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2007年7月

2007年7月31日 (火)

人生の目的とは

お金持ちになること、
有名になること、
偉くなることを、
人生の目的にしてはいけない

カンブリア宮殿の「社長の名言」総集編で見た言葉だ。ビデオを誤消去してしまったがヤフーブログ検索で見つけて事なきを得てここに記録することができた。『百万分の一の歯車!』 世界一の超極小部品をつくる樹研工業の技と哲学の社長の言葉である。

人生の目的は否定形で語るのが似つかわしい。だって、人それぞれに違うし、もともと目的なんて無いと思っているのもいるのだから、列挙することも一般的肯定的に語ることもできないのだから。

 エロスより出でてエロスに環り来む意味を求めてめぐりし後に

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イザ!大好き

新聞は日経しか読まないけど、イザ!のお陰で「右寄り」の人が何をどう考えているのかが少しわかる。そしてまた、産経らしい(それでいて、らしからぬ)阿比留さんの記事や、山本記者「安倍首相はなぜ空気が読めないか」道丸記者「年金なんてもらえる訳がない」という凡そ産経らしからぬ記者ブログも読めてコメントできて(そして)丁寧にレスしてもらえる。

こんなメディアをタダで利用できるなんてサイコー。ちなみに現在、俺の別宅はランキング73位/5,962人中である。

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2007年7月30日 (月)

今日の一句、久保田万太郎

「何もかもあつけらかんと西日中」は久保田万太郎が受け止めた大東亜戦争敗戦だった。国敗れて山河あり、国家崩壊しても人は生きる。

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2007年7月29日 (日)

共産党、東京で議席喪失

50年ぶりだそうだ。野坂参三以来の議席を失ったということか。

真の対立軸は、国際主義vs国民主義。アメリカ帝国主義が多極化を推進しているのに、反帝国主義の代表であるべき共産党が「確かな野党」などと寝言を唱えているのだからアカンわなあ。

インターナショナルは何処へ行った、共産党。国民国家はいつか死滅する。

でも彼らは負けても「我々は正しい」と言い張るのだからどうしようもない反革命だ。くたばれ、人民の敵。

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2007年7月28日 (土)

アメリカ住宅バブルの終焉

昨日の日経夕刊・ウォール街ラウンドアップ「負のスパイラルへの入り口?」から一部を記録しておく。

住宅価格が下落する中で、米国の個人消費の後ろ盾は急速に上昇してきた株式相場しかない。「株安が続くと、家計は住宅価格の下落に備える余裕を失う」(ドイツ銀行のラボルニャ氏)。国内総生産の75%近くを占める個人消費の失速は、景気後退への道に直結する。
株安で警戒を強める家計はさらに住宅投資をいっそう冷え込ませる恐れが強い。住宅、株式、個人、ファンドをかけめぐる負のスパイラルの導火線に火が付きかけている。

日本のバブルも不動産(特に土地)バブルだった。円高対策のための流動性緩和(カネ余り)が不動産担保の過剰な融資による地上げ横行等、地価上昇を招き、上がった地価が含み資産として囃されて株も上昇。ところが上昇しすぎた不動産・株価格がバブル破裂すると一転、不動産価格下落、不良債権として長い沈滞、デフレ、金融危機など亡国の寸前までいたらしめたのだ。端的に言うと円高対策失政(産業界が円高対策を強く要望)と金融機関の過剰融資がバブルの根本原因だ(端的に整理しすぎて金融機関には申し訳ない)。詳細はウィキペディア「バブル景気」へどうぞ。

これに対してアメリカ住宅バブルはどうか。個人は借金して家を買ってもいずれ不動産が上がって差額が儲かる。金を貸す金融機関は債権を証券化してヘッジファンド等一般投資家に販売してリスクを転化する(ここがバブル時の日本の金融機関との大きな違い)。ところが、景気の過熱が長期金利上昇を招いた(6月の金利ショック)ところで変動利率で借りている個人が破綻顕著化(特にサブプライムローン=不良高利貸付)、証券化した債権は紙くず、そしてヘッジファンドの破綻となって信用収縮、株安というのが現在の構図である。もっと詳しく知りたい人はぐっちーさんへどうぞ。

日本との大きな違いは第一次貸し手である金融機関は証券化によってババを手元から切り離していることだ(野村證券はこのババを今回726億円損切りしたのだろう)。だから、金融機関が不良債権にまみれてばたばたと倒産するような日本的事態には至らない。しかし、転載した日経記事が言うところの「負のスパイラル」をたどってアメリカ経済がリセッション(不景気)に至る可能性はあるし、思わぬところで(噂されているドイツ銀行のように)信用不安が起こる危険性もある。その不安が一昨日昨日のアメリカ株続落にも現れていると思う。さて、どうなることやら。

まとめると、日本は国策(円高対策)と金融機関、アメリカは国策(景気刺激のための過剰流動性、日本の為替介入に伴う資金のアメリカへの還流=円キャリートレード)と不動産ころがし借金個人がバブルの主犯ということだ。

以上、先物を投げるほどの損をこいた悔し紛れで書いてみた。最後まで読んでくれてありがとうございます。

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決断した

以下はNY相場を見ながらの決断である。男なら黙って決断すればいいものをヤフー掲示板に書かなければ気が済まないアホな俺である。

これだけ下げたら逆に下値は固いということだ。だから、日経買いしこり玉を思い切って投げよう。新規まき直しで買いで勝負するために。

俺みたいに考える人が月曜には一杯出てくるんではないかなあ。昨日の終値で先物精算して証拠金不足になって投げざるを得ない人もいるだろうし。ということは、月曜寄り付き後、しかるべきタイミングで売り大口が暴れるな。その後で売り玉を返済することにしよう。

しかし、どうせ投げるんだったら昨日の高値で投げるべきだった。後悔先に立たず。でも、さあ人生やり直しだ。

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2007年7月26日 (木)

日本為替操縦法案

いやあ、昨夜から今朝にかけてはおろおろしたよ。昨夜は欧州相場を見ていたのだが最初のうちはまずまずプラスだったのに九時過ぎぐらいから下げだしてNYが開く頃には真っ赤赤。NYの寄付きを見てやっぱり下げたが途中戻しもあり朝になったら多少は好転かと願いつつ就眠。三時過ぎには起きてしまいネットにつなぐと「米国株、急反落――ダウ311ドル安、ナスダック48ポイント安 信用リスク懸念で」うろたえてしまった。

ここは持久戦。負けない工夫をと考えて、しこり買い玉に対して新規売り建てをぶつけて止血させることを思いついて今日実行。後場の大口売りのお陰で儲けることもできた。

反省は昨日の後場の大口売りで下げた時に上の作戦を実施すべきだったこと。いや、「地球は丸い」ことに思い当たった時点で売り持ちを増やすべきだった。これは肝に銘じて置こう。とにかく先物はやっぱりコワイ。

