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2009年1月 9日 (金)

貧困はイデオロギー問題ではない

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 - 池田信夫 blogを読んで、何かコメントしたいなあ、でもここのコメント欄は結構敷居が高いしなあと躊躇していたが、「貧困をイデオロギー問題として捉えた日本の不幸」が俺の背中を押してくれた。

そうなんだ、貧困はイデオロギー問題ではないんだ。資本主義の是非を問うなどというだいそれた問題では当然にないし、新自由主義か福祉社会かとか、大きな政府か小さな国家かなどいう対立の問題でもない。

それは、(例えば)どの程度の年収層のことを貧困と呼び、その層に対してどういう支援が必要か、施すかという純政策的技術的問題なのである。なぜなら、貧困を放置すると、①犯罪などの社会不安②貧困再生産による社会の弱体化(経済活動に参加しない人たちの増大)を招く。イデオロギーの左右を問わず貧困は放 置できない問題なのだ。

では、国家予算のうちどの程度を貧困対策に振り向けるか。これが難問である。俺には到底答えられない(たとえば各国と比較するなど相対的基準はあるだろう が)。そこで、政府官僚の出番となる。彼らはどのように貧困層を定義してどんな基準で貧困対策費用を策定しているのか、それを知ることがまずは必要だろ う。

ああ、それなのに昨日の予算委員会、菅クンは「セーフティネットはあるのか」などと観念的な質問をしていた。もっと具体的な質問を、数字による政策討論を。イデオロギーと観念は親の仇なり。

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