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2007年12月22日 (土)

心と魂

実は嬉しいことがある。というのも、右サイドの「人気記事ランキング」(たいしたアクセスではないから人気記事というのもおこがましいけど)に「西田幾多郎×永井均」が定着していることだ。この記事、ちょうど一年前に書いたものだが、「西田幾多郎」で検索してアクセスされるケースが多いようだ。一年前の記事をいまだに読んで頂いていること、そして、俺の哲学総まとめになっているこの記事にアクセスして頂いていることが嬉しいのだ。

そこで、この記事のエッセンスを下のように簡潔にまとめてみる。問題は、要するに「私とは何か」ということだ。

  記号世界(言語経験)        事実世界(純粋経験)
   「私」=言語化社会化された私        <私>=具体的実存
      心                          魂

私は「私」=心と<私>=魂の統合。言語化社会化された私(心)と、いまここに何故か生きているこの私(魂)とが私をつくっているということだ。

「三つ子の魂百までも」と言うけれど、人は魂(精神)を持ってこの世に生まれる。生まれた後に言語を修得し、自分と他人の区別を知り更には社会的訓練を経て大人になっていく。この過程が精神の社会化すなわち社会的現象としての心の形成過程だ。
一方、魂はそうした心の形成過程を見つつ、心と葛藤しつつ生きつづけている。社会化し得ない精神(いま、ここに生きている俺=自我と表現してもよい)が魂だ。

ということで、

 私=身体(物理的化学的現象)+魂(精神的現象)+心(社会的現象)

上の単純な等式に俺はたどりついたのである。ああ、この私中毒よ。

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