« 速報:今朝の桜 | トップページ | 来年は桜見られぬ心地して一期一会の写真を撮りぬ »

2009年3月23日 (月)

ブッダは何を悟ったか

を読了。インドの馴染み薄い地名に(ちょっぴり)難儀したが、ブッダの一生と美しい写真を楽しめた本だった。更に、この本のメリットは原始仏教に関するコンパクトな解説(前田専学氏)である。ブッダが何を悟ったか、この解説に従って記録しておこう。

①無知(無明)に始まる十二支縁起
当時のバラモン教ではブラフマン(梵)から一切は生起しブラフマンに帰入する永遠の繰り返しだったが、これに対し、ブッダは「一切のものは相互に依存し合 い、相互に関係し合って存在する」とした。十二支縁起の具体的な因果関係が理解に苦しむところもあるが(特に、執着→生)、実体否定説=現象学:「現象の背後に真理や実在があるとするのではなく、現象のこちら側(記号世界・価値世界)に真理、実在、論理のモデルを作るしかない」(真理より道理、実在より現象)と今のと ころは理解しておこう。

②四諦(苦諦・集諦・滅諦・道諦)

③八正道(正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念および正定)
まさに「正」のオンパレードで気恥ずかしくなるぐらいだが、文句の付けようは無い。ちなみに、この「正」をヒントに「善悪と正邪、どう違う?」質問を思いついた。

④四法印(諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、一切皆苦)

以上がブッダの悟りの内容である。そこで、銘記すべきはこの中には、慈悲も空も含まれていないということである。
この点、俺は、ブッダはあくまでも自己のために(利己)修行して悟りを開いたということだと理解している。また、空などという絵空事=語り得ないことには沈黙を守り、世界は有限か無限かなどという抽象的思考に陥ることを戒めた(毒矢のたとえ/無記)。この種の問題について、カントは(ブッダと同様に)アンティノミー(相互相反命題)として排斥している 

空や慈悲を説くようになったのは大乗仏教(龍樹)以降であって、大乗仏教は却って仏教を難解陳腐なものにしてしまったのではないかと思うぐらいだ。参考:大乗偽仏教論

かくして、色即是空、空即是色が仏教の根本だと思っていたのはまことにアサハカなことであった。更には、善悪も慈悲も初期仏教の射程外であり、ブッダは世俗のことは世俗に任せ自己の魂のみを掘り下げて悟りに到達した人間だと思うのである。

人生=世俗(損得、好き嫌い、理非、善悪)+魂(苦楽、美醜、正邪)
真理=世俗(道理)+魂(正道)、善は世俗、美は魂

以前の人生方程式では魂(快不快、美醜、真偽)としていたが、一切皆苦と八正道にヒントを得て上のように改訂した。

さて、その上で「正しいとは何を基準としてどう判断するか」という問題が残る。中道という答えが降ってきそうだが。
011_a

如意輪観音坐像(奈良国立博物館)である。拝みたい仏のひとつだ。

|

« 速報:今朝の桜 | トップページ | 来年は桜見られぬ心地して一期一会の写真を撮りぬ »

「哲学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 速報:今朝の桜 | トップページ | 来年は桜見られぬ心地して一期一会の写真を撮りぬ »