マンション等安心居住推進事業
今年度、三億円の予算がついて
・管理がうまく行っていないマンション
・第三者管理方式に取組むマンション
・老朽マンション
・団地型マンション
を対象に、補助金が出るようになったという情報を入手した。ネットで検索すると、こちらのサイト(共産党員の方のサイトのようだ。共産党は結構、マンション管理に力を入れているようだ)にもう少し詳しい情報がある。5月から具体化されるようで実際に進める場合の問合せ先等不明だが、とりあえず市役所に訊いてみよう。
今年度、三億円の予算がついて
・管理がうまく行っていないマンション
・第三者管理方式に取組むマンション
・老朽マンション
・団地型マンション
を対象に、補助金が出るようになったという情報を入手した。ネットで検索すると、こちらのサイト(共産党員の方のサイトのようだ。共産党は結構、マンション管理に力を入れているようだ)にもう少し詳しい情報がある。5月から具体化されるようで実際に進める場合の問合せ先等不明だが、とりあえず市役所に訊いてみよう。
先日のマンスリーの録音をダビングしようとしたらエラーメッセージが出た。調べてみると、
書き込み速度が原因で、CD-R または CD-RW
ドライブがバッファ処理エラーになっている可能性があります。この問題を解決するには、より低速の書き込み速度を選択します
(デフォルトでは、Windows Media Player は最も速い速度で書き込みを行うように設定されています)。この対処は、USB の
CD-R および CD-RW ドライブでは特に効果的です。
ということのようだ。オカシイなあ、今まで何の問題もなかったのに、なんでこんなのが出るようになったんだろう。48倍速のCD-R(たまたま安く売って
いたのを意識もせずに買ったもの)を今回から使用し始めたせいかなあ。ようわからんけれどとにかく、8倍速で書き込むようにして事なきを得ている。
CD、DVD周りは訳のわからんことが時々ある。特に、DVDは要注意。ダビングしても後で読めないことが結構あるのだ。先日、量販店のニイチャンに訊い たら「ビデオデッキとDVDの相性ですかねえ」と言うだけで有効なアドバイスはくれなかった。あまりに安価なCD、DVDは買わないようにしよう。
暇人も世間の波に時に乗りサーフィンしては水を飲むなり
今日はちと忙しい。
午前中はプール、午後はパソコンポランティア(とりわけ視覚障害の方)、夕17時からは町内の飲み会(二次会でカラオケに出来れば誘導したい。ケータイで我が歌唱を収録するのが狙い)である。
ところで、上の動画は今年2月に収録したものだが、最近、隔週で(主として叙情歌を)歌う会に参加するようになったので、声に伸びが出てきたと自己評価している。
ハイビジョン特集「あの歌声を再び~テノール歌手 ベー・チェチョルの挑戦~」を見て感動(ちょっぴり涙)した。番組内容はこちらに詳しいので参照してほしい。
音楽は魂であると改めて思うのんべんだらりの我が身である。
台湾からの新星、ジェン・カイウン(大学生投手)に希望をつなごう。
一期一会、一戦一会、何かしらいいことを見つけて楽しめばよし。
写真は阪神・ジェン「鮮烈デビュー」6回0封ローテ入り!から拝借、感謝。
アバミーで「幸福と快楽の関係について」なる質問を作ろうと思い、イメージと選択肢を検討中。
快楽といえばエピキュリアン、エピクロス。そこで、ネット検索したが適切なイメージは見当たらない。しようがないので哲人エピクロスの胸像にする。
選択肢は
・幸福は継続的、快楽は刹那的
・快楽は刹那的だけれど、快楽の総和が幸福
・両者は無関係、言葉の定義の問題にすぎない
・幸福は倫理に適合、快楽は反倫理的(な場合あり)
・幸福は社会と関係、快楽は非社会的、個人的
・誰かといる幸福、ひとりである快楽
・その他
にしよう。
ちなみに、ウィキから一部転載。
エピクロスの自然思想は、原子論者で
あったデモクリトスに負っている。つまりそれ以上分割できない粒子である原子と空虚から、世界が成り立つとする。そうした存在を把握する際に用いられるの
が感覚であり、エピクロスはこれは信頼できるものだとみなし、認識に誤りが生じるのはこの感覚経験を評価する際に行われる思考過程によるものだとした。
こうした彼の認識論は、後述する彼の倫理学説の理論的基盤となっている。たとえば彼は「死について恐れる必要はない」と述べているが、その理由として、死
によって人間は感覚を失うのだから、恐怖を感じることすらなくなるのであり、それゆえ恐れる必要はないといった主張を行っている。このように「平静な心
(アタラクシア)」を追求することを是とした彼の倫理学説の淵源は、彼の自然思想にあると言える。
より詳しく彼の主張を追うと、彼は欲求を、自然で必要な欲求(たとえば友情、健康、食事、衣服、住居を求める欲求)、自然だが不必要な欲求(たとえば大邸
宅、豪華な食事、贅沢な生活)、自然でもなく必要でもない欲求(たとえば名声、権力)、の三つに分類し、このうち自然で必要な欲求だけを追求し、苦痛や恐
怖から自由な生活を送ることが良いと主張し、こうして生じる「平静な心(アタラクシア)」を追求することが善だと規定した。こうした理想を実現しようとし
て開いたのが「庭園」とよばれる共同生活の場を兼ねた学園であったが、そこでの自足的生活は一般社会との関わりを忌避することによって成立していたため、
その自己充足的、閉鎖的な特性についてストア派から激しく批判されることになった。
次いで、あの博識な松岡正剛から一部転載。
さて、世に知られるとおり、エピクロスの名からはエピキュリアンという言葉が生まれた。快楽主義者とか享楽主義者などと訳されている。
澁澤龍彦も『快楽主義の哲学』でエピクロスを大いに引いた。いやだれもが快楽主義とエピクロスを結びつけてきた。しかし、この見方ははなはだあやしいも
のである。だいたいエピクロスは快楽など追求しなかった。仮に快楽に近い言葉をつかっているときも、それはたいそう静かなものだった。むしろエピクロスは