ところで表題は一昨日のWBSでフェルドマン氏が言っていたことである。為替の潮目が円安から円高に変わりつつあることの傍証として彼はこのような名前の法案が出ていると言っていた。日本の外貨準備高を減らすことを主張している法案だそうだ。ほほう、アメリカはなんとお節介な国だことと感じ入りネット検索したが不明。ところがイザ!で「自国通貨の対ドル相場を過小評価させている外国政府に対し、反ダンピング(不当廉売)関税を活用したり、世界貿易機関に提訴したりすることを視野に置いている」対中為替法案が可決されたと伝えている。対中のみならず日本に対しても財務省キャリートレードの結果の外貨準備を削減することを提訴する法案だな、多分。

このところの株安で外貨準備高削減どころか八月の利上げも無しの可能性が出てきたなあ。日銀は物価の番人だから利上げするべきと俺は思うけど。

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梅雨明@梅雨明けになべて昔を忘れけり

Photo_898 梅雨明けになべて昔を忘れけり

今日は参院選投票日。NYダウ及び東京急落でわが心さだかならず、この記事も写真を掲載しただけの状態が続いていた。
そして、その間に応急止血措置を講じたり、先物しこり玉の投げを決断したりした。とりあえず、わが心さだかになって本句を読み返してみると、おお、今の心境を先取りしていたような句ではないか。そしてまた、サイドバー「今日の一句」の「てんと虫一兵われの死なざりし」安住敦もまた、ひとしお胸に沁みるのである。

 梅雨あけし簾透く灯よ東京よ       久保田万太郎
 庭石に梅雨明けの雷ひびきけり      桂 信子
 梅雨明けや胸先過ぐるものの影      吉田鴻司
 梅雨明けぬ猫が先づ木に駆け登る    相生垣瓜人

関東はまだ梅雨(みたい)、いや、ひょっとしたらなし崩しに明けるのか。じれったい夏だ。
「相場投げ夕刊読めば遠花火」。なかなかやんか、句集に入れておこう。

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2007年7月25日 (水)

地球は丸い(欧州相場に注意)

NY暴落(ダウ▼226.47)。この兆しは昨夜の欧州株先駆下落(日本時間21時には明瞭になりつつあった)から見えていた。「決算への失望や信用リスクへの不透明感が市場心理を冷やしている」とNIKKEIは伝えているがその記事の中の「24日付ウォールストリート・ジャーナル紙が、米投資ファンドによるゼネラル・モーターズ(GM)傘下のアリソン・トランスミッションの買収に必要な資金調達の融資とりまとめが滞っている」との報道が欧州市場に伝わっての先駆下げとなったのだろうか。

世界市場に圧倒的な影響力を持っているのはアメリカだが、時差の関係から言うと、アメリカ→日本を含むアジア→欧州→アメリカというように地球は丸い。欧州はアジア株の結果を受けて且つアメリカの動きも取り入れて市場が動ける位置にある。今回の暴落はこの点を改めて認識させてくれた。

さて、この暴落で世界各国株式は日本を除いてバブルであったことがはっきりした。今日の東京はどのあたりで踏み止まることができるか。東京の下げの程度がアジア→欧州→アメリカという更なる下落の連鎖の有無に影響するのである。
ちなみに、昨日の欧州、アメリカの下落率を記録しておく(参考:米国ヤフー世界のリアル株価)。また、ドル/円は現在120.2円と円高ドル安進行。
イギリス1.90% フランス1.69% ドイツ 1.73% NYダウ1.62% NASDAQ1.89%

1.9%の下落として昨日の日経平均が18000だから17658が欧州アメリカ並みの今日の東京終値ということになる。ちなみにCME日経先物は17745だから下げすぎまだ下げ足りない。先物と現物の差を20円と見て今日の日経先物終値は17680で止まって欧州アメリカ並みである。頑張れ日経。

追記:23日のグリーンスパン「米国への資金流入、永遠には続かない・前FRB議長」も影響しているかもしれない。彼の言っていることは正しく、それに怯える市場がおかしい。しかし、洋の東西を問わず権威に人は弱いのである。

 権力と権威・強制嫌ひなり努力もせずにまた夏が来る

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2007年7月23日 (月)

蜻蛉@結石や蜻蛉つるむ日帰り湯

Photo_897 結石や蜻蛉つるむ日帰り湯

先週金曜日、相場を後半休して所用で外出したが、外出先で腹痛。下腹部が腫れているように痛い。激痛というほどでもないが(痛いのが嫌いな俺にとっては)相当に痛い。昔やった十二指腸潰瘍の時の感覚、なんで俺だけがこんな目に遭うんだという感覚が蘇ってきた。消化器系なのかそれとも尿管結石かなあ、この時間からだと医者も閉まってるしなあと思いつつ所用終了後なんとか帰宅した。
食欲もあまりなく、それでも結石だとするとビールぐらいは飲んでおこうと飲んで少し食べて横になっていると少し安らいだ。とにかく床に就いたが矢張りまだ痛みが収まらぬ。ひょっとしたら消化器系かと思いビオフェルミンを飲んで米国株急落をネットで眺めていると吐き気。トイレでどっともどしてしばらくすると痛みが収まって就寝できた。結局、9時間ほど痛みが継続した。
翌日、痛みはけろっとなくなっていたのだが原因究明するべく行きつけの女医さんのところに診察してもらいに行った。小水を検査すると血尿と蛋白。尿管結石と判明して炎症止めの抗生物質と再発時痛み止めの座薬を処方してくれた。なんでこの俺が結石やねん、老化のせいでしょうかと訊いたら、老化と結石は無関係との返事。できるときにはできるものだそうだ。
以上、見苦しき写真を付けて長々と書いてしかも駄句(翌日行きつけの日帰り湯で休養して得た)が、これも生活記録と堪忍を願う。大激痛を伴う結石でなくてよかった。ちなみにこれを書いている現在(7/25早朝)、NY株は結石の日を上回る大崩落。結石もバブル破裂も起こるときには起こるのである。

 蜻蛉や村なつかしき壁の色       蕪村
 生きて仰ぐ空の高さよ赤蜻蛉     夏目漱石
 蜻蛉の微のまぎれずに秋の天     富安風生
 己が影を踏みもどる児よ夕蜻蛉    富田木歩

結石は自然現象だが相場暴落は社会現象、もっと言うと人の心のなせる業だ。しかし、人の心の究極も自然。自然に予期せぬことはあって当然である。時間も空間も因果律も必然も偶然も無眼耳鼻舌身意無色声香味触法たる事実世界に人間が持ち込んだ概念→記号世界(論理空間)の産物なのだから。

