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2007年6月

2007年6月30日 (土)

桔梗@晩節の後姿や桔梗咲く

Photo_866 晩節の後姿や桔梗咲く

桔梗は秋の季語だが6~9月にかけて咲くそうだ。花色は鮮やかな青紫が多く、園芸品種には白や桃、八重咲きもあると「花の歳時記   秋」にある。端正な姿が印象的とも記されている。
そこで「晩節」をキーワードにして本句とした。自句「芍薬や晩節汚し人の逝く」を思い出しながら得たものだ。
俺の晩節はたいそうなものではない。(1)生活習慣病にならず、できれば要介護にもならず生を終えたい。(2)相場に溺れない、大損をこかない。(2)はなんとかなるとして(1)は考えてみるに大変なことだ。従って、適度な運動と節酒を晩節の目標としておこう。その先に何があるかはご縁、めぐり合わせの話しである。

 きりきりしやんとしてさく桔梗かな      一茶
 桔梗やまた雨かへす峠口         飯田蛇笏
 桔梗やおのれ惜しめといふことぞ    森 澄雄
 桔梗や男も汚れてはならず       石田波郷

「桔梗」は「きちこう」とも読ませる。上の例句では一茶の句以外は全て「きちこう」と読めば定型に納まる。そして、波郷の句は男も気高くあれということだと理解している。好きな句だ。この句も晩節を詠んでいると我田引水しておこう。

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昼寝@世を辞して薄目で眠る昼寝かな

Photo_865 世を辞して薄目で眠る昼寝かな

鎌倉吟行の際に円覚寺で撮っておいた写真だ。円覚寺の中の帰源院の山門だが、「鎌倉漱石の会」という表札がかかっていた。いま、ネット検索すると、漱石28歳の明治27年15日間ここに滞在したそうだ(神経衰弱に苦しんだ後の参禅だった)。漱石の作品「門」はこの山門をモデルにしているともいう。また、「仏性は白き桔梗にこそあらめ」という漱石の句碑もあるとのことだ。立入り禁止だったので中には入らなかった。いつかまた機会があればと思う。

 大好きな子規と会ひたる昼寝覚     越村蔵
 さみしさの昼寝の腕の置きどころ    上村占魚
 手も足もはづして昼寝したりけり     角 光雄
 喜望峰廻りで戻る昼寝覚         辻美奈子

いつか世を辞する時が来ても、出来れば薄目を開けていたい。いろいろあるけれど、やっぱりこの世が好きだから。この世しか知らないのだから。

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2007年6月29日 (金)

羅@うすものや月光菩薩腰ふかく

Photo_864 うすものや月光菩薩腰ふかく

写真は蓮の花を前景にした薬師寺金堂大講堂だ。この手前に金堂があり、その中に薬師三尊(薬師如来、日光菩薩、月光菩薩)がいらっしゃる。月光菩薩に拝謁して「月光菩薩腰くびれ」が浮かんだ。昨日、句にするべく歳時記をめくり季語「羅」を見つけた。しかし、「腰くびれ」がいまいち、「くびれ腰」はなおさら品が落ちる。そこで、「腰」でこのブログを検索した。「観音の腰のあたりに春蚊出づ」森澄雄が見つかったがこれはあまり参考にならず、「ルノワール女の腰の春深く」浅井慎平に、そうそうこれこれと「腰ふかく」を頂戴したものである。我がブログをかように句作に活用できて一人満悦である。

 羅や人悲します恋をして          鈴木真砂女
 うすもののみえすく嘘をつきにけり   久保田万太郎
 うすものを着て雲のゆくたのしさよ    細見綾子
 生涯を女将に徹し薄衣           鈴木真砂女

ところで「月光菩薩は月の様な清涼をもって衆生の生死煩悩の焦熱から離れるという意味がある」そうだ。「がっこうぼさつ」と読むということをこのウィキペディアで初めて知った。またひとつ賢くなった。あ、これも「生死煩悩の焦熱」であったか。

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泰山木@泰山木リベラル保守の逝きにけり

Photo_863 泰山木リベラル保守の逝きにけり

宮沢喜一元首相が逝去した。メディアの評伝では「一貫して保守リベラルの道を歩む一方、経済政策では積極財政路線を取り、高度経済成長の流れを作った」と紹介されている。
そういえば最近、宮沢元総理の弟子の加藤紘一元幹事長が「保守に基盤を置くリベラル勢力」の結集を呼びかけているらしい。茶々記事を書いてしまったなあと思いつつ朝吟行していたら泰山木の花(まだ咲いている。じわじわっと蕾ごとにゆっくり開くのだ)に出会って本句となった。

 磔像や泰山木は花終んぬ       山口誓子
 十字架の高さ泰山木の花       岬 雪夫
 泰山木咲きしんしんと空の沖     増成栗人
 花のあるうちは風きて泰山木     檜 紀代

俳句写真を始めた今年の最大の成果は泰山木の花だ。この歳になるまでいったい何を見ていたのだろうと恥ずかしく思うくらいである。

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2007年6月27日 (水)

梅雨晴@梅雨晴間音楽を聴く薬師寺に

Photo_861 梅雨晴間音楽を聴く薬師寺に

「凍れる音楽」と評される東塔、何枚も撮影したうちの一枚である。ちょうど梅雨の晴れ間だった。
ところで、俳句はあんまりしっくりとはきていない。なんとか句にしようとこねくり回したせいだろうなあ。俳句も写真も修練、そしていつか自然に身についているようになりたいものだ(無理だろうけど)。

 うれしさや小草影もつ五月晴      正岡子規
 飛騨の子の花いちもんめ梅雨晴間  松崎鉄之介
 美しき五月の晴の日も病みて     日野草城
 昼過ぎの授業にも似て梅雨晴間    田口茉於

「五月晴」って「梅雨晴」のことだったんだ。そうか、「五月闇」に対する「五月晴」か。しかし、今では語感が変化し、五月晴れは黄金週間のころの快晴をさすようになっているとのことだ。これでひとつ賢くなったなあ。

