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2008年5月19日 (月)

大町、松葉ケ谷@鎌倉吟行(2)

Photo はつなつやひげのばしたる道の花

釈迦堂切通しを降りると大町という住居表示。フクちゃんの作者横山隆一が大町に長く住んだので鎌倉名誉市民と帰りのバスの中のポスターで見た。ところどころちょっとした立派なお邸がある。

写真は大町の道端で見かけた花。名前はわからない。誰か教えて下さい。

P5170039_2 リモコンで鳴らす鐘あり初夏の寺

バス停に出ると近くにこけ寺などの表示がある。まだ時間があるので行ってみたのが安国論寺。ここは

建長5年(1253)、安房から鎌倉に入った日蓮上人が松葉が谷に来て、初めて草庵を結んだ所の一つです。日蓮上人は、20年この地で過ごし、その聖跡が寺となった。文応元年(1260)日蓮上人39歳の時、ここ草庵で「立正安国論」を著して前執権・北条時頼に建白しました。その為、度重なる法難を受けました。安国論寺の裏山には、日蓮上人が松葉が谷焼き討ちの法難の際、白猿に袖をひかれて避難したと言われる南面窟があります。

とのことである。境内に小山があり、そこを登ると写真の鐘楼があった。手でつくための引き紐がない。どうもリモコンで鳴らす仕掛けのようである。

Photo_2 山上に親王の墓夏木立

安国論寺を出てこけ寺を見ようと思い訊いてみるとすぐ隣の妙法寺(ここも日蓮ゆかりの寺。松葉が谷法難にあってから、身延山に入山される迄20数年に渡り起居された場所がその寺とのこと。こけ庭でもあるかと思ったが、そうではなく石段が苔むしているとのことだ。石段をバイパスして登り更に登ると護良親王(後醍醐天皇の子。楠正成らと共に鎌倉幕府軍と戦った。幕府滅亡後、征夷大将軍になったものの、足利尊氏と対立し鎌倉東光寺の土牢に9ヶ月間幽閉され、その後、尊氏の弟直義に殺害されたとのことだ)の墓があった。

この記事を書くためにネット検索すると鎌倉には護良親王の墓が面白いことに二つある。一つはこの妙法寺。もう一つは鎌倉宮。鎌倉宮の墓は宮内庁管理である。宮内庁管理である理由を鎌倉宮HPに見ると、明治2年2月、明治天皇が建武中興に思いを馳せてつくらせたのが鎌倉宮(護良親王を祀る)とのことが判った。

明治維新の正当性を建武中興に遡ったということである。全ては政治である。
政治と歴史に思いをはせて、妙法寺の苔むした石段を見て今回の鎌倉吟行を終わろう。Photo_3

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