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百合@鬼百合や人生愉し修羅の世も

Photo_896 鬼百合や人生愉し修羅の世も

これも駄句である。鬼百合の鬼から修羅を連想させて中七に「人生愉し」を挟んだあざとい句である。それに、修羅というほどの修羅を作者は経験してないくせにエラソーに「人生愉し」なのである。
思春期、仕事生活、そして中年の修羅、あったと言えばそう言えなくもない。人に迷惑をかけ苦しめた。罪も犯した。しかしまあ、極楽とんぼの人生を享受できている。そうした記憶が俺の固有性(アイデンティティ)の主要な柱の一つであることだけは忘れないようにしたい。だから、認知症にも生活習慣病にもならず介護の世話を受けずに生を全うするのが俺の義務であると思っている。

 くもの糸一すぢよぎる百合の前       高野素十 
 百合の蘂みなりんりんとふるひけり     川端茅舎
 百合咲きていまだ花粉をこぼさざる     細見綾子
 百合の花家ひろびろと香りけり       黒柳昌子

「白百合や出口定めぬ恋をして」よりは本句の方が俗臭が少しは薄らいだか。この臭みを中和ないし昇華させるのが俺の句の課題だとは認識している。上の例句を見よ。

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2007年7月22日 (日)

走馬燈@交はりも水のごとしよ走馬燈

Photo_895 交はりも水のごとしよ走馬燈

泰二さんの句会に出した句。走馬燈では以前につまらぬ句をつくっているので(なんやかやあつたけれども走馬灯)そのリベンジの気持ちもあった。前句よりは言いたいことが明瞭に焦点を結んでいるとは思う。しかし、表現が安易で(いつものごとく)観念的だった。俳句は具体を詠まねばいけない。例えば「同窓会返事も出さず走馬灯」とか、思想(言いたいこと)を具体(物事)で表現するのが俳句だと反省している。

 走馬燈へだてなければ話なし       富安風生
 みな飛んでゆくものばかり走馬燈    下田実花
 走馬灯おろかに七曜めぐりくる     角川源義
 日と月と音なく廻る走馬燈          岩淵喜代子

物事と季語とをつなぐ走馬燈。走馬燈二句一章が俳句なり。こう考えてくると、俳句とは喩であり、喩とは記憶そのもの(走馬燈)であるような気がしてきた。われわれの記憶は脳内の喩のネットワークを追加修正することだからである。観念的な話で恐縮走馬燈。

写真は西沢渓谷の渓流。無理矢理写真俳句にしないと気がすまなくなってしまった。

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夏の海@思ひ出はよきことばかり夏の海

Photo_893 思ひ出はよきことばかり夏の海

これも泰二さんの句会に出した句。主宰からは「季語が大まか」との評を頂戴した。そうか、成程。焦点が定まっていないところが味かなどと思っていたけれど、やはり、大味になってしまって季語を生かしきれていないなあ。つまりは、季語が動くということである(「思ひ出はよきことばかり夏の山」でも本句は成立するということ)。だから、こうした場合、季語を具体的な事物から選ぶとよい。例えば「風鈴やよきことばかり思ひ出は」とするのだろう。
要するに、主張・思想が観念的ならば季語は具体、表現も具体を目指せということだ。拳々服膺言うは易く行うは難し。

夏の海の例句は「レーダーにわが影映る夏の海」「機関銃一挺浮かべ夏の海」でほとんど引いたので、気に入った句を再掲する。

 夏の海水兵ひとり紛失す             渡辺白泉
 戦亡の友いまあがりくるよ夏の浜   三橋敏雄
 乳母車夏の怒涛によこむきに     橋本多佳子
 晩年や空気で冷える夏の海      永田耕衣

耕衣の句は別格だとつくづく思う。なんかようわからんけれど味がある。するめのような句だ。そう思うと、多佳子の句もそれに近いなあ。こういう句は玄人筋の句であって、株で言えば仕手筋、近づけば大損するのである。

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2007年7月20日 (金)

俳句得て相場戦術考へてここに始まるわれの一日よ

Photo_892 俳句得て相場戦術考へてここに始まるわれの一日よ

午前3時から4時の間に起床が基本(六時間眠れば覚めるわが仕掛け検査入院夜明け待ちをり)。
ネットを開いてNY相場の模様を知る。わがブログアクセス状況をチェックする。増俳捻典さんサイトの今日の一句を読む。本宅に今朝の一句を書き込む(俳句尻取り読み込み鍛錬と今名づけた)。ちなみに、今朝の一句は「夏帯や一途といふは美しく」鈴木真砂女。自作の在庫があれば掲載する。

NY相場模様、東京今日の見通しなどを別宅に書く。テレビで音楽を聴き、しばし放心する。アシュケナージN響が最近快調(田園、七番など)。朝食。

朝吟行。首からカメラをぶら下げて30分程度(眼力毎朝鍛錬と今名づけた)。帰宅して、録画しておいたモーサテを観る。朝刊、ネットなど寄り付きへ向けて準備。

という訳で昨日の朝吟行で久しぶりに短歌を得た。買いで二回も取れてまずまずの昨日であった。相場戦術の基本(日経ミニスイングトレードこれであなたも負けられない)については別途掲載の予定。

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2007年7月18日 (水)

祭@祭髪にぎりしめたる五円玉

Photo_890 祭髪にぎりしめたる五円玉

昔の五円は今ならいくらになるかなあ。覚えているのは、五円でお好み焼き(にくてんと呼んでいた)を食べられたことだ。駄菓子屋のお好み焼きだから割り引いて考えても、今の百円、ひょっとしたら二百円になるかもしれない。そんなカネを握り締めてこどもたちは駄菓子屋に走ったのである。

 神田川祭の中をながれけり      久保田万太郎
 路地に生れ路地に育ちし祭髪      菖蒲あや
 祭笛吹くとき男佳かりけり         橋本多佳子
 神輿かつぐ水飲むごとく酒飲みて    橋本美代子

菖蒲あやは極貧の中で育ち俳句に出会った人だ(経歴を検索したが見つからず)。「凩を連れて帰るよひとりの部屋」など、生活感の滲み出た句をつくっている。俺の本句は上の祭髪を頂戴して五円玉を連想したものだ。生活感と詩情というのも忘れてはならぬ取り合わせの基本パターンである。

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水中花@甲斐性なき男はやさし水中花

Photo_889 甲斐性なき男はやさし水中花

この句、正直に告白する。「甲斐性なき男もいとし業平忌」小西和子から頂戴した。ええんかなあ。一応、「やさし」と「水中花」の取り合わせはオリジナリティーだと主張できるけど。本歌取りとか挨拶句という言い方で堪忍してもらうことにしよう。
泰二さんの句会に出句した。通俗的で教訓めいた五月蝿い句ではある。あ、水中花の写真が手元に無いので泰山木で代用した。

 いつはりもいたはりのうち水中花    鷹羽狩行
 水中花大きく咲かせ夫持たず      鷲谷七菜子
 泡ひとつ抱いてはなさぬ水中花     富安風生
 水中花いつまでも咲く子なき家      品川鈴子

