現象学、ソシュール、構造主義科学論そして唯識
全ては唯識に根源があり、カントに始まったと思うのである。
すなわち、現象の向こうに本質は無い、現象のこちら側に本質や真理を我々は構成するのである。
諸法無我、人人唯識、諸行無常(最近の俺の念仏なり)。そして、唯識もライプニッツもカントもウィトゲンシュタイも池田清彦も同じ念仏を唱えていると俺は思うのである。
お陰様で現象学、ソシュール、構造主義科学論のエッセンスを俺は飲み込んだのだ。写真は餌を飲み込んだ瞬間(決定的ではないけれど)の多摩動物公園のペリカンである。
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