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2007年10月14日 (日)

心は社会的現象である

一般的な理解では、心は脳内現象(デカルトの心身二元論:「私」=身体+心)。でも、ようく考えてみると心は単なる神経細胞脳細胞の反応ではない。我々の心の大部分は記号(言語、美術、音楽その他)によって枠組みが形成されているからである(俺の言うところの記号世界)。

そして、記号とは社会的規約(将棋の駒=記号の意味は将棋におけるその使用規則と使用例)である。とすると、心は社会的現象ということになる。つまり、

 「私」=身体(物理的化学的現象)+心(社会的現象)

という等式が成立する。換言すれば「心は身体内に生じている社会的現象」である。

だから、宗教において、心を無化する(仏教)とか神に帰依する(キリスト教)などという教えも成立する。脳内現象ではなくて社会的現象だからこそ、心を無とか神とかの記号に結びつけられるのである。もっと端的な別の例を挙げると人々の心の相互理解・相互影響も心が社会的現象であることの証左となる。

こんな単純なことに到達するのに西洋哲学はプラトン以来二千数百年を要した(聡明で健気な貴女に捧げる哲学史(5)自然に帰れ参照)。
そして俺は、「心は身体内に生じている社会的現象」という言明にたどり着くのに下のアバウトミーの質問がきっかけとなった。おお、この質問でバトル(社会的現象)が生じているではないか。

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