラ目線で周りを少し見るようになって気づき、異形の花だなあ何だろうと意識するようになったのである。
最初、樫の花かなあと誤認していたらブドリさんが栃の花であることを教えてくれた。日本固有のトチノキ科の落葉高木。昔、ある山村で土地ぐるみでこの木を守ったことから、「土地の木」という名前がつきましたとのことだ。花の終わりの時期になってようやく駄句駄写真を得たのでアップすることが出来た。よくよく見れば意外と美しいのである。

と、ここまで書いて例句を引くためにわたしの俳句歳時記で栃の花を検索すると、「マロニエ」は西洋橡の木と呼ばれているが、こちらはピンク色の花で別種であると記述がある。しかし、「花の歳時記 夏」を見ると白い花の写真がマロニエの花の写真として掲載されている。更に、ブドリさんの記事には紅花栃の花の写真もある。
ええい、みんなまとめて栃の木じゃ。マロニエも我が国固有の栃の木の一種としておこう。

 仰ぎ見る樹齢いくばくぞ栃の花     杉田久女
 栃咲いて浅夜しづかな疲れあり    星野麦丘人
 橡の花きつと最後の夕日さす      飯島晴子
 音楽堂マロニエの花散りゐたり     塩川雄三

ウィキペディアには、ヨーロッパの近縁種であるセイヨウトチノキ (Aesculus hippocastanum) はフランス語名のマロニエでよく知られる、と記述されている。この写真の花はやっぱりマロニエとするべきであろう。

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2007年5月18日 (金)

ダルフール問題のお勉強

世界の常識は日本の非常識。日本人だけが知らない(ひょっとして俺だけ?)世界の重要ニュースあり。
詳しくは世界共和国ブログへ。

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歌よりカネ

「ヒラリー・クリントン上院議員が16日、支持者にキャンペーンソングを募集するメッセージを自身のウェブサイトに掲載した」そうである(クリントンおばさんの写真がいいよ)。
これもカネ集めの一環か。詳しくは世界共和国へ。

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若楓@見上ぐればそこにしあはせ若楓

Photo_790 見上ぐればそこにしあはせ若楓

若葉(柿若葉、椎若葉など)の中では楓の若葉が格段に美しい。「青き紅葉」「若葉の紅葉」という季語があるのも成程と思う。そんな楓の若葉の美しさに感じ入って撮影、後付けで句をつけたのが本句である。
初案「昨日より今日が幸せ若楓」だったけれど、これは「今生のいまが倖せ衣被」鈴木真砂女に倣ったものだ。従って本句も真砂女の影響下にある。

 伯母逝いてかるき悼みや若楓     飯田蛇笏
 若楓京に在ること二日かな       川崎展宏
 読書する神官独り若楓         平峯秀子
 捨てし世も時には恋し若かへで    永井荷風

韜晦の人荷風の生き方を思うと荷風のこの句を額面通り「世を捨てた」句とは受け取れない。そしてまたあざとくも思えるが、そこがまた荷風の俳風なのだろう。荷風の「色町や真昼しづかに猫の恋」という句も俺のこのブログの検索で出てくる。結構、俺は荷風を引いているのである。

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桜の実@僕だけが見つけたんだよ桜の実

Photo_789 僕だけが見つけたんだよ桜の実

桜にも(花が咲くのだから当然に)実がある。しかし、桜の実なんか全く意識してなかったなあ。ところが歳時記を見るとちゃんと季語として存在するし、「花の歳時記 夏」にも綺麗な写真が載っている。これは我が愛用カメラによって手中にしなければと思い、ご近所桜の名所たる歩道橋から接写を試みたのが上の写真である。
ちなみに、桜の実は最初は青、次第に薄紅色、熟して黒紫色になるそうだ(桜の実@「季節の花 300」参照)。俺にはまだ薄紅色の残りしか。

 桜の実紅経てむらさき吾子生る   中村草田男
 桜の実赤し黒しとふふみたる     細見綾子
 晩年のひかりを給ふ桜の実      田中良次
 実桜のすき間の空や弥撒の鐘    六本和子

本句は初案「桜の実青く小さく目立たずに」だった。同じ発想上で本句へと表現を変えたのだが矢張り線が細い。ここは何かを取り合わせるべきだったと反省。
そこで口直しにDigital Photo Gallery by ZEISS 「桜の実」をどうぞ。表現力が圧倒的なお写真である。

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2007年5月17日 (木)

今夜の我が心

その1:若楓
朝吟行で楓若葉の美しさに気づき撮影。なんとか句もひねることが出来た。明朝公開。

その2:弱気相場もそろそろ底
明日が一番底だろう。よもやの買い指値17530×ミニ2枚が出来てしまい利食い返済できず17520で損切りし買い持ち無しで明日へ。今夜のNY下げ、明日の日経17400割れを期待。

その3:朝青龍×黒海
黒海の前褌狙いを朝に読まれて完敗。全く相撲にならなかった。「朝青龍の傍若無人な乱暴さは、小泉前首相の自制なき弱いものいじめと、それを喜ぶ世相のうつし鏡だ」と天木直人さんは言うけれど、あまり相撲をご存知ではないと思う。すべからく気に入らないことを新自由主義の所為にするのはいかがなものであろうか。

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蝶@蜆蝶この世にあはれ紛れ来し

Photo_788 蜆蝶この世にあはれ紛れ来し

蝶の写真が撮れたので「俳句の鳥・虫図鑑」を見てみると蜆蝶だと判明した。しかし、ブログにアップするためには句を作らねばならぬ。
そこで初案「黄泉からのメール携え蜆蝶」、つまらぬ。推敲「たまさかに世に紛れ来て蜆蝶」「生れ来てその理由知らず蜆蝶」も説明が過ぎ、句になっていない。困ったなあどうしようと思っていたら「この世にあはれ」が閃いて本句となった。これは便利なフレーズだ。例えば、「ひとりゐてこの世にあはれ梅雨近し」など上五と下五を接着させるオールマイティ・フレーズとも言うべきものだ。

しかし、この中七オールマイティ・フレーズは短歌「今しばし死までの時間あるごとくこの世にあはれ花の咲く駅」小中英之に先例があることに気づいた。これを知ってしまえばおしまいよ。もう、使えぬ(と言いながらいつかまた使いそうな予感)。

 世の中よてふてふとまれかくもあれ      宗因
 しじみ蝶ふたつ先ゆく子の霊か       能村登四郎
 泥染の泥田の小畦蜆蝶           木村蕪城
 しじみ蝶とまりてげんのしようこかな    森 澄雄

森澄雄の句の「げんのしようこ」がよくわからない。現の証拠(下痢の時に用いるとすぐに効果が現れるところから由来する薬草)のことかなあ。

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いつ破裂するか?米株バブル

今日も上げてるぜ、NYダウ。昨日大引け後に日経先物買い持ちしていて正解。
でもいつかは破裂する米株バブル。なぜなら俺が日経先物17385で連休明け前からずっと売り持ちしているからだ。詳細は、どこまで続く?アメリカの株バブル@世界共和国参照。

正直告白:あの大損こいた先物に先月からまた手を出してしまった。しかし、ミニ先物2枚に限定。いまのところ成績良好ではある。相場好きそれを理由に句作せず。

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2007年5月16日 (水)

