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2007年11月 7日 (水)

正義=個人的正義(仁義)+集団的正義

「正義ってなんだろう?」という質問に対して「義を尊ぶことでは?」と答えてくれた方がいらして何回かのラリーと俺の中での発酵を経て、タイトルの方程式に到達した。

すなわち、正義の根本には、まず、個人的正義が無ければならない。そして、個人的正義とは仁義(人には仁をもって接し、義を守って生きる)である。そして、その上での集団的正義の問題である。
そこで集団的正義だが、これについてはロールズの正義論をヒントにした俺の定義がある。すなわち、「正義とは:基本的自由を保障した上で、社会の富を公正に配分すること」である。実は、この定義は経済的正義に偏しているのが気になっていた。正義を個人的正義と集団的正義に分割して、ロールズの正義論を集団的正義に限定することによりバランスのとれた正義論になったと自画自賛である。

正義とは、個人として仁義を守って生きてその上で集団的正義を実現することである。そして、集団的正義は自由と平等(公正?)の問題とリンクする問題であって、他者の自由を尊重した上で世の中の富(物質的精神的)を公正に配分することである。
だから、仁義なき集団的正義、自由・平等・公正を無視する集団的正義は凶器となる。オウムを想起し、国家主義的正義(大日本帝国、アメリカ帝国主義のイラク侵略)を思えばそれは明らかであろう。

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