ところで、薬師寺金堂の薬師三尊像は(当然)撮影禁止。リンクして記憶にいつまでも残るようにしておこう。台座もしっかりと拝観してきた。薬師寺は何度もきているが、今回は漫然と拝観はしていない(つもり)。写真と俳句とブログのおかげである。

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潮騒や恋路が浜に兜太の句

Photo_860 潮騒や恋路が浜に兜太の句

関西吟行は、往路は浜名湖、京田辺、復路は伊良湖にそれぞれ一泊した。伊良湖では岬を散歩して一周。途中、恋路が浜で金子兜太の句碑を見つけて本句を得た。兜と恋の取り合わせが面白いと自分では思っている。そして、伊良湖岬の対岸に三島由紀夫Photo_862「潮騒」の舞台とされている神島が見える。この小説、昔読んだけれど(当然)忘却の彼方である。

「潮騒」は季語とはなっていない。だから、本句は無季、従って例句も引けない。代りに金子兜太の句碑の写真を掲載しておこう。

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2007年6月26日 (火)

蓮の花@鑑真の寺にくれなゐ蓮の花

Photo_859 鑑真の寺にくれなゐ蓮の花

先週、関西に所用と吟行。帰途、奈良を通過するので唐招提寺、薬師寺に寄ってきた。仏像は撮影禁止だろうが、建物を撮ることはできるだろうと思ったのだ。
ところが唐招提寺金堂は平成大修理で工場みたいな大きなプレハブですっぽり覆われていて参拝不可。しようがないから境内を散策、緑を楽しんだり会津八一の歌碑を撮影したりしてそれなりに満足した。引き上げる前に休憩所で係りの人と雑談したら本坊前庭の蓮が綺麗だと教えてもらった。通常の順路から外れているので普通、見落とすなあこれは。御仏からの贈り物であった。

 ほのぼのと舟押し出すや蓮の中     夏目漱石
 蓮散華美しきものまた壊る        橋本多佳子
 紅蓮天上をいま櫂の音           九鬼あきゑ
 くれなゐの蓮鑑真のために咲く      津田清子

津田清子の句を知る前に「鑑真の寺」を使おうと決めた。しかし、「くれなゐ」は清子の句から貰ったと言われてもしようがないなあ。ともかくもまあ、この「くれなゐ」が美しい。白よりもなによりも断然に紅蓮がいい。
ちなみに、蜂の巣状の花托に果実が実ることからハチス→ハスという名になったと言われているそうである。だから、俳句でも「はちす」と読ませる場合もある。

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梅雨@朝風呂は老人ばかり走り梅雨

Photo_858 朝風呂は老人ばかり走り梅雨

関西吟行の往路、浜名湖かんざんじ荘で一泊した。ここは、以前、国民宿舎だったものを舘山寺温泉のホテルが市から土地建物を借りて経営しているそうだ。料理は並み、風呂は温泉ならず(舘山寺温泉のホテルまでロープウェーで運んでくれて温泉に入れる)だが、展望が抜群。山の上にあるから写真のように東名と浜名湖SAが一望できる。フリチンで東名道路眺めけり。

 バー飲み屋すしや魚屋梅雨の路地    鈴木真砂女
 梅雨ふかし戦没の子や恋もせで      及川 貞
 ものおもふ竹となりけり梅雨の中      大木あまり
 梅雨続く小錦十人いるような         坪内捻典

今年の梅雨は男性的で短いそうな。男は短く早い方がいいのだ。

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2007年6月25日 (月)

岩煙草@残年に悔ひ一つあり岩煙草

Photo_857 残年に悔ひ一つあり岩煙草

鎌倉東慶寺の岩煙草である。湿った岩壁に生える草だそうで、初めて見た。花言葉は「愛らしい心」で、岩壁に咲くその健気さをなんとか句にしたいと考えて、ようやく「悔ひ」で句となったものだ。花の名は葉が煙草の葉に似ていることに基づくそうだが、煙草の葉そのものを知らないのでそんなものかと思うだけである。

 透きとほる雨後の谺や岩煙草     平子公一
 滴りに濡れにぞ濡れて岩たばこ    瀧 春一
 よべの雨溜めて花あぐ岩煙草     片山志津
 滝川の鳴りこもるあり岩煙草      阿波野青畝

花に憂いがあるように心に悔いもある。湿った岩壁に健気に咲く岩煙草に忘れられない悔いをひとつ見ることができた。だからどうだという訳ではないが。

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五月闇@江ノ島に女横たふ五月闇

Photo_855 江ノ島に女横たふ五月闇

鎌倉吟行の帰途は江ノ島から電車に乗った。写真は江ノ島駅に通じる橋の上で見つけた塑像。これは句にできるなと撮ったものだ。
季節はまだ入梅前だったが、五月闇で句にした。この句には伝えたい主張・思想は無く、ナンセンス俳句と言うべきだろう。

 やはらかきものはくちびる五月闇    日野草城
 かすかにも顔明りあり五月闇       鈴木花蓑
 寄りそへば煙草の匂ふ五月闇      岩瀬典子
 死者のため樹下昼ながら五月闇     鷹羽狩行

例句を読むと五月闇は官能的な季語だと思う。闇だからこそ視覚も嗅覚も触覚も鋭敏になるという理だからだろうか。とすれば、横たわる女の一部に焦点を当てて句にするべきだったか。

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2007年6月20日 (水)

俳句まで手が回らなかった

このところ、前日に写真俳句を公開。翌朝に例句等ぐちゃぐちゃ追記というパターンを採用していたのだが、今朝は相場が気になって、また、別宅3に手がとられて、俳句まで手が回らなかった。

でもインターネット俳句会は忘れずに投句。今月も零点かなあ。俺は実はガラスのハートである。だからランキングとか得点とか株価に鋭敏過敏。夜も眠れぬ思いをしているのだ。

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2007年6月19日 (火)

