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2009年3月15日 (日)

蝋燭に指透き通るみどり児はヨゼフを父に育ち給へり

Latour_charpentier00 アバミーの「春寒し」でろくな句しか浮かばなかったので悔しいhttp://doyoubi.aboutme.jp/user_question/show/95886。そんなことを思っていたら、「詩人」という言葉が引っかかってきて「詩人にも画家にもなれず春の雪」と一句を得た。「画家」が出てきたのは昨日、ルーヴル展を観たおかげだ。そこで、短歌も詠まねばと思い

蝋燭に指透き通るみどり児はヨゼフを父に育ち給へり

と一首となった。ラ・トゥール「大工ヨゼフ」の写生歌である。

そこで、唯識論(哲学お喋りパーティで宗教論が盛り上がっているので、唯識の復習である)。

唯識論は心を次の三層構造として捉える。
①意識と五感(六識)
②マナ識
③アラヤ識

仏教は元来、六つの識をあげる。まずは眼識(視覚)・耳識(聴覚)・鼻識(臭覚)・舌識(味覚)・身識(触覚)の五感のは働き(前五識)である。

つづいて第六識意識は、推理・判断などことばを用いた思考作用あり、感情・意志なども含めたいわゆる「心」の働きである。

しかし唯識は、さらにその深層に働く第七識の「マナ識」と第八識の「アーラヤ識」とを発見した。マナ識は潜在的な自己我執着心であり、アーラヤ識は、さらにその深層にあって以上のすべての識を生み出す根源的な識である。

唯識論の面白いところは通常一般的に云われる心(顕在心:①)の下に無意識の心(潜在心)を二層(②、③)用意したことにある。

ということで、唯識が想定している心の三層構造を端的に表現すると、
①普通云われている心(六識)
②個人的無意識(潜在的自我)
③いのち(ホメオスタシスなど歴史的に蓄積された生命情報)
ということになろう。
 
以上、八識(とりわけマナ識)が俺に句と歌を得させてくれたというお話である。煩悩は句歌の母なり。

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