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2009年3月

2009年3月31日 (火)

真理とは何でしょう?

哲学お喋りパーティでたまたま話題が真理論に発展して、検索したらウィキに真理論の代表的な説の分類があるのを見つけたので転載しておく。

西欧哲学において真理論は論理学や分析哲学においてとりわけ主題化された。認識論、科学哲学。

以下に代表的な説を挙げる。

   1. 真理の対応説:実在と対応していることが真理であるとする。アリストテレス、ラッセル、前期ウィトゲンシュタイン、論理実証主義
   2. 真理の整合説:他の認識や真理と整合的な認識が真理であるとする。公理的で演繹的な真理観。スピノザ、ホーリズム
   3. 真理の合意説:合意された認識を真理であるとする。パース、ハーバーマス
   4. 真理の実用説(有用説):生にとって有効・実用的な認識を真理であるとする。ニーチェ、ジェイムズ
   5. 真理の剰余説:命題Pは命題「命題Pは真である」と同義であるから、真理の概念は無用な余剰であるとする。

 言語表現であることが真理に不可欠であるが、非西欧には不言真如という別の世界もある。

ちなみに、現在の俺の真理論である。

 人生=世俗(損得、好き嫌い、理非、善悪)+魂(苦楽、美醜、正邪)
 真理=世俗(理非)+魂(正邪)

世俗(理非)は真理の合意説、魂(正邪)は不言真如という(便宜的)二元論が俺には一番、納まりがいい。そして、世俗(理非)の判断基準は「人類全体の幸福」であり、

「合理性=道理性+論理性+効率性なる方程式を「人類全体の幸福」の判断基準にするのはどうでしょうか」

である。

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早咲きの枝垂桜の六義園カメラ隊列撮るも愉しき

Photo_2 早咲きの枝垂桜の六義園カメラ隊列撮るも愉しき

3/28土曜日、六義園の枝垂桜見ごろである。下の看板にて枝垂桜は(一般的に)エドヒガンの栽培種であることを知った。彼岸桜であるからソメイヨシノより早く咲くのである。 Photo_3

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2009年3月30日 (月)

著作権侵害を反省

Photo_4 身延山枝垂桜等撮影写真をいつものようにBGM付きスライドショーに仕立て上げてアップロードしようとしたら、上の画面が表示されて拒否されてしまった。

どうしようかと考えたが、俺の趣旨はあくまでも個人で楽しむことであるのに鑑みて、YouTubeでのアップロード(非公開でアップしても同様の目に遭いそうな気がする)を諦めることにした。
その代わり、今後は同様スライドショー、動画をフォト蔵/「誰にも公開しない」アルバムにアップロードすることにした。これで誰に気兼ねもなしに自分の写真をBGM付きで楽しめる。人間ひとりが一番なのだ。

※ちなみに、YouTube動画はany video converterでダウンロードできるがフォト蔵動画は駄目であることを実機確認した。動画のバックアップ用サーバーとしてフォト蔵を使うのは(いまのところ)諦めることにしよう(そのへんにダウンロードフリーソフトが転がっているようなので必要な時に試してみよう)。

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身延山枝垂桜の春が来て妙法蓮華経邪心戒む

Photo 身延山枝垂桜の春が来て妙法蓮華経邪心戒む

金曜から火曜まで姑はショートステイ(老人ホームに外泊)。
そこで、土曜は六義園、小石川後楽園、昨日日曜は身延山の枝垂桜見物。
枝垂桜は彼岸桜系の品種のようでソメイヨシノよりも先に咲いて(これが今年の発見)、いずれも満開であった。

Photo_2 身延山に行くのは二回目。前回は桜の季節ではなかったので印象が薄かったが、今回は濃密。こんなに枝垂桜を楽しめるとは、まさに三昧のお寺、お山、ロープウェイに乗って奥の院に行けば富士も楽しめた。

Photo_3  春来ればまた一度来む身延山妙法蓮華経いのちある間に

また、写真の石段(287段、高さは104m)を登らねばならぬな。まだまだ元気に南無妙法蓮華経。

三門をくぐった所から始まる急な石段は、佐渡の熱烈な信者、仁蔵(にぞう)の発願(ほつがん)によるもので、「菩提梯(ぼだいてい)」と言い、石段の数は287段、高さは104mあり、三門と久遠寺本堂を結んでいます。
菩提梯には、仏教で言う所の「菩提」──悟りに至る梯(きざはし)の意味が込められており、七区画に分けられた石段は、「南無妙法蓮華経」の御題目七文字になぞらえています。

昨日は高速道路千円開放二日目。帰路は中央道を採ったのだが、談合坂SAからはずっと渋滞だったが、なんとか流れてはいて一時間ほどの辛抱であった。麻生さんに一応感謝である。

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2009年3月27日 (金)

夕張は日本の明日医療費を削減せむとプールへ歩く

Photo 夕張は日本の明日医療費を削減せむとプールへ歩く

夕張 年老いた町で~医療再生に賭けた700日~を観ての感想歌。団塊が老いる頃、日本国の財政状況と団塊たちの生活はどうなっているだろうか。
しかしかまあ、そんな心配をする前に俺はもっとスリムにならねばならぬ。肥満は万病の素なり。

ところで、

071001_b 村上 智彦(むらかみ ともひこ、1961年 - )は、北海道出身の医師であり、現在、医療法人財団夕張希望の杜理事長、及び夕張医療センター(旧夕張市立総合病院)センター長を勤める。
経営破綻した夕張市立総合病院の再建策として、「公設民営」の診療所方式(19床)と40床の老人保健施設を選択し、往診による在宅医療をすすめる。あい た場所に託児所や娯楽施設を設置し、地域活性化の拠点を目指す。病院(20床以上)であれば5年間交付される地方交付税交付金を拒否して、交付金に頼らな い新しい地域医療の方向性を示す。

だそうである。こんな人たちがもっと出てきてこの国を元気にしてほしいと老人一歩手前は思うのである。

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2009年3月26日 (木)

デジカメを忘れたけれどケータイが俺の味方よ富士桜撮る

P1000031 デジカメを忘れたけれどケータイが俺の味方よ富士桜撮る

今日ははっきりしない天気だ。朝のニュースで横浜は小雪がちらついているなどと云っていたが、プールに向けて歩いていたら好天になった。まずったなあ、デジカメを持って来なかったと思いつつも、ケータイで富士と桜を撮った(富士はほとんど見えない、ケータイではこんなものだ、残念)。 

 これからはリュックにカメラ必携で花見日和の来るを待ちをり

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2009年3月25日 (水)

日馬富士速攻相撲右上手送り出したり朝青龍を

Pn2009032401000907ci0003 日馬富士速攻相撲右上手送り出したり朝青龍を

解説の舞の海が「スピードで朝青龍しかいない」と言っていた。大音声大拍手でビデオを観たアホな俺である。

先手を取って攻める横綱・朝青龍を相手に勝機をつかむには、その上をいく早さで攻める必要がある。師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)も「それしかない」。師匠の思いが届いたか、日馬富士は立ち合いで動いた。
 
張って出た横綱に、上手を狙って右に変化気味に立った。横綱得意の左四つで組んでも「差し手(左)を使わせないように。そうすれば、後は流れで取れる」。目算通り先に上手を取って横綱にまわしを許さず、一気に土俵際まで寄り立てた。
 俵に詰まって残したのはさすがに横綱。しかし、日馬富士は「止まったらダメ」と命綱にした右上手で力いっぱいの投げ。後ろ向きにして土俵の外へ追 いやった。「左を差して四つになりたかった」と朝青龍。狙い通りの形にはなったが、奇襲に後手を踏みっ放しで力を出させてもらえなかった。


取り組み後の朝青龍の表情には「してやられた」との口惜しさが滲み出ていた。これは断じて八百長に非ず。

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2009年3月24日 (火)

スーパーボーカリスト登場

Photo_2 4/24のマンスリーコンサートはオモロイよ。
チラシも作った。年賀状ソフトでチラシが作れる!技の成果である。筆ぐるめにたいしたデザインが無いのが不満だが。

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ふにゃちん民主党

政治資金規正法のみで秘書は起訴されたから、小沢は辞めないだろう。朝のニュースを見ていたら党内に「続投。止めたら党内混乱」という声があると言っていたけど、これが本当だったら民主党はふにゃちんだ。

選挙で勝つためには世論操作されて愚民が悪と信じ込んでる党首は切るべきだ。小沢の金と力に期待しているのだったら、そんなのは国民から見えないところでやればいい(例:小沢闇将軍)。そんな小細工もできないのでは安心して政権を任せられないではないか。

と、ここまで書いて小沢一郎の代表辞任はあるのか (田原総一朗の「タハラ・インタラクティブ」)を読んだら、こんなことを田原氏は書いている。

仮に今後も代表を続けるのなら、そのとき何がおこるのかも小沢さんは考えている。おそらく、代表を続ければ、麻生首相は早ければ3月31日の解散を考える。自民党からすれば、これは天から降ってきた唯一のチャンスだからだ。

そこで、思いついたふにゃちん民主党の必殺フェイントプレー。小沢続投表明→麻生解散表明→小沢辞任というのはどうだろうか。なんでもいいから早く選挙させろ。

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来年は桜見られぬ心地して一期一会の写真を撮りぬ

Photo 来年は桜見られぬ心地して一期一会の写真を撮りぬ

とは言えど、俺はしっかり長生きするのだ。
百歳でのど自慢に出て「リバーサイドホテル」で鐘を鳴らすねん。

※写真は昨日のサクラ。今朝は天気がよくないので朝散歩にカメラを持って出ず。ところが今、陽が射してきた。もう少ししたら聖蹟桜ヶ丘に向かうのだが、カメラを持って行くか。

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2009年3月23日 (月)

ブッダは何を悟ったか

を読了。インドの馴染み薄い地名に(ちょっぴり)難儀したが、ブッダの一生と美しい写真を楽しめた本だった。更に、この本のメリットは原始仏教に関するコンパクトな解説(前田専学氏)である。ブッダが何を悟ったか、この解説に従って記録しておこう。

①無知(無明)に始まる十二支縁起
当時のバラモン教ではブラフマン(梵)から一切は生起しブラフマンに帰入する永遠の繰り返しだったが、これに対し、ブッダは「一切のものは相互に依存し合 い、相互に関係し合って存在する」とした。十二支縁起の具体的な因果関係が理解に苦しむところもあるが(特に、執着→生)、実体否定説=現象学:「現象の背後に真理や実在があるとするのではなく、現象のこちら側(記号世界・価値世界)に真理、実在、論理のモデルを作るしかない」(真理より道理、実在より現象)と今のと ころは理解しておこう。

②四諦(苦諦・集諦・滅諦・道諦)

③八正道(正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念および正定)
まさに「正」のオンパレードで気恥ずかしくなるぐらいだが、文句の付けようは無い。ちなみに、この「正」をヒントに「善悪と正邪、どう違う?」質問を思いついた。

④四法印(諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、一切皆苦)

以上がブッダの悟りの内容である。そこで、銘記すべきはこの中には、慈悲も空も含まれていないということである。
この点、俺は、ブッダはあくまでも自己のために(利己)修行して悟りを開いたということだと理解している。また、空などという絵空事=語り得ないことには沈黙を守り、世界は有限か無限かなどという抽象的思考に陥ることを戒めた(毒矢のたとえ/無記)。この種の問題について、カントは(ブッダと同様に)アンティノミー(相互相反命題)として排斥している 

空や慈悲を説くようになったのは大乗仏教(龍樹)以降であって、大乗仏教は却って仏教を難解陳腐なものにしてしまったのではないかと思うぐらいだ。参考:大乗偽仏教論

かくして、色即是空、空即是色が仏教の根本だと思っていたのはまことにアサハカなことであった。更には、善悪も慈悲も初期仏教の射程外であり、ブッダは世俗のことは世俗に任せ自己の魂のみを掘り下げて悟りに到達した人間だと思うのである。

人生=世俗(損得、好き嫌い、理非、善悪)+魂(苦楽、美醜、正邪)
真理=世俗(道理)+魂(正道)、善は世俗、美は魂

以前の人生方程式では魂(快不快、美醜、真偽)としていたが、一切皆苦と八正道にヒントを得て上のように改訂した。

さて、その上で「正しいとは何を基準としてどう判断するか」という問題が残る。中道という答えが降ってきそうだが。
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如意輪観音坐像(奈良国立博物館)である。拝みたい仏のひとつだ。

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速報:今朝の桜

Photo ひつそりと柱の陰にひとり咲く君がいとしも私のさくら

ということで、三厘咲きというところであろうか今朝桜

Photo_2 今朝桜ジャズを聴きつつ君を撮る風強けれど散らざる君をPhoto_3

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2009年3月22日 (日)

裁判所を強くしよう

検察に正義を求め過ぎるのは気の毒だ

というタイトルは誤解を生みそうだが、『週刊朝日』編集長山口一臣氏のブログが小沢事件を起こした検察の意図を次のように推測している。

まあそんなわけで、現場の保身と出世とカネという人間臭い理由で決裁をスルスルとくぐり抜けた「小沢秘書逮捕」は、いよいよ検察上層部へ上げられる。

 上層部の思惑も、いろいろある。ひとつは人事だ。この説は、3月20日号の「週刊朝日」でジャーナリストの上杉隆さんが指摘してから、いろいろな ところで言われている。それは、民主党が政権を取ったらポリティカル・アポインティ(政治任用)によって官僚人事を見直すと宣言していることである。鳩山 由起夫幹事長が「局長以上は辞表を提出してもらう」と宣言しているように、もし、本当に民主党政権が実現したら、いまいる検察幹部が飛ばされる可能性だっ て出てくる。しかも首相は、あの金脈政治家、田中角栄の流れを汲む、憎き小沢一郎なのである。だから絶対、政権交代は阻止したい。若干、政治臭くなったと はいえ、これもいってしまえば保身である。

まあ、こんなところだろうと俺も思うけど、検察の「保身」で重大な政治的影響を及ぼされたら国民はたまったものではない。意図はどうあれ検察横暴を牽制する力が必要だ。
そこで、ここは裁判所に強くなって欲しい。検察の逮捕状、勾留延長請求をきちんと審査して欲しいなあ(裁判所と検察はツーカーなどと云われているが)。

国会は(団体・企業献金禁止是非の議論も必要だけれど)まずは裁判所が検察横暴をもっと牽制できる立法を考えるべきではないか。裁判所に逮捕状許諾理由開示を義務づけるのも一案である。これは、国民の人身の自由確保にもなる。想起せよ痴漢冤罪。


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青々と芝も美し甲子園今年の虎に希望を託す

Photo 青々と芝も美し甲子園今年の虎に希望を託す

昨日はセンバツ初日、そして、リニューアル甲子園の一般お披露目である。日帰り湯のテレビでちらと眺めた甲子園の芝は美しかった。

ところで、ぴりっとしない投手陣、期待薄の新外人メンチ、不安なアラフォートリオ、新井は(開幕には間に合うようだが)怪我しているし、何よりも監督がクライ。あの藤山寛美が懐かしい。

それでも阪神ファンは健気に応援する。それが虎党である。まさに菩薩なり。衆生たるG党との大きな差異である。

球場本体の工事は今回で終了。第3期工事で球場外周の整備を進め、平成22年春にすべての改修が完了する」から写真を拝借した。

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2009年3月21日 (土)

速報:ソメイヨシノ開花

Photo 先ほどチェック散歩してきたら一輪、咲いていた。
Photo_2 開花の前の蕾のようすもかわいい。
Photo_3 ついでにコブシ、顎の部分の紫がいい。

辛夷咲き桜も開花春は来て思い出色に街は染まりぬ

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2009年3月20日 (金)

本読んで音を聴いては思考して妄想もあり未明悦楽

読書はこれ。

音楽はショスタコーヴィチ交響曲8番@アシュケナージN響、交響曲第7番につづいて、交響曲で戦争を描くべく作曲されたが、第7番と比べるとあまりにも暗いため、当初の評判は非常に悪かった。そして、1948年にはジダーノフ批判によって1960年まで演奏が禁止された。しかし最近ではショスタコーヴィチの最も注目すべき作品のひとつとされており、録音の数も増えてきている。という曲なのだが、アシュケナージさんの指揮はいまいち、迫力に欠けると(根拠無くなんとなく)思うのである。

妄想については枚挙数多のためここでは割愛しておく。

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速報:多摩の桜が咲いた

Photo 午後からは急に晴れたる初桜

といってもエドヒガン、ソメイヨシノの親の桜(オオシマザクラと交配したのがソメイヨシノ)である。

さて、例によってスライドショー。曲は武満徹「死ん だ男の残したものは」石川セリである。

Photo_2

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2009年3月19日 (木)

春の日はテレビで映画寝そべりてオモシロ哀し「ラヂオの時間」

春の日はテレビで映画寝そべりてオモシロ哀し「ラヂオの時間」

布施明がなかなか演技していたのが発見だった。

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2009年3月18日 (水)

パスモは確実に改札機にタッチしよう

昨日、バスを降りようとしたら「もしもし、お金が足りませんよ」と運転手さんに呼び止められた。えーっ、パスモなのにいと思いつつ振り返って確かに10円足らないので追加して降りた。
おかしいなあ、オートチャージしているのにと思いつつ、もう夜だったのでなんにも出来ず。

そして今朝、まず最初は銀行。ネットで残高照会できるようにネットバンキング申し込み、ついでに通帳記帳したら残高はちゃんとある。次に、駅。駅員さんにオートチャージされてないと問い合わせしてカードを確認してもらった。「問題ないですよ」との返事を頂戴して今度はカード会社に電話、電話番号生年月日等で本人確認した上で自動引き落としの問題は生じていないようだ。「駅にもう一度訊いてくれ」と言われて「困るなあ、キャッチボールやんかあ」と言いつつ再度駅へ。

今度は違う駅員さんで「おたくのカードは外形上、オートチャージ登録されてないよ」と言う。「そんなことはない、ちゃんと記録を確認してくれ」と言って確認してもらったらチャージ記録がある。「パスモの会社に問い合わせしてもらわないと」と言うので「じゃあ、電話番号教えてくれよ」と食い下がり、駅員さんはしばしそのへんのチラシを探し回る。そのうち、「お客さん、パスモで改札機にタッチしてくれ」と言う。ふーん、なんでかなあと思いつつタッチしてみると「ちゃんとチャージされました」とのこと。

ということで、パスモは確実に改札機にタッチしよう。かざすだけで通れるのだけど、<稀に>「切符代は落とすのにオートチャージはしない」ことがあるとのことだ。ケッタイなシステムやなあ。

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旅に出て釈迦も達磨も修行中自分ごときが悟れるものか

Caravaggio_tommaso00 旅に出て釈迦も達磨も修行中自分ごときが悟れるものか

画像はカラヴァッジオ「聖トマスの懐疑」である。いつものサルヴァスタイル美術館から拝借したが、「キリスト十二弟子の中で唯一イエスの復活を目撃していない聖トマスが「主の傷痕に指を差し入れるまで復活を信じない」と、その復活を否定した八日後、聖ト マスの前にイエスが現れ自らの傷痕に聖トマスの指を差し入れる場面≪聖トマスの懐疑(聖トマスの不信)≫を描いたもので、画面の中に凝縮されたイエス、聖 トマスと二人の弟子の配置は、見る者が本作の主題を違和感なく注視させることに見事成功している」と解説されている。

先日のルーヴル展(ラ・トゥール「大工ヨゼフ」目当てに参拝)を見終わった後、常設展も観たのだが、そこにもラ・トゥール「聖トマス」発見、その解説で不信のトマスというイエスの弟子のことを知ったことからカラヴァッジオ「聖トマスの懐疑」にたどり着いたものである。ちなみに、ラ・トゥール「聖トマス」を国立西洋美術館が所蔵するようになった経緯が面白い。興味ある方はジョルジュ・ド・ラ・トゥール展を語るを参照されたい。

ところで、俺の仏教勉強。仏教本から「釈迦も達磨も修行中」なる言葉を得たので歌に織り込んでみた。そして、仏教の基本原理(四空)を俺流に訳してみた。

 諸行無常  物事を固定的に見るな、全ては仮の姿なり
 諸法無我  俺は現象、全ては主観
 一切皆苦  生きちょるだけで丸儲け
 涅槃寂静  悟れるかどうかは別にして安穏に老いて死にたい、心底

無神論を信条としつつ悟りとか涅槃を疑いつつ求める。我は不信のトマスなり。

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2009年3月17日 (火)

歳寄ればテレビの前で声を出す相撲を観ても野球を見ても

Bsb0902030504001p3_2 歳寄ればテレビの前で声を出す相撲を観ても野球を見ても

昨日のオープン戦阪神-巨人を見ながら昨日の朝刊を読んで、ときどきチラチラとテレビを見ていて浮かんだ歌。今年は勝てそうに無い予感あり。解説者一枝修平が虎の新外人メンチの2ステップ打法の欠点を指摘していた。

メンチとはメンチカツにはあらずなりメンチマケなる仇名をつける

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2009年3月16日 (月)

鎌倉に遊べばリスも喜びてはしゃぎ回れり桜の枝に

Photo 鎌倉に遊べばリスも喜びてはしゃぎ回れり桜の枝に

昨日、鎌倉に遊んだ。江ノ島から江ノ電、稲村ガ崎で降りて富士を撮り、また江ノ電で鎌倉へ。鎌倉駅~覚園寺~天園ハイキングコース~建長寺~鶴岡八幡宮~鎌倉駅というコースでたっぷり歩けた。

鶴岡八幡宮で早咲きの桜の枝でリスが二匹飛び回っていた(蜜を吸っているのだろうか、花を食べているのだろうか)。当然にレンズを向けて何枚も撮ったが、さっき検索すると、このリスたち、悪役のようである。

今、鎌倉を我がもの顔で歩いているリスは「台湾リス」です。数十年前誰かがペットとして飼っていた台湾リスが逃げだしたのが事の発端になりました。

鎌倉には江ノ島で飼われていた台湾リスが大繁殖して沢山住んでいます。普段は可愛い隣人とも言えるリスですが、鎌倉ではリスをはじめアライグマやハクビシンなど獣害に悩むお宅は結構多いそうです。古家などは軒に穴を開けて天井裏に棲み着いてしまうケースもあります。

こういう事実を知っても「リス、かわいい」と云う人もいるかもしれないけど、何事も事実を知ることが肝要、その上での価値観に基づく真偽判断、真実は発見するものではなく構成するものだと思うのである。

 人生=世俗(損得、好き嫌い、理非、善悪)+宗教(苦楽、美醜、真偽)

Photo_2

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2009年3月15日 (日)

チェチェン人、ハッサン・バイエフ医師

アバミーで「信仰とは何でしょうか?」質問をしたら「同胞のチェチェン人も、敵のロシア人も、平等に助けた」医師のことを教えてくれた人がいた。検索して、その詳細情報と動画を見つけたので記録しておく。

ところでまた、哲学お喋りパーティで、至道無難、唯嫌揀択(悟りに至る道は簡単、ただ好き嫌いを言わなければ)という禅語も教えてもらった。これも検索して

わたし達は愛し、惜しむ心の上に花の存在をとらえ、嫌いに思う心の上に、すぐにはびこる草の存在をとらえるが、花しろ草にしろ真実の存在は私達の思いの外にある。個人もちの尺度を手放したところに、真実の世界は広がると言うのである。

なる解説に出会い、この次の文章に「好き嫌い、損得、良し悪しに終始しているうちは、至道はやはり難しいようである」とあって、まさに世俗(損得、好き嫌い、理非、善悪)を超えて梵我一如と我田引水納得した。

 人生=世俗(損得、好き嫌い、理非、善悪)+宗教(苦楽、美醜、真偽)

バイエフ医師はスーフィズム信徒とのことだが、悟りが覚悟となり行動に結合している人なのだろう。悟りにも覚悟も遠し春ショール

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蝋燭に指透き通るみどり児はヨゼフを父に育ち給へり

Latour_charpentier00 アバミーの「春寒し」でろくな句しか浮かばなかったので悔しいhttp://doyoubi.aboutme.jp/user_question/show/95886。そんなことを思っていたら、「詩人」という言葉が引っかかってきて「詩人にも画家にもなれず春の雪」と一句を得た。「画家」が出てきたのは昨日、ルーヴル展を観たおかげだ。そこで、短歌も詠まねばと思い

蝋燭に指透き通るみどり児はヨゼフを父に育ち給へり

と一首となった。ラ・トゥール「大工ヨゼフ」の写生歌である。

そこで、唯識論(哲学お喋りパーティで宗教論が盛り上がっているので、唯識の復習である)。

唯識論は心を次の三層構造として捉える。
①意識と五感(六識)
②マナ識
③アラヤ識

仏教は元来、六つの識をあげる。まずは眼識(視覚)・耳識(聴覚)・鼻識(臭覚)・舌識(味覚)・身識(触覚)の五感のは働き(前五識)である。

つづいて第六識意識は、推理・判断などことばを用いた思考作用あり、感情・意志なども含めたいわゆる「心」の働きである。

しかし唯識は、さらにその深層に働く第七識の「マナ識」と第八識の「アーラヤ識」とを発見した。マナ識は潜在的な自己我執着心であり、アーラヤ識は、さらにその深層にあって以上のすべての識を生み出す根源的な識である。

唯識論の面白いところは通常一般的に云われる心(顕在心:①)の下に無意識の心(潜在心)を二層(②、③)用意したことにある。

ということで、唯識が想定している心の三層構造を端的に表現すると、
①普通云われている心(六識)
②個人的無意識(潜在的自我)
③いのち(ホメオスタシスなど歴史的に蓄積された生命情報)
ということになろう。
 
以上、八識(とりわけマナ識)が俺に句と歌を得させてくれたというお話である。煩悩は句歌の母なり。

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2009年3月14日 (土)

レースを編む女@フェルメール

Vermeer_kantklosster00 妹のようやく返信届きたり甥姪たちの巣立つを書いて

実は13違いの妹がいる。そして、甥はいま大学三年、大変な時期に就職活動だけど、軽音楽部でうつつを抜かしているようだ。さっき、HPを覗いたらGt/Voとあった。YouTubeで演奏を聴かせろと書いてやろう。

姪はこの春、高校卒業して就職できたという。彼氏もいて今が一番幸せだとか。

今朝、メールを開けたら妹のメールが来ていた。兄妹メール連絡の道がようやく開けた。

閑話休題、昨日、ラ・トゥール「大工ヨセフ」を観たくてルーヴル展に行って来た。蝋燭の炎にかざしたイエスの指が透き通っていて、ヨセフの瞳、イエスの表情、その他のこの絵の全てを吸収してきた(つもり)。

他の作品ではフェルメール「レースを編む女」が矢張り人気なので、サルヴァスタイル美術館から今回も拝借した。ところで、この絵の女の右腕の下方にある本(聖書ではないかと解説にあった)の手前にぶら下がっている黒い物体は何だろうか。カブトムシみたいにみえるけどそんなことはあり得ない。何か裁縫道具なのだろうか。

それはともかく、サルヴァスタイル美術館には「本作において観る者を最も惹きつけるのは白い三本のラインが入る青いクッション状の針山から垂れ下がる赤糸と白糸の驚くべき表現にある」と書かれている。この点は上の写真では実感できない。現場で現物を間近に見られた(今回の展覧会ではほんとに間近で見られるのだ)幸福である。

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2009年3月12日 (木)

どうやって内需主導経済に転換するか?

危機が求めるもの (田中良紹の「国会探検」)が日本経済の現状に到るまでの歴史的経緯を上手にまとめているので転載する。

製造業の国際競争力を国が支援する裏側で、農業は保護を要する衰退産業にさせられ、保護のため国は地方に税金を移転する仕組みを作った。それが道路建設で ある。農村が自民党の票田となり道路族が強いのは輸出立国の裏返しだ。この経済構造はアメリカとの間に熾烈な摩擦を生んだ。「ニクソン・ショック」、「プ ラザ合意」など、アメリカは円高誘導を行って日本の輸出産業に打撃を与えたが、それでも日本は変わらない。いつしかアジア各国も日本を真似るようになっ た。輸入がなければ輸出は成り立たない。輸入大国となったアメリカは、その赤字を埋めるため様々な金融商品を作って売ることにした。その構造に破綻が生じ た。それが目の前にある「百年に一度の危機」である。

要するに、日本の輸出依存経済はアメリカの基軸通貨水ぶくれ輸入大国の裏返しであり、アメリカのバブル破綻は当然に日本経済墜落につながったということである。

そこで、国家統制資本主義による経済転換を主張している(と思う)のだが、そこで想起されるのはナチスの一時的経済成功である。検索して最も端的に表現している(と俺が思う)サイトから一部転載する。

ドイツ経済は過熱し、生存圏の拡大か軍備の制限かという二つの選択に迫られ、ヒトラーは前者に決めた。同時期に再び財政収支の悪化が激化し、このことに関してアルベルト・シュペーアは、第二次世界大戦に参戦しなかったとしても第三帝国は財政赤字で破綻すると思ったという。1944年には軍事費は当時のヨーロッパでは最高で、ドイツ経済のほとんどを占めた。1945年に戦争経済は敗戦と同時に崩壊した。これらの政策はミハウ・カレツキを始めとする経済学者らによって典型的な軍事ケインズ主義と総括されている。

軍事的ケインズ主義というのも怖いなあ。戦争経済発展より平和経済萎縮の方が俺は欲したいのだが、さて、どうなることやら。

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リュックには水泳パンツとカメラ入れ富士を眺めてプールへ歩く

リュックには水泳パンツとカメラ入れ富士を眺めてプールへ歩く

今朝は晴天。桜にはまだ早いけど富士を撮りながらプールへ歩いた。ちょうど一時間、俺の朝行である。曲はデューク・エリントン「A列車で行こう」だ。

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2009年3月11日 (水)

大乗偽仏教論

を読んでなかなか面白かった。日本の仏教は異質(もっと言うと異端)という主張の本である。

僧侶は妻帯が普通、職業も財産も世襲(しかも非課税。相続税も無し)、葬式に呼ばれてもお経を唱えるだけで講話をする訳でもなく高いお布施をとる。信者も お経の意味を理解しようとはせずただただ有難がるばかり、坊さん(出家ではなく在家僧侶が実態)も昔のシナ人が訳した漢訳のままでお経を唱える(自国語の経典を持たない仏教国は日本だけ だそうだ)。その他、墓の存在・回忌法要・戒名(これらも日本のみに存在)、釈迦よりも宗祖(親鸞、日蓮など)を上位に置く宗派仏教など、なるほどと納得の日本仏教異端論である。

しかし、著者が理想とするブータンの仏教が何故、範たり得るのか理由が俺にはよくわからなかった。国民総生産にかわる国民総幸福量(GNH)を前国王が主張したのをその模範例としているのだが、経済は経済、宗教は宗教で別に捉えるべきではないか。いかに立派な宗教があろうと、人間、食べることが先決、貧困追放こそが政治の努めであろう。

人生=世俗(損得、好き嫌い、理非、善悪)+魂(苦楽、美醜、真偽)Miruku4

だから、俺は宗教に道理や倫理を持ち込むことに反対である。貧困その他世俗の問題は世俗論理でないと解決できないし、また、解決するべきだ。宗教は魂の問題にのみ専念するべきである。

これを推し進めると大乗仏教(自分の解脱よりも他者の救済を優先する利他行)否定論に到達することになる。そこで、今後の仏教悦楽課題は

①小乗仏教は自業自得論(縁起の思想)すなわち利己の立場。これに対して大乗は利他(慈悲)の立場だが、諸行無常・諸法無我・一切皆苦・涅槃寂静の四法印という仏教の根本思想から慈悲は素直には導かれないように思う。そもそも、大乗こそは偽仏教ではないのか。

②仮に利己と利他とを統一的に解し得るとしても、仏教を宗教として成立させている概念「悟り」、そんなものがあり得るのか、成仏できるのか。

ということで、禅や小乗(これは大乗からの蔑称、正しくは上座部)、原始仏教などを探求してみたい。善悪や愛、慈悲、道理を超えたエロス(宗教的恍惚)を目指して、と一応書いておこう。