金美齢、真紀子・総一郎ほかを斬る

金美齢氏の歯に衣着せぬ講演録と人物評-国を憂い、われとわが身を甘やかすの記イザ!が面白かった。金美齢って時々テレビで見かけたことがあるような気がする。
それから、この記事の筆者の産経新聞記者阿比留瑠比 さんは俺の別宅3に思わぬコメントをくれた人だ。お陰で別宅3のアクセス数がぐんと増えた。ありがとうございました。

人間、率直が一番。あ、愚直も忘れずに。

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入梅@しこり玉抱へて相場梅雨に入る

Photo_854 しこり玉抱へて相場梅雨に入る

先週の金利ショックのしこりの一句だ。こう書いている今、NYは下げている。NYと先物で急上昇した相場だからなあ。
今日の午後から遠出の吟行に週末まで出るので、携帯から注文を出せる準備をしておこう。よもやそこまで下げるとは(思いたいけど)思わぬが。

 入梅や蟹かけ歩く大座敷            一茶
 十藥の花まづ梅雨に入りにけり     久保田万太郎
 樹も草もしづかにて梅雨はじまりぬ     日野草城
 身近かなる男の匂ひ雨季きたる       桂 信子

匂いと雨というのもいい取り合わせだ。嗅覚は最も官能的な感覚だと思うが、雨がそれを抑制する効果を持つからだろうか。いつか、使ってみよう。

忘れてた。写真は鎌倉円覚寺にあったヒメツルソバという花。前ボケ、後ボケの工夫ができた自信作(?)である。

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水着@たつぷりと四肢を伸ばして水着来る

Photo_853 たつぷりと四肢を伸ばして水着来る

市営プールでのかなり以前の所見。水着の季節がやってくるまで在庫していたものである。
問題は写真俳句にするための写真であるが、鎌倉円覚寺で撮ったこの写真が俳句と取り合わせがいいのでこれを採用した。絶妙なコラボと自負している(誰も言うてくれへんから自分で言う)。

 無思想の肉が水着をはみ出せる   長谷川櫂
 父と子の水着あゆめり逗子銀座    草間時彦
 恐るおそる水着の妻を一瞥す     田辺博充
 まつはりて美しき藻や海水着      水原秋桜子

櫂の句、酷い句である。この時、相当機嫌が悪かったのではなかろうか。いや、そうではなくて肉体に惚れ惚れしてしまった照れ隠しの一句かもしれない。韜晦もまた俳句の味である。

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2007年6月18日 (月)

若葉@あの頃は切なかりしよ恋若葉

Photo_852 あの頃は切なかりしよ恋若葉

NHK俳句を見ていたら「恋若葉」が浮かんだ。そしたら「切なし」が連想で出てきて本句となった。
安易だ。なんとかしたいと在庫していたけどなんともならなかった。
しかし、写真がまずまず気に入っているので公開することにした。神代植物公園での所見。なんの葉かなあ。柿若葉かなあ、わからぬので恋若葉とした面もある。

 不二ひとつうづみのこして若葉かな      蕪村
 若葉して籠りがちなる書斎かな       夏目漱石
 眉若きをみなはだかや若葉風        室生犀星
 Gパンの膝抜く美学若葉風          水木夏子

蕪村の句、広々として気持ちがいい。中七「うづみのこして」が発見だろうなあ。措辞、モノの言葉のネットワークをどれだけ頭の中に溜めているかが俳句の勝負と思う。そういう意味では、相場が記憶のゲームであることと似ている。自己とは記憶のアイデンティティのことかもしれぬ。

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水馬@水すまし世渡り好きの男かな

Photo_851 水すまし世渡り好きの男かな

インターネット俳句会用に写真と共に在庫していたのだが、別に佳句(と思う)を得たので出庫することにした。
それに、切れ字の重複(「や」と「かな」「けり」の重複))を厳格に嫌う考え方に立つと、本句も上五で切れて下五に「かな」を使っているので好ましくないのかもしれない。
でも、切れ字の重複といっても大抵は上五と下五に切れがあるだけなのだから(例「降る雪や明治は遠くなりにけり」)、なぜ嫌うのかがよくわからない。想像するに、リズムが固定化したワンパターンの句が輩出する事態を避けるための禁則なのだろうか。

 夕暮の小雨に似たり水すまし    正岡子規
 水馬青天井をりんりんと        川端茅舎
 水馬日暮は母が呼びにくる      加藤楸邨
 水馬鳳凰堂をゆるがせる       飴山 實

関東ではミズスマシのことをアメンボと言うそうだが、関西育ちの俺にはまるで実感が湧かない(関東の人にとっては逆のことが言えるだろう)。こどもの頃に水面をすいすい滑るミズスマシを見て、あんな風に滑れたら楽しいだろうなあと思った昆虫だ。
あ、ウィキペディアを見るとミズスマシはアメンボと全く異なる昆虫のようだ(アメンボは6本の脚の先で立ち上がるように浮くのに対し、ミズスマシは水面に腹ばいに浮く。こんなの見たこと無いぞ)。これに従うと関西人の用法は間違い、従って俳句も間違いということになる。しかし、これはオカシイ。生活実感に反している。

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世界共和国ブログ、イザ!で堂々3位

「経済・マネー」で堂々3位。アクセス数も先日は1000/日を越えた。
「右翼的」産経新聞提供サイトで俺のへそまがり左翼記事をそれなりに読んで頂いているようなのが嬉しい。

ちなみに、少数派左翼は俺だけではない。俺のイザ!ソーシャルブックマーク参照。

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2007年6月17日 (日)

花菖蒲@老いてなほ粋にいなせに花菖蒲

Photo_850 老いてなほ粋にいなせに花菖蒲

鎌倉長谷寺の菖蒲である。この菖蒲を見た数日後にたまたまかけていたNHKニュースで堀切菖蒲園からのライブ中継をやっていた。そのときの話によると花菖蒲は江戸時代に江戸主体に改良された品種ということだ。ちなみにウィキペディアには、「江戸系」、「伊勢系」、「肥後系」に分類できるとある。まあそれはともかく、粋に鯔背に老いたいものだ。
そうそう、プール体重が82キロ台に載るようになった。一時は90はあったろうから一年半でそれなりの効果があったといえる。これもスマートに老いて死ぬ(生活習慣病では死なない、要介護には断じてならない)ための努力である。

 はなびらの垂れて静かや花菖蒲     高浜虚子
 紫のさまで濃からず花菖蒲       久保田万太郎
 女傘借りて見てをり花菖蒲        清水基吉
 てぬぐひの如く大きく花菖蒲        岸本尚毅

岸本尚毅の句が一番好きだ。心が湿りを帯びつつ寛やかになる花菖蒲にぴったりと思うからだ。そう、心は乾いてはならない。手拭をいくら絞っても湿りが抜けきれないように。

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夏@千の風千の地蔵や夏の寺

Photo_849 千の風千の地蔵や夏の寺

鎌倉の長谷寺に千地蔵というものがあった。これは絵になるなあと撮影しておいたら、近頃流行りの「千の風」とつながった。下五及び季語をどうしようかと考えたが、平凡に「夏の寺」とした。一応、いのちの句のつもりではある。

 算術の少年しのび泣けり夏          西東三鬼
 あんぱんを落として見るや夏の土      永田耕衣
 この夏を妻得て家にピアノ鳴る        松本たかし
 「日の丸」が顔にまつはり真赤な夏      中村草田男

夏といえば敗戦の夏。戦争を知らないこどもたちである俺にも敗戦の夏のイメージはある。今の若者の皆さんはどうだろう。そういえば、

何度でも言うが、北朝鮮問題は「話し合い」では解決しない。「武力行使」か「金正日の自滅」しか解決策はない。
六者会合に強いて効果を認めるとすれば、将来「武力行使」する際に、「北朝鮮が約束を履行しなかった」という大義名分を提供することだけである。

という主張と今朝、出会った。戦争体験はいつか風化霧消するのだろう。

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2007年6月16日 (土)

金利ショック一週間のおさらい

長期金利は(主として)既発長期(10年物)国債の市場での売買価格の裏返し(つまり利回り)。今回、株式市場を襲ったのは、この長期国債の売買価格が急落(つまり金利は急騰)した金利ショックにある。

きっかけは6/6の市場の予想通りECBの政策金利を0.25%引き上げ4.00%に続く、7日木曜日はニュージーランド準備銀行(BRNZ)がサプライズとなる8.00%への政策金利引き上げだった。
これで6/6夜のNYが下げたがちょうどメージャーSQ前日だった東京は6/7先物主導で強烈に切り返し、6/7ニュージーランドショックを受けて続落のNYを受けて翌6/8金曜日はさすがに持ちこたえられず日経平均 17,779.09(-274.29)円で大引け

週明け6/11は日経平均 17,834.48(+55.36)円6/12日経平均 17,760.91(-73.57)円で引けて、これでなんとか18000近辺はキープできるかと思ったところに、6/12夜のNY大幅下げで6/13水曜日は安値17591まで売り込まれた。俺が悲観論に包まれたのはこの日だったなあ、安値で売りポジションをとってしまったのだ(俺の誕生日の翌日水曜日だったということを覚えておこう)。
ところが、この後の切り返しが見事だった。6/13後場は先物主導で強烈な切り返し、NYの金利高止まり落ち着きもあって結局6/14金曜日には18000まで戻したのである。Photo_51

これで、金利急騰一巡ならば米国金利上昇短期収束説の言う通りだけれど、問題は、今回の金利上昇がアメリカのみならず世界的金利上昇の一環でもあるということだ。昨日の日経夕刊ウォール街ラウンドアップの表現を借りれば「米国の体力を超えて金利が上がるリスクは残る」のである。

まあしかしこのリスクは、数ヶ月後になってようやく現象として現れるかもしれないしそもそも表面化しないかもしれない。来週は売りしこり玉を抱えたままで買いで勝負しよう。上がっても18500が天井だろう、それ以上を要求する実体経済の材料は無い(と思う)のだから。それに参院選自公大敗をまだ相場は織り込んでいないのだから。

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来週の相場はサマーラリー

NYが連騰。これで、上海バブル、NYバブルいずれも潰れた後に落ち着いたことになり所謂アク抜け。月曜にも新高値(18300越え)かもしれぬ。昨日、大引けで先物仕込んでいてよかったあ(安値の売り玉がますますしこる。困った。安倍政権、選挙で負けろ)。
そんなこんなで今朝は俳句どころではなかった。代わりに別宅に記事2本。

参院選の争点は年金、経済政策、将来像だ
そうか、介護報酬が低いのにはそんなウラがあったか

ところで先物、今週の安値の売り建てを反省してトレード鉄則改定。

(1)基本は両建て。しかし、トレンドの上下を見極めて売り買いの上下限を決めてその範囲外ではポジションを取らない。(例)今週上げトレンドでの17600台売り←こんなところで売るなよ。想定外のNY下げで狼狽したにせよ。

(2)その代わり、両建て/スイングの原則はきっちり守る。上下限の範囲内ならば売り買い両方を立てて、翌日どちらに転んでも利が取れるようにする。(例)今週は引け時点の気分/注文取り消し漏れミスでポジション取らなかったため機会損失数度あり。スイングだから、しこり玉は必ず出る。しこり玉をホールドしている間に反対ポジションで利を溜めるのがスイングであることを忘れるな。

(3)ナンピンは極力避けよ。限度ミニ8枚まで。(例)安値でナンピンしてしまった現在ホールドの売り玉12枚。これで大損したあの苦い経験を忘れるな。

以上、相場も人生も原理原則を立てて愚直に、そして、流れに逆らわないのが幸福になるコツである。

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2007年6月14日 (木)

薔薇@友と来てめぐる公園薔薇日和

Photo_848 友と来てめぐる公園薔薇日和

神代植物公園吟行時の写真。彫像が面白かったので薔薇との取り合わせにと思って撮った。俳句は少々苦吟、「薔薇日和」という言葉を使ったらどうだろうと思いついてこの写真を見つつなんとかカッコウはついた(つもり)。男同士の薔薇探索という風景もちょっと面白いなあ。
薔薇の例句は引き尽くしたしので(相場も気になるし)サボることにする。
ちなみに、このところ毎日数本の株日記記事を別宅3に書いている(寄り付き前、前引け後、大引け後)。こんなことしているとまた大損こくかもしれないなあ。

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六月@六月や赤毛氈の人力車

Photo_847 六月や赤毛氈の人力車

鎌倉長谷寺山門前の風景。人力車の緋色の毛氈が印象的だったので、若干の肖像権侵害は申し訳ないが撮らせて頂いた。
中七「緋の毛氈」も考えたが「の」の繰り返しがうるさいので「赤毛氈」とした。また、上五の季語「六月や」は動くような動かないようなよくわからぬ。まあともかく「六月」の句である。

 六月の女坐れる荒筵           石田波郷
 六月の赤き虫とぶ深山寺        秋元不死男 
 六月や読めねど譜面美しき       堤 一巳
 甘納豆六月ごろにはごろついて     坪内捻典

堤一巳の句の発想が面白い。ジューンプライドなる言葉もあるから「美しき」と六月はいい取り合わせだ。とすれば俺の本句も「六月」は動かないと言えよう、と我田引水してみた。

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2007年6月13日 (水)

日本財務省のキャリートレード

先週(6/7)のWBSでモルガンスタンレーのロバート・フェルドマン氏が、現在の円安の理由について面白いことを言っていたので記録しておく。

現在のドル/円レートは円安に過ぎる。その理由は2002年春から2004年春まで4500億ドルという巨額のドル買い(円売り)介入を日本財務省が行ったが、この介入で買ったドルを財務省は売らずに持ち続けている。それを知っている個人投資家はドル安にならないと安心してドルを買える(外貨預金、外国証券買い、外為証拠金取引)。また、財務省は日銀から低利の円を借りて高利のドルを買っていることになるので、いわば財務省がキャリートレードしているようなものだ。
このような財務省キャリートレードとそれを前提にした個人によるドル買いによって成立している不自然な円安(ドル高)はいつか反動が来る。だから、財務省は金利収入によってどんどん積みあがっているドルを、せめて金利分ぐらいは売るべきだ。

フェルドマン氏が言うように、今の円安は不自然なものだ(現在のドル円は85年プラザ合意時と実効レートは同程度だと今朝のモーサテも伝えていた)。そして、上の巨額なドル買いによってもたらされた円安が、中国等BRICS諸国の成長、崩壊したアメリカの住宅バブル等による好景気、いまだ継続している日本の賃金デフレ(例:非正規労働の増大、ネットカフェ難民)とあいまって現在の輸出大企業中心の好況となって2002年当時の破滅寸前の日本経済を救った。財務省に積み上がっているドルはその後始末を迫っているのだ。

アメリカの長期金利急騰で日米ともに株価は調整局面だが、これを切り抜けた後に(あるいは同時に)円高懸念がやってくる。円高は輸入財の実効価格低下を伴い(特に消費者に)メリットをもたらす一方で、輸出企業を直撃する。また、財務省が保有している4500億ドルの資産の目減りをもたらす。
さて、賢明な日本国政府日銀はドル買い介入の跡始末をどのようにつけるだろうか。
マスコミが報じない(国民には難しすぎる)政治経済の大問題点がここにあるのである。

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泰山木の花@地に降りし天女の香りマグノリア

Photo_845 地に降りし天女の香りマグノリア

東慶寺の泰山木は高い位置にあったので撮影しづらかったが、この多摩ニュータウンの泰山木(ようやく咲いた)写しやすいポジションにあり、手にとって香りを嗅ぐこともできた。
まことに高貴な香りと色(なんという白であろうか)とお姿の花であろうか。そしてこの高貴なお姿があっという間に崩れてしまう花である。僕は悲しい、マグノリア。

 壷に咲いて奉書の白さ泰山木     渡辺水巴
 応援歌泰山木は咲かむとす      草深昌子
 昂然と泰山木の花に立つ        高浜虚子
 泰山木ひらき僧の子ひとり遊ぶ    稲垣法城子
Photo_846
泰山木は開く直前の蕾も美しい。まさに応援歌の心意気にさせてくれる蕾だ。こんな花が身近にあるのを俺はこの歳まで知らなかった。裏返して言うと実は人生、心掛け次第で豊かなのである。

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額の花@契りての愛百万遍や額の花

Photo_844 契りての愛百万遍や額の花

ガクアジサイのたくさんの花から京都の地名、百万遍を思いつき、その頭に愛を付け、上五はしばし考慮して「契りて」となった句だ。
「百万遍」の名は交差点の北東に位置する大本山百万遍知恩寺に由来する。元弘元年(1331年)に疫病が大流行したときに、知恩寺の八世善阿空円上人が百万遍念仏を唱えたところ疫病が収まり、後醍醐天皇から百万遍という山号を賜ったと伝えられているそうだ。

 僧恋うて僧の憎しや額の花       橋本多佳子
 あけがたや額の咲くより空ひくゝ     石橋秀野
 屈まずに使ふ靴べら額の花       川崎展宏
 かなしみのはづれより咲く額の花    平井照敏

紫陽花、特に額紫陽花は悲しみの似合う花である。梅雨時に咲くからであろうか、それとも小さな花が多数集まって咲くからであろうか。「かなしみはかたまり易し濃紫陽花」岡田日郎。 

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2007年6月12日 (火)

日本共産党はこんな政党です

たまたまポストに挿し込んであった表題選挙向けチラシ、<「資本主義の先には…」世界にひろがる探究>という項目にある文章をそのまま記録する。

 アジアには「市場経済を通じて社会主義へ」という前人未踏の道をすすむ国があります。貧困人口を4億人減らした中国(1981年~04年)、貧困所帯を58%から20%に減らしたベトナム(94年~04年)  貧困の削減で、世界が注目するめざましい成果をあげています。
 南米大陸では左翼政権がつぎつぎに誕生し、その中から社会主義をめざす動きもおこっています。

