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2009年6月

2009年6月29日 (月)

縦横の音の響きを楽しめる耳になりゆく人生の秋

Photo 縦横の音の響きを楽しめる耳になりゆく人生の秋

今朝の居間テレビは「庄司 紗矢香 20世紀の名曲を弾く! 」。(姑がいる日の未明は寝間テレビ、ショートに行って不在の日は居間テレビ。いずれも1万円ヘッドホンで音楽快楽である)。

昨年の生誕百年メシアンとの出会いがあったので、だいぶ現代音楽に耳が馴染んできた。現代曲はムツカシイなどという先入観を捨てて、音の流れ、響き、展開 を楽しめるようになったのだ。そして、紗矢香ちゃん、お気に入りのかわいこちゃんバイオリニストである。この番組、いずれBSでコンサート全容の放映があ るだろうが、紗矢香ちゃんインタビュー、そして、なによりも彼女の絵を映してくれているので永久保存版としよう。
ちなみに、1テラバイトビデオの空き容量73%。NHK放送クラシックほぼ全部を録画しているが、まだまだ整理しなくても大丈夫である。

写真は紗矢香ちゃんの絵とインタビューを受けている彼女だが、いずれもテレビ撮影したものだ。Photo_2

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2009年6月28日 (日)

六十を過ぎて成長あることに嬉しく気づく土曜日の夜

Photo 六十を過ぎて成長あることに嬉しく気づく土曜日の夜

毎週土曜日の夜が混声合唱練習日だが、昨夜が俺にとっての四回目である。
以下、バス・パート、隣の先輩との昨夜の会話を記録しておく。

「なんか低音が出るようになった気がするんです」
「そうですよ。発声練習を続けているので二、三ヶ月もすると低音も高音もだいぶ出るようになりますよ」
「そうですか。それは嬉しいです。還暦を過ぎて成長があるのはいいなあ」

ということで、7/12の多摩市合唱祭で(鮮烈?)デビュー予定。
ちなみに、合唱の先生(高浪晋一氏)のキャッチフレーズが各駅停車。アマチュアの合唱はゆっくり各駅停車で楽しもうという趣旨である。 

 土曜日の各駅停車ゆるゆると詩歌読みつつ職場に向かふ

合唱祭の夜は打ち上げだそうだ。上の歌を披露して「ご縁です」と吹いたるねん。

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2009年6月26日 (金)

井上靖と小澤征爾

20081105_2 BShiの番組100年インタビュー「小澤征爾~西洋音楽と格闘した半世紀~」を観ていたら、小澤征爾がいい話をしていたので記録しておく。

スクーター一つで海外に飛び出した小澤がブザンソン国際指揮者コンクールで優勝して仕事が来るだろうと思っていたら、仕事も来ないしマネジメントの話も無い。当てが外れてがっくりしていたら日本国内の仕事の話(群馬交響楽団)が来たので日本に帰ろうかと考えていたところ、井上靖に「帰るな。世界で頑張れ」と諭されて群響の話を断ったそうだ。

ここで日本に帰っていたら世界のオザワは無かっただろうなあ。人間、転機はあるものだ(俺はどうだったんだろう)などと思った。そこで、「井上靖 小澤征爾」で検索したら次のサイトが見つかった。

1962年(昭和37年)1月、サンフランシスコ交響楽団の指揮をし、大成功。同年6月NHK交響楽団の指揮者に就 任。12月に同楽団の団員からついていけないとボイコットされる(いわゆるN響事件)。翌年、小澤征爾を応援する井上靖、石原慎太郎、大江健三郎など多く の文化人の主催による「小澤征爾の音楽を聞く会」で指揮。大好評だったが、ニューヨークに再び渡る。シカゴ交響楽団のラヴィニア音楽祭で、急病の指揮者にかわって指揮をする。そこで、シカゴ響のディレクター、ラドキン氏に「この音楽祭をきみにあげよう」と言われ、翌1964年から5年にわたってラヴィニア音楽祭の音楽監督を務める。

人生、まさに出会いである。駄句近作「蚊のごとき男の一生ピアノ弾く」に断然おもしろい。「ピアノ弾く」は自嘲か」との評を頂戴したのが嬉しかった。

※写真は2008年小澤征爾が文化勲章を受章した時の記者会見の様子。日本国政府が小澤に先んじて森光子に文化勲章を与えたことを俺は忘れない。

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2009年6月25日 (木)

都議選前日に内閣改造→東国原入閣?

今日の日経にチラッと書いてあったが、都議選前日内閣改造説があるようだ。宮崎県知事を総務相で入閣させ人気沸騰(?)→都議選勝利という皮算用ではないか。

そう思うと、宮崎県知事への衆院選出馬要請はこのシナリオの一環とも読める。東国原+橋下の人気に加えて、地方分権議論を選挙の争点にして都議選投票までマスコミ利用しての支持率上昇策(メディアジャック)ということか。末期的症状と侮るとしっぺ返しが来るぞ、民主党諸君。

ちなみに、東国原説得の使者に立った古賀氏に関する週刊文春記事をリンクしておく。

「今度の選挙は、派閥単位の生き残り競争だ。何より宏池会(古賀派)として勝ち抜くことが大事だ。今の勢力を維持していれば、たとえ自民党が負けても、いずれ必ず民主党からスカウトされるよ」

 古賀氏は子飼いの派閥議員たちに、こう因果を含めている。

はは。政治って面白いねえ。政治に期待するものはなにもないけどこうした権謀術数の世界は見ていて暇つぶしになる。だから俺は必ず選挙権は行使しているのだ。

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2009年6月24日 (水)

総裁になりたしなどと高値つけ広告塔の傲慢悲し

Tky200906230338 昨日の仰天ニュース、宮崎県知事の発言「私が次期総裁候補として次の選挙を自民党さんは戦いになる覚悟はありますか」を記録しておこう。そして、これに対して、我が総理が、知事が自らを「自民党総裁候補」とすることを出馬条件としたことについては「人の去就の問題だ。おちょくったような気持ちで言っているとは思わない」と述べたことも記録しておく。自民党末期症状なり。

※写真は会談を前に握手をする東国原英夫宮崎県知事(右)と古賀誠自民党選対委員長より。

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2009年6月21日 (日)

小沢一郎は何故一言も喋らないのか

1236145394 検察は「国策捜査」を自白した! (山口一臣の「ダメだめ編集長日記」)何が何でも“小沢潰し”に突き進む検察——西松事件冒頭陳述の異様 (News Spiral)を読んでなるほどなあとは思う。思うけれども、小沢一郎は事件に関して何故一言も喋らないのだろう。

いずれ開かれる裁判のために今は沈黙しているのならば、せめて「無実の罪に問われて不当に逮捕勾留された秘書を守るために私は全力で闘う。そのために今は事件に関してなんにも喋らない、喋れば検察に手の内を明かすことになるのだから」ぐらい喋って見得を切れよ。不器用なのかそれとも何か魂胆があって喋らないのか、不思議な人だ。

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2009年6月20日 (土)

クラシックひとりごとの使用法と効能

Photo クラシックひとりごとに俺以外の参加メンバーが4人来て頂くようになった。(まずは)嬉しい。
そこで、使用法と効能について記録しておこう。

まず、使用法だが
①BS2のコンサート放送ビデオ録画を再鑑賞②聴きながらネットでコンサート評ブログなどを検索③ブログ等検索結果の主要部分を貼り付け
「ひとりごと」なので起承転結、接続詞などお構いなし。要するに自分が楽しめればいいのです。
とか、図書館にCDリクエストするバックログ(図書館蔵書検索結果など)である。

要するに、こうした作業を通じて(単に聞き流すのではなく)音楽や演奏の記憶が確かなものとなり、作曲家、作品の知識蓄積につながる効能があるのである。まさに、ひとりごとなのだから誰のためでもなく自分のためのSNSなのだ。

ということで、俺としてはSNSの新しい使い方を提起しているつもりである。アニメひとりごと、映画ひとりごとなど色んな分野でも今後このような活用が広がるのではなかろうかとSNSサービス元SO-NETに代わっての宣伝であった。

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2009年6月19日 (金)

昼餉して昼寝の後の梅雨晴れ間溜まりしビデオのんびりと聴く

貧乏性の俺はビデオの空き容量残が気になるのだが、約763時間39分(若干、落とした画質で)、85%である。どうだ、1テラバイトの威力、参ったか。

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2009年6月18日 (木)

情の鳩山、守りの麻生

Plc0906172320017p1 昨日の党首討論、ビデオに録って見たのだけれど、なんだかなあ。
討論の焦点が合わずピンボケ。「人の命より財源を優先するのか」と迫る鳩山もいまいちだけれど、論点をずらしたりしている麻生の姿勢が目立った。なにより、手に答弁資料を用意しているのが情けない。

 踏ん張れよここが男の見せ所投げる言葉はおのれに戻る

写真は、【党首討論】説明責任に徹した首相 スローガン目立つ鳩山氏より。

※心秘かに贔屓している産経福島記者がいいことを書いてくれているので転載記録しておく。

人の言うことに耳を貸しすぎて右往左往する麻生政権がすばらしいとは、よういいませんが、愛とか正義とか、ものすごく激しい思い込みのもとで、権力をふりまわす政権ほどこわいものはないことは、どっかの国を見てしっているので、ちょっと、いやかなり不安に思った次第です。