俳句は詩である。人生訓ではない。そして一般論ではなく個別具体を詠むものである。ましてや剽窃などもっての他である。こんなことを自戒しつつ一方で、「いつまでも自分に甘し水中花」などを思いつくのだから困ったものだ。このビョーキ、一生治らぬな。      

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2007年7月16日 (月)

梅雨@温暖化少子化劣化日本梅雨

Photo_888 温暖化少子化劣化日本梅雨

日曜日に台風関連のテレビを眺めていたら温暖化という言葉が飛び込んできた。そこから少子化へ連想した。季語をどうしようかと思って日経俳壇を見ると「梅雨の月」の句が二つもあった。しかし、「梅雨の月」より「日本梅雨」の方が面白いと考えて結句を決めた。「劣化」が最後だが、あまり座りがよくない。何か別の言葉はないかしら。

 梅雨の藻よ恋しきものの如く寄る    橋本多佳子
 梅雨荒れて家の中では母荒れて     角谷潤
 さよならと梅雨の車窓に指で書く     長谷川素逝
 青梅雨の母の踏みたるミシンかな    高尾早弓

梅雨の句はだいぶ引いたので趣向を変えて捻典さんのサイトから集中して引いてみた。橋本多佳子の句がいいなあ。梅雨は恋情をたかめる季節でもあるか。

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夢おぼろ強情女に水を打つ

Photo_887 夢おぼろ強情女に水を打つ

季語「打水」でつくってみたくてかなり無理筋でひねった句だ。従って写真も相当に無理筋である。おまけにピントが手にあっていないではないか。しっちゃかめっちゃかだなあ。やはり夢おぼろの句であるか。

 打水の流るる先の生きてをり      上野 泰
 気がつけば冥土に水を打つてゐし   飯島晴子
 迎ふべき人あるごとく水を打つ     塩谷はつ枝
 水打つて夕星ひとつ呼び覚ます     小澤克己

上野泰、飯島晴子の句を引きたいばかりに強情女に水を打ったものである。生死の問題を俳句で読みたい詠みたい。やっぱり俺は観念的やなあ。

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サングラス@止めどなく嘘の出てくるサングラス

Photo_886 止めどなく嘘の出てくるサングラス

つくづく俳句とは連想ゲームのことかと思う。というのも、最近、俳句は取り合わせが基本、そして、取り合わせの面白さは連想の妙ということに気がついたからである。
たとえば一等賞句「たましひをそつと吐き出す蛍かな」にしても、蛍から魂を着想したところで勝負はついていたのである。端的に言うと、季語ともう一つキーワード(この句の場合だと蛍と魂)の距離のとり具合(つかず離れず離れずつかず、出来れば意外性・発見)が俳句なのである。
そこで、連想ゲーム。サングラスから嘘を引っ張り出して本句となった。ついでに嘘と言えば巨匠虚人筒井康隆である。日経もついでにプラスワンしておこう。

 大股になるよサングラスして横浜    川角曽恵
 眼のほかは長所なき顔サングラス   吉村ひさ志
 サングラス似合う八十六の祖父    川端由香里
 サングラスかけてもゐるや癌患者   星野麦丘人

リンク付きの句は捻典さん、清水哲男さんのサイトから引いた。大股も眼も祖父も癌も出てくるサングラスである。

※追記  当初、「止め度」と表記したがこれは間違い。「止め処」が正しいと思い当たったので訂正した。止まる場所がないのであって、度などという量の問題ではないのである。

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巴里祭@珈琲に愛苦く混ぜ巴里祭

Photo_885 珈琲に愛苦く混ぜ巴里祭

今度はパリ祭で連想ゲーム。となると、愛だなあ俺の場合。これには二つのルートがあって一つは花の都→恋愛ルート。もう一つは自由・平等・博愛フランス革命ルート。いずれも到達点は愛ではあるが、はてさて愛とは何か。それがわからぬからコーヒーに愛を混ぜて飲んでみた。飲んでみてもやっぱりわからない。わからないから俳句になった。

 汝が胸の谷間の汗や巴里祭      楠本憲吉
 巴里祭モデルと画家の夫婦老い    中村伸郎
 手の影の皿に大きく巴里祭       桂 信子 
 濡れて来し少女がにほふ巴里祭   能村登四郎

楠本憲吉の句のリンクは是非クリックして頂きたい。「私の前に坐った『みや子』というホステスの大きく開いたドレスにのぞかれる胸の谷間に一筋の汗が流れ、この一句が生まれた」そうである。さすが、なだ万の御曹司である。

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2007年7月15日 (日)

拉致敗戦!

米国務省のマコーマック報道官は14日、北朝鮮から寧辺(ヨンビョン)の核施設を停止したと通報を受けたと発表した。

参院選前に米朝国交正常化などという事態になったらどうする、安倍ちゃん。一週間延ばすのではなかったなあ。

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2007年7月14日 (土)

日本に飛び火?

今朝の日経社説「深刻な米住宅ローン問題の波及を防げ」が興味深かった。というのも、昨日、サブプライムローン損失予想の野村HDを格下げしたドイツ証券と先物大口売りとの関係について風説の流布ではないかと下衆の勘繰りを書いたからだ。

今朝のこの日経社説は野村については全く触れていないが、その代わり、地銀等についてこう、書いている。

金融がグローバル化するなか、日米当局の密接な情報交換は欠かせない。日本の地方金融機関などにもRMBSやCDOに投資したところがあり、経営者は青くなっている。金融庁も再点検を急ぐべきである。

おいおい、「経営者は青くなっている」とまで表現してええんかよお。とはいえ、アメリカの金融機関は債権を証券化して転売し、日本の金融機関がババを引く構図はありえないことではない。頭の片隅に置いて相場を張ろう。

ちなみに、ドイツ証券「風説の流布」の件をストックボイスに投稿したらキャスターの岩本さんに「下げの理由はいろいろありすからね」と軽くあしらわれてしまった。

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百合@白百合や出口定めぬ恋をして

Photo_883 白百合や出口定めぬ恋をして

ご近所で見つけた百合。百合で一句をとうんうん唸って得た。しかし、この句の構造は旧作「湯豆腐や筋の通らぬ恋をして」と同じであることに気づいた。つまりは、類型的類想的な句であるということだ。合掌。

 笹百合の行く方へ行く老いにけり      永田耕衣
 霊歌歌ひ黒人百合をいだき去る      有馬朗人
 たくさんの百合添へて死を頂戴す     正木ゆう子
 ふれもせで百合くづれたり沖縄忌     丹波恵美子