憲法ベストシナリオ(まだ妄想だけれど)

日本共産党の心からの反省と中国共産党解体がベストシナリオのためには必要と判明した。まだ妄想のベストシナリオ@世界共和国ブログだけれど。

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夏場所@夏場所の憎まれ者の気迫かな

Photo_787 夏場所の憎まれ者の気迫かな

今場所の横綱の気迫が凄まじい。初日の豊ノ島戦は必要以上とも思われるかち上げ、二日目豊真将、そして昨日の稀勢の里といずれも気迫で圧倒した相撲だった。場所前稽古での「プロレスまがいの荒ワザで、新小結の豊ノ島に左ひざ靱帯(じんたい)損傷で全治2週間のケガを負わせた」事件にまつわる様々な雑音(正しい音も混じってるかもしれない)を気迫で跳ね返そうとしているようにも感じられる。そもそも、このプロレス技事件自体が八百長報道を引きずってのことかもしれないなあ。

いろいろあるけれど、異文化の摩擦によって新たな文化が生れる。大相撲は日本グローバリゼーションの先頭をともかくも走っているのである。

 夏場所や土俵いのちの名寄岩       久保田万太郎
 夏場所やもとよりわざのすくひなげ        仝
 夏場所やひかへぶとんの水あさぎ         仝
 煌々と夏場所終わりまた老ゆる       秋元不死男

写真は竹橋交差点。住友商事と毎日新聞が見える。商社はグローバリゼーション資源確保の先頭を走っている(ように見える)。先日、三菱商事株の利益確定したばかり。

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薔薇@白薔薇の咲いてかなしき夢見頃

Photo_786 白薔薇の咲いてかなしき夢見頃

ご近所の白薔薇。白がいい。清楚がいい。乙女チックな甘い句でもいい。ああ、帰らざる日々よ。「歳なれば棘なき薔薇を愛でにけり」「音楽が好きです薔薇も愛します」に続く薔薇、三句目であった。

 手の薔薇に蜂来れば我王の如し     中村草田男
 雷すぎしことばしづかに薔薇を撰る     石田波郷
 老いにも狂気あれよと黒き薔薇とどく   能村登四郎
 記念樹の薔薇の名アンネ爆心地      重本泰彦

こうしてみると薔薇には様々なメッセージが託せると思う。だからこそ「ことばしづかに薔薇を撰る」ことが出来るのである。そして、しづかなる言葉の力を俺は信じたい。言葉が、インターネットが世界を変える。いつか世界共和国ができると思う。

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蜂@熊ん蜂愛一筋の武骨者

Photo_785 熊ん蜂愛一筋の武骨者

ご近所の花(なんの花かわからぬ)に蜂(多分、熊蜂)が寄り来ているのを発見し、五分以上かけて撮影したうちの一枚。AUTOで撮影したが、後から気づいたのだけれどシャッター速度を上げるべきだったかもしれない。
そこで俳句に呻吟、三日ほど要したかなあ。初案「僥倖の半生なりき蜂の翔ぶ」は句になっておらず没。

 熊蜂のうなり飛び去る棒のごと    高浜虚子
 長城に唸りぶつかる熊ん蜂      川崎展宏
 蜂の尻ふはふはと針をさめけり    川端茅舎
 巨き死も働き蜂の死も一死      石塚友二

直接的な比喩ではなくもっと間接的詩的比喩であるべきと例句を読んで反省。俳句とは、季語と切れと比喩なり。

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2007年5月15日 (火)

仕事は四角く、その上で丸く

詳しくは安倍総理はファジイがお好き@世界共和国ブログへどうぞ。

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朴の花@武器とらず老いたる幸や朴の花

Photo_784 武器とらず老いたる幸や朴の花

ブドリさんの紹介に刺激されて吟行した皇居東御苑で撮影。そうか、これが朴の花かと初めて認識できて嬉しかった。モクレン科の花だから花の形は木蓮に少し似ている。でも(はっきり言って)異形の花で、あまり美を(俺は)感じない。「花の歳時記 夏」には「山中の幽い茂りの中に、高々と白々と咲く朴には、澄明で孤高な姿を見る思いがする」とある。

つまりは俺の目と写真が拙いのだ。だから、読者はブドリさんの朴の花の素敵な写真を参照するべきである。

 朴の花猶青雲の志           川端茅舎
 朴の花今年見ざりし命かな       石田波郷
 近よりしことなき朴の花終へぬ    加倉井秋を
 朴散華即ちしれぬ行方かな         川端茅舎

朴の花の命はそう長くはありません。実際にいつから開花したのか毎年はっきり してはいませんが、多分一週間持つか持たないか、といったところだと思います。 その散り際は大変潔く、ひとつが萎えると次々に後を追うかの如く、大きな花弁が降り 落ちます」ということから「朴散華」という季語が生れている。しかし、「実際には朴の花は枝の上で茶色に変色して萎え、いつとはなく落ちる」(花の歳時記 夏)そうだ。

季語そして俳句は記号世界の存在、事実世界とは次元が異なるということである。だから俺が朴の花を異形と感じても、例句などによって概念化された朴の花、朴散華を詠むことにより俳句として成立するのである。  

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蟻@労働の外に趣味なし蟻一匹

Photo_783 労働の外に趣味なし蟻一匹

写真を始めて二ヶ月経ったかなあ。こんなにパチパチ撮るとまでは思わなかった。デジタルの有難さだ。そして、撮った写真の中で圧倒的に多いのは花。これも少し想定外だったけれど、考えてみれば被写体でまず目につくのは花なのだから当然の話だ。
だがしかし、動物が撮れれば花よりも嬉しい。動物自体が植物よりも数が少ないし、動きのあるもののある瞬間を固定化する喜びがあるからだ。
そこで、蟻。芍薬の蕾を破ろうとする蟻を撮ることができた。俳句はちょっとピント外れだなあ。「蟻一匹固き蕾を破らむとす」が初案だったけど没にした。こんな焦点に絞って句にしたかったのだけれど。

 蟻の道雲の峰よりつづきけり       一茶
 蟻の列みんな働き盛りなり       中村菊一郎
 炎天を泣き濡れてゆく蟻のあり     三橋鷹女
 ふと思うことありて蟻ひき返す      橋?石(門に月)

鷹女の句に感じる。一種の擬人法なのだが、人間の心の比喩になっている。そうか、蟻になった気持ちで詠めばいいのか。蜜はらむ蕾はかたし蟻の泣く。ダメだ、いまだ修練途上なり。

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2007年5月14日 (月)

ローマで百万人大集会!

いったい何の集会だったと思いますか?
詳しくは少数者尊重が真の民主主義である@世界共和国ブログへ。

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薔薇@音楽が好きです薔薇も愛します

Photo_780 音楽が好きです薔薇も愛します

牡丹は豪奢、人工的に過ぎて敬遠気味なのだけれど、薔薇は人の手が多く加わってはいても牡丹ほど圧倒されないので愛したく思う。「歳なれば棘なき薔薇を愛でにけり」を訂正、少々の棘があっても愛でたい。Photo_781
上の写真はブドリさんが紹介されていたコウシンバラだ。皇居東御苑には他にもサクラバラ(右の写真)、サンショウバラ(右下の写真)が咲いていた。 それぞれに個性と色気と可憐さがある。バラはみんな美しいのである。Photo_782
お陰でバラの品種名を少しは覚えることができた。財産がちょっぴり増えた気分だ。

 手に薔薇の傷いつぱいよ逢ひたかり   矢島 恵
 少年の指の血甘し夜の薔薇        田口一男
 わが病わが診て重し梅雨の薔薇      相馬遷子
 咲き満ちて薔薇の百態疲れけり       高橋桂子

まあしかし「花疲れ」という言葉もあるので何事も節度が肝心だ。いまさら溺れる歳ではあるまいと自戒しておこう。

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葉桜@葉桜や町人国家平和たれ

Photo_779 葉桜や町人国家平和たれ

写真は皇居東御苑吟行時にパレスホテル、丸の内方面を撮ったもの。丸の内は町人国家日本の大企業中枢だ。
改憲反対。日本は町人国家たれ。米日帝国主義(産軍複合体及び金融資本主義)の食い物にされたくない。
葉桜や人生晴れは短くて」だけれども、残り少ない余生を安穏に俺は暮らしたいのである。

 葉ざくらや南良に二日の泊客       蕪村
 葉桜をつくづくいとこはとこかな     長谷川双魚
 葉桜や天守さびしき高さにて      上田五千石
 葉桜や教師目指すと教師の子     依田善昭

ところで「武士道とは死ぬここと見つけたり」で名高い山本常朝「葉隠」だが、これは、松岡正剛によると巷間理解されているような浅薄な「死の哲学」ではなくて「生の哲学」だそうだ。エッセンスだけ引用すると、常朝の多くの語りのなかで、「常住死身」(じょうじゅう・しにみ)という言葉ほど輝くものはない。これはいざというときに死んでみせるという覚悟ではなくて、その前提にあるのは、いつだって死んでいる覚悟が必要だという意味、である。

つまりこれは絶対無(人は日々死して日々生れる)西田哲学と同根の精神だと思う。死んで花見はあるものか。生き通す、生き抜くことに人生の意味はある。だから、相手の人生の意味を押しつぶすこと、すなわち殺す側に回ってはならない。殺すな、逃げよが「葉隠」である。

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2007年5月13日 (日)

今朝の国際情勢→米、北のテロ支援国家解除?

結局、ブッシュさんも金さんも安倍さんもみーんなお友達かもね。

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紫蘭@野のあはれ人のあはれや紫蘭咲く

Photo_777 野のあはれ人のあはれや紫蘭咲く

実は(毎度恥ずかしながら)この花を認識していなかった。紫蘭という名前を知ってあたりを見回してみると、なんとそこら中に咲いているではないか。極めて丈夫な植物で、半日陰から日向まで適応し、乾燥にも過湿にもよく耐え、栽培しやすい事で定評があるとのことだから当然だろう。

 吾知るや雑草園に紫蘭あり         高浜虚子
 紫蘭咲いていささかは岩もあはれなり   北原白秋
 雨を見て眉重くゐる紫蘭かな         岡本 眸
 繋がれし牛のかたへに紫蘭咲く       桜間ひろし

牡丹や薔薇もいいけれど、可憐で哀れな花もいい。牛の傍で咲いて牛の糞が垂れてもいいではないか。それが自然である。

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母の日ついでに父の日の句

Photo_776 母の日や狭間に佇てる娘婿

母の日や母といふ名の風呂に入る
父の日や父といふ名の葡萄食ふ

「娘婿」句と「風呂」・「葡萄」句との取り合わせである。写真は当然にカーネーションとすべきところだが、手元に無い。また、父の日の句もあるのでカーネーションでは一方に偏して具合が悪い。そこで、カノコという品種の薔薇にした。ブドリさんの皇居東御苑薔薇紹介に刺激されて俺も昨日吟行して撮影したものだ。
ここで、バラの品種について薀蓄したいところだが、バラの分類方法は定まったものがなく、以下に示すのは一例(オールドローズ、モダンローズ、イングリッシュローズなど)とのことで俺にはちょっと手が出ない。1091品種を網羅する「棘の王国」をリンクするにとどめておく。

 母の日や働く母のほか知らず     西 美知子
 母の日や子を哭く母が街を行く     及川 貞
 終ひ湯に欠伸して母の日の妻よ    相馬遷子
 母の日や母とは別に妻の愛      富安風生

及川貞は戦争で子をなくされた方だったように記憶している。「ばらが咲く五月よ切に子を惜しむ」の句がある

父の日の例句は別途。今度また父の句を得た時まで置いておこう。

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2007年5月12日 (土)

中国もアメリカもバブル

NYダウ急反発。上海も以前バブル継続中。
その狭間にあって健全に生きようね、日本人諸君。

詳しくは世界共和国ブログ「中国のバブルは破裂するだろうか?」へ。

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初夏@さはさはと初夏の風吹く詩のごとく

Photo_774 さはさはと初夏の風吹く詩のごとく

結句「詩のごとく」がどうかなあ。詩にするにおいて「「詩のごとく」とは自己言及のパラドクスみたいに思うが、いかがなものであろうか。写真は子供の日の笛吹川フルーツ公園吟行で撮影。写真を詩の代用として読まれよ。

 初夏の水蛇口から出るとき裸     和田悟朗
 雲湧いて少し寒うて夏始        大道雄彦
 寿司飯の酢のかがやきて夏初め   伊藤 妙
 新潟の初夏はよろしや佐渡も見え   高浜虚子

上の例句において虚子と現代の俳句との差異が際立っている。「よろしや」と古風で少し遊びめいた言葉使いのせいだろう。初夏の情感を詠いたいという発想が同じでも、手法の差によってこれだけの違いが出るのである。
いずれにしても爽やかな初夏。今日は好天なり。

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山査子の花@メイフラワー我の処女地を拓くべし

Photo_773 メイフラワー我の処女地を拓くべし

西洋サンザシの花が紅く可憐に咲いている。本来のサンザシは中国系で、加味平胃散(かみへいいさん)、啓脾湯(けいひとう)などの漢方方剤に使われるようだ。一方、西洋サンザシはこれとは同属別種とのことでメイフラワーとも呼ばれている。そこで、この季語を使わなくてはと数日念じていたらなんとか句になった。
この記事を書こうとして寺山修司に「処女地」を使った句歌があったなあと思い、探したら見つかった。「一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき」。この歌のどっしりとした重量感に比べたら屁みたいな本句である。本歌取りとも呼べぬ。

例句をと思ったら、サンザシのザにJISに無い字(木査)が使われている。?で代用する。

 山?子の日をうつうつとすごしけり   染谷泉径
 山?子の花の泡立ち四月の喪     すずきりつこ
 花さんざし斧のこだまの消えてなし   神尾久美子
 壷に挿す山?子の花は盗み来し     安住 敦

中国系サンザシと西洋サンザシは花もだいぶ違うようだ。季語としてはメイフラワーを別に立てた方がいいのではないか。
ああ、これでまた冥土に持って行く薀蓄が増えた。これが我が処女地なり。

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2007年5月11日 (金)

またまた別宅建立してしまった。

題して世界共和国ブログ
AFPのニュース・写真を自由に転載できるというのが売りのようなので、どんなものかと思って試しに建立してみた。

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例句の作者訂正

「亀泳ぐ浄土寂土へ時超えて」で引いた例句、「人あまた泳がせて海笑ふなり」の作者は桂信子ではなく鈴木真砂女だった。何かで読んで手元の歳時記に書き込むときに誤ったのだろう。
昨日、長谷川櫂「現代俳句の鑑賞101」を読んでいてたまたまこの句に遭遇したので誤りが判明した。阪神が十連敗免れた御利益ではなかったろうか。

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鈴蘭@鈴蘭やわれにもありし少年期

Photo_772 鈴蘭やわれにもありし少年期

なんか類句がありそうな句ではある。しかしながら俺にとっては唯一の句。鈴蘭の花をちゃんと認識できた記念となったのである。無知悲し鈴蘭の白匂ひ出づ。あ、香をかいでいなかったなあ。

 すずらんのりりりりりりと風に在り    日野草城
 束で持ち鈴蘭の花こぼしゆく       松崎鉄之介
 すずらんの花の丘より鼓笛隊      成田智世子
 鈴蘭に山住みの日々脂粉なし      吉池紅於子

松崎鉄之介がどういう俳人かネット検索したところ、大野林火に師事した人のようでシベリア抑留の苦労も嘗めているようだ。「富貴には遠し年々牡丹見る」の句碑が上野東照宮にあるそうだ。

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棕櫚の花@棕櫚咲くや独立独歩不羈の人

Photo_771 棕櫚咲くや独立独歩不羈の人

たまたま近所の棕櫚を見て花が咲いていることに気づいた。美しくはないけれど醜くもない。しっかりたくましく自己主張して咲いている。

ところで、「不羈」を国語辞典で引くと
〔「羈羈」はしばりつなぐ意〕
(1)自由奔放で束縛しえない・こと(さま)。
「傲慢―なる性は、これを父より貰ひたり/春(藤村)」
(2)才知が人並はずれてすぐれていて、常規では律しきれないこと。
とあった。(1)は(2)の才知に支えられて継続可能となると思う。才知も根気も意欲も無い俺だけれど、世間の片隅でひっそりとささやかな自由を楽しめればそれでいい。そのためには世界が平和であることが不可欠だ。守ろう九条、パレスチナをはじめとする中東に平和を。

 棕櫚咲けば棕櫚咲く頃と思ふかな  後藤夜半
 長じても尚訥弁や棕櫚の花      松崎鉄之介
 棕櫚の花男盛りの香を放つ      渡辺恭子
 本丸の跡に学校棕櫚の花       松村富雄

そういえば昔通った小学校に棕櫚があったなあ。学校には棕櫚を植える決まりでもあるのかもしれない。
花が咲くことを知って棕櫚に味わいを感じるようになった。知識は世界の意味の豊かさに気づかせてくれるのである。

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おまじないが効きました

 雨上がりやうやく出でし夏の月

優勝なんてこれっぽっちも期待しておりません。

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2007年5月10日 (木)

再びおまじない俳句

今のところ2-1で勝っているけれど。

 十連敗早や極楽の麦の秋

永年の阪神ファンはマゾ趣味もあると思う、屹度。

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泳ぎ@亀泳ぐ浄土寂土へ時超えて

Photo_770 亀泳ぐ浄土寂土へ時超えて

亀が泳いでいる姿が面白い。重たい甲羅を短い手足に乗せて懸命に泳いでいる。そうかと思えば泳ぎを止めてぷかんと浮かんでいる。着実に泳いでいればいつかは目的地へ着くだろう、亀さんよ。
写真は近くの公園で撮影したもの。この公園の傍を通るときはいつも亀が見えないだろうかとチェックしている。
ところで、いつも疑問に思うのだが、こういう都会の公園の池の亀の繁殖はどうしているのだろうか。狭い池の中で限られた範囲で繁殖するのは可能なのだろうか。それとも管理者が交配の面倒を見ているのだろうか。

 暗闇の眼玉濡らさず泳ぐなり   鈴木六林男
 愛されずして沖遠く泳ぐなり     藤田湘子
 黒鯛の上ゆるゆると遠泳す     平畑静塔
 人あまた泳がせて海笑ふなり    桂 信子鈴木真砂女

鈴木六林男の句、写生句ではない。「京大俳句」で西東三鬼に師事。昭和一七年、バタアン半島で戦傷し帰還、以後も弾片が体内に残る。という経歴の人で、戦争を時代を一貫して見つめ続けた俳人である。代表作に「遺品あり岩波文庫『阿部一族』」「戦争と畳の上の団扇かな」がある。俳句は静かにしたたかに反戦を詠える詩だと思う。

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初夏@初夏や冥土眺めて甲羅干し

Photo_769 初夏や冥土眺めて甲羅干し

初夏は「はつなつ」と読んでほしい。その響きが好きだ。風は爽やかで空は晴朗、一年で最もいい季節だ。
本句はちょっと抹香くさいけれどいつか行く冥土だから、爽やかな季節にこそ眺めていたい。えっ、見えないってか。そうか、俺にも見えないなア。

 初夏やをとこ不惑の泣きぼくろ    稲垣きくの
 たまさかは夜の街見たし夏初め    富田木歩
 初夏に開く郵便切手ほどの窓     有馬朗人
 銀座首夏どの店の何啖はむや    山崎ひさを

稲垣きくのの句は男の泣きぼくろにじいんと来る。どんな人だろうかと検索してみると、「お若いとき、松竹蒲田撮影所で女優を志すも、撮影所の大船への移転を前にして目的を果たせなかった。強烈な自信に反する挫折、愛と憎しみ、そして、妬心。揺れ動く心の果ての寂寥」に出会った。「滝の音によろけて掴む男の手」他の映画のワンシーンのような句がいくつか引かれているので参考までに一読を。

そういえば山田洋次「キネマの天地」は名画だったなあ。深作欣二「蒲田行進曲」も思い出してしまった。映画館で映画を観ることはもうないだろうけど、テレビでやってくれたら永久保存ダビングするいつもながらのしぶちんである。

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2007年5月 9日 (水)

安倍総理の失言「外交問題化している以上」

靖国供物奉納に関しての昨日の安倍首相の発言を引く。Photo_767

「靖国にかかわることが外交問題化している以上、参拝する、しない、供え物を出した、出さないということは申し上げない。否定も肯定もしない」

なんでこんな不透明な発言を続けるのだろう。外交問題化していなければ肯定するのだろうか。自分の信念から出た行動ならば外交問題化していてもきっぱりと主張すべきことは主張して相手を説得することに力を尽くすべきだろう。
また、個人としての宗教的行為というのならば「内閣総理大臣」の肩書きを外すべきなのに、それもしない。
要するに、やることが姑息で不透明なのだ、安倍ちゃん。

そこでサルコジ新大統領の発言を対比してみよう。

「アメリカの友人たちには、我々とアメリカとの友情を信じてほしい。アメリカがフランスを必要とするとき、フランスはいつもアメリカのすぐそばにい る」しかしその直後、「友人は別々の考え方をすることもある」と補足。そして、地球温暖化への取り組みにおいては、米国に「妨害しない」よう要求した。その うえで、「米国は反対に、温暖化対策を主導しなくてはならない。人類の将来が危機にあるのだから」と述べた。

この彼我の差を読者各位はどのように思われるだろうか。

まずは直球(私は靖国参拝した)。しかし変化球(でもそれは個人としての宗教的行為だ)。そして補足(内閣総理大臣の肩書きを付けたのは、それがわが国における通常の社会的儀礼だからだ。日中は歴史的友人関係だ、だからお互いに相手の文化を尊重しつつ、世界の平和と繁栄のために率直に意見交換したい)。

この程度の発言はして欲しいなあ。
右だ左だという前に、政治家はまず言葉の練達の使い手であるべきだ。どうしても沈黙したいのならば誰もが納得できるその理由を明示して欲しい。「外交問題化している以上」という理由は「外交問題を収拾することができません」と告白しているようなものだ。

男なら(いや女も)まず直球で勝負せよ。マイナー落ちした井川クン。

※写真は「フランス人の威厳やモラル、長所を取り戻し、再び誇りを持てるようにしたい。国民は過去との断絶、変化を選択した」と勝因を分析した上で、「私は改革を全国民と共に行う。団結と博愛の精神の下、変革を進める。誰も置き去りにされることはない」と改革への決意を語るサルコジ新大統領。

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希望は絶望の中から生れる

 八連敗土砂降り梅雨の来りけり

夜明け前が一番暗いのである。

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2007年5月 8日 (火)

連敗脱するか、阪神

3-0で負けてるやんかあ。
今日、負けたら八連敗やぞぉぉぉぉぉぉぉ。

そこでおまじないの一句。

 熱帯夜連敗阪神にあいそ尽き    小寺勇

もうひとつおまじない。勝っても負けても明朝俺が一句、即吟したるわい。

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憲法記念日@憲法記念日なんじゃもんじゃの花の咲く

Photo_765 憲法記念日なんじゃもんじゃの花の咲く

5/4大船吟行で撮影した。
明治時代、東京の青山練兵場(今の明治神宮 
  外苑)の道路沿いにこのなんじゃもんじゃがあり、名前がわからなかったので         
  「何の木じゃ?」とか呼ばれているうちに 
  いつのまにか「なんじゃもんじゃ?」という変わった名前になってしまった
そうである。Photo_766
これでは花の詳細が見えづらいので、部分写真も掲載する。正式名は「ひとつばたご」、一葉のとねりこ、という意味である。ちなみに、土地によっては「くすのき」などもなんじゃもんじゃと呼ばれているが、「ひとつばたご」がなんじゃもんじゃとしては一般的である(と薀蓄できてしまった)。

 憲法の日や雑草と山に居る       熊谷愛子
 憲法記念日何はあれけふうららなり   林 翔

護憲論者清水哲男の増殖する俳句歳時記から例句をリンク付きで引いた。国民投票法案は今国会で成立必至だから、三年後にはいよいよ改憲可能となる。昨日のクローズアップ現代「9条を語れ 憲法は今」によると、現状に閉塞感を抱く若者(例:フリーター31歳、コンビニアルバイトで月収10万円余生活を10年継続中)が現状打破、改憲に期待を寄せているそうだ。情緒的反応で国家主義に傾くことだけは絶対にしないで欲しい。
もっとも、大人たる日経社説も「憲法施行時と比べると、国際社会での日本の存在感は格段に増した。北朝鮮の核開発やミサイルの脅威に直面するなど安全保障環境も激変している」といい加減な改憲理由を挙げている。米ソ冷戦が終結したのに、なんで軍備強化やねん。北(金王朝)は、アメリカの回し者とちゃうやろか。

9条論議は、思想問題(殺す側に回るか否か)であると同時に、政策的問題(最小コストで最大の安全保障を確保する)でもある。改憲は武器購入(迎撃ミサイルがその最たるもの)、軍事力下請け化など米帝国主義(産軍複合体+ウォール街)を利するだけだ。

9条を最大の武器にして目指そう東アジア集団安全保障→世界共和国へ。

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春の虹@春の虹壊れて鳴らぬオルゴール

春の虹壊れて鳴らぬオルゴール

インターネット俳句会での1点句。悪くない出来とは思っていたが、観念操作だけで作ったものなのでこんなものかとも思う。「春昼のすぐに鳴りやむオルゴール」木下夕爾にヒントを得たようにも記憶している。
閑暇あり早期退職春の虹」に続く春の虹の句である。虹を写真に撮りたいなあ。

 青苔や膝の上まで春の虹        一茶
 春の虹旅を夢見る子と仰ぐ      堀口星眠
 春の虹消ゆまでを子と並び立つ   大野林火
 武蔵野の森より森へ春の虹      鈴木花蓑

ほうら見ろ。観念句なんか例句にはひとつも無いだろう、と反省中だ。観念ではなくモノを詠え。

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2007年5月 6日 (日)

チューリップ@明日からまた相場かなチューリップ

Photo_764 明日からまた相場かなチューリップ

写真は大船植物園吟行時のものだ。構図に工夫した(つもりな)ので面白い写真になっている(と思う)。俳句は後付けで付けた。

この連休中にNYが史上最高値を更新中なので日経平均先物シカゴ(CME)も高くなった。よきもあしきも属国日本である。「アメリカの雇用統計発表で下げる株なり属国日本」。チューリップ例句は引き尽くした。

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荷風忌@荷風忌の人の生死のひとりかな

Photo_763 荷風忌の人の生死のひとりかな

永井荷風、1959年4月30日没、享年79歳。
その死に様は「昭和32年市川市に12坪の家を新築し一人住まいしていたが2年後胃潰瘍により急死した。掃除婦も入ることを禁じられていた6畳の居間は蜘蛛の巣だらけで安物の手あぶり火鉢、ほこりまみれの書物が散乱していたという。つねに大金をいれて持ち歩いていたというボストンバッグはまくらもとにあった」とのことだ。
最近、半藤一利「荷風さんの戦後」を読んで面白かったのだが、他方、荷風の生き方を評して「そこにはいっさいの対決がない。そこは最初から「背いた社会の一隅」なのだ。その日々はもともとが「負の日々」なのだ」(松岡正剛)という手厳しい見方もある。まことに、人の値打ち(生死:「しょうじ」と読みたい気分だ)は量り難いものである。

 裏町の黒人霊歌荷風の忌   有馬朗人
 独り身の自由が淋し荷風の忌  山田具代

例句がこれだけしか見つからなかった。荷風は俳人でもあったのだからもう少し見つかってもよさそうなものなのにと思い、「荷風 忌」でググッたら見つかった。 

 荷風忌や韜晦といふ海の縁    征夫

荷風は韜晦がぴったりする人だったのかもしれない。しかしまあ、敬して遠ざけたい、韜晦の人は。

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燕の巣@下町を離れいくとせ燕の巣

Photo_762 下町を離れいくとせ燕の巣

笛吹川フルーツ公園に向かう途中、談合坂SAで休憩。車を降りたら燕が飛んでいる。ほうと思いつつ用を済ませてぼうっとしていたら燕の巣を発見した。巣の下に板を手当てして糞から防護しているのが当然の気配りだ。そこをパチリした。
従って、句は後付けとなり、甘い句となった。燕が飛び交っていた下町の風景を思い出し、それを句にしようとしたものだ。ダウンタウンボーイであった俺の記憶である。

