« 老残や瞳の中の花杏 | トップページ | 久しぶりの短歌 »

2008年2月28日 (木)

相対論、不確定原理、実在論

スリリングな本に出会った。橋元淳一郎「時間はどこで生まれるのか」。時間は生命(意思)と共に生まれたというのがこの本の結論であるが、この本のおかげで相対論がイメージできたので記録しておく。

Photo_4 普通、我々はいかに離れた場所にいても「現在」を共有していると考えている。
たとえば、東京の午後24時という「現在」は時差を勘案すればニューヨークの午前10時となり、同じ「現在」ということだ(こういう理解がニュートンの絶対時間空間)。
しかし、ほんとに同じ時刻かどうかを確認するためにはなんらかの手段で通信することが必要だ。そして、通信といえども瞬時の交信はあり得ず少なくとも光速のディレイが生ずる。この光速のディレイのために「現在」であることを確認できない時空のエリアが生ずることになり、それを著者は非因果的領域と呼ぶ。
過去は現在に因果を及ぼせる領域、未来は現在が因果を及ぼせる領域であるのに対し、非因果敵領域は光速より速いものは無いので私の現在になんら因果関係を持ち得ない領域ということだ。

Photo_3 つまり、私と「現在」を共有するのは「あの世」非因果的領域のみ、言い換えると、今という瞬間を私は誰とも共有できないということである。Photo_5 光速が有限であることの発見はこうしてニュートンの絶対時間空間論を崩してしまうのである。光速の有限性(及び光速より速いものは存在しない)の発見は、空間と時間とが独立ではなく相互に関係していることを示したのである。

ところで、光速は有限であると同時にどの慣性系から見ても一定である(光速不変Photo_6の原理:真空中の光の速さは光源の運動状態に無関係に一定である)。光速に近いロケットから見ても自転車から見ても光の速度は同じでなければならないのである。ちなみに、光以外のもののスピードは自転車から見るのと高速道路を走っている自動車から見ると異なって見える(日常生活で我々が経験する相対速度:時間軸の傾きの差)。 図のβ(時速70キロの自動車)からα(時速100キロの自動車)を見るとお互いの時間軸の傾きの差だけ(時速30キロ)に見える。

Photo_8 この光速不変の原理を説明するためのアインシュタインのアイデアが画期的だった。すなわち、動いている人の座標系は時間軸が傾くだけではなく、空間軸も傾くとした。これを数学的に表現するとミンコフスキー空間(時間軸は実数、空間軸は虚数)となる。このあたり、説明がややこしいので省略する。Photo_7 図を見てイメージされよ。

以上の記述で、時間と空間とは密接に関係することがわかってもらえただろうか。更に、ミクロの世界(量子力学)では時間も空間も消滅するという。ミクロの世界では不確定性原理(ある粒子の運動量と位置を同時に正確に知ることは、原理的に不可能)が妥当するから、電子一個について時間を議論することは無意味(電子には位置や速度が付随していない)、更には因果律も排中律も無意味となる(二重スリット実験:単一の粒子が「広がった空間の確率分布を支配する何か」の性質を併せ持つという一般的な直観に反する事実を認めるしかない)。

ああ、このあたりも説明が難しいなあ(俺も理解してないんだもん)。要するに、素粒子は粒子であると同時に波(空間の確率分布という表現が正しそう)だから、モノというよりは空間に偏在するコトと理解して時間、空間が付随しないということを納得するのが近道である。

著者は、哲学にも一歩踏み込んで「真の実在は物質(モノ)ではなく運動(コト)」と主張している。その傍証として、運動(速度)=距離÷時間の方程式について次のように述べている。

暗黙のうちに距離と時間が基本概念、速度はそこから導かれる派生的な量とみなす思想は、デカルト以降に生まれた人間理性を優先する思想であって、アリストテレスに見られるように生命の直観ではまず運動(速度)が先にあるのである。

上の文を俺の概念で表現し直すと、時間も空間も記号世界の産物、事実世界にあるのは運動(確率分布)のみ。運動(速度)=距離÷時間の方程式は距離、時間という記号を利用した記号化するための式ということになる。

以上をまとめると、相対論→時間も空間も記号、不確定原理→ミクロ世界にまで落とすと真の実在は運動(コト)というのが結論である。わかったかなあ、わからんかったやろなあ。

|

« 老残や瞳の中の花杏 | トップページ | 久しぶりの短歌 »

哲学」カテゴリの記事

コメント

 おーッ!、これは面白い記事!

>図のβ(時速70キロの自動車)からα(時速100キロの自動車)を見るとお互いの時間軸の傾きの差だけ(時速30キロ)に見える。

 たとえば田んぼ道なんかで追突事故がおき易い事例として、車を運転して角度45°の位置から車が走ってきた時に向こうの車が止まっているようにみえる錯覚が起きるというものがあるらしいですね。


 ちなみに、光よりも早い物質はタキオンという名称で定義されているのですが、あくまでもしそういうものがあればという仮定らしいです。 もし、タイムマシンを作るとすれば、光より早く移動する、つまりタキオンを発見し光よりも早く時間軸を移動する能力を開発しなければいけないようです。

 つまり、我々の『垣間見ることの出来る時空』というものは光と同速度で動いているということなのでしょうかねぇ?! そうであれば、タキオンの発見がタイムマシンの開発に近づくということですが、22世紀までにそれが達成されるかどうかは不明ですがねw。 

 

投稿: 恩義(oblige347) | 2008年2月29日 (金) 午前 05時08分

光より速いものは無い、及び、光の速度はどの慣性系に対しても不変であるというのはホンマかいなと丁度思っていた今日この頃です。仮にタキオンが発見できて利用できたとしてもタイムマシン完成までは俺の寿命は持ちそうにないからほとんど興味がありまへん。

投稿: 土曜日 | 2008年2月29日 (金) 午後 12時45分

この記事へのコメントは終了しました。

« 老残や瞳の中の花杏 | トップページ | 久しぶりの短歌 »