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2009年4月25日 (土)

世間と魂、相対と絶対

Photo そもそも、人生方程式などという屁理屈を考え始めたきっかけは亡母に投げつけた自分の言葉だった。「おかあはん、あんた、人生は損得と好き嫌いだけと思てるやろ」

強情で強欲な人だった。関西から東京に引き取って5年、姑と嫁と息子の魔のトライアングル、濃厚な時間だった。その時間の中で俺は上のような言葉を亡母に投げたのだが、その言葉は俺に天唾となって降ってきた。

おいおい、俺にとって人生とは何やねん。損得と好き嫌いだけが人生というのは俺も一緒とちゃうんかい?

ということで、あれからずーっと考え続けて来てようやくたどり着いた人生方程式。人生の値打ち(価値)を、世間(社会との関わり)的価値と魂(世の中なん か関係ねえ。俺だけの俺にとっての)生きる値打ちとに分けて挙げたものである。真善美も入っているので、全ての価値をカバー、網羅していると思っている。

人生=世間(損得、好き嫌い、理非、善悪)+魂(苦楽、美醜、正邪)

亡母にとって(俺が思うに)人生は損得と好き嫌いだけ。得して好きなことを出来ていればそれがシアワセ(普通、みんなそうだけど)。だけど世の中はそれだけでは通らない。道理が通っているかどうか(理非)、いいことか悪いことか(善悪)、ピーチクパーチクうるさいのだ。

そして、世間をそれなりに生き抜こうとすると、理非と善悪とをある程度わきまえつつ非難されたり陰口きかれたりもしつつ損得と好き嫌いも大事にしなきゃあならない。そこが渡世人のつれえところよ。

でも、世間(損得、好き嫌い、理非、善悪)は所詮、比較のハナシ、相対的な問題。ほんとのところ、そんなのは実はどうでもいいのだ(全く無視すると暮らしが成り立たないけれど)。

そこで、魂の登場だ。世の中も他人もどうでもよくて(親になったことが無いので子を思う親の気持ちを実感してないのが俺のアキレス腱だけど)、俺の魂がまず問題なのだ。

で、魂は三要素。苦楽、美醜、正邪。
この三つは世間も他人も無関係。

①踏まれた足の痛さは本人以外は絶対にわからないのが苦楽。金があろうがなかろうが(あるに越したことはないけど)社会的地位がどうあろうと魂の苦楽は本人次第なのだ。<何だったんだろうね。夜中の三時にすっぱだかになった草彅君>
②何を美とするか、醜いと考えるかは世間も社会も無意味無関係、俺がアンパイヤだ。
③そして、正邪。これが実は、自分で作っておいてよくわからなかった。ブッダの覚り(八正道)からの連想で正邪という言葉を引いてきたのだが、正しいか邪 まかどう判断するのかも不分明だったのだ(邪念があれば邪ま、そうでなければ正しいということかなあなどと考えていた)。
そんなところにたまたま、ロイヤリティという言葉に出会った。

あ、そうか。正邪とはロイヤリティ(自己忠実度)という理解でいいんだ、多分。
いや、もっとわかりやすく単純に、純不純ということなんだ。
まあ、せっかくだからお釈迦さんに見習って正邪という表現を今後も使うけど。

ということで、
人生=世間(損得、好き嫌い、理非、善悪)+魂(苦楽、美醜、正邪)
   =相対(損得、好き嫌い、理非、善悪)+絶対(苦楽、美醜、正邪)

以上、通じたでしょうか。

ところがここで問題。恋愛は世間の問題なのそれとも魂なの?好き嫌いと恋愛とは違うよなあ。読者はどう思われますか?

 所有するなにものもなく愛恋の憶ひは持たず過ぎゆくは秋

参考リンク:人生三枚舌悦楽教の奨め(人は三つの世界を生きている。魂、世間、社会)

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