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2009年4月 8日 (水)

梵天勧請(魂の追求)

俺の最近の仏教勉強のきっかけは
①善悪、慈悲など社会倫理的な事柄を、仏教(原始仏教)は説いていなかった
②ブッダは、自己の苦の解決を求めて出家して瞑想と苦行の後に悟りを開いた(八正道→苦楽中道)後、その教えを広めることを躊躇っていたが梵天が勧めたので伝道を始めた(梵天勧請
という二点を知ったことだ。

参考:人生三枚舌悦楽教宣言、そして、このネタ本は末木文美士「仏教vs.倫理 」である。


まず、上の①については、 宮元啓一「仏教誕生」

などを読んで

生を肯定し(スピノザ:物にも生命にも人間にも共通な力=コナトゥスの肯定)世俗を暮らしつつ、他方で、人は魂(非社会的実存)を生きる。魂は世俗(特に 善悪)を超越しつつ苦楽も美醜も正邪もコインの裏表、いろんなアスペクトから人生を楽しむのである。それがエロスだと俺は思う。

と、世俗と魂(非社会的実存)の便宜的二元論に到達した。

そこで、問題は②梵天勧請になるのだが、この点に触れたコンパクトな仏教入門書に出会うことが出来た。増谷文雄「釈尊のさとり」である。


上の本によると、ブッダは「苦労してやっと証得したものをなぜまた人に説かねばならぬのか 貪りと怒りとに焼かれる人々にはこの法をさとることは容易でな い」と考えたと南伝経典にあるそうだ。十字架上のキリストの「父よ父よ、私はなぜこのような目に遭わねばならぬのか」という叫びと同様に、聖人のまことに 人間的な側面を見る思いが俺にはするのである。

では、ブッダは躊躇った後に説法を始めることに何故踏み切ったか。著者増谷文雄氏は「正覚者の孤独」を感じていたブッダの心に、人間観察(要するに、俗世 に戻ること)をすすめた梵天の勧請が届いたためだとする。ブッダも人間、ひとりぼっちでは淋しい。また、自分の悟りがどの程度世間に通じるのか、それに よって悟りの正当性を確認したいという思いもあったのではないだろうか。

かくして、ブッダは他人救済ではなく(また善悪とかの倫理的問題からでもなく)自己の問題(生老病死などの四苦八苦)解決を求めて修行し悟りに到達し、また、同じく自己のために説法を始めた。増谷氏は書いている。

釈尊の最初から追求したものは、あくまでも、自己の課題の解決でありました。苦の問題の追求なのでありました。しかるに、ついに「さとり」を開くことを得て、それを人々に説いた。それがおのずから衆生済度につながったのであります。

だから、俺は安心して俺の魂(苦楽、美醜、正邪)のみを追求しよう。人生を世俗(損得、好き嫌い、理非、善悪)と魂(苦楽、美醜、正邪)の便宜的二元論モデルで捉えつつ、最終的には魂(利己)に俺は生きたいのだ。

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