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2007年11月 4日 (日)

感情=欲望・喜び・悲しみ+情感

スピノザは感情の基本要素は3つ(欲望・喜び・悲しみ)であるとしている。なるほど、そういうことかとずっと思ってきたが、アバウトミーで(戯れに)「男と女、どちらが強い?」という質問を出したら、「ロマンチック」ということについてこんなコメントがついて愕然とした。

動物として生きるのには不要な感情。
人間として生きるのには余禄として必要な感情。
例えば、サルから進化しかけた人類の祖先が、死んだ仲間に花を手向けた事とか。「もののあわれ」に宿るもの。
夢見る乙女にしてもそれは男性からの主観であると思いますよ。


そうか。欲望・喜び・悲しみの他に人間には「もののあはれ」なるものがあるなあ、とPhoto_6気づ いたのである。 これを何と呼ぶべきか、とりあえずは「共感」と名づけたが、どうもしっくりこない。そうしているうちに今度は、「生き方としての『川の流れのように』とは?」という質問に出会った。
この質問に対し、「本能のおもむくままに」選択肢を選んだら「ケダモノとの差はどんな部分でしょうか?」「侘び寂びと同じですか?」と逆質問を受けたので次のようなコメントをした。

そうです。いや、もっと広く想像力と言うべきかと考え始めました。「あはれ」「をかし」、侘び寂しなど情感を育てるものは、動物になくて人間にのみある想像力のような気がしてきました。

かくして俺がたどりついた言葉が「情感」。すなわち、人間の感情の基本要素は欲望・喜び・悲しみ+情感(おお、俺はスピノザを超えた)。そして、人間が動物には無い情感を持つに至った理由は、人間が記号世界を構築した結果、「いま・ここ」のみならず「昨日・今日・明日」「そこ・ここ・あそこ」に生きるようになり、想像力を得たからである。

生命(動植物)力の基本は「いま・ここ」にしかない。これに対して人間は時間・空間という概念を創造した結果(記号世界の構築→空間・時間という形式は物自体に属するのではなく、現象を認識する際に我々がア・プリオリ(先験的)に用いざるを得ない論理形式)、「いま・ここ」以外をも生きられるようになった(生命力ではなく生命欲とでも呼ぼうか)。

その生命欲の駆動エネルギーが想像力である。春風に触れて秋風に吹かれ桜の美しさに感嘆し枯葉にイブ・モンタンを思う。これが想像力→情感→「もののあはれ」である。かくして人間は事実世界と記号世界更には価値世界という三つの世界を豊かに生きられるのだ。おお、アバウト・ミー。

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