じじばばが孫を連れての日帰り湯子のなき吾は魔羅洗ひをり
じじばばが孫を連れての日帰り湯子のなき吾は魔羅洗ひをり
水曜日は姑がデイから帰ってくる時間が遅いので大抵、嫁慰労の日帰り湯。駐車場に車を入れたらじじばばが孫を連れて来ているのに出くわした。
そこで、「じじばばが孫を連れての日帰り湯」と上の句が浮かぶ。
下の句をどうするかなあと思いつつ湯に入って「子のなき吾は魔羅もてあそぶ」と付けたが推敲。その結果が上の歌だ。
短歌も俳句も客観が基本。「もてあそぶ」などと主観色が強い言葉は排除するのが安全適切である。これを斎藤茂吉は実相観入(実相に観入して自然・自己一元の生を写す)と称したのである。
※なにか画像を付けないと淋しいので「男根」で検索して見つけたのが上の動画である。川崎大師 若宮八幡宮 かなまら祭とのことだ。
| 固定リンク
「一日一首」カテゴリの記事
- 人生の最後は芸に辿り着き耳と眼、喉に快楽生まる(2011.11.14)
- 音楽も映画も在庫溜まるけど時は有限地平へ歩く(2011.10.04)
- 自己愛を捨てる練習芸の道旅路の支度ゆるゆるとせむ(2010.08.10)
- 不器用な男なれども今場所は真面目力士の八連勝(2010.07.19)
- 甘えるも生き方の技相手見て心盗みて甘えてみたし(2010.07.07)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント