宗教は現世ご利益を扱うか
哲学お喋りパーティの宗教論トピックスで「ご利益」が話題となっていて、それに対する俺のコメントを転載しておく。
私はご利益を称する信仰は激しく否定します。特に現世利益、更に特に某創価学会の唱える現世利益です。
実は、昔、私がこどもの頃に亡母が学会に入信したことがあって(昭和30年代かなあ)、信者たちがやって来て仏壇にあった位牌を捨てるわお経は破いてしまうわ乱暴狼藉を記憶しています。
そのうち亡母も(現世利益が無かったからでしょう)学会から抜けました。そして、10年前、亡母をこちらに呼んで姑、妻、夫の魔のトライアングル暮らしが五年続きました。
そんな時に亡母に向かって「あんた、人生、損得と好き嫌いだけと思てるやろ」と吐いた言葉が天唾となって私に降りかかってきました。それ以来、損得と好き嫌い以外に人生、何があるかがずっとテーマです。
そして、ようやくたどりついたのが人生<価値>方程式です。
人生=ロゴス(損得、好き嫌い、理非、善悪)+エロス(快不快、美醜、真偽)
ここにロゴスは世俗の領域、エロスは宗教の領域だと(今、一応は)区分しています。従って、宗教はご利益も倫理も扱いません。すなわち、創価学会もオウム も宗教ではありません。そして、仏の存在も悟りの実現も(今のところは)否定して、それでも宗教が私の魂の中で成立するか。それを考えている今日この頃で あります。
※人生方程式は
人生=ロゴス(損得、好き嫌い、善悪)+エロス(美醜、真偽)
であったが、①真偽の座りが悪く(真偽はロゴスの変数とした方がよいのではないかという疑問)考えた結果、真実から道理(→理非)を取り出してロゴスに持っていった。また、②快楽は美醜とは異なる価値として定立した方がよいと思いエロスの変数に組み入れた。以上の結果、③真善美のうち善はロゴス、美はエロス、真のうち道理に関係する部分はロゴス、それ以外(それがひょっとしたら悟り?)はエロスというようにバランスよく配置できる結果を得た。
※写真は滋賀県向源寺の十一面観音である。二十年以上以前、津に転勤していた頃に訪ねたことがある。
十一面観音の由来について、「十一面観自在菩薩心密言念誦儀軌経によれば、10種類の現世での利益(十種勝利)と4種類の来世での果報(四種功徳)をもたらすと言われる」とウィキにあるが、この説よりは、法華経に後から加えられた「観世音菩薩普門品」即ち普門品に総ての方角に門を開き、顔を向けると言う解釈がなされて十一面観音を初めとする変化観音が興ったと言える,ちなみに「普門」とは総ての方角に開かれた門を意味するとの説を俺は支持したい。
古代インドでは、四方八方の八に上下(二)を加えた十があらゆる方角を示す数字だったそうで、十一面はこの十面(化仏)に本面を加えたものと「にっぽん心の仏像」の解説にあった。
| 固定リンク
「哲学」カテゴリの記事
- 時間の重層化(2014.10.27)
- 短歌と俳句(2014.08.31)
- 生き急ぐ歳にはあらず通勤の各駅停車哲学史読む(2014.07.11)
- 神探す唯物論者梅雨の底(2014.06.24)
- 戸田山和久「哲学入門」読了(2014.06.19)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント