二十一世紀は消費者・投資家+哲人の時代?
昨日の日経夕刊「追想録 関本忠弘さん」から面白い言葉を拾っておく。(ちなみに検索したら、孤独な会長室に巨大なオルゴールが鎮座しているのを見た時、初めて私は一見絶好調に見える日本電気の将来に危機感を感じた。というブログが見つかった)
歯切れの良い言葉で相手にぐっと迫った。「マジョリティーは現在のために、マイノリティーは未来のために」(少数意見のなかにこそ進歩がある)。
ほほう、NEC中興の祖と言われるだけあってなかなかええこと言うやんかと思って続きを読むとこんなくだりがあった。
経団連会長を目指したときは大物政治家らが応援団を結成。政界とのパイプづくりに精を出す様子はまさに旧来型経営者だった。「政官財の鉄の三角形の結束を弱めては誰のためにもならない」。学界、労働界、報道界を含めた「新六角形(ネオ・ヘキサゴン)が二十一世紀を引っ張ると提唱したが、現実は投資家と消費者の時代になった。
政官財(+学労報)vs消費者・投資家かあ。前者は俺が政官財癒着を打破したイノベーションこそがほんとうの改革としたものだけれど、後者もなあ。投資家、消費者というのはまるっきりそのまんま私益だもんねえ。部分最適しか追求できないのは目に見えてるなあ。
消費者も投資家も所詮は個別利益追求主体。だから、俺の新左翼の条件=(1)反帝国主義(2)自由主義(3)多元主義(4)社会的共通資本の重視のうち(1)~(3)はクリアできても(4)社会的共通資本の重視(これが公益)とは利益相反になる。ここのところに政官財(+学労報)すなわち有識者(プラトン言うところの哲人)が必要になる理由がある。
どうしたら哲人を育てられるかわからんけれど、二十一世紀は消費者・投資家+哲人の時代としておこう。出でよ鉄人28号!
※画像は懐かしのTVアニメのページから勝手拝借しました。感謝です。
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