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ユーミンを聴きつつ歩く三時間すぐには減らぬ体重なれど

ユーミンを聴きつつ歩く三時間すぐには減らぬ体重なれど

プールまで50分、帰りは車だったが、今度は桜ヶ丘まで往復計2時間。
昨日、これだけ歩いて今朝はまたプールまで1時間徒歩。それでも体重は200g減っただけであった。当然の話ではある。

そこで、さくらんぼの花、満開2009.3.10。菜種梅雨みたいなはっきりしない天気だけれど、昨日はたまたま快晴に恵 まれてさくらんぼの花を撮影した。 曲はユーミンの中でもお気に入りの「埠頭を渡る風」。「ゆるいカ ーヴであなたへ倒れてみたら何も聞かずに横顔で笑った」という歌詞が泣かせるのだ。

写真と音楽がアンマッチなのだなあ、失敗。

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2009年3月 9日 (月)

見仏入門

Daisyoumen3 呵々大笑世間虚仮也観音を拝み始める見仏の道

を読み始めたのだが、この本、写真の映りが非常に悪い。P3090002 中には仏のお姿が判然としないものもある。価格を安く抑えるために写真の品質が落ちるのも已む無しと考えたんだなあ、NHKは。ちゃんと仏像を見たかったら番組視聴及びビデオ購入せえと言いたいんだろう、多分。

そこで、この本に出てくる仏像のネット探索により写真の映りを補完することにした。グーグルノートブックにも新規ノート作成して画像・記事等を蓄積することにした。

そんな仏像探検の今日の収穫が、滋賀県向源寺の十一面観音の後頭部にある暴悪大笑面(冒頭の写真)。二十年以上以前、津に転勤していた頃に訪ねたことがあるのだが、このお顔は記憶に無かった。見れども見ていないことの証左の一つである。

ところで、見仏入門。

住職に案内されて国宝仏の前に座った時。「今から私が5分間だけ説明しますので。」と言われ仏欲観音は説明を聞いていた。色々と説明される度に仏欲観音が ごく普通に、あいずちをうっていると。なんだかワザと咳き込んで住職が「あいずちをうたないで下さい。話が出来ませんので黙っていて下さい!!」と言われ た。

などと苦労見仏されている先達に学んで行きたい。

 仏にはなれぬ我が身と知りながらせめて生きたし菩薩の道を

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宗教は現世ご利益を扱うか

Douganji013l 哲学お喋りパーティの宗教論トピックスで「ご利益」が話題となっていて、それに対する俺のコメントを転載しておく。

私はご利益を称する信仰は激しく否定します。特に現世利益、更に特に某創価学会の唱える現世利益です。

実は、昔、私がこどもの頃に亡母が学会に入信したことがあって(昭和30年代かなあ)、信者たちがやって来て仏壇にあった位牌を捨てるわお経は破いてしまうわ乱暴狼藉を記憶しています。
そのうち亡母も(現世利益が無かったからでしょう)学会から抜けました。そして、10年前、亡母をこちらに呼んで姑、妻、夫の魔のトライアングル暮らしが五年続きました。

そんな時に亡母に向かって「あんた、人生、損得と好き嫌いだけと思てるやろ」と吐いた言葉が天唾となって私に降りかかってきました。それ以来、損得と好き嫌い以外に人生、何があるかがずっとテーマです。

そして、ようやくたどりついたのが人生<価値>方程式です。
 人生=ロゴス(損得、好き嫌い、理非、善悪)+エロス(快不快、美醜、真偽)

ここにロゴスは世俗の領域、エロスは宗教の領域だと(今、一応は)区分しています。従って、宗教はご利益も倫理も扱いません。すなわち、創価学会もオウム も宗教ではありません。そして、仏の存在も悟りの実現も(今のところは)否定して、それでも宗教が私の魂の中で成立するか。それを考えている今日この頃で あります。

※人生方程式は
人生=ロゴス(損得、好き嫌い、善悪)+エロス(美醜、真偽)

であったが、①真偽の座りが悪く(真偽はロゴスの変数とした方がよいのではないかという疑問)考えた結果、真実から道理(→理非)を取り出してロゴスに持っていった。また、②快楽は美醜とは異なる価値として定立した方がよいと思いエロスの変数に組み入れた。以上の結果、③真善美のうち善はロゴス、美はエロス、真のうち道理に関係する部分はロゴス、それ以外(それがひょっとしたら悟り?)はエロスというようにバランスよく配置できる結果を得た。

※写真は滋賀県向源寺の十一面観音である。二十年以上以前、津に転勤していた頃に訪ねたことがある。
十一面観音の由来について、「十一面観自在菩薩心密言念誦儀軌経によれば、10種類の現世での利益(十種勝利)と4種類の来世での果報(四種功徳)をもたらすと言われる」とウィキにあるが、この説よりは、法華経に後から加えられた「観世音菩薩普門品」即ち普門品に総ての方角に門を開き、顔を向けると言う解釈がなされて十一面観音を初めとする変化観音が興ったと言える,ちなみに「普門」とは総ての方角に開かれた門を意味するとの説を俺は支持したい。
古代インドでは、四方八方の八に上下(二)を加えた十があらゆる方角を示す数字だったそうで、十一面はこの十面(化仏)に本面を加えたものと「にっぽん心の仏像」の解説にあった。

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2009年3月 8日 (日)

一時間歩くに慣れて三十分苦にならず行くライブハウスに

一時間歩くに慣れて三十分苦にならず行くライブハウスに

所用<Moving Jazz Band(通称 MJB )の練習拝聴>があって、多摩センターのライブハウス「コルコバード」まで徒歩往復してきた。
最近、プールもヴィータも(徒歩一時間)に慣れてきつつあるので苦にならなかった。これはいいなあ、明日も図書館まで20分、歩くことにしよう。暑さの汗かき夏以外は。

※画像が無いのは淋しいのでコルコバードのブログから多摩ベンチャーズの朝日のあたる家。懐かしいなあ。

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国策捜査だあぁ

今回の小沢事件をホリエモンがどう見てるか知りたくて彼のブログのRSS購読を始めた。

小沢氏が検察と全面対決している件について

で、現場の功名心のなせる技(業?)と彼は見ている。検察一体といえども様々な思惑はあるだろうなあ。そこで、アバミーに質問を出してみた。上のブログ経由でホリエモンの面白い写真を見つけたので質問にしたまでである。