 燕の巣みどりのかげのさしゐたり     大野林火
 温泉の村や家ごとに巣くふ燕        高浜虚子
 巣燕の胸清潔に日本海          迫田白昼子
 住みつきて町医となりぬ燕の巣      北崎珍漢

「下町の生れ育ちや燕の巣」ぐらいでよかったかなあ。いや、下町自体が問題なのかもしれない。手垢がついた言葉だと思ってしまうともう駄目なのだ。

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燕@気がつけばみんな中年初燕

Photo_761 気がつけばみんな中年初燕

初案「気がつけばすでに中年初燕」だったものを「みんな」に改作し、ザマアミロすぐに歳をとるんだぞという気分を表現したつもりだが、伝わっているだろうか。写真は上の記事と同じく談合坂SAだ。糞で汚れていて綺麗ではない。自然に人工を持ち込むとこうなるのである。

さて、例句は「初勝利楽天の星初つばめ」とかぶらないように引こう。

 あそぶともゆくともしらぬ燕かな      去来
 蔵並ぶ裏は燕のかよひ道         凡兆
 大和路の宮もわら屋もつばめ哉     蕪村
 つばくろや人が笛吹く生くるため    秋元不死男

蕪村たちが見た燕と現代の燕とはかなり風景が違うことは間違いないと思う。なにせ、俺の人生においてさえ、子供の頃に見た燕は牛馬車が糞をしながら通った道を飛んでいたのだから。しかしまあ、なにはともあれ燕を見ることができてよかった。

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春時雨@日曜の歌壇俳壇春時雨

Photo_760 日曜の歌壇俳壇春時雨

インターネット俳句会の0点句。意味が伝わらなかったのかなあ、いやいや、パンチに欠けたのかもしれない(動詞を使っていない)。なにせ千句以上の句から選ぶ、選ばれるのだから大変だ。
それはさておき、新聞歌壇俳壇は週末の楽しみだ。そこで昨日の日経俳壇から一句、「春霜や最後の職場最終日」小平・三浦正明。季語の本意が尽くされている秀吟と思う。
春時雨ショパンに別れのワルツあり」で引いた例句を読み直したが、「春時雨」は明るい中に淋しき情感が湧いてくる。今の季節にはもうそぐわないけど、いい季語だ。

 海の音山の音みな春しぐれ     中川宋淵
 雑巾で猫拭く春のしぐれかな    小林清之介
 春驟雨木馬小暗く廻り出す     石田波郷
 春時雨行かぬ集ひに執しをり    安藤富士子

短歌も俳句も結局は悲しみの歌。悲しみに何をトッピングするかが技術(及び季語の働き)なのかもしれない。喜びはひとときの晴れ春時雨。

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海見れば遠き記憶の甦る遺伝子の神生命の連鎖

Photo_759 海見れば遠き記憶の甦る遺伝子の神生命の連鎖

写真は伊豆、大瀬崎の海だ。短歌は旧作、出張で鹿児島に行ったときにバスに揺られていて浮かんだ。遠き記憶になりつつあり。

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2007年5月 5日 (土)

蝶@蝶の夢見果てぬままにバッハ聴く

Photo_757 蝶の夢見果てぬままにバッハ聴く

蝶が撮れたのだ。多分、アゲハチョウと思う(参照→蝶の図鑑)。
場所は大船植物園だ。ここはハンカチの木、ナンジャモンジャの木、ゆきもちそう、など珍しい植物も見られ、半日楽しめた。

俳句は蝶の写真をアップするための必要条件なので、ちょっと無理筋でつくった。「見果てぬまま」はつまらないし、「バッハ聴く」は困ったときのバッハ頼みである。蝶撮れてブログに載せる蝶の夢。写真も句も「初蝶来明日の便りの届きけり」に続く二作目である。

 ほそみとはかるみとは蝶生れけり    久保田万太郎
 蝶々のもの食ふ音の静かさよ       高浜虚子
 初蝶やわが三十の袖袂           石田波郷
 指に棲む蝶放たむとする夕べ       宗田安正

万太郎の句は文学論だろう。そして虚子、この発想の巨人よ。また波郷のロマンチシズム。最後は宗田安正の平明なシュール。どんな人だろうと検索したら「結社を創らず、入らず、独自の句郷に飄々としてお住まいの宗田安正さん、とても気になる俳人です」としていくつか紹介されているページに出会った。「銭湯にカフカ氏からだ洗ひをり」が気に入った。こんな句を俺はつくりたい。

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クローバー@クローバーよくよく見れば美しき

Photo_756 クローバーよくよく見れば美しき

手元の歳時記(角川合本俳句歳時記)に、クローバは苜蓿(もくしゅく、うまごやし)のこととした上で「苜蓿には白花なく、白詰草と呼ばれるオランダゲンゲと混同している」とある。ネット検索してみると、ウマゴヤシという名前で確かに黄色い花が記載されている。これだとクローバとは違うわなあ。つまり、苜蓿とクローバーとは別の草花ということだ。でも手元の歳時記もオランダゲンゲのことを「苜蓿またはクローバと詠んで差支えない」と書いている。はは、なんのこっちゃ。
ちなみに白詰草の由来は、「江戸時代にオランダから輸入されたガラス器の梱包の際に本草が詰め物として使われていたことから「詰草」と呼ばれるようになった」そうだ。また、カタバミ(オキザリス)と間違えらることも少なくないとウィキペディアは書いているけど、そんなことはないだろう。

 スカートをひろくクローバーに広げ坐る    山口青邨
 クローバに青年ならぬ寝型残す        西東三鬼
 クローバに座すスカートの完き円       橋詰沙尋
 苜蓿咲くや未婚の膝小僧           高橋青塢

最後の句の「苜蓿」がクローバーなのかうまごやしなのかは不明。いずれにせよ、「未婚の膝小僧」がうまい。覚えておけばなにかの際に応用できるなア。
しかし薀蓄はさておき、なにはともあれ本句は写真の説明であった。もうこんな句はつくるまじ。俳句はひねるべし。クローバ未婚の膝の美しさ。

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藤@千年の藤の匂へる不思議かな

Photo_758 千年の藤の匂へる不思議かな

調布、国領神社の千年藤である。樹齢伝承千年の藤の一本の老木がこれだけの花を咲かせている。芳香も心地よい。
駐車場が無いので電車で行ったが、国領と早飲み込みしてしまい一駅先まで乗ってしまった。最寄り駅は京王線布田だからお間違いなく。駅への帰路、「カメラをぶら提げていらっしゃるのでお聞きしますが、このあたりにお寺の藤があるそうですが」とおばさんに道を訊かれた。「お寺ではなく神社です」と俺は親切に教えてさしあげた。
駅から歩いて数分、甲州街道沿いにある。4/30撮影。まだ見頃だろう。

美しき恋などせむか藤の花」「藤垂れてこの世に死後のなきごとく」に続く三句目であった。

 針もてばねむたきまぶた藤の雨     杉田久女
 鬱々と男佇たしめ藤白し          野澤節子
 藤はさかり或る遠さより近よらず     細見綾子
 澄みきるまで余生はあらじ藤の花    倉橋羊村

藤を見る視線は女と男とでだいぶ違うように思うのだが、いかがなものであろうか。藤にセクシーな美を見る俺の偏見かもしれないが。  

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権力と権威・強制嫌ひなり努力もせずにまた夏が来る

Photo_754 権力と権威・強制嫌ひなり努力もせずにまた夏が来る

短歌旧作の短歌写真化。昨日、山梨県笛吹川フルーツ公園で無断撮影、失礼しました。元気に逞しく育てよ。

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2007年5月 4日 (金)

夏隣@雄々しくも優しくも富士夏隣

Photo_751 雄々しくも優しくも富士夏隣

写真は山中湖畔に面白いオブジェがあったので、富士と取り合わせて撮影したもの。写真も俳句も取り合わせが基本、取り合わせたモノ同士の調和ないし摩擦の間に詩はあると思うのである。
ところで、写真の右横の俳句テキストがなぜかかすれる。別宅「土曜日の俳句ワールド」ではこのような現象は見られないから、これはココログに原因がある。なんとかしてくれえ、と声だけはあげておこう。

 夏近き吊手拭のそよぎかな      鳴雪
 夏近し葱に水をやりしより      高浜虚子
 樹上より子の脚二本夏隣      林 翔
 夏近し雲取山に雲湧けば      轡田 進

明日は立夏。お、今日は子供の日であったか。

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鯛釣草@人生の午後のお土産鯛釣草

Photo_750 人生の午後のお土産鯛釣草

ブドリさんが以前に記事・写真にされていた鯛釣草。ほう、面白い花があるものだと記憶の隅に置いていたら町田ぼたん園で見つけた。
「華鬘草」「けまん」更には「華鬘牡丹」「藤牡丹」とも呼ぶと「花の歳時記 春」にある。ケシ科とのことだから牡丹とは異なる科目であ るが、なぜか華鬘牡丹などと呼ぶ。だから牡丹と並べて植えることが多いのかもしれない。ついでに、桃紅色の鯛釣草の写真も付けておこう。
Photo_752
 けまん咲く路消えがちに殉教地    桂樟蹊子
 ほとけにも九品の別や華鬘草     清水基吉
 語り歩きにいや遠く来ぬ華鬘草    鳥羽とほる

華鬘というのは花の輪をかたちどった飾り物のことで、寺院のお堂の中を飾るものだそうである。中尊寺金色堂の華鬘の写真が上のリンクにあるので参考まで。今度、中尊寺に行ったらしっかり拝観しよう(忘れていなければ)。

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陽炎@かぎろひて女の乳房来りけり

Photo_749 かぎろひて女の乳房来りけり

没にすべきか否かちょっと迷ったけれど、没にする積極的な理由が見当たらず、また、陽炎の例句を引きたくもあるので生かすことにした。いくつになっても男は男という句だ。
写真はこの句とは独立に面白い被写体だと思い撮っておいたもの。八王子南大沢の市民ホールのロビー喫茶で撮影した。

 何もかもむかしとなりてかぎろへる    久保田万太郎
 うしろより耳朶噛まれゐて陽炎へり     富士真奈美
 かげろふと字にかくやうにかげろへる    富安風生
 陽炎やおもかげに立つ人ひとり      久保田万太郎

晩春である。過ぎゆく春のかげろへる。万太郎はやっぱり俳句の天才である。

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啄木忌@少年の空戻り来よ啄木忌

Photo_753 少年の空戻り来よ啄木忌

インターネット俳句会で1点頂戴したのが嬉しかった。というのも、啄木はわが少年時代の(憧れのとまでは言わないけれど)詩人であり、この句はそんな昔を思う句であるからだ。
今にして思えば、啄木の短歌+中年時のカラオケ修行→日経歌壇投稿短歌(49首入選。ついでに朝日も1首)→ブログ開設/ハイクブログ→写真俳句と一連の流れが形成されているのである。こうしてみると、俺の人生、なかなか首尾一貫しているではないか(誰も言うてくれへんから自分で言う)。

 便所より青空見えて啄木忌       寺山修司 
 いつ消えしわが手のたばこ啄木忌   木下夕爾
 啄木忌いくたび職を替へてもや     安住 敦
 ひとの恋知れども触れず啄木忌      仝

寺山修司はこの「便所より青空」の一句だけで俳句史に名を残すと思う。実は俺の句はこの句を踏まえての本歌取りである。
また、安住敦の転職の句は、結句「替へても貧」だったのを師匠の久保田万太郎が直したことで有名だ。言わぬが花ということである。

石川啄木、1912年4月13日病没、享年27歳。

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2007年5月 3日 (木)

春の月@揺れているあなたと僕と春の月

Photo_748 揺れているあなたと僕と春の月

インターネット俳句会で3点を頂戴した。自分でも、少々自信作であった。読者の想像を働かせるタイプの句だと思っている。このような平明でちょっとシュールな路線を歩みたいのである。3点ぐらいでちょっとエラそうだが。
エラそうついでに月の撮影も少々よくなった。ネット検索して「マニュアルモードで絞りは絞って、速いシャッタースピードで撮ってみました」というのを参考にして昨日の満月を撮ったものである。お恥ずかしい話だがまだ、シャッター速度と絞りと露出の関係、及び、カメラの撮影モード(オート、プログラム、絞り/シャッター速度優先)についてようやく理解・実感しはじめた状態だ。このあたりを理解できたなと思ったら三脚等を購入所存である。

「春の月」の旧作を検索すると「春月ややさしき人の甲斐性なし」「指値して上がるを待てり春の月」が出てきた。恥ずかしげもなくようまあ下らぬ句をと、自戒しきりである。よって例句は自粛とする。

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五月@富士容れて雲も愉しや五月空

Photo_747 富士容れて雲も愉しや五月空

これも4/29伊豆吟行時の写真だ。大瀬崎から戸田を回って戸田峠を経て達磨山高原レストハウス駐車場に車を置いて、少し山歩きしてこの眺望に出会った。富士のなだらかでやさしい山裾を表現できているだろうか。俳句はちょっと無理筋(「愉しや」擬人法)でなんとかひねり出した。つまりは、富士と空と雲の写真である。

 藍々と五月の穂高雲をいづ       飯田蛇笏
 船の上に揺るる大空五月ならん     香西照雄
 暮れ際の紫紺の五月来りけり      森 澄雄
 五月の夜未来ある身の髪匂う     鈴木六林男

やっぱり「愉しや」が浮いているなア。碌に写生も出来ないわが身はかなむ。

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花@花時雨明るく降りて淋しさよ

Photo_746 花時雨明るく降りて淋しさよ

インターネット俳句会に出句して、0点だった。自分では気に入っているんだけどなあ。こういう感情の動きは矢張りひとりよがりなのだろうか。それとも、花時雨以外にモノが示されていないのでつまらないのだろうか。どうも俺は観念的、観念操作好きで困るとは思っている。そこで、例句は虚子の句、一句だけを引いてみる。

