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2008年8月18日 (月)

Bach - Goldberg Variations: Aria (Glenn Gould)

グールドのバッハを聴けば神のごと宇宙に触るゝ快感の湧く

エリック・サティからバッハへ。「音楽の意味とは何か」つながりである。
(ここに後ほどぐたぐだを書くつもり)→さて、そのぐだぐたを書こうとして、きっかけの言葉が見つからず、グールドがバッハにあそこまでこだわった「意味」とか「(グールドの)言葉」を知りたくて、「グールド バッハ 言葉」でググってみた。

何件か眺めてみたら、ぴったりの言葉に遭遇。
「“今”、鳴っているこの音こそが全てで、これ以上に確実なもの、重要なものなどどこにもない。」「 グールドのバッハは、(途中省略)バッハについて、グールド自身について、一切なにも表さない。それはどんなことともまるで関係がないのだ。ただ、音楽そのものの純粋な結晶として、物質のように、在る」

おお、その通りだ。俺の言いたかった言葉がここにある。「音楽そのものの純粋な結晶」がグールドの弾くバッハとりわけゴールトベルク変奏曲なのだ(デビュー盤としてグールドは、プロデューサーなどの反対を押し切り、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」を録音。1956年に初のアルバムとして発表されるや、ルイ・アームストロングの新譜を抑えてチャート1位を獲得した)。

将棋の駒に意味は無い。将棋というゲームにおいて駒が使われることが駒の意味である。同様に、音楽に意味は無い。音楽という作曲・演奏・鑑賞ゲームにおいて音楽が使われることが音楽の意味である。

と俺も前回に書いている。音楽に意味は無い。意味が無いからこそ音楽は「純粋な結晶として」魂に作用する。ここが他の芸術と決定的に違う音楽の効用なのだ。いや、効用などという功利的な言葉を使ってはいけない。音楽は魂(コラソン)そのものなのである(ピアソラの項で、素晴らしい音楽が全て共有しているコラソン=魂と書いているのでここで、リベルタンゴ@ピアソラを鑑賞されよ)。

そこで、アリアだけでは欲求不満な人、もっと聴きたい人は次をどうぞ。
Gould plays Goldberg Variations var.26-30 & Aria Da Capo 9:32

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