葉桜@葉桜や町人国家平和たれ
写真は皇居東御苑吟行時にパレスホテル、丸の内方面を撮ったもの。丸の内は町人国家日本の大企業中枢だ。
改憲反対。日本は町人国家たれ。米日帝国主義(産軍複合体及び金融資本主義)の食い物にされたくない。
「葉桜や人生晴れは短くて」だけれども、残り少ない余生を安穏に俺は暮らしたいのである。
葉ざくらや南良に二日の泊客 蕪村
葉桜をつくづくいとこはとこかな 長谷川双魚
葉桜や天守さびしき高さにて 上田五千石
葉桜や教師目指すと教師の子 依田善昭
ところで「武士道とは死ぬここと見つけたり」で名高い山本常朝「葉隠」だが、これは、松岡正剛によると巷間理解されているような浅薄な「死の哲学」ではなくて「生の哲学」だそうだ。エッセンスだけ引用すると、常朝の多くの語りのなかで、「常住死身」(じょうじゅう・しにみ)という言葉ほど輝くものはない。これはいざというときに死んでみせるという覚悟ではなくて、その前提にあるのは、いつだって死んでいる覚悟が必要だという意味、である。
つまりこれは絶対無(人は日々死して日々生れる)西田哲学と同根の精神だと思う。死んで花見はあるものか。生き通す、生き抜くことに人生の意味はある。だから、相手の人生の意味を押しつぶすこと、すなわち殺す側に回ってはならない。殺すな、逃げよが「葉隠」である。
葉桜をつくづくいとこはとこかな 長谷川双魚
葉桜や天守さびしき高さにて 上田五千石
葉桜や教師目指すと教師の子 依田善昭
ところで「武士道とは死ぬここと見つけたり」で名高い山本常朝「葉隠」だが、これは、松岡正剛によると巷間理解されているような浅薄な「死の哲学」ではなくて「生の哲学」だそうだ。エッセンスだけ引用すると、常朝の多くの語りのなかで、「常住死身」(じょうじゅう・しにみ)という言葉ほど輝くものはない。これはいざというときに死んでみせるという覚悟ではなくて、その前提にあるのは、いつだって死んでいる覚悟が必要だという意味、である。
つまりこれは絶対無(人は日々死して日々生れる)西田哲学と同根の精神だと思う。死んで花見はあるものか。生き通す、生き抜くことに人生の意味はある。だから、相手の人生の意味を押しつぶすこと、すなわち殺す側に回ってはならない。殺すな、逃げよが「葉隠」である。
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