苦痛を嫌ったのである。人を苦しめること、人を苦しめる思想、人を苦しめる制度、人を苦しめる思索を嫌ったのだ。
「隠れて生きよ」が快楽主義(エピキュリズム)のキャッチとされているのだが、俺はワリとこの言葉が好きだ。「ひとりである快楽」という言葉を見つけた所以はこのあたりにあるのだろう。
エロスより出でてエロスに環り来む意味を求めてめぐりし後に
そして、今朝の一首。
ひとりいることの快楽ヘッドホン未明聴きをり武満徹
BShi「私だけの響き~バイオリニスト神尾真由子 欧州留学生活~」が面白かった。チャイコフスキー国際コンクールで優勝したバイオリニスト神尾真由子の音楽と生活を描いたドキュメンタリーである。
この番組の内容については、
彼女(正直言ってコワイ顔で俺のタイプではない)を指導しているブロン氏も「最初は彼女のキツイ表情に戸惑った事もありました。 でも、すぐにそれは燃えるような集中力の表れだとわかりました。」に詳しいのでそちらを参照して欲しいが、
「世間と魂、相対と絶対」を書いた副作用で、彼女にとっては音楽はまさに魂=絶対なんだろうなあ、CDを作る行為などは経済的相対的世間的側面もあるけれど演奏そのものはまさに孤独、ひとりぼっちの営為だろう、などと思いながら見ていた。
そうしたら、「誰かといる幸福、ひとりである快楽」という言葉が浮かんだ。
すなわち、人生方程式(シツコイなあ、エエカゲンにせんかい)は
人生=世間(損得、好き嫌い、理非、善悪)+魂(苦楽、美醜、虚実)
=相対(損得、好き嫌い、理非、善悪)+絶対(苦楽、美醜、虚実)
=経済(損得、好き嫌い、理非、善悪)+芸術(苦楽、美醜、虚実)
=幸福(損得、好き嫌い、理非、善悪)+快楽(苦楽、美醜、虚実)
という四元方程式に発展したのである。
ここで注釈その①、本来は魂(苦楽、美醜、正邪)だったが「正邪」がどうも座りが悪い。「私は実を愛する」という言葉を哲学お喋りパーティで頂戴したので「虚実」に変更した。魂は「実のある人」と云われたいのだ。
注釈その②、相対的(そうたいてき、乃至、あいたいてき)世界の代表は経済行為、絶対的世界の代表は芸術行為(例:ゴッホがひまわりを描いた行為。ゴッホは誰のためにでもなく自分のためにひまわりを描いた)、そこで、人生=経済(損得、好き嫌い、理非、善悪)+芸術(苦楽、美醜、虚実)と表現できることに気づいた。そして、俺は幸福も快楽も欲しい強欲者(母親譲り)なのである。
さて、話題を戻して神尾真由子。番組で放送されていたフランクのソナタの演奏である。
そして、番組でその収録模様が描かれていた彼女のCDを聴きたくなって、八王子図書館蔵書検索したら、あったあった。これで\2,243儲けたと考える俺はしぶちんである。
そもそも、人生方程式などという屁理屈を考え始めたきっかけは亡母に投げつけた自分の言葉だった。「おかあはん、あんた、人生は損得と好き嫌いだけと思てるやろ」
強情で強欲な人だった。関西から東京に引き取って5年、姑と嫁と息子の魔のトライアングル、濃厚な時間だった。その時間の中で俺は上のような言葉を亡母に投げたのだが、その言葉は俺に天唾となって降ってきた。
おいおい、俺にとって人生とは何やねん。損得と好き嫌いだけが人生というのは俺も一緒とちゃうんかい?
ということで、あれからずーっと考え続けて来てようやくたどり着いた人生方程式。人生の値打ち(価値)を、世間(社会との関わり)的価値と魂(世の中なん か関係ねえ。俺だけの俺にとっての)生きる値打ちとに分けて挙げたものである。真善美も入っているので、全ての価値をカバー、網羅していると思っている。
人生=世間(損得、好き嫌い、理非、善悪)+魂(苦楽、美醜、正邪)
亡母にとって(俺が思うに)人生は損得と好き嫌いだけ。得して好きなことを出来ていればそれがシアワセ(普通、みんなそうだけど)。だけど世の中はそれだけでは通らない。道理が通っているかどうか(理非)、いいことか悪いことか(善悪)、ピーチクパーチクうるさいのだ。
そして、世間をそれなりに生き抜こうとすると、理非と善悪とをある程度わきまえつつ非難されたり陰口きかれたりもしつつ損得と好き嫌いも大事にしなきゃあならない。そこが渡世人のつれえところよ。
でも、世間(損得、好き嫌い、理非、善悪)は所詮、比較のハナシ、相対的な問題。ほんとのところ、そんなのは実はどうでもいいのだ(全く無視すると暮らしが成り立たないけれど)。
そこで、魂の登場だ。世の中も他人もどうでもよくて(親になったことが無いので子を思う親の気持ちを実感してないのが俺のアキレス腱だけど)、俺の魂がまず問題なのだ。
で、魂は三要素。苦楽、美醜、正邪。
この三つは世間も他人も無関係。
①踏まれた足の痛さは本人以外は絶対にわからないのが苦楽。金があろうがなかろうが(あるに越したことはないけど)社会的地位がどうあろうと魂の苦楽は本人次第なのだ。<何だったんだろうね。夜中の三時にすっぱだかになった草彅君>
②何を美とするか、醜いと考えるかは世間も社会も無意味無関係、俺がアンパイヤだ。
③そして、正邪。これが実は、自分で作っておいてよくわからなかった。ブッダの覚り(八正道)からの連想で正邪という言葉を引いてきたのだが、正しいか邪
まかどう判断するのかも不分明だったのだ(邪念があれば邪ま、そうでなければ正しいということかなあなどと考えていた)。
そんなところにたまたま、ロイヤリティという言葉に出会った。
あ、そうか。正邪とはロイヤリティ(自己忠実度)という理解でいいんだ、多分。
いや、もっとわかりやすく単純に、純不純ということなんだ。
まあ、せっかくだからお釈迦さんに見習って正邪という表現を今後も使うけど。
ということで、
人生=世間(損得、好き嫌い、理非、善悪)+魂(苦楽、美醜、正邪)
=相対(損得、好き嫌い、理非、善悪)+絶対(苦楽、美醜、正邪)
以上、通じたでしょうか。
ところがここで問題。恋愛は世間の問題なのそれとも魂なの?好き嫌いと恋愛とは違うよなあ。読者はどう思われますか?
所有するなにものもなく愛恋の憶ひは持たず過ぎゆくは秋
八王子図書館でお洒落なCD発見。
「京王線沿線7市」の図書館連携のお陰である。
01. 白い朝 「白い朝」より 4:36
The White Dream
02. ワルツ 「他人の顔」より 5:27
Waltz from Face of Another
03. 死んだ男の残したものは 5:18
All That the Man Left Behind When He Died
04. MI・YO・TA 4:19
05. 小さな空 4:12
Small Sky
06. 青春群像 「写楽」より 5:40
Syaraku
07. 訓練と休息の音楽 「ホゼー・トレス」より 6:57
Jose Torres
08. どですかでん 「どですかでん」より 4:33
Dodes’kaden
09. 武満徹に捧ぐ Ⅰ. ザ・スピリット 10:41
Tribute to Toru Takemitsu Ⅰ. The Spirit
10. 武満徹に捧ぐ Ⅱ. 回想 5:56
Tribute to Toru Takemitsu Ⅱ. Reminiscence
11. アンコール ○と△のうた 3:59
A Song of ○’s(Circles)and △’s(Triangles)
<中日6-2阪神>メンチ離脱で打線組み替えもチャンスに1本が出ない。
マ~凄い!プロ野球10年ぶり3連続完投勝利
苦境のときほど監督の選手掌握力が要求される。阪神ベンチはいまどんな雰囲気なんだろう。
このところテレビで話題の女性だ。48歳未婚(男性と一度も接吻したことがないとのこと)、母親を介護して暮らしていたが、母親を亡くしてショービジネスの世界に挑戦するべくオーディションを受けたときの映像である。
審査員その他の表情、しぐさがあまりに芝居ぽいので、これは新手のプロモーション戦略ではなかろうかと勘ぐってしまう俺の性格はワルイのだろうか。
図書館のCD借りてケータイに落とし込んだりプールに向かふ
しぶちんの俺はCDは専ら図書館。図書館で借りたCDをパソコンに落としてケータイにダビングして歩きながら聴く(やり方を知らない人はPC音源のケータイへのダウンロード手順参照)。
メシアン、ショスタコーヴィチ、マーラー、武満徹、そしてピアソラとJazzが俺の携帯音楽だ。
音楽は一生の友メシアンをチャラチャラ鳴らし春の野歩く
かつてサヨクだった頃も「題名のない音楽会」はワリと観ていた。でも、黛のクソ右翼野郎と思い、彼の作品は全く聴く気がしなかった。
還暦過ぎた今、そんな偏見から解き放たれてケータイで涅槃交響曲(元CDはこちら)を聴いている。
右左区別はあらず限りある残り時間を音で満たさむ
黛敏郎のウィキから一部転載。
1958年には、石原慎太郎、江藤淳、大江健三郎、谷川俊太郎、寺山修司、永六輔、福田善之ら若手文化人らと「若い日本の会」を結成し、60年安保に反対した。
だがのちに保守化。保守系団体「日本を守る国民会議」(現日本会議)議長を務め、楽壇では珍しい保守の論客として知られた。1977年、保守派の活動を通
じて親交があった自民党国民運動本部長の中川一郎の要請を受け、新たに創設された党友組織自由国民会議の初代代表に就任し、終身それを務め上げた。晩年は
保守イデオローグとしての顔が印象づけられたが、若き日の映画音楽などは左翼色の濃い作品に多く名を連ねており、死後はむしろこちらのほうが目立っている。
そうまでして「『ジャーナル』を復刊させたい」と思った理由は何かといえば、(ちょっと偉そうに聞こえるが)この国への強い危機感だ。
「知的虚栄心」を満たすための雑誌ーーそんなものがいまの時代に売れるのかどうかはわからない。ただ、この復刊号が「知の復権」を目指し、将来を考えるうえでの「羅針盤」の一つになればいいという願いで生まれたことは間違いない。
と、編集長が書いています。知もカネも全ては生きるための手段と思うけど、手段を目的視してしまうやんなあと、さっき、鉄道ファンの方とお喋りしました。
ユーミンもおばさんカラダと成り果てて卒業写真テレビに唄う
Bs-hiで放送していた(たぶん、この番組紹介の二回分)。そこで、名曲、卒業写真である。「人ごみに流されて変わってゆく私を あなたは時々遠くで叱って」に思春期を憶う俺である。
午前はプール→日帰り湯→買い物/ついでに俺は八王子市南大沢図書館で利用者登録、セロニアス・モンクとバルトークとショスタコーヴィチを借りて来た。これからインターネットで(目をつけていた)このCDを予約する。
稲城はよそものを差別してCD1枚しか貸してくれないけれど、八王子はエライ。よそものでも市民と同様に3枚貸してくれる。ところが、ダビング先のパソコン残り容量22GBしかない。来年のWindows7まで、もつかなあ。
よそ者を差別をしない八王子感謝をしつつモンクを借りる
あのミヤケン(宮本顕治)の息子が麻生内閣の安心社会実現会議のメンバーとして選ばれてちょっとした話題になっている。人選については与謝野大臣の意見が相当入っているとテレビニュースで伝えていた。
<共産党佐々木議員の質問から転載>与謝野大臣は折に触れて、宮本太郎さんの「福祉政治」という本をこの委員会でも御紹介され、ぜひ読むようにということ も言われまして、私も読ませていただいたんですが、日本において、生活保障を支えるものとして、福祉レジームと雇用レジームと二つの柱がある、そういう角度から分析をされております。
この宮本太郎という人、いったい、どんな思想の持ち主かと思い検索したら
という記事を発見した。ここから、要点と思う箇所を転載する。
日本は,欧米流の福祉国家と言うよりも,大企業の長期的雇用慣行(日本的経営)と地方の雇用維持(土建国家),すなわち日本型生活保障とでも言うべきもので人々の生活を支えてきた.所得保障より就労を優先するという仕組みは,ある意味ではすでに実現してきたのである.
日本型生活保障が,人々に労働市場に参加する条件を提供し,そのことで社会の活力を維持し,行き過ぎた格差や貧困を防いできたことは強調してもよい.考えてみれば,医療制度,特に医療サービスへのアクセシビリティもまた,日本型ガバナンスの大事な柱であった.
日本の医療費のGDP比が八%足らずと小さく,かつ人口千人当たりの就業医師数は,OECD三十カ国のうちメキシコ,トルコ,韓国に次いで下から四番目
である.にもかかわらず,人口一人当たり診療件数はOECD諸国平均が六・五件であるのに対して,トップの一四・四件であった(OECD『世界の医療制度
改革』).医療サービスへの良好なアクセシビリティが,日本社会の活力と安定を支えてきたことは間違いない.
日本型生活保障を,時代に適合した,より開かれたものとして,性別を問わず人々が会社や業界を変更し,人生の舵をとることを可能にしていくことが大事であ
る.人々の活力を維持し高めるための支出は,必ずペイする.そのために,日本型生活保障を出発点として,福祉国家や市場のメカニズムを組み合わせていく方
向は,「第四の道」とも呼べるかもしれない.
というように、わりとまともな(イデオロギー的ではない)考え方の持ち主のようである。
遅くとも年内の総選挙が終われば政界再編、そして、景気が持ち直せば医療と年金の建て直し(建て直さないとガバナンス=社会秩序崩壊の可能性ありと俺も思う)のための消費税上げ、そのための構想を与謝野大臣はあたためているように思う。
ちなみに、安心社会実現会議のメンバー一覧である。
○伊藤 元重 東京大学大学院経済学研究科教授
○小島 順彦 三菱商事代表取締役社長
○髙木 剛 日本労働組合総連合会会長
○但木 敬一 弁護士
○張 富士夫 トヨタ自動車代表取締役会長
○成田 豊 電通最高顧問
○日枝 久 フジテレビジョン代表取締役会長
○増田 寛也 野村総合研究所顧問
○宮本 太郎 北海道大学大学院法学研究科教授
○武藤 敏郎 大和総研理事長
○矢崎 義雄 独立行政法人国立病院機構理事長
○山内 昌之 東京大学大学院総合文化研究科教授
○山口美智子 薬害肝炎全国原告団代表
○吉川 洋 東京大学大学院経済学研究科教授
○渡辺 恒雄 読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆
昨日、クラシックひとりごとを書きながらビデオを聴いていたら、こんないい曲/演奏があることを発見した。書きながら聴くということの効用だなあ。ピアソラを知らない人向けの入門の一曲である。
鳥谷、先制2ランと勝ち越しタイムリーで連敗ストップに大貢献!の一方、投手陣も久保(残念、勝ち投手ならず)、アッチソン、藤川(残念、本塁打食う)の継投で阪神らしい勝ち方だった。
今日から二週間ロード。まずは横浜をお客さんにできるかどうか、苦楽中道、一戦一会なり。
※写真は阪神・鳥谷、新3番「初仕事」!先制1号&決勝打から拝借感謝。
初回失点する(と今季ここまでは必ず負け)もなんとか同点に追いついたが、下柳が7回につかまってしまった(不運なヒット、エラー+森野のライトオーバー3点タイムリースリーベース、更には不振のブランコにまで)。解説の岡田前監督が森野に打たれたところで「ブランコにまで打たれると次に影響する。ここで交代させねば」と言っていたけど。
大事なのはベンチの雰囲気。ここで統率力が試されている。
最近、ひとりごとSNSが流行り出したとかのニュースを見たような気がして「SNS ひとりごと」で検索したら、SO-NETが無料SNS開設サービスを始めていることを知った。
そこで早速、SNSを開設、題して「クラシックひとりごと」である。オープン、公開、気ままなひとりごとSNS、いつまで経ってもメンバーは俺一人だったりして。
普段は寝間テレビ、昨日今日など姑がショートで留守の未明は居間テレビで音楽を聴く。読書もいいけれど、やっぱり、音楽が一番。
問題は居間テレビだとパソコンがあるのでこうして駄文を書いてしまうこと。音楽に集中すればいいものを、あ、集中していても雑念が湧いたりするなあ。ということで今朝の一首。
居間と寝間テレビ二台を行き来して邪念雑念浮かんで消える
写真は秩父で見つけた二輪草(長瀞カタクリの郷に咲いていた。見物のおばさんたちが川中美幸だあとはしゃいでいた)と道光寺(ススキのお寺:カタクリの郷の向かい。春は枝垂桜を楽しめる)に掲示されて いた人生訓。
「喧嘩しないで暮らそじゃないか。末は互いにこの姿」と髑髏が描いてある。この俗っぽいニヒリズムがわかりやすく心地良い。いずれも4/8所見のちょっと古い情報である。
NHKスペシャル「ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる」を観た(再放送は4月15日(水) 午前0時45分~1時44分)。世界で最も原始的とも言える彼らの人口は2万(ベネズエラで1万2千人、ブラジルで8千人ほど)にも及ばず絶滅の危機に迫られているそうだが、現在でも所謂文明社会とは全く無縁に狩猟生活を続けている人たちだ。
彼ら彼女らの風習で最も印象的なのは
である。見方を変えれば嬰児殺しとでも表現できる風習である。
そして、「ヤノマミ族との接触には政府の許可が必要です。よって、ツアーの始まる丸2か月前にあなた方の旅券のコピーと全額の50%前払いとして必要です」ということのようで、文明社会人との接触を政府が管理している(先住民保護区として指定。非先住民地主の退去命令事件なども起きているようだ)。
番組では先住民保護の内容に立ち入っていなかったが、先住民の側からの文明社会との接触要望は無いのだろうか、嬰児殺しともいえる風習に対して一般世論の反応はどうなんだろうか、更には彼ら彼女らの選挙権等人権保護はどうなっているんだろうなどと余計なお節介まで考えてしまった。
トキなどの動植物保護と先住民保護とを同列に考えているのではないだろうけど、気になることは気になるのである。
先日(4/8)、秩父に桜を見に行ったのだけれど、写真の整理がなかなかできなくて(レグザ問題調査のため)、ようやく昨日になって撮った写真をチェック、いいものをピックアップする作業を始めた。
そこで、思い出したのが上の写真。踊子草と人が呼ぶのを聞いて、面白い植物だなあと思い撮ったものだ。
しかし、ネットで検索すると、姫踊子草が正しい名のように思われる。踊子草は「薄いピンク色が綺麗」とのことだし、また、背が高く形も違っているようである。
ということで、この写真は姫踊子草と断じてマチガイがないようだ。これでまたひとつ賢くなったなあ。
踊子と姫の区別がつきにけり草木にいのち感じる歳に
撮影場所は清雲寺、枝垂桜の名所である(ライトアップが妖艶な美を醸すようだ)。残念ながらライトアップの写真は撮れていない。
前のエントリで
真面目な東芝はTSモードでの録画可能時間、商売上手なパナソニックは画質を落としたPSモードでの表示のような気がしてきた。ちゃんと教えてくれる量販店のお兄さんを探してみよう。
と書いたけれど、これは間違いであることが(昨日の午後から夕方にかけての)ネット検索であることが判明した。
レグザ/1TBのハイビジョン録画(ダイレクトしかできない)は約106時間(通常SD画質では約262時間)
ディーガ/1TBのハイビジョンダイレクト録画は約90時間、圧縮録画では約160~508時間(圧縮画質による)
というのが結論のようである。それでも、USBディスク・LANディスクによる拡張性を評価してレグザ(例:レグザ32H800+ヴァルディアRD-S303)を採るか、ブルーレイレコーダーにするか、それが問題である。
このところテレビ、ビデオの商品動向調査に没頭中。きっかけは東芝レグザにUSBディスク接続可能なことを知ったこと(REGZA ZはPCユーザーのための液晶テレビだ! )。
量販店、ネットにいろいろ当たった結
果、1テラバイトブルーレイレコーダー(例えばディーガの最高機種)の値段でそれ以上の容量(USBディスク)のテレビ(37H8000:6月下旬発売予定)+ブルーレイレコーダー(どうせ買うならブルーレイか。本来ならばテレビと同一メーカーの東芝だが落ち目レコーダーは落第、パナでもソニーでもシャープでもよい。シングルチューナーで十分と思量)を買えることがメリットだと認識できた。
※追記:バイト数比較ではなくて録画可能時間がポイントであることに気づいたので調べてみた。
レグザ:1TBで106時間(ディーガの250GB/126時間よりも少ないやんかあ)。
ディーガ:同じく1TBで最大508時間
ちなみに、ディーガDMR-BW750-K [ブルーレイレコーダー HDD320GB/Wチューナーのヨドバシカメラ直販価格は¥106,200
(税込)20%還元。32インチテレビのヨドバシ最安値はREGZA(レグザ)32C7000の¥78,000
(税込)10%還元だから、合計18万程度とレグザ外付けモデル+レコーダー+USBディスクの合計との比較になるなあ。微妙になってしもたやないか。
※更に追記:録画可能時間は画質との相関で考えないといけないということに気づいた。
最新のデジタル放送対応レコーダーでは、「TSモード」という新たなモードまで加わりましたとのことである。真面目な東芝はTSモードでの録画可能時間、商売上手なパナソニックは画質を落としたPSモードでの表示のような気がしてきた。ちゃんと教えてくれる量販店のお兄さんを探してみよう。←マチガイ。レグザと一般レコーダーの違いを参照。
これで、フレッツテレビ(虎中継オプションも追加)に切り替えて多摩テレビSTBを放逐できる。テレビとレコーダーをアナログケーブル(赤白黄)で結べばskyAも録画できるとの量販店ニイチャンの話である。
でも、実際に購入するのは補正予算バラマキ対策(エコポイント)実施後にする。
バラマキは嫌だけれども据え膳は食わねばならぬ渡世はつらし
ところで、写真のヘッドホンは秋葉原まで行って試聴した上で購入したソニーMDR-XB700(重低音が売り)。音は快楽だけれど夏場は蒸れそうだなあ。まことに、苦楽中道(苦と楽はコインの裏表)なり。
人生方程式(便宜的二元論)のお陰で「よい政治」と「人民の幸福」とは次元が異なる事柄だという考えに到達した。
関連質問:政治の良し悪しの判断基準は何だろうか?
だから、政治が国民を幸福にするなどというのは僭越な話である。政治は人民の幸福の前提を用意することができるにすぎない。いや、国民を不幸にしない(戦争などで)のが政治の使命というべきか。
以上、検証するべく質問「政治と人民の幸福の関係について」を作成してみた。
出かけていたので帰宅してからビデオで(当然、結果を見ないようにして)追っかけ視聴で鑑賞した。出来すぎで後がコワーイ。
ところで、このホームランラッシュ、甲子園改装の影響かはたまたボールを変えたのではないかという説が出ているくらいだ。
写真は「お立ち台で笑顔の(左から)下柳剛、金本知憲」である。
アラフォーの活躍勝利嬉しいが狩野岡崎若手に期待、であります。
俺の最近の仏教勉強のきっかけは
①善悪、慈悲など社会倫理的な事柄を、仏教(原始仏教)は説いていなかった
②ブッダは、自己の苦の解決を求めて出家して瞑想と苦行の後に悟りを開いた(八正道→苦楽中道)後、その教えを広めることを躊躇っていたが梵天が勧めたので伝道を始めた(梵天勧請)
という二点を知ったことだ。
参考:人生三枚舌悦楽教宣言、そして、このネタ本は末木文美士「仏教vs.倫理 」である。
まず、上の①については、 宮元啓一「仏教誕生」
などを読んで
と、世俗と魂(非社会的実存)の便宜的二元論に到達した。
そこで、問題は②梵天勧請になるのだが、この点に触れたコンパクトな仏教入門書に出会うことが出来た。増谷文雄「釈尊のさとり」である。
上の本によると、ブッダは「苦労してやっと証得したものをなぜまた人に説かねばならぬのか 貪りと怒りとに焼かれる人々にはこの法をさとることは容易でな い」と考えたと南伝経典にあるそうだ。十字架上のキリストの「父よ父よ、私はなぜこのような目に遭わねばならぬのか」という叫びと同様に、聖人のまことに 人間的な側面を見る思いが俺にはするのである。
では、ブッダは躊躇った後に説法を始めることに何故踏み切ったか。著者増谷文雄氏は「正覚者の孤独」を感じていたブッダの心に、人間観察(要するに、俗世 に戻ること)をすすめた梵天の勧請が届いたためだとする。ブッダも人間、ひとりぼっちでは淋しい。また、自分の悟りがどの程度世間に通じるのか、それに よって悟りの正当性を確認したいという思いもあったのではないだろうか。
かくして、ブッダは他人救済ではなく(また善悪とかの倫理的問題からでもなく)自己の問題(生老病死などの四苦八苦)解決を求めて修行し悟りに到達し、また、同じく自己のために説法を始めた。増谷氏は書いている。
釈尊の最初から追求したものは、あくまでも、自己の課題の解決でありました。苦の問題の追求なのでありました。しかるに、ついに「さとり」を開くことを得て、それを人々に説いた。それがおのずから衆生済度につながったのであります。
だから、俺は安心して俺の魂(苦楽、美醜、正邪)のみを追求しよう。人生を世俗(損得、好き嫌い、理非、善悪)と魂(苦楽、美醜、正邪)の便宜的二元論モデルで捉えつつ、最終的には魂(利己)に俺は生きたいのだ。
「7回で6点差つけられて、そこからひっくり返るなんて想像できませんわ」というゲームだった。ジェフが打たれたときは居眠りして夢の中だったが、9回の大逆転劇はバッチリ目撃した。新装甲子園の応援熱狂にメンチも感じ入ったことだろう。
写真は「サヨナラ右線適時打を放った阪神・金本知憲はナインの祝福を受け喜びを爆発させる」から拝借した。
あの反米大統領が来日しているとは知らなんだ。ニュース(動画あり)から一部転載。
終始ご機嫌ムードのチャベス大統領でしたが、予定されていた記者会見を突如キャンセル。その理由を聞くために直撃すると・・・。
(どうして会見をキャンセルしたのですか?)
「(英語で)英語がわからないので、何て言っているかわかりません。時間がなかったので記者会見をキャンセルしました」(ベネズエラ チャベス大統領)
通行人の女性と記念撮影に応じたチャベス大統領。結局、会見のキャンセルについて納得できる説明はありませんでした。(06日18:02)
なんだろうなあ。あの反米大統領と我が総理とがにこやかに会談したのもちょっと違和感があるが、記者会見突然キャンセルの理由を知りたい。日本政府がアメリカに気配りしてキャンセル依頼したのだろうか。WBCの話題もいいけれど、会見内容が知りたい。
ところで、チャベス→ベネズエラといえばシモンボリバル・ユース・オーケストラ。YouTubeにあるかなあと検索したらあったあった。
そして、このオーケストラの楽員(指揮者ドゥダメルも)を育て、現在も30万人のこどもたちを教育しているのがエル・システマである。
音楽教育を通じて貧困層の子供たちの健
全な成長を図るための組織「エル・システマ」の創設者である、経済学者のホセ・アントニオ・アブレオにより1975年に設立といわれるが、その発端となっ
たのがバチカンから赴任させられたカトリックの2人のドイツ・オーストリア系司祭・修道女たちが始めた非行防止のための青少年オーケストラ運動である。事
実、メンバーの中には元ストリート・チルドレンで麻薬の密売や強盗の経験があるものがとても多い。これが元で犯罪がほとんどなくなって世界的に注目され、
事実ドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州でこれを手本とし、非行防止と教育強化の一環として2007年から小学校からオーケストラの授業が全員必
修になった。
GDPも大事だけれど、サッカーとオーケストラで世界一になって欲しい俺は愛国者なのだが、ベネズエラに負けるなよ、日本。
「福原は立ち上がりいきなり福地にぶつけたところでつまづいた感じ」で壊れてしまったゲームだったが、ビデオ追っかけ所々早回しで最後まで観た。
勝負事は勝つことが目的ではあるが、欲を言えば限が無い。勝たなくともいい、いや、勝てなくて当然、何かの間違いで勝てれば儲けもの、それが苦楽中道ファンの生きる道なのだ。
思えば、人生は花のトンネル、トンネルの先も花国である。
ヤクルト由規19歳に押さえ込まれてしもうた。「若手育成に定評のある阪神打線」とのコメントはまことに適切なコメントである。
虎は愛と慈悲に溢れているのだ。
※写真は「阪神・メンチ、あぁ「8の0」も…真弓監督まだ我慢」から拝借した。
何が原因で誤報が発生したのか、ようわからんけれど
はしゃぎ過ぎは怪我の素。
他方、今回の誤報を(それ見たことかと)政府がはしゃいだせいにするのも
問題のように思う。
結局は、武器による脅しは無視するしかないのかなあ。
武器に対抗して武器というのも武器商人を儲けさせるだけだし。
大陸弾道ミサイルを使用した国は(幸いなことに)まだ無い。
核兵器は広島、長崎に爆撃機が落としたことが唯二の先行事例である。
死ぬときは死ぬと首を洗っておくことにしよう。そんなことより、目の前の
生活課題の方が大きなリスクにあるのだと思いたい、俺は。
北ミサイル「発射情報」に一時緊迫、政府が誤発表
「まぁ~なんと言っても今日の主役は金本に尽きますな」は当然に別格として、よくやった関本クン、そして、あほ顔は蔑称ではなくて愛称のつもりだ。イケメンではなくて朴訥なひらたい顔が阪神らしい。
そしてまた、ここ数日眠れなかったらしい狩野もよくやった。いまいちピリッとしない安藤もまずまず。メンチ(カツではなくてマケ)は真面目すぎるんだろうなあ、多分。
ということで、ともかく一勝はしたぞ。さて、そろそろビデオ録画している第二戦を追っかけ視聴するか。
宮元啓一氏のHPを見つけた。
その中に「苦楽中道 ゴータマ・ブッダは何を発見したか」なる記事があるので、そこから結論部分を転載する。
その真理の核心とは、輪廻(=苦)の究極的な原因は根本的な生存欲であり、それを滅ぼすものは智慧であり、そのためには徹底的に輪廻的生存にまつわるすべ
ての事実を観察、考察しなければならない、というものである。これは、ゴータマ・ブッダ以前、誰も気がつかなかった真理であり、これこそゴータマ・ブッダ
がはじめて発見したものであり、ここにこそ、ゴータマ・ブッダの独創性がある。仏教は、この独創性を根拠にして開かれたものなのである。
「根本的な生存欲を滅ぼす智慧」というようなものがあり得るだろうか。あり得るとしても瞑想により得られるものだろうか。
心底エロティストたる俺には「根本的な生存欲を滅ぼす智慧」があり得るとは到底思えない。輪廻を前提とした生存欲の滅定(智慧)、これがブッダの教えの根本であるとするならば、俺はブッダの徒にはなれないなあ。俺は矢張り、土曜日エロス教の開祖にしかなれないようである。
仏教書で気に入った言葉「釈迦も達磨も修行中」で検索して見つけたこの本
を読了したので感想文を書いておこう。ちなみに、同書を紹介してくれたサイトは大乗思想批判:『仏教誕生』、『ブッダ─伝統的釈迦像の虚構と真実─』で、このサイトの刺激的な紹介に刺激されて読むことが出来たものである。
1.ブッダは何と闘ったか(諸行無常、諸法無我、縁起)
ブッダは突然に現れたのではない。当時の支配的思想(バラモン教:輪廻・解脱、梵我一如の思想と今は理解しておく)に抗して新興思想(六師外道など)の集大成者(文書で明示した訳ではない)としてブッダを位置づけるべきである。
ブッダの発想は「善悪の彼岸に解脱の境地」があるという点だ。
当時の主流思想(バラモン)は輪廻(因果応報)→だから現世で善行を積めと主張するのに対して、俗世では悪行は不可避、解脱するためには俗世で生きるのを止めて(出家)、善悪の彼岸にたどりつかねばならぬと考えた一群の思想(六師外道、ブッダ)があったということだ。
