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2009年5月13日 (水)

本質主義と社会構築主義(構造構成主義)

アバミー「ほんとう」って何ですかね。質問でちょっと面白いラリーになりかけたのだけれど、しぼんでしまうようである。残念だ。

このラリーは(ウィキに従うと)本質主義と社会構築主義との対立に分類できるようだ。

本質主義(ほんしつしゅぎ、: essentialism)とは、本質(事物の変化しない核心部分)を自立的な実体、客体的な実在物であるとみなした上で、個別の事物は必ずその本質を有し、それによってその内実を規定されている、という考えをいう。

社会構築主義(社会的構築主義、社会構成主義、social constructionism or social constructivism)とは、現実(reality)、つまり現実の社会現象や、社会に存在する事実や実態、意味とは、すべて人々の頭の中で(感情意識の中で)作り上げられたものであり、それを離れては存在しないとする、社会学の立場である。

主義で考え方、思想を分類するのは好きではないが、俺には社会構築主義という呼称より構造構成主義という名称の方が実感が湧く。以下、参考リンク「構造構成主義とは何か」
 から一部だけ転載しておく。

外部世界も実在しないし、唯一の正しい科学理論もありません。理論や政策の真理性という話は全部インチキです。擁護すべきものは、世界中の人々の意識の中に存在している、相互に共通であったり背反したりしている多元的な心的構造の実在性だけです。
私がここで提唱している多元主義社会は、世界の人々が、破滅に向かわないで、共存可能な、恐らく唯一の最終社会形態です。

「世界中の人々の意識の中に存在している、相互に共通であったり背反したりしている多元的な心的構造の実在性」を唯識は人人唯識(一人一宇宙)と何千年も 前に表現したし、また、ライプニッツはモナド(簡単に言えば、モナドとは、デカルトの立場から見られたアリストテレスの「形相(イデア)」)と名づけたの である。

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