 咲き満ちてこぼるゝ花もなかりけり     高浜虚子

何の主観も形容詞も入れず淡々と描写して、それでいて読者に主観が伝わってくる。花のあはれを感じるのだ。俺の句は結句「淋しさよ」が拙かったのか。

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2007年5月 2日 (水)

インターネット句会四月の成績

四月のインターネット句会での獲得ポイントは次の通り。

 少年の空戻り来よ啄木忌          1
 揺れているあなたと僕と春の月       3
 花時雨明るく降りて淋しさよ          0
 春の虹壊れて鳴らぬオルゴール      1
 日曜の歌壇俳壇春時雨           0

前回(初参加)に比べて獲得ポイントは半減。前回と同様に、主観と客観のギャップを認識したのであった。やっぱり俺はひとりよがりなのだ。

選句した句は以下の通り。人情句を選んでいるとあらためて思う。

496 生涯を下町住まひつばくらめ 喜多川 水車
144 ブックカバー新しくして誓子の忌 向後崎 ふみ
149 春月や駅裏の路地知りつくし 木津 二郎
159 姉娘また叱られてゐる四月かな 水谷 よし
497 志ん生の廓噺や夕ぼたん 喜多川 水車

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春惜しむ@春惜しむ上野公園奏楽堂

春惜しむ上野公園奏楽堂

昨日、「愛かたるまあるい地球春惜しむ」で季語が動くなあと少しく欲求不満だった折に、毎日ビデオで観ている「ぴあのピア」を鑑賞していたら、奏楽堂が出てきた。途端に「春惜しむ」とつながって本句となった。実際に現地に訪れたことはまだないが、「奏楽」ということばがいい。どこか典雅な雰囲気がするし、吹奏楽(中学、高校とやっていた)にも通じる。俺にとってはまさに惜春の句だが、普遍性があるかどうかは定かではない。

 あんぱんの葡萄の臍や春惜しむ    三好達治
 惜春のいつ失ひし備忘録        木下夕爾
 窓あけて見ゆる限りの春惜しむ    高田蝶衣
 老いに鞭うつて勤めや春惜む     川上梨屋

三好達治の句は名句、俺はこんな句をつくるようになりたい。最近何度も書いているけれど無内容な句こそが高く広い象徴性を持った名句になると思うからだ。 

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行く春@行く春や鬼も仏もつれもちて

Photo_745 行く春や鬼も仏もつれもちて

「行く春」で一句をと念じていたら、「鬼も仏も」が浮かんだ。そうだなあ、時間だけは万人に平等なのだからと感慨を持って本句となった。写真は少々こじつけである。綺麗に撮れた(と自分では思っている)富士を見せたいだけなのだ(大瀬崎にて撮影)。

 行く春を近江の人と惜しみける       芭蕉
 行く春やおもたき琵琶の抱きごゝろ    蕪村
 ゆく春やさゝやきかはす杖と笠     久保田万太郎
 ゆく春の耳掻き耳になじみけり     久保田万太郎

この四つの句を例句として引きたかった。惜春という濃厚な情感を「行く春」は少し中和させて、尚且つ、しっとりと心を濡らせてくれるのである。とりわけ蕪村の句の象徴性と無内容とが気に入っている。

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著莪の花@この道を行けば極楽著莪の花

Photo_744 この道を行けば極楽著莪の花

著莪の花を認識できるようになってから周辺を見ると結構咲いているではないか。本句の著莪も、朝吟行でつい近くの団地の庭にみかけたものだ。
ところで、本句は前句「やうやくに雨あがりけり著莪の花」よりは著莪の本意にちょっとは近づいているのではないだろうか。極楽と著莪は字面上も親和性があるように勝手に思っているのである。

 紫の斑の仏めく著莪の花          高浜虚子
 著莪叢のとどく木洩れ日濡れてをり   稲畑汀子

著莪の紫の斑(ふ)と花弁の切れ込みとが著莪を忘れられない花にしてくれた。蓮の花より著莪の方が俺にとっては極楽のイメージに近い。そう言えば、「秋の野に曼珠沙華揺る極楽は地上にありと仏陀が笑ふ」という短歌旧作が俺にはあった。

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2007年5月 1日 (火)

五月@深々と碧々と海五月かな

Photo_743 深々と碧々と海五月かな

一昨日(29日)は吟行に絶好の好天。どこに行くか迷ったが、本句を以前から在庫していたので海に行くことにして伊豆に向かった。多摩から富士への抜け道ルートたる道志渓谷沿いに山中湖に出て御殿場東名、沼津で降りて大瀬崎で撮ったのがこの写真だ。 ヨットを取り合わせできたので五月らしくなったと嬉しく思っている。「しんしんと肺碧きまで海のたび」篠原鳳作の影響下にある句であることを正直に告白しておこう。

 うすうすと窓に日のさす五月かな      正岡子規
 子の髪の風に流るる五月来ぬ       大野林火
 ことしまた五月を病みてすこし老ゆ    山口波津女
 五月来て困ってしまう甘納豆        坪内稔典

五月は一年前半のラス前(ラストの前の意味。麻雀用語)。梅雨来る前の晴れ間の季節だ。今年は雨が多いけれど、すこやかに五月来たれり幸ひに。

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春惜しむ@愛語るまるい地球や春惜しむ

Photo_741 愛語るまるい地球や春惜しむ

初案「愛語るまるい地球や春の海」だったが、この写真に春の海はちょっとそぐわないような気がして「春惜しむ」にした。しかし、この季語は動くなあ。それに「愛語る」は作者の俺でさえも「あいごる」ってなんやねんと読んでしまう。そこで、せめてもの改良で「愛かたるまあるい地球春惜しむ」として句集に記録することにした。写真俳句は見せしめとするべくこのまま残しておこう。大瀬崎での無断撮影写真、ゴメンナサイ。

 春惜しみつつ地球儀をまはしけり      長谷川双魚
 パンにバタたつぷりつけて春惜しむ    久保田万太郎
 春惜しむ心と別に命愛し           富安風生
 春惜むすなはち命惜むなり          石塚友二

「春惜しむ」は情感濃厚な季語だ。風生、友二の惜命の句は別にして、このような濃厚な季語はあっさりと詠むべきと反省。反省結果の句を明朝公開の所存である。

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水温む@水ぬるむ山中湖畔富士日和

Photo_740 水ぬるむ山中湖畔富士日和

山中湖からの富士の眺望だ。帰宅してからパソコンで見ると、結構いい写真になっている。これは句を付けねばと「富士日和」とひねって、季語は「水ぬるむ」とした。季語は今の時期にはちょっと遅すぎる感があるが、写真と句にはそれなりにマッチしているから許されよう。「富士日和」はネット検索すると既に先例句(「富士日和土筆摘みては子の篭に」)があった。当然だろうな。
さて、例句を「気ままとは俺のことかや水ぬるむ」とだぶらないように引く。

 しなやかな子の蒙古痣水温む   佐藤鬼房
 水温むやうな顔して山羊の居り   大串 章
 水温むうしろに人のゐるごとし   原子公平
 父の忌を忘れし母や水温む    西澤寿林子

例句を味わうと「水温む」には人事を取り合わせるのが妥当なような気がしてきた。とすれば季語は動くなあ。思案することにしよう。あ、この句こそ「春惜しむ」か。いや「夏隣」か。

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