誰かといる幸福、ひとりである快楽
BShi「私だけの響き~バイオリニスト神尾真由子 欧州留学生活~」が面白かった。チャイコフスキー国際コンクールで優勝したバイオリニスト神尾真由子の音楽と生活を描いたドキュメンタリーである。
この番組の内容については、
彼女(正直言ってコワイ顔で俺のタイプではない)を指導しているブロン氏も「最初は彼女のキツイ表情に戸惑った事もありました。 でも、すぐにそれは燃えるような集中力の表れだとわかりました。」に詳しいのでそちらを参照して欲しいが、
「世間と魂、相対と絶対」を書いた副作用で、彼女にとっては音楽はまさに魂=絶対なんだろうなあ、CDを作る行為などは経済的相対的世間的側面もあるけれど演奏そのものはまさに孤独、ひとりぼっちの営為だろう、などと思いながら見ていた。
そうしたら、「誰かといる幸福、ひとりである快楽」という言葉が浮かんだ。
すなわち、人生方程式(シツコイなあ、エエカゲンにせんかい)は
人生=世間(損得、好き嫌い、理非、善悪)+魂(苦楽、美醜、虚実)
=相対(損得、好き嫌い、理非、善悪)+絶対(苦楽、美醜、虚実)
=経済(損得、好き嫌い、理非、善悪)+芸術(苦楽、美醜、虚実)
=幸福(損得、好き嫌い、理非、善悪)+快楽(苦楽、美醜、虚実)
という四元方程式に発展したのである。
ここで注釈その①、本来は魂(苦楽、美醜、正邪)だったが「正邪」がどうも座りが悪い。「私は実を愛する」という言葉を哲学お喋りパーティで頂戴したので「虚実」に変更した。魂は「実のある人」と云われたいのだ。
注釈その②、相対的(そうたいてき、乃至、あいたいてき)世界の代表は経済行為、絶対的世界の代表は芸術行為(例:ゴッホがひまわりを描いた行為。ゴッホは誰のためにでもなく自分のためにひまわりを描いた)、そこで、人生=経済(損得、好き嫌い、理非、善悪)+芸術(苦楽、美醜、虚実)と表現できることに気づいた。そして、俺は幸福も快楽も欲しい強欲者(母親譲り)なのである。
さて、話題を戻して神尾真由子。番組で放送されていたフランクのソナタの演奏である。
そして、番組でその収録模様が描かれていた彼女のCDを聴きたくなって、八王子図書館蔵書検索したら、あったあった。これで\2,243儲けたと考える俺はしぶちんである。
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