やっぱりまだ社会主義の夢が捨てきれないんだよなあ、この人たち。それはよしとしても、目指すべき社会主義の姿として上の文章は中国を挙げているのだろうか。質問すると(例によって)優等生の答えが返ってくるだろう→「私たちは中国の現状を全て肯定しているのではありません。ひとつの例、社会主義への道として紹介しているだけです」なあんてね。

そして、目指すべき社会主義の姿はどうも次のようなものらしい。

 「人間が主人公」の社会へ 国民の合意で一歩一歩 働く人々が主役 私有財産はますます豊かに

オッサン、これでは「美しい国へ」と一緒やんかあ。抽象的な美辞麗句だけ、マルクス主義のかけらも無い。政権を取る気もないくせ(確かな野党)に何が「一歩一歩」や、アホ抜かせ。

せめて左翼の条件(1)反帝国主義(2)自由主義(3)多元主義(4)社会的共通資本の重視ぐらいの具体的スローガンを出せよ、反革命日本共産党同志諸君。

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靖国問題の本質

このところ別宅3(世界共和国ブログ(iza版)-doyoubiイザ!)に熱中。思考回路が異なる方との会話が大変、勉強になる。以下はizaのソーシャルブックマークに書いたブックマーク説明(izaでは字数制限のため一部しか掲載できなかった)である。

栗林中道中将の戦いに関するコラムから話は靖国問題に発展し、コメントさせて頂いたお陰で靖国問題の本質に関して自分なりの理解が進んだ。

提言:靖国神社を参拝したい政治家は肩書き抜きで記帳し私的宗教行為と明言せよ。そうすれば、憲法(政教分離規定)に抵触することもないし、中国等がいちゃもんをつけてきても私人の信教の自由だと突っぱねることができる。
また、これにより、戦犯合祀の件を靖国問題と関連づけて考える必要も無くなる。戦犯合祀を継続するかどうかは私人たる靖国神社が宗教団体として判断すればよいだけのことである。

ほんとうは、軍人のみならず民間人もそして全世界の人も含めて第二次大戦の戦没者を追悼すべきである。作ろう、世界共和国。

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夏木立@膝立てて観音愛語夏木立

Photo_840 膝立てて観音愛語夏木立

今回の鎌倉吟行の最初の目的地は円覚寺。いつも車で素通りするばかりだったが、今回は藤沢→江ノ電→鎌倉→北鎌倉という電車ルートで円覚寺に入った。Photo_841
ゆるやかな斜面をのぼりながら一番奥の黄梅庵まで拝観し方丈まで戻ってくると、この百観音に出会った。江戸時代につくられた観音群であるが、一度荒廃し明治になってから復興されたとの立て札があった。こういうのは俺、興味があるんだなあと何枚か撮影したうちの一枚である。立膝の観音様というのがエロチックで面白い。中尾寿美子の秀句「魂魄のそよりと膝を立てし春」を思い出す。俺も、愛語なる言葉を配合して本句を得た。愛語は色事がらみのコトバではなく仏語であるということは知っていたが、いま検索してみると道元「正法眼蔵」の「愛語といふは、衆生をみるに、まづ慈愛の心をおこし、顧愛の言語をほどこすなりに由来していることを知った。ありがたい言葉である。

ところで、この百観音に魅了されている方がいらっしゃるということもネット検索で知った。「もしかしたら・・・ライフワークになるかもしれない・・・」と呟きながら観音の魅惑的なお姿の写真を公開されている。拝見して励みになった。俺の下手糞な写真なんかよりこちらを是非見て頂きたい。

 塔ばかり見えて東寺は夏木立      一茶
 夏木立幻住庵はなかりけり       正岡子規
 幼年の血のうつくしき夏木立      吉田汀史
 ひろしまや樹齢等しく夏木立      川崎慶子

生命が躍動しつつどこか悲しい夏木立。最後の句は広島被爆を悼む句であろう。

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紫陽花@大仏の横顔美しき七変化

Photo_839 大仏の横顔美しき七変化

鎌倉の大仏であPhoto_842 る。与謝野晶子Photo_843 が「美男におはす」と詠った大仏である。インターネットでどなたかが大仏を、ありきたりの正面からではなくて横から撮られているのを見て俺も真似しようと思って撮った。
撮ったのはいいが公開するためには句をつけねばならぬ。晶子の歌の本歌取りをするのは当然であるが「夏木立」まで頂戴することもない。どうしようかなあと思いつつ歳時記を見ていたら、紫陽花のことを七変化ともいうことを初めて知った。お、これ頂きという経緯を経て本句となった。確かに大仏は美男におはすのである。紫陽花を取り合わせた写真にできればもっとよかったなア。ところで、「美しき」は定型に納めるべく「はしき」と読んで欲しい。

 紫陽花剪るなほ美しきものあらば剪る    津田清子
 あぢさゐの毬より侏儒よ駆けて出よ      篠原鳳作
 あじさいはまるくあつまるたくさんに      山浦明樹
 紫陽花に秋冷いたる信濃かな         杉田久女

もうすぐ梅雨だ。しかし、信濃の山では梅雨過ぎて秋になっても紫陽花が咲いていることだろう。

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2007年6月11日 (月)

紫陽花@鎌倉の海の恋しや濃紫陽花

Photo_837 鎌倉の海の恋しや濃紫陽花

テレビは朝のズームイン!!SUPERを除き、ほとんどビデオ録画で見ている。相場ニュース、音楽、相撲、俳句などだ。そして、テレ東の旅番組も好きで、ビデオに録画して早送りしながら観る。
先日もこうして観ていたら鎌倉長谷寺の紫陽花が海との取り合わせの映像で出てきた。おお、そうか、紫陽花なんかそこらへんにあるけど海との取り合わせはなかなか得られるものではないなあ、と鎌倉吟行を思い立った。そしてなんとか得たのがこの写真(快晴ならもっと海が綺麗のに)、この句(嗚呼、月並)である。

 紫陽花や白よりいでし浅みどり       渡辺水巴
 かなしみはかたまり易し濃紫陽花      岡田日郎
 紫陽花はきつと誰かを隠しゐる       石田郷子
 あぢさゐは散らぬ花なり志士の墓      松家陽子

さすが、鎌倉長谷寺は紫陽花の名所である。斜面に色とりどりの紫陽花そして海といPhoto_838う配合がよく効いているのである。混雑を承知で出かけて、その覚悟に見合うだけの収穫があると思う(俺の場合はこの一枚、この一句。そして短歌旧作の写真短歌)。

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昼寝@幾多郎の昼寝してゐる東慶寺

Photo_836 幾多郎の昼寝してゐる東慶寺

鎌倉吟行は円覚寺→東慶寺→大仏→長谷寺というルートを採って電車・バスを利用した(鎌倉の車の渋滞は堪らぬ)。東慶寺は駆け込み寺という知識しかなく、どんなものかなという程度の興味で訪ねたのみだ。
ところが、泰山木の花が収穫、そしてこの西田幾多郎の墓が次なる収穫だった。そうか、西田は晩年は鎌倉で暮らしたんだなあと思い出した。
写真ではわかりづらいが「寸心居士」と銘が墓に入っている。ネット検索すると、この東慶寺に西田の墓があるのは岩波茂雄の発案だったということがわかった。岩波、西田、安倍能成の三人の墓が並んで「岩波通り」と呼ばれているそうだ。いわゆる岩波文化人のメッカとでも言うべきか。

 あの世へも顔出しにゆく大昼寝     瀧 春一
 天寿とは昼寝の覚めぬ御姿      阿波野青畝
 はるかまで旅してゐたり昼寝覚     森 澄雄
 停年がそこに来てをり昼寝覚      福田蓼汀

ところで、このところ全く哲学していない(読書もしていない)。相場と俳句と写真とブログとテレビで忙しいのだ。そんなところへ幾多郎の墓との出会い。そこでもう一度、わが「西田幾多郎×永井均」を読み返してみた(この記事、結構いまも検索されている)。

「私」は記号世界の中の俺、これに対して<私>は経験世界の中のかけがえの無い俺。そして、そんな<私>(絶対無)に気づくことを「自覚」と西田は名づけたのだ。昼寝から覚めて自覚のわれなりき。

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2007年6月10日 (日)

泰山木の花@泰山木わが手に触るゝ未来あり

Photo_832 泰山木わが手に触るゝ未来あり

朝の定例吟行コースに泰山木の木をだいぶ前に見つけたが、これがなかなか咲かない。おかしいなあ、これは蕾ではないのかなあと思っていたら、昨日、鎌倉東慶寺(駆け込み寺)で花にめぐりあうことができた。
拝観券売り場でお金を払って入ろうとしたら、泰山木の花の写真が置いてあったので「咲いているんですか」と訊くと「もう終わりかけていますが裏手に咲いていますよ」と教えてくれた。その通り咲いていたのだ。馥郁たる清らかな香りもする。ちょっぴり感動して(撮りにくい角度だったので)何回もシャッターを切ったのであった。

 泰山木巨らかに息安らかに       石田波郷
 ロダンの首泰山木は花えたり      角川源義
 あけぼのや泰山木は蝋の花      上田五千石
 泰山木の花晩成を目指せよと      大石香代子

泰山木はあまり馴染みがない花かもしれないが、ブドリさんが詳しく紹介されている。香Photo_834は香水にも使われているそうだ。
ちなみに、本句は以前から在庫していて花が開いたら出庫しようと思っていたものだ。句を得たきっかけについては右の写真を参照。ほんとに蕾かどうか確かめようとしているのである。

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なだらかにつづく坂なり飽かずしてのぼりて行かむアヂサヰの花

Photo_831 なだらかにつづく坂なり飽かずしてのぼりて行かむアヂサヰの花

昨日、鎌倉吟行。長谷寺の紫陽花を得て短歌旧作を写真にすることができた。
シーズン盛りの長谷寺は30分待ちの状態だったが、待ち甲斐はあった。なにごとも飽いたらアカン。人間辛抱である。

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2007年6月 8日 (金)

山法師@山法師人生愚直に生きよの語

Photo_830 山法師人生愚直に生きよの語

花水木(街路樹によくあり)と区別がついてなかった。ネット検索すると「花水木とよく似ているが、咲く時期が花水木より1ヶ月ほど遅いのと、花の先端がとがっている(花水木は丸い)ことから区別できる」とある。 そうか、花季が違うなあと花水木(アメリカ山法師)と見比べた。
この写真は先週の神代植物公園でのもの。 写真(法師がたくさん居るでしょ)も俳句もまずまずと気に入っている。

 山法師雨降山を雲下り来        村山古郷
 西方の雲が明るむ山法師      能村登四郎
 山法師咲いて大きな開拓碑      大橋敦子
 晩年の序の口にして山法師      本宮鼎三

なるほど。山法師という季語の本意は上の例句が示すごとく、鄙びた清楚な花にある。秋に実る赤い実が桑の実に似るので山桑ともいうそうだ。晩年の赤き実なるや山法師。

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虎が雨@楽天に負ける阪神虎が雨

Photo_829 楽天に負ける阪神虎が雨

楽天マー君が「阪神相手に7回133球、8安打を浴びても要所で8三振奪って1失点に抑え、虎退治」一昨日の試合、見たかったなあ。本物の阪神ファンはこのようにマゾヒスティックな喜びにも浸れるのである。愛憎も好悪も全て呑みこんだ上での度量の広さが阪神ファンである。人生の切なさ、世間の冷たさ、おのれの不運その他全ての事象を阪神に見るのである。