体制側(バラモン)はこのような思想は危険思想だとして排撃した。なぜなら、若者たちがこのような危険思想に走って出家してしまったら世俗経済が成り立たなくなるからだ。
ブッダの諸行無常、諸法無我という発想は(著者の宮元氏は「人は必ず死ぬ」という単純な意味だとするが)、バラモンが説くところの人間の不変実体(真我: アートマン)など無いという当時としては過激な主張ではないだろうか。諸行無常、諸法無我だからこそ人間は皆平等(カースト制反対)という思想に到達した のがブッダだと俺は考える。
また、ブッダは縁起という因果関係論を強調しているが、梵我一如なる神秘思想に対して合理的因果関係論を対抗させたのではないかと考えたいのだが、インド思想の知識に乏しく、これは今後の課題としておこう。
2.「経験論とニヒリズムに裏打ちされたプラグマティスト」ブッダ
著者は上のようにブッダ(釈尊と著者は呼んでいる)をわかりやすく表現している。無記(形而上学排除:毒矢の喩え)に代表されるごとく、ブッダは観念論者ではなく経験論者、そして、プラグマティストである(ここまでは著者に同意)。その上に、一切皆苦とする点を捉えて著者はニヒリズムとする。
しかし、ニヒリズム(虚無主義)という言葉は誤解を生みやすい。ブッダの覚りが何であったか、著者は
仏教が最終の目標とするところは、そし
て釈尊その人が到達したところは、生存欲を断つことだということになる。これをわたくしは、「生のニヒリズム」と呼ぶことにしたい。生のニヒリズムに到達
した者は、当然のことながら、この世に生きることに何の意味も見いださず、したがってまた、なんの価値判断を下すことがない。
とするが、「生存欲を絶」って尚且つ生き続けるということがどういうことなのか、俺には理解し難い。この点、著者は「少欲知足という名のもとにおける生存欲の完璧な抑制」と説明しているが、これでは「生存欲を絶つ」ことにはならないだろう。ブッダに是非とも説明してほしいところである。
そこで、(エラソーにも)ブッダに代わって考えると、ブッダは矢張り、生を肯定したと俺は考える。一切皆苦(だから、生きちょるだけで丸儲け)、その上でどのように生きるのか、それをブッダは八正道と説いたように考えたいのだ。
3.中道(八正道)を生きる<全ては図と地>
著者は中道を「苦楽中道」と表現する。苦行は生存欲を根絶させることはできない、他方、享楽的生活は我執・煩悩を生むだけである。従って「この両極端を捨て」るのが苦楽中道(正見・正思などの八正道)であるとする。
だが、ここで俺は考えた。正しい、邪まなどといっても所詮はコインの裏表。図と地の関係と捉えたらどうだろう。
あるアスペクト(観点)から見れば図ではあるけれど、別のアスペクトからするとそれは地。ルービンの盃が盃に見えたり人の横顔に見えたりするのである。ブッダのいう中道とは多様なアスペクトから物事を(当然に自分自身も)見よということではなかろうか。
4.生を肯定して中道(多様性)を生きる
かくして、人生方程式
人生=世俗(損得、好き嫌い、理非、善悪)+魂(苦楽、美醜、正邪)
に考えは及ぶ。
生を肯定し(スピノザ:物にも生命にも人間にも共通な力=コナトゥスの肯定)世俗を暮らしつつ、他方で、人は魂(非社会的実存)を生きる。魂は世俗(特に 善悪)を超越しつつ苦楽も美醜も正邪もコインの裏表、いろんなアスペクトから人生を楽しむのである。それがエロスだと俺は思う。
エロスより出でてエロスに環り来む意味を求めてめぐりし後に
参考リンク:①ブッダは何を悟ったか ②感情論@「エティカ」を読む(4)
北のミサイル問題、剣呑な話はゴメン、痛いの大嫌いな俺だけれど、迎撃をあまりに強調するのもどうかと思う。それどころか、北のミサイルのお陰でイージス艦も迎撃ミサイル装備の必要性もアピールできたし、政府に対する信頼感、支持率も上昇、ひょっとしたら北と日米政府は馴れ合いではないかとまでへそ曲がり俺は妄想したりするのである。
そこで、「北朝鮮 ミサイル 馴れ合い」で検索して見つけたブログ「ミサイル間近に落ちて欲しい」と願う右翼・石原都知事で発見したニュース記事を転載しておこう。
東京都の石原慎太郎知事は27日の定例記者会見で、北朝鮮が弾道ミサイルの発射準備をしていることに関連し、「こんなことを言うと怒られるかもしれない
が、変なものが(日本の)間近に落ちるなんてことがあった方が、日本人は危機感というか、緊張感を持つんじゃないかな」と述べた。
その上で、「(日本人は)まあ大丈夫だ、まあ大丈夫だ(という意識)で来たわけだから」と話した。外国からの攻撃などに対する国民の危機意識の薄さを指摘したとみられるが、批判も出そうだ。
ところで、麻生総理の笑顔、本人も気になっているようではある。
あの(へらへら)笑顔は天性のものだろう。奉られて育ったお坊ちゃんの悲しみがそこにはあるのかもしれない。
昨日、阿修羅展初日見物での東京国立博物館ロビーである。
阿修羅像を拝観するのは初めてだが、360度時計回りで(俺は四周した)観られる。お勧めは、背面から阿修羅の左面の横顔である。正面のお顔が悲しみをたたえているのに対し、左面(向かって右)のお顔(特に横顔)はなにものかに立ち向かっていく凛々しさを表しているかのように感じた。いわゆる仏像ぽいお顔ではなく、写実的に人間の内面に問いかけてくる仏様である。
その点は十大弟子像も同様で、とりわけ、須菩提(諸法皆空に真解悟入した第一人者)の像は観ている俺の涙が滲むほどの表情をされている。また会えるかなあと思いつつ記憶の中で大事にしておくことにする。
阿修羅展を出て黒田清輝を見て「読書」は撮影可だったので撮って(右の画像)
、内庭に出て桜(正福寺桜←兵庫県新温泉町天然記念物の桜と同種と思われる)を眺めての半日だった。八部衆像、十大弟子像の一部は4/19までしか展示されないようであるから行かれるならば早目がよいかもしれない。
最近のコメント