「西洋では百合は早くからキリスト教と深く結びついており、今でも受胎告知の神聖な花として祭壇を飾る」そうである(花の歳時記 夏)。ほほう、と思いネット検索するとレオナルド・ダ・ヴィンチ――「受胎告知」の白百合」に出会った。白百合は純潔の象徴とされていて受胎告知の天使ガブリエルは(雄しべのない)白百合を手にしているのが通例だが、レオナルドのこの絵では、「わざと雄しべを百合の花の中に描い」ていると興味深いことが記されている。ご興味あれば是非クリックを。
お陰で百合に関する薀蓄が一つ増えた。俺は日ごとに賢くなっていくなあ。

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椿の実@百年の片恋覚めず椿の実

Photo_882 百年の片恋覚めず椿の実

恥ずかしながらこの歳になるまで椿の実を意識して見たことがなかった。ところが、俳句と写真のおかげで注意力が格段に向上して散歩の際にも周囲の事物、特に植物に目が行き届くようになった。お陰で椿の実に気づいた次第だ。人生が豊かになった気分である。

 実椿や立つるによわき蜂の針       野坡
 丸めても見たりつらつら椿の実      尾崎紅葉
 椿は実に黒潮は土佐を離れたり    米沢吾亦紅
 箒目の先へ陽の射す椿の実       藤代静枝

手元の角川合本俳句歳時記に椿の実は季語として載っていなかったので、「椿の実 俳句」で検索して「黒潮は土佐」句に出会い、「花の歳時記 秋」で秋の季語であることを確認した。そうだよな、おしなべて植物の実はおおむね秋の季語として扱っていいはずだ。
ちなみに、本句、無季でもいいや、なんとか句にしたいと唸った末に、恋との取り合わせにすればいいと思った結果の句である。子なけれど俳句を得たり椿の実。わっ、ええやん、句集に入れよう。

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2007年7月13日 (金)

昨日の下げは犯罪?

昨日は膠着相場から後場一転急落。このところ上げていた原子力関連銘柄に狼狽売りに乗じた先物大口の驚異的圧倒的売りが原因と思っていたが、野村證券の下げもきっかけのようで、そのきっかけを作ったのは「サブプライムローンの評価損60億円~80億円を計上すると予想」(ドイツ証券)だったと思われる。

とすると、ドイツ証券と先物大口売りとの関係も気になる。あらかじめ仕組んだものだとすると風説の流布とかで犯罪になると思うが、いかがなものか。

昨日の俺の大予想が外れた腹いせの下衆の勘繰りだったらゴメンね。

追記:カブドットコム証券先物ニュース「7月限オプションSQ考察(7月12日建て玉) 」から下衆の勘繰りの傍証だ。(ログインしないと読めないので俺専用の記録)

 メインブローカーの動きとしては、昨日まで買い方上位であったゴールドマンがデルタ、リバーサルともにポジションを縮小。ただ、18000円プットを新規売り越していたカリヨンが買い方上位に浮上してきた。一方、売り方は、立会外でコンバージョンを組んでいたドイツがポジションを拡大させるなど、同社のポジションは他を圧倒している。そのため、明日の構図としては、ドイツの大口売りに対して、ソシエテをはじめとした複数の買い方となる。

昨日のNY大急騰で今日の東京も大反発必至。どうするドイツ証券?武者さん。

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一等賞句の講評

こういう機会は滅多に無いから現代俳句協会のサイトから俺の一等賞句及び上位句の講評をここに記録しておこう。評者は松田ひろむ氏。

類想から離れる(第75回)
今月も新顔と見られる方が上位に増えて、これからますます楽しみです。
前回は「一」の多様の安易さを指摘しましたが、今月はほとんど「一」はありませんでした。こうした互選のネット句会ではいかに類想類句から離れるかを絶えず意識して欲しいと思います。

得点 番号 句 俳号(会員番号)
13 1092 たましひをそつと吐き出す蛍かな 土曜日
「蛍狩して魂を置いてきぬ」(関戸靖子)など蛍のはかなさは魂につながりますが、作者は、その蛍自体を見つめて「たましいをそっと吐き出す」とみたのでしょう。想念よりも写生的な表現を肯定できます。
其子等に捕へられむと母が魂蛍と成りて夜を来たるらし 窪田空穂
蛍を母と見たこの歌は印象的でした。
13 274 すれ違う風も旅人夏帽子 中村 光声
 明るい夏のイメージ、「風も旅人」が爽やかです。そういえば「夏帽子風がめくりぬ旅の顔」(小檜山繁子)も同じ印象でしょうか。
12 482 ペン立てに耳掻き混じる桜桃忌 湖石
 確かにペン立てにはなぜか耳掻きがありますね。それと桜桃忌。そのかすかな違和感のなかに確かな詩情が感じられます。

想念よりも写生的な表現を肯定できます」が有難く嬉しいコメント。俺にとって、写生への道を一歩踏み出せた記念すべき句だと思おう。ありがとうございました。
ちなみに、蛍にちなむ短歌を一首、引いておこう。この歌をウロ覚えていなければ一等賞句は得られなかったかもしれない。相場も俳句も記憶のゲームである。

暗道のわれの歩みにまつはれる蛍ありわれはいかなる河か  前登志夫

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2007年7月12日 (木)

冷酒@ひといろに染まる日本や冷し酒

Photo_881 ひといろに染まる日本や冷し酒

このところイザ!で機嫌よく遊んでいる。産経新聞が運営しているサイトなので右っぽい記事が多いが、それを分析反論批判いちゃもんする楽しみがあるのである。
最近、参考になったのは産経の参院選に関する社説で、これを読んで俺は初めて安倍政権が目指そうとしていることを具体的に把握することができた。つまりは、(1)改憲・国民教育統制強化(2)公務員改革(組合つぶし)(3)日米同盟強化が「美しい国」ということである。
ところで、イザ!の最近の記事で腹が立ったのは、社保庁歴代長官、13人の「言い訳」直撃。ご興味ある方は是非一読をと思うのだが、例の退職金一部返上=寄付問題での歴代長官の実名を上げての対応を批判、悪人・戦犯扱いしたものだ。そして「よくやった実名報道」などとこうした悪人・戦犯扱いを持て囃すのが大方の反応なのも気になる。社会保険庁は「ダラダラ働いている職員」「ゴミ」などと発言した安倍総理を先頭に多数派によるいじめの格好の対象、まさに一億総いじめ大国日本である。

こうした状況と上で述べた安倍政権が目指すところを合わせて考えると、この国はナショナリズム(国民は心を一にして国を盛り上げよう)の方向に動いていると見てよい。今回参院選で多少負けても政界再編などを通じてナショナリズム多数派が更に強化されると俺は見ている。

赤信号みんなで渡れば怖くない、行け行けドンドン世界に冠たる日本人でバブルを起こし崩壊させデフレ崩壊の淵にまで立ったことを多数派はもう忘れかけている(大東亜戦争の敗北も同じ)。多様性こそは健全な民主主義と経済・文化の根源なのに、世の中を一色に染め上げることが興国の道だと多数派は信じているのである。ナショナリズムこそは大東亜戦争敗戦、バブル敗戦と二度に渡った亡国の道なのに。

 冷し酒世に躓きし膝撫ぜて       小林康治
 冷酒に替りしんみりしてきたる     金子孝子
 西荻はときどき雨の冷酒かな     藤田あけ烏
 冷凍酒旅にしあれば妻ものむ     森川暁水

多様性、個性の尊重(憲法13条。国民は皆それぞれの幸福を追求する権利がある)こそは民主主義の祖国アメリカから頂戴したものである。健全な民主主義もときに間違うことが多々あるが、したたかな復元力を有している点が付け焼刃多数派民主主義と異なる点である。どうやらイラク戦争も9月が転換点、米帝国主義はキライだがアメリカは好きな国である。若かったら俺も大リーグに行ったのに。

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大予測、今日の後場は上げ

今日は日銀金融政策決定会合の最終日。金利据え置きは決定的だが問題はその議論の内容である。今回利上げ提案の有無、それに対する賛成の有無が、来月以降の利上げ見通しの観測材料として重要だ。午後、会合の概略(提案・賛成の有無)公表がありそれを受けての総裁記者会見が注視されている。

そこで大予測、今回利上げ提案の有無だが、全員一致金利据え置きが結論と見て円安、株式市場後場は上昇とみる。

なぜなら、先日のバーナンキ講演が日銀に金利抑制示唆したものであるし(ネットのどこかで読んだ。捜したが見当たらず)、実際、ここで来月の日銀利上げ見通し濃厚となればドル安米国株安となって米政府にとっては都合が悪いからだ。結局、属国日本の金利はアメリカの都合(ドル高政策)で決まるのである。つまり、今回の突然のドル安も日銀を揺さぶるための仕掛けだったのだ。

従って、後場に向けて前場の安いところを買って(買えれば)勝負。当たるも八卦、当たらぬも八卦。

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2007年7月11日 (水)

円キャリーの巻き戻し?

昨日からココログ緊急メンテでブログ更新できず。なんかかなりのトラブルがあったのだろう。
そんなことより相場に一大事。円急反発、欧州株式も米国株式も急落。詳しくは別宅に書くが、相場変動の理由、よくわからず。参考までに次の記事を引いておく。

日本の主婦は、プロの投資家の逆張りをすることで、ここまで利益を上げてきたと、西村審議委員は指摘している。家計の外貨建て資産への投資拡大が円安を加速し、外貨資産の収益率が上昇した。家計の逆張り戦術によって、為替市場の変動が縮小したので逆張り戦術は成功し易くなった。しかし実質実効為替レートの動きは、大幅な円高のマグマが地下にたまっていることを示唆している。果たしてマグマが噴出するような大きなショックが発生した時に、日本の主婦をはじめとした投資家たちはうまく対応できるだろうか?

折りしも今日から日銀金融政策決定会合。利上げは来月というのが大方の読みなのだが、円安/輸入インフレ懸念から今回利上げ提案する委員の有無が焦点だった。市場が先回りして円高にした格好だけど、日銀どうする?そして、日本の主婦は敢然と逆張りしてくるか?

俺的には売りしこり玉を持っていたので株急落は大歓迎(ゴメン、多数派諸氏)。堅実に刈り取りたい。

※そんなこんなで下の俳句記事2本、追加書き込みできず。今日、夕方かな。

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2007年7月 9日 (月)

梅雨@相場板眺めて無為に梅雨の底

Photo_880 相場板眺めて無為に梅雨の底

「相場板」というのは株式相場の売りと買いの指値ごとに注文状況と約定結果が見えるようにしてある一覧表である。先物取引を復活させて、このところ日中(9時から11時、12時半から15時)はずっとこの相場板を眺めている。自分ながら無為な時間を過ごしているなあと思わぬ訳でもない。まあ、パチンコよりましかと思ったりもする。そこで、「無為徒食それが自然や合歓の花」などという句を得たりもするのである。
写真は薬師寺の白蓮。薄紅の蓮もいいが白蓮もいい。

 ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき      桂 信子
 月のもの代る代るに梅雨家族          草村素子
 学成らずもんじゃ焼いてる梅雨の路地     小沢信男
 一人猪口ふくみて梅雨にたへにけり     久保田万太郎

女も男も梅雨は鬱陶しい(この字、手書きでは書けないが気分がよく出ていて好き)。しかし、梅雨が無ければ、あの眩いばかりの盛夏も無いのである。四季のある惑星人よ夏旺ん。

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お花畑@男盛りとうに過ぎたりお花畑

Photo_879 男盛りとうに過ぎたりお花畑

「お花畑」は夏の季語、でわたしの俳句歳時記には「盛夏、高山や高原地帯ではいろいろな高山植物の花が一時に開花し登山者を和ませてくれる。高山植物の大群生を「お花畑」と呼び、白馬・槍・五色ヶ原などのお花畑が有名である」とあるから、どこかの山の写真があればよかったのだが、ダリアの紅白の花で代用した。本句からすると歌舞伎町あたりのネオンの花でも面白い。まだ、男盛りの気分で本句を得たのではあるが。

 大空に長き能登ありお花畑      阿波野青畝
 お花畑郵便局の横手より       本田一杉
 空へ消えゆく人を見てお花畑     加藤三七子
 お花畑雲歳月を押し戻し        福田蓼汀

「雲歳月を押し戻し」が面白い。時間だけは金持ちも貧乏人も平等に経過し不可逆なのだが、ひょっとしたら雲が押し戻してくれるのかもしれない。
ちなみに、「時間 空間」でこのブログを検索したら「知覚:私の中の座標軸(時間・空間)が世界を分節する」(経験の構造について)などと一丁前の理屈を俺は書いていた。純粋経験(色を見、音を聞く刹那)には時間は無い、知覚が時間・空間という座標軸で世界を分節するということを言いたいようだ。そんな屁理屈の如何によらず俺は老いていつか死ぬのだけれど。

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2007年7月 8日 (日)

虹@とろとろと虹を追ひかけ還暦に

Photo_878 とろとろと虹を追ひかけ還暦に

まだ還暦ではないけど(還暦一歩前)下五に納めるためにやむを得ず還暦になってしまった。
写真も、虹は撮れそうにないから朝の太陽に照らされて光る葉にした。
こんな風に言い訳ばかりの一生だったなあ。やだやだ。こんな人生、嫌だ厭だ。

 身を反らしいつかは渡る虹の橋      中村苑子
 虹の橋この世のいづこにも触れず     和田知子
 虹自身時間はありと思いけり        阿部青蛙
 いづくにも虹のかけらを拾ひ得ず     山口誓子

上のような例句を読むと、俳句はまるごと比喩だと思う。虹という現象を記号化することで実は虹以外の何かを象徴しているのだ。そんな目で例えば誓子の句を見ると、この「虹」は何を指しているのだろうかと面白くなってくる。虹の中虹に気づかず眠りをり。

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薔薇@ケネディも薔薇となりたる植物園

Photo_877 ケネディも薔薇となりたる植物園

ちょっと在庫に詰まってきたので、神代植物公園吟行時のぱっとしない句を引っ張り出してきた。
写真はジョン・F・ケネディという名前の薔薇。名前が似つかわしくないと思うけど、ネーミングは品種改良者の特権なのだろう。馥郁とした白薔薇である。でも、泰山木のあの白には及ばないなあと思ったりする。

例句をと思い、自分のブログを「薔薇」で検索したら駄句をいっぱい作っているではないか。嫌になり面倒になって、例句を引くのは止めた。薔薇数多しあはせばかり棘ばかり。

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2007年7月 7日 (土)

星に願いを(世界共和国へ)

最近、BS録画した映画を相場板を眺めながら見ることが多い。あんまり映画に集中できないから、ストーリーの理解もいい加減で終わってしまうが、そんな程度で済む映画も多いから(例:「夜の豹」シナトラ)相場ながら視聴がBS録画消化にもってこいなのだ。

ところが、今日、ながら視聴ではなくまともに観た「宋家の三姉妹」は見応えがあった。西安事件(抗日統一のきっかけとなった蒋介石軟禁事件)をクライマックスに設定した歴史ドラマで、原作もある。もう少し、人間ドラマとして掘り下げがあると(例:次女・慶齢は何故容共に傾いたか)もっと楽しめたと思うのだが、まあ、こんなものだろう。

ところで、この映画は97年製作、香港資本となんとフジテレビの共同出資である。映画の内容がわりと容共的、しかも「日本軍は残虐の限りを尽くした」などというナレーションもあるのに、よくフジテレビが出資したと思う。今だったら出資はしないなあ、多分。
ともあれ、この映画、中国現代史に興味を持つきっかけにはなる。親日反中の皆様にお勧めだ。

閑話休題、香港返還から10年。媚中などという言葉は十年前にあったろうか。この十年で開いた日本と中国との距離を思うとちょっと悲しくなる俺である。一国二制度、少なくとも香港程度には民主化された大陸中国(含む台湾統一)がいつか実現し、日中米(ロシアも統一朝鮮も含む)相互平和条約が出来ますように、七夕の祈りである。

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2007年7月 6日 (金)

夏大根@夏大根料理上手な夫とゐて

Photo_876 夏大根料理上手な夫とゐて

全くの虚構の句である。何がきっかけだったか忘れたが「料理上手な夫」というフレーズが浮かんで、季語「夏大根」と結合すれば面白い取り合わせだと思い本句となった。ちなみに夏大根は「小振で辛みが強く味は劣るが、早い収穫で重宝がられる」とわたしの俳句歳時記にある。
写真は墨田の花火なるガクアジサイ。全くの虚構の句だから、この粋な江戸情緒の花の写真にした。鎌倉長谷寺で撮影

 ざつくりと夏大根を煮て日ぐれ     小檜山繁子
 夏大根かりりと噛んで浅酌す      栗生純夫
 ふるさとに父訪ふは稀れ夏大根    池上浩山人
 夏の大根おろしが辛く主張せり     大石悦子

言い忘れていた。本句、インターネット俳句会の零点句。味が劣るのか、夏大根と同様に。

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夾竹桃@さみしさも下町育ち夾竹桃

Photo_875 さみしさも下町育ち夾竹桃

夾竹桃がだいぶ前から咲き出している。写真のような紅もいいけど白もいい。可憐で健気で切ないのだ。
ところで、夾竹桃の写真も撮ってはいたが、なかなか句を得られず、昨日、相場の合間に丹田に力を込めたら本句となつた。しかし、「下町育ち」という演歌があったなあ。まことにイカンである。

 夾竹桃しんかんたるに人をにくむ     加藤楸邨
 大阪の埃なつかし夾竹桃           西本一郎
 歯を抜きてちから抜けたり夾竹桃     角川照子
 夾竹桃さかなさみしき貌をして       宮坂静生

例句を味わって夾竹桃の本意を少しは理解したろうか。夾竹桃今日も続ける曇り空。

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2007年7月 5日 (木)

プール@老いてなほマッチョもをりぬ市営プール

Photo_874 老いてなほマッチョもをりぬ市営プール

一昨年12月に始めたプール通いがまだ続いている。おかげで体重は83キロ前後まで落ちた(一時は90あったかもしれない)。根性はないけど根気はあるぞ、と密かに胸を張っている。
写真は円覚寺庫裏近くの山門の彫り物を撮っておいたもの。プールで見かけた老マッチョの代用として掲載した。

 ピストルがプールの硬き面にひびき     山口誓子
 プールの昼餉腹と胸とで呼吸しつつ    中村草田男
 夜の辻のにほひてどこかプールあり    能村登四郎
 濡れぬ椅子一脚もなきプールの夜     阿波野青畝

山口誓子の句は新興俳句の先駆けとなった都会的新感覚の句だ。競泳開始前の緊張感を「硬き面」で表現しているのだろうなあ。通常の感覚(水は滑らか等)との違和感も狙っているのだろう。こういう叙情の表現手法があることも知っておこう。よう使わんけれど。

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半夏生@えごの実のつぶつぶ垂るゝ半夏生

Photo_873 えごの実のつぶつぶ垂るゝ半夏生

写真と俳句のおかげで生きものに注意が向くようになった。朝のウォーキングでも今まで目にも留めなかったように気づくようになった。写真はえごの実。花をたくさん下向きにつけて馥郁たる香りをもたらす木の実である。あの花にしてこの実あり。生きものに触れて発見する喜びをこの歳になってようやく俺は知ったのである。

 起きぬけの顔の白しや半夏生     舘岡沙緻
 おとろへていよよ狷介半夏生       富田直治
 ぼんやりと亀の浮きたる半夏かな   村井美意子
 病室に降る煤のあり半夏生       石田波郷

半夏生なんて言葉、俳句に接しないと出会わなかったろう。かつては夏至から数えて11日目としていたが、現在では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日となっている。毎年7月2日頃にあたるそうだ。また、ドグダミ科でこの名を持つ植物もある(半化粧から来ているとの説あり)。更に、カラスビシャクという漢方薬になる植物の別名が半夏である。ややこしいなあ。
でも、梅雨の季節のこの頃を梅雨ではなく半夏生または半夏とするのは気分がよく似合っている。また使ってみよう。

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2007年7月 4日 (水)

さくらんぼ@さくらんぼ自称悪女と寝ねにけり

Photo_872 さくらんぼ自称悪女と寝ねにけり

インターネット俳句会零点句。「自称悪女」が面白いのではないかと思っていたが、市場には受け入れられなかった。若干の実感もあるのだが、やっぱり伝わらないか。ひとりよがりだったのだなあ。
そこでいじけてしまい、写真も素直にさくらんぼではなく観音様にお出ましを願った。円覚寺の百観音のうちの一つである。観音様の慈悲にすがって生きるとしよう。