ところで、「虎が雨」とは「陰暦5月28日に降る雨。この日は曾我兄弟が討れた日で、それを悲しんだ大磯の遊女虎御前(兄十郎祐成の恋人)の流した涙が雨となったという言われに基づく言葉」(わたしの俳句歳時記)だそうである。これでまたひとつ賢くなった。我が阪神タイガースは完敗してもファンに恩恵を贈ってくれるのだ。

 海女が戸の牡丹ぬるゝ虎が雨     富安風生
 虎が雨あめつち狂ふごとく降る     草村素子
 甲冑の中がまつくら虎が雨       松下康雨

阪神の応援メガホンだけではさみしいので母の遺品の君子蘭を取り合わせて写真とした。後ろに見えるのは愛用のビデオ。このビデオとデジカメが俺の人生の中で最もコストパフォーマンスのいい買い物である。 

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2007年6月 7日 (木)

麒麟草@きりん草午後のテラスに紅茶飲む

Photo_828 きりん草午後のテラスに紅茶飲む

神代植物公園で初めて知った花だ。「きりん草」でネット検索すると出てこず、「麒麟草」で素敵な写真が多く出てきた。俺のこの写真はよく見るとピントがあっていないなあ。
花の名の由来は黄色い花が輪状になって咲くので「黄輪草」とか
麒麟の胸が黄色であることから「麒麟草」とも言われている
そうだ。「花の歳時記 夏」には、古くから傷薬とされたが、「傷薬の草」の意の「傷ノクサ」が転じて「麒麟草」となったとの説が紹介されている。

 霧の中ほの温き日のきりん草       村田 脩
 きりん草虫は光の粒となり         児玉道子
 花麒麟あすから持たぬチョーク箱     淵脇 護

村田脩の句、わたしの俳句歳時記では「ほの温かき」と表記されているが「花の歳時記 夏」では「ほの温き」となって「ぬくき」とルビが振られているのでこちらが正しいだろう。わたしの俳句歳時記にはときおり入力ミスが散見される。

ちなみに、秋の麒麟草というキク科の別の植物があることを付加しておこう。

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青嵐@六十路坂越えて行かむか青嵐

Photo_827 六十路坂越えて行かむか青嵐

都はるみの唄で「四十路坂」なる言葉を使ったのがあったなあと思いつつ、「むそじざか」を使った。
もうすぐ誕生日が来て五十九だ。「滝落ちて群青世界とゞろけり」水原秋桜子の西沢渓谷で青嵐を実感したときの写真である。
そういえば青嵐会なる自民党タカ派グループが昔、あったなあ。

 我生をぬりつぶしたる青嵐       高浜虚子
 濃き墨のかわきやすさよ青嵐     橋本多佳子
 夏嵐机上の白紙飛び尽くす       正岡子規
 なぐさめも男は一語青あらし      山岸治子

虚子の句(俺の偏見だろう)、なんか偉そうなのだ。自民党青嵐会もこんな感じだった。ちなみに「結成から間もなくして、中国に対する強硬論についていけず、山崎拓が中川の度重なる説得にも翻意せず脱会し、それに続いて野田毅綿貫民輔内海英男ら離脱者が相次いだ」とウィキペディアにある。 この頃から日本の政治にとって中国との距離のとり方が難しかったんだなあ。

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2007年6月 6日 (水)

薄暑@テニスボール抛り投げたる薄暑かな

Photo_826 テニスボール抛り投げたる薄暑かな

朝吟行の途中でいつも見かける中学校テニス部の早朝練習だ。テニスボールが宙に浮いているショットが絵になるなあと思いつき、何枚も撮ったうちの一枚、句は後付けでひねった。テニスボールと薄暑の取り合わせにしたが、いまいちパンチは無い(と思う)。季語を掴みきっていないからだろう。

 はんけちのたしなみきよき薄暑かな     久保田万太郎
 あぶらとり一枚もらふ薄暑かな         日野草城
 夜の薄暑チエホフもまた医師なりし       水原春郎
 マヌカンに目鼻なかりき夕薄暑         正木ゆう子

正木ゆう子の句、下五を「薄暑かな」としてもいいのだろうけれど「夕薄暑」として古臭い「かな」を嫌っているようにも見える。俺の本句も「朝薄暑」とした方がいいかなあ。よし、そうしよう。句集にはその形で納めることにする。 

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夏の海@レーダーにわが影映る夏の海

Photo_825 レーダーにわが影映る夏の海

下田吟行時の海上保安庁巡視船のレーダーだ。数日前にこのときののことを想起していて、俺のカメラ姿が反射している写真があったことをふっと思い出した。句は単なるその説明である。真正面から自分の写真をのっけるのは厭だが、この程度なら読者サービス(誰も見たいとは思てへんわい)である。

 百尺の裸岩より夏の海        高浜虚子
 晩年や空気で冷える夏の海     永田耕衣
 夏海へトンネル遠眼鏡のごとく    八木絵馬
 風雲のかがやき折れて夏の海    山口青邨

耕衣の句が面白い。晩年とは「空気で冷える夏の海」のことだったか。即吟「晩年や電池の切れし扇風機」。お、句集に入れておこう。

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2007年6月 5日 (火)

iza:イザ!に夢中!

産経新聞提供サイトで左翼的言辞を弄するのが快感で病みつきになってしもうている。
今日も「反帝、反スタから新左翼の条件へ」を書いたり島田晴雄教授にかみついたりして遊び呆けているわいな。

したがって俳句の時間は朝だけ。ちょっと困ったものだ。

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昭和の日@飢餓知らぬ老人増ゆる昭和の日

Photo_824 飢餓知らぬ老人増ゆる昭和の日

インターネット俳句会零点句「飢餓知らぬ老人の増え昭和の日」を(癪だから)ちょっぴり手直し。説明的だったから点が入らなかったかと思う。そこをちょっとだけ手直ししたつもりだけど焼け石に水であろう。
写真は適当なものが無く昭和→日本→富士の連想を頼りに昭和の日大瀬崎吟行時のものを利用した。
昭和の日はまだ新しい季語なので例句は無しとする。

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芍薬@芍薬や晩節汚し人の逝く