山査子の実のたつぷりと齢かな
サンザシの実である。俺の歳の数ぐらいはゆうにあるだろうなあ。4~5月に小枝の先端に数個の大きな白い、散房花序(かじょ)をつけた花を咲かせるそうだ。ごく近所に植わっているのだが、これまで実にもそして花にも気づかなかった。俺はなんという人生を送ってきたのだろうとまたもや思う。
ところで「査」ではなく「木」ヘンに「査」が本字のようだ。デジタル社会ではしかたのないことかもしれないが。「わが夢の成らず山査子実となりて」春原順子。
ついでに「花の歳時記 秋」で山査子の隣の梅もどきの項にあった飯田龍太「大空に風すこしある梅もどき」、いい句だなあ。大空の風を発見する眼と手と口が違うのである。
ところで今夜は十三夜(後の月)。捻典さんのサイトの日刊この一句「埠頭まで歩いて故郷十三夜」松永典子で知った。「十三夜孤りの月の澄みにけり」久保田万太郎。
| 固定リンク
「俳句写真」カテゴリの記事
- 極楽を夢見往生蓮の花(2013.07.29)
- 祝、世界遺産登録@紅富士の湯(2013.06.28)
- 積年の虫歯治療や五月尽(2013.06.01)
- ボランティア添える手やさし朴の花(2013.05.08)
- 梅一輪明日は多分春の雪(2013.02.06)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント