旅に出て釈迦も達磨も修行中自分ごときが悟れるものか
画像はカラヴァッジオ「聖トマスの懐疑」である。いつものサルヴァスタイル美術館から拝借したが、「キリスト十二弟子の中で唯一イエスの復活を目撃していない聖トマスが「主の傷痕に指を差し入れるまで復活を信じない」と、その復活を否定した八日後、聖ト マスの前にイエスが現れ自らの傷痕に聖トマスの指を差し入れる場面≪聖トマスの懐疑(聖トマスの不信)≫を描いたもので、画面の中に凝縮されたイエス、聖 トマスと二人の弟子の配置は、見る者が本作の主題を違和感なく注視させることに見事成功している」と解説されている。
先日のルーヴル展(ラ・トゥール「大工ヨゼフ」目当てに参拝)を見終わった後、常設展も観たのだが、そこにもラ・トゥール「聖トマス」発見、その解説で不信のトマスというイエスの弟子のことを知ったことからカラヴァッジオ「聖トマスの懐疑」にたどり着いたものである。ちなみに、ラ・トゥール「聖トマス」を国立西洋美術館が所蔵するようになった経緯が面白い。興味ある方はジョルジュ・ド・ラ・トゥール展を語るを参照されたい。
ところで、俺の仏教勉強。仏教本から「釈迦も達磨も修行中」なる言葉を得たので歌に織り込んでみた。そして、仏教の基本原理(四空)を俺流に訳してみた。
諸行無常 物事を固定的に見るな、全ては仮の姿なり
諸法無我 俺は現象、全ては主観
一切皆苦 生きちょるだけで丸儲け
涅槃寂静 悟れるかどうかは別にして安穏に老いて死にたい、心底
無神論を信条としつつ悟りとか涅槃を疑いつつ求める。我は不信のトマスなり。
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