 恋人はめんどうな人さくらんぼ        畑 耕一
 この恋よおもひきるべきさくらんぼ    久保田万太郎
 家にゐることがいちばんさくらんぼ     飯島晴子
 わからぬ句されど好きな句さくらんぼ    田中裕明

さくらんぼの自句では「さくらんぼ我が性欲も衰へし」よりも本句の方が面白い(と思う)。軽味と色気がある使い甲斐がある季語だ。さくらんぼ粋に暮らして軽く死ね。

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薄暑@詩心の痩せてかなしき夕薄暑

Photo_871 詩心の痩せてかなしき夕薄暑

これもインターネット俳句会零点句。俳句ができないなあと溜息と共に浮かんだ句だけれども、共感を呼べなかったようだ。詩心と薄暑とは面白い取り合わせと思うのだが。
写真は鎌倉東慶寺の山門。この山門を潜ったところに出札所があり、その裏に泰山木を見つけて感動したのだった。我が多摩ニュータウンのあちこちに泰山木が咲くのを知る前であった。

 みちのくの旅に覚えし薄暑かな      高浜虚子
 椅子の背のことさら高き薄暑かな    久保田万太郎
 海へただ薄暑の地図を諳んずる     加藤楸邨
 考ふることもまぶしき薄暑となる      細見綾子

テニスボール抛り投げたる薄暑かな」に続き二句目。本句の方が面白い。俺は着実に進歩している(誰も言うてくれへんから自分で言う)。薄暑過ぎ相場の損を数へをり。

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2007年7月 3日 (火)

蛍@たましひをそつと吐き出す蛍かな

Photo_870 たましひをそつと吐き出す蛍かな

インターネット俳句会で13点を頂戴し一等賞となった句。悪くはないなと思いながら投句したけれど、まさか一等賞とは思いもよらなかった。
本句の背景には「魂魄のそよりと膝を立てし春」中尾寿美子と「茄子焼いて冷やしてたましいの話」池田澄子とがある。そして、更に言うと俺の三つの世界論(世間、社会、魂)がある。要するに、魂という言葉が俺は好きだということだ。

 人のうへやがてわがうへ蛍とぶ     久保田万太郎
 ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜     桂 信子
 死なうかと囁かれしは蛍の夜        鈴木真砂女
 蛍の夜老い放題に老いんとす        飯島晴子

写真は鎌倉吟行の際に知った未央柳(びようやなぎ)。円覚寺に咲いていたのでたまたま隣に居たおばさんに訊いたら名前を教えてくれた。
中国名「金糸桃」「金糸海棠」。「美容柳」とも呼ばれるが花が美しく葉が柳に似ていることによる。「未央柳」と書くのは、中国長安の「未央宮」にあった柳に基づくという。「そのかみの貴公子なりき未央柳」中西舗土という句がある。以上、「花の歳時記 夏」による。

いつか未央柳で一句と思いつつ写真を在庫していたが作れそうにもないし、蛍の写真も撮れそうにないので、(何の関係も無いけれど)本句でこの写真を使った。魂といのちが好きな蛍かな。

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泰山木の花@朽ちてゆく泰山木の花しづか

Photo_869 朽ちてゆく泰山木の花しづか

これもインターネット俳句会に出した句だ。自分ではちょっと気に入っていたところ、幸い、一点を頂戴した(採ってくれた方、感謝です。あなたは目が高い)。
花はみんな汚く朽ちるのだが、泰山木の場合、花が大きいから目立つ。それを「しづか」という言葉を得て、しかも「泰山木の花」ときっちり詠み込んで「花しづか」と結句と出来たのが自分で気に入っている点である。例句は(泰山木は散々引いたので)二句だけ。

 泰山木の花より上に妣(はは)の国   木村日出夫
 泰山木咲きしんしんと空の沖       増成栗人

泰山木のあの清冽な白が朽ちればこのような色になる。それが自然(循環)の事実なのだが、その事実を人は記号化した上で価値付けするのである。これを称して、事実世界⇔記号世界(論理空間)⇔価値世界の三層構造と俺は呼んでいる。そして、俳句における写生とは、事実世界を記号世界に写像し、そこに価値(例えばあはれ、をかし)を映し出そうとする営みのことである。ちっとは俺も写生が出来るようになったか。

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また、俳句まで手が回らなかった

米国株大幅上昇のショック安倍ちゃんに代っての選挙アピール作成で忙しかったのだ。
最新二句(下の記事)について云々・例句追加を今日中には書く所存。

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2007年7月 2日 (月)

五月雨@五月雨の残生照らす灯台よ

Photo_868 五月雨の残生照らす灯台よ

伊良湖崎の灯台だ。灯台を写真にするチャンスはあまりないと思うので、句にしたかった。
「残生照らす灯台よ」が先に浮かんで、季語を歳時記から探した。
さて、俺の灯台は果たして何であろうか。

 五月雨のふり残してや光堂        芭蕉
 さみだれや大河を前に家二軒      蕪村
 五月雨や淀の小橋の水行燈       西鶴
 さみだれのあまだればかり浮御堂   阿波野青畝

いつの間にか七月。梅雨明けはいつごろだろうか。今年は猛暑だそうだ。通勤苦とは無縁の我が身を素直に喜ぼう。

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走馬燈@なんやかやあつたけれども走馬灯

Photo_867 なんやかやあつたけれども走馬灯

ふっと思いついた句。関西弁で面白いかなあと思ったけれど、こうして掲載してみるとそれほどでもない。作者には万感こめたき気持ちもあるが、それが主観の域に留まっているということか。
写真は薬師寺の金堂、その向こう右奥が西塔。こうやって写真俳句にすることによって薬師寺の伽藍の配置が記憶に残る効果はあるというべきである。

 人の世の影ばかりなり走馬燈      山口青邨
 病み痩せて長き手足や走馬燈     石田波郷
 おもかげは横顔ばかり走馬燈      本郷昭雄
 首ふり亭主尻ふり女房走馬燈     中村草田男

記憶は横顔ばかりの影にすぎず、その実体は「いま、ここ」にしかない。しかし、他方、人の同一性(アイデンティティー)の根源をなすのは彼または彼女の記憶である。だから、人間とは、たまゆらの実体「いま、ここ」に長い影(記憶)が付随している現象ともいえる。つまり、俺は現象、全ては主観であり記憶(影)にすぎず。 

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思わぬ一等賞

正直言ってちょっと句作がマンネリ気味というかやる気がちょっぴり落ちていた。
そこへ思わぬ一等賞。インターネット俳句会で俺の句が13点も頂戴したのだ。

 たましひをそつと吐き出す蛍かな

俄然、やる気が出たとまでは言わない。うれしさがじわじわっとこみ上げる。市場は作者の思惑を超えるものだと感じている。

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