東京紅葉散歩(1)六義園
昨日は東京紅葉散歩。
六義園→(徒歩で)旧古河邸→浜離宮→(徒歩で)芝離宮というコースだ。
当然ながらデジカメ持参して、(技を覚えたので)動画撮影→YouTube投稿という算用の紅葉狩りである。
六義園をつくったのは犬将軍綱吉の寵臣、柳沢吉保だが、その後失脚したといううろ覚えの知識を下敷きにした駄歌である。ウィキを見ると
宝永6年2月19日(1709年3月29日)、権勢の後ろ盾とも言うべき綱吉が薨去したことで、幕府内の状況は一変した。代わって新将軍家宣とその儒者新井白石が権勢を握るようになり、綱吉近臣派の勢いは失われていった。こうした状況を敏感に察知して6月3日(7月9日)、自ら幕府の役職を辞するとともに長男の吉里に柳沢家の家督を譲って隠居し、以降は保山と号した。結果、その後吉里の領地は甲府藩から大和郡山藩に移されたものの、柳沢家15万石の知行が減封されることはなかった。
とある。おおむね間違いのない歌であったとほっとした。写真は素直でいいだろう(俺が言わなくて誰が言う)。
漢字俳句、季語だけが取り柄の句である。
ところで、六義園園の名称は、中国の古い漢詩集である「毛詩」の「詩の六義」、すなわち風・賦・比・興・雅・頌という分類法を、紀貫之が転用した和歌の「六体」に由来しますということである。以下、拙い動画(と俺の濁声)を見て頂ければ幸いである。
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