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2009年3月 7日 (土)

ケータイでズームをフルに富士の山丹沢越しにピンボケかなし

P1000027 ケータイでズームをフルに富士の山丹沢越しにピンボケかなし

参考までに、ズームしないと下の写真である。聖蹟桜ヶ丘ヴィータ8Fにて今朝撮影。P1000026

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スキャンダル噂話が大好きでネットサーフィンひねもすのたり

関係者情報がほろぽろとリークされるけど、被疑者の認否状況は伝わらず。
公設秘書氏はしぶとく頑張っているんだと思う今日、この頃だ。

ところで、ひねもすサーフィンして面白かったのは「ひねもす国士サマ脳の検事と判事と内閣官房副長官」である。 この事件、週明けには動くだろうか。

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2009年3月 6日 (金)

小沢氏(秘書)は何故、企業からの献金としなかったか

国策“不”捜査の可能性高まる 自民党議員はおとがめナシ?への高野孟さんのコメント(小沢氏側には企業からの献金とする方法もある。今回、問題視されている脱法的手口=政治団体からの献金という方法を採ったのは西松側の事情ではないか)を読んでなるほどなあと一旦は思ったのだが、よく考えたら次のようなことではないかと思ってコメントした。

高野孟さんのコメント「小沢側よりも西松側にそうしたい理由があったということ」についてですが、西松の裏金を表の金として企業からの献金とする訳にいかないのではないでしょうか。検察の意図は、小沢氏秘書及び小沢氏本人も西松の裏金献金の共犯というフレームを作出したいのではないかと思います。
とすると、やはり、小沢氏秘書がどこまで西松の事情を承知していたかが鍵となります。密室での取調べに彼がどこまで耐えられるか、それを小沢氏はどう考えているかが知りたいです。

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信仰へ到る道(土曜日菩薩教宣言)

哲学お喋りパーティ(招待制SNS)で閃いたが、公開しないと勿体無いような気がするのでこちらにも転載する。

Photo 「拝む」と「祈る」、面白いです。
「拝む」には拝跪などという言葉があるように、自分より上の対象を崇めるという語感を持っています。これに対して「祈る」は対象を固定せずとにかく願うというニュアンスを感じます。ですから、私は、「祈る」の方が宗教的だと考える訳です。
もっとも、仏様は拝むもので祈るものではありません。また、神は拝むものではないですね。ちなみに、円空仏を添付しました(出所は円空微笑み物語)。最近、興味を持っている仏像です。この仏様も祈るものではなく拝むものです。

 ところで、アバミーの私の質問に対して

私は教養もなく、まったく宗教には興味がありませんが、私の中に「神様」いると信じていますし、毎日寝る前には「今日は一日無事に過ごすことができ、ありがとうございました」と心の中で手を合わせてから、眠ります。

とコメントしてくれた方がありました。

①信心(とにかく心を信じる)→②帰依する→③信仰するという信仰のレベルがあるのかもしれません。私は仏教を①または②している段階です。
Photo_2
仏の実在を信じず悟りの実現も否定する仏教帰依者、それを菩薩と称することにしようか。名づけて土曜日菩薩教である。どうだ、参ったか。

写真は奈良斑鳩、中宮寺の観音菩薩。

国際美術史学者間では、この像のお顔の優しさを評して、数少い「古典的微笑」(アルカイックスマイル)の典型として評価され、エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチ作モナリザと並んで「世界の三つの微笑像」とも呼ばれています。

だそうだ。

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2009年3月 5日 (木)

桜桃の花ほころびて楽園に沈丁をきく雨上がり朝

久しぶりの好天、雨上がりの朝の沈丁花とサクランボの花だ。 曲はフォーレ「レクイエム」から「楽園にて」、演奏はクリュイタ ンス/パリ音楽院管弦楽団である。

この曲、写真を撮っているときにちょうど通りかかったおばさまの好きな曲である。

 桜桃の花ほころびて楽園に沈丁をきく雨上がり朝

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パソコンで確定申告終えにけり派遣女性に操作教わり

P1000024 パソコンで確定申告終えにけり派遣女性に操作教わり

昨日は税金の日。市役所に行って姑のおむつ費用の証明書式を貰ってきてかかりつけの女医さんに証明してもらって(手数料要らないとのこと。有難い女医さんです)、日野税務署まで。

確定申告のためのプレハブ小屋は相変わらず混んでいて、行列で待つ。ようやく順番が来て係員になすべきことを教えて貰う。収入と控除を記入し終わって、専用端末の前で待ったのだが、先客が多く時間がかかりそうだ。パソコンの方が早そうなのでそちらに行ったら、これが(かねて名前だけは知っていた)【e-Tax】国税電子申告・納税システム(イータックス)。まずは暗証の入力を要求される。係員の人に聞くと、自宅でも暗証と住基システムのカードで本人確認した上で操作できるとのこと。そうか、今年からe-Taxを普及させようとの税務署の目論見だなあと思いつつ、データ入力してなんとか終了した。

周りを見渡すと操作補助のおねえさん(おばさん?)達が目立つ。名札を眺めると「パソナ」とあった。そうか、派遣で来ている女性たちなんだ、税務署も結構、費用を投入させているようだ。

ということで、来年からは家で確定申告できそうだが、①住基カード読み込みはどうしたらいいんだろう②明細領収書等は郵送するんだろうか、面倒だなあなどと疑問は残る。来年は来年の風が吹くだろう。

ところで、医療費控除(姑の介護費用が大きい)で9万余り、要介護の特別障害者控除で13万ちょっと(一昨年、新聞で発見した制度だが今年は市のHPにきちんと載っている)還付金が生じた。大画面テレビとビデオが買えそうな金額だがしぶちんの俺はまだ買わない。ともかくも、こいつは春から縁起がいいやあ。

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昨日はアクセス急増(過去最大とちゃうやろか)

Photo 理由は「小沢代表会見中」記事がライブドア・トップページに一時、リンクされたためのようである。現在は平穏に戻った。一過性のアクセス急増はつまらないのだ。

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2009年3月 4日 (水)

のろま大将~大江裕くんのデビュー曲~

先日、NHK火曜日の歌謡番組で発見。いい声しているしキャラがかわゆい。本格的演歌歌手にになるかも。

ウィキから略歴等一部転載しておく。

2007年にTBS系列の番組「さんまのSUPERからくりTV」内のコーナー「からくりみんなの!かえうた」に出場し、「演歌高校生」として注目を浴びた。後に高校を中退したが、その後も同番組内で「演歌浪人」または「演歌一般人」と紹介され、演歌歌手を目指し安住紳一郎(TBSアナウンサー)の勧めでデモテープを送った結果、北島音楽事務所の目に留まり、2009年にシングル「のろま大将」でデビューが決定した。同曲の作曲は、大江がかねてから弟子入りを志願し、師と仰ぐ北島三郎が楽曲制作時に使うペンネームの原譲二名義で手掛ける。更に同曲のカップリング曲である「なんか一丁やったろかい」も原譲二名義で北島が手掛けている。また、北島の内弟子の経験を持たない初の北島ファミリーの一員となった[2]

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小沢代表会見中

20090227k0000m010114000p_size5 テレビを見ているのだが、要するに
①全部オープンにしている(自分ほど公開している政治家はいないだろう)
②金の出所はノー・チェック。献金元の善意を信じている。
③問題がある金は返せばいい。
④自分自身は献金にはノータッチ。スタッフに任せている。
ということのようだ。

問題は②と④。スタッフ、秘書の統括責任は無いのか。そんな甘い態度の人間に総理の重責を担わす訳にはいかないなあ。民主党は小沢代表を更迭せよ。

それにしても第七艦隊発言は拙かった。アメリカ大使館→検察の流れが今回の事件となったと見る。

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悪心も仏心のついたるか仏像本をネットで買えり

BShiで再放送していた「にっぽん心の仏像」鑑賞中に、アマゾンのギフト券を図書購入に使おうと思い立って(しぶちんの俺が)注文してもた。


ギフト券は以前、姑が入門したときに抒情歌DVDを余分に誤発注→返金ならぬ返券されたものである。

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2009年3月 3日 (火)

「帰依する」が俺にぴったり信仰は何かを思いバルトーク聴く

今朝の脳内大音量コンサートはパルトーク@アルゲリッチ。メシアンのヒュルヒュルチャラチャラ@エロスに比べるとパルトークは重苦しくなかなかアドレナリンが出にくいが、何度も聴いていると面白くなってくる。音楽もある程度、馴れであるのだろう。

ところで、「慈悲は宗教の範囲外であることの発見」をさせてくれた末木文美士(仏教vs.倫理」の著書を今、集中的に読もうとしていて、リクエストしていた「思想としての仏教入門」を今朝から音楽鑑賞ながら読書を始めた。

読んでいたら、「帰依する」という言葉が眼に飛び込んできて「信仰とはどういうことでしょうか?」質問が浮かんだ。回答選択肢は、信じる、拝む、祈る、帰依する、信心、その他である。

 「帰依する」が俺にぴったり信仰は何かを思いバルトーク聴く


そこで、今朝の収穫をメモっておこう。仏経は多様性に満ちた曖昧な教えであるが(インド、東南アジア、中国、日本)、教義の柱は

諸行無常・諸法無我・一切皆苦・涅槃寂静の四法印

とまとめてもいいかもしれない。例によってネット検索して

  いろはにほへとちりぬるを(色は匂へど散りぬるを)
  わかよたれそつねならむ(我が世誰ぞ常ならむ)
  うゐのおくやまけふこえて(有為の奥山今日越えて)
  あさきゆめみしゑいもせす(浅き夢みじ酔いもせず)

この四法印を解説しつつ、いろは歌に触れているサイトを見つけたのでリンクしておく。

人生=ロゴス(損得、好き嫌い、善悪)+エロス(快不快、美醜、真偽)
   =意識( 損得、好き嫌い、善悪)+無意識(快不快、美醜、真偽)
   =世俗( 損得、好き嫌い、善悪)+魂(快不快、美醜、真偽)

世俗は意識的論理的に暮らす世界、魂(快不快、美醜、真偽)は論理とは違うレベルを生きる。真善美のうち、善は世俗の問題、真と美とは非世俗の問題だと思いがいたりました。                       

と今朝、アバミーでコメントした。さて、仏教に魂(快不快、美醜、真偽)を発見できるだろうか。

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2009年3月 2日 (月)

冤罪の映画見終わり歌謡曲酔えばいつものごとくに眠る

まだ歌が出来ていないので昨日の回想。

午前中は理事会資料の作成、テレビ新聞その他。
午後は理事会(5月総会準備等)、終了後は姑用加湿器を買いにヤマダ電機へ。ちょっと高いけどシャープの人気商品(らしい)のにした。
夜はテレビ(日本の黒い夏、フランク永井)を観ていつものように居眠り。


熊井啓作品を日本映画chで集中放映している。「ひかりごけ」は暗いお話で嫌になったが(でも最後まで見通した。三国錬太郎の怪演である)、まだこちらの方が暗さ度はマシ。中井貴一っていい役を貰っているなあ。やっぱり映画は役者を観るものである。

冤罪の映画見終わり歌謡曲酔えばいつものごとくに眠る

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2009年3月 1日 (日)

そうだ、ルーヴルへ行こう

Latour_charpentier00 2チャンネルは役に立つなあ。暇つぶしでちょろっとクリックしたら「【絵画】ルーヴル美術館展が開幕、フェルメールなど60点日本初公開 /東京・上野公園 国立西洋美術館」→ほーう、そういえばあったなあと思いつつ、公式HPを見たらラ・トゥールの大工ヨセフがあるではないか。これは見逃してはならぬ。6/14まで。当日券\1500ではなく前売券\1300を買わねばならぬ。

画像はラ・トゥール「大工ヨセフ」。サルヴァスタイル美術館から拝借した。

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湯河原梅林2009.2.28スライドショー

懲りもせずスライドショーを作りけり今度はジャズをBGMで

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早咲きのおかめ桜に出会いたり海をバックにカメラを向ける

Photo 早咲きのおかめ桜に出会いたり海をバックにカメラを向ける

金曜から介護慰労のショートステイ、昨日は湯河原梅林に行ってきた。
途中、真鶴道路に乗らないで一般道に右折、根府川駅を過ぎたあたりで桜に出会う。おかめ桜である(根府川駅に「おかめ桜まつり」幟があったのですぐにそれとわかった)。

前を走っていた車が止まり、俺も止めて写真を撮った。前の車のおじさんが「これ、何ですか」と訊くので「おかめ桜」ですと俺は胸を張った。

ところで、「おかめ桜」で、ネット検索すると

豆桜と寒緋桜との掛け合わせで、イギリスの研究所で誕生しました。ソメイヨシノよりは早咲きで、濃いピンク色の小さい可憐な花を咲かせます。

とある。近くの星ケ山というところには約100本の桜があるそうだ。今度はこれだけを見に行ってみよう。 Photo_2

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