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2009年6月17日 (水)

才能方程式

このところ、DVDにダビングした(200枚以上はありそう)音楽番組の復習・整理をしているのだが、今朝の「教育者 斎藤秀雄の真実」が面白かった。
斎藤は、終戦後、巌本や森正らの室内楽活動に手を貸す傍ら、1948年には井口基成伊藤武雄吉田秀和らと「子供のための音楽教室」を開設。これが後の桐朋学園の一連の音楽系学科開設につながっていくという今日の日本のクラシック音楽、演奏家の基盤を作った人である。

この番組の中で斎藤が「素質や努力は教えて出来るものではない。教育者に出来ることは注意力を育てることだけだ」と語ったのが(最近、コーラスを始めた俺には)殊に印象的だった。

素質も無いし努力も嫌いな俺だけど、コーラスの練習で先生が指示してくれる「歌いすぎ。この歌はそんなにきばって歌うものではない」とか「もっとしゃくって歌いなさい(これは「上を向いて歩こう」に関する注意)」はなるほど納得の注意である。言い換えると、自分の演奏ばかりに目が向いている演奏者に対して、曲想とか演奏を客観的に判断して注意する事柄を指摘してくれる、それが教師の中心的役割だということだ。

言われてみればあたり前の話だけど、素質を引き出すとか努力、根性とかを叩き込むのが教師の仕事ではないのである。注意力を高める、知恵を身につけさせるのが教師の仕事ということだ。これを方程式としてまとめると、

 才能=素質+努力+注意力(知恵)

ということになる。努力が嫌いな俺にぴったりの方程式だと自画自賛である。

 権力と権威・強制嫌ひなり努力もせずにまた夏が来る

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2009年6月16日 (火)

梅雨冷の一日家にこもりゐてドン・ジョヴァンニの末路眺めぬ

昨日はプール定休日なので、午前中から溜まっているビデオの鑑賞整理。
日曜の夜にBS2が放送していたヴェルザー・メスト指揮「ドン・ジョヴァンニ」(演出、演奏共にちょっと地味かなあ)などを鑑賞。

そうそう、クラシックひとりごと(参加はオープン、内容クローズドSNS)に参加者がもう一人、見えた。ご挨拶しようかと思ったが、ひとりごとなのでそのまま何もせず。ご縁があれば会話することもあるだろう。

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2009年6月15日 (月)

延命治療の是非(嫁が泣いてしまった)

昨日は嫁と大激論。テーマは「延命治療の是非」である。

デイ・サービスやショート・ステイで姑が世話になっている介護施設が、救急(心肺停止)の場合に、救急救命士に心臓マッサージや気管挿管などの延命(救 命?)措置をしないでほしいという希望があればその旨の同意書を出してくれとの依頼をしてきている。(ネット検索してみると、そのような同意書を得ている 施設が世の中にはあるようだ)

この件を、嫁は「私が母の生死を決めることになる」とずっと悩んでいたようだ。昨日の夕方にこの件を初めて聞いて俺は「その件は尊厳死とかの問題とは違う だろう。緊急時なのだからその状況に応じて判断するしかないんじゃないの」と応えたり、夜には「同意書があっても緊急時なのだからそんなの施設、救急隊員 は見ているヒマが無いよ」とか酒を飲みながら真摯に接していたのだが、最後は「うるさい、泣くな、俺がこんなにきちんと対しているのに」と喧嘩別れで寝て しまった。

朝になって、いろいろ検索したけど、救急隊員はこうした救命(延命?)措置を施す際には本人または家族の意思の確認をするようだ。これを踏まえて思うに、 結局は齢相応(余命相応)の判断とするしかないのかもしれない。88歳の老婆に気管挿管などの措置を施すのは過剰(残酷?)医療と判断するべきなのかな あ。この件について23日に介護施設が説明会予定なので俺が行って来ようと思っている。

ということで、俺自身は自分のリビング・ウィルをどう考えるべきか。しぶちんの俺なのだからそれを全うするべく過剰医療拒否(尊厳死させてくれというようなエラソーなことまでは言わないが)することにする。参考までに、

「私はALSの告知を受け、いろいろ考えた挙げ句、延命措置を断る決断をしている。この延命措置の是非については、私は誰とも絶対に議論しないと決めてい る。ALSに直面する患者の状況は千差万別で、それによって、この問題の対処の仕方はみな違う。要するに、延命措置によって生き延びた時の生活の質を、自 然死選択と対比して、かつ、自分の年齢、これまでの人生の達成感、死生観などに照らして、どう考えるかの問題だ。二者択一の問題だが、それはあくまで個人 的な問題で、一般論として、どちらが正しいということはできない。(中略)この選択は患者本人だけが決断できるということ、(中略)他人が勧めたり、誘導 したり、いわんや強要することが許される問題では絶対にない」

という意見をリンクしておく。生老病死、四苦八苦である。

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2009年6月14日 (日)

男なら立て

今回の鳩山政変がどうも納得いかなかったのだが、「漂流総理の漂流国家」を読んで合点がいったような気がした。フニャチン麻生のシナリオ崩壊劇と言うべきか。以下、一部転載記録しておく。

「三匹目のどじょう」を狙う麻生総理は分裂選挙を仕組むためのシナリオを書かなければならなかった。「小泉政治との決別」を宣言した麻生総理が書くシナリ オは再び郵政民営化を俎上に載せることである。盟友である鳩山総務大臣に「かんぽの宿」問題を取り上げさせ、西川善文社長の交代劇を仕組もうとした。麻生 総理自身も国会で「郵政民営化には反対だった」と発言して小泉元総理を挑発した。

 ところが麻生総理は分裂選挙が命がけの戦争である事に思いが至らない。分裂選挙は思いつきやお遊びで出来るものではないのである。党内対立を作り出し、 しかもそれで党を壊滅させることなく分裂選挙にまで仕上げていくためにはありとあらゆる分野に目配りをし、知力と胆力の限りを尽くしてシナリオを書かなけ れば成功しない。そこには必ず政治生命を断たれる人間が出てくる。彼らは命がけで抵抗する。それを切り捨てる非情さがなければ出来ない作業である。

 シナリオライター本人も政治生命を賭けなければ人は動かない。何事も他人に相談する程度の政治家に書けるシナリオではない。ところが誰もシナリオライ ターにならないまま今年の初めから「三匹目のどじょう」の仕掛けだけが動き出した。おそらく麻生総理には反小泉路線で動く鳩山総務大臣と、小泉路線に近い 菅選挙対策副委員長とをうまく使い分ければ分裂選挙のシナリオが出来上がるとタカをくくっていたのかもしれない。

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土曜日の夜はコーラス背を伸ばし腹に響かせバス心地良く

「どこかのコーラスに入ってましたか?」「いえ、昔、歌舞伎町でカラオケを少々」
などと休憩時に会話したりして、混声合唱練習二回目の昨夜であった。

そして、7/12合唱祭でデビューすることになった。古いネクタイ(緑の生地を縫い付けてもらって制定色ネクタイに変身)、白長袖シャツ、黒ズボン(式服のズボンでええんやろなあ)である。

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2009年6月13日 (土)

紫の記憶まさぐる花菖蒲

Jpg 紫の記憶まさぐる花菖蒲

久しぶりに俳句写真だ。去年に続き、青梅吹上しょぅぶ公園に今年も昨日、行って来た。去年とほぼ同じ頃に行ったのだが、去年の方が花が多いような気がしてる。写真の腕は去年と変わらず、進歩なし。来年もまた行くだろう、多分。

写真は「野川の辺り 長井古種」である。長井系の菖蒲の紫は典雅だ。

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2009年6月12日 (金)

鳩山邦夫さんが離党届を提出 都知事選へ「渡った橋は焼き捨てた」

20090612mog00m010018000p_size5 東京都知事選挙に立候補を予定している鳩山邦夫さんは19日、党本部に羽田幹事長を訪ね、離党届を手渡した。石井一副代表、鳩山由紀夫幹事長代理も同席し、「がんばれ」と力強くエールを送った。

 鳩山邦夫さんは引き続き党本部で記者会見を行い、「予算案の採決に民主党代議士最後の務めのつもりで臨み、構造改革なき政府予算案に反対の青票を投じ た。一区切りつけた思いだ」と述べた。22年間に及ぶ衆議院議員のキャリアを離れ、新たな道に挑む鳩山さんだが、「渡った橋は焼き捨てる覚悟がなければ渡 るべきではない。私は自民党を離れた時以来そうしてきた」とキッパリ。しかし結党から尽力してきた民主党を離れることには「私は実はこういうことに非常に 弱いタイプ。寂寥感を禁じ得ない」と率直にさびしさを認めた。最後に「私は党を離れるが、民主党のみなさんが必ず政権を奪取すると確信する」と、国政改革 の継続を訴えて会見を終えた。

以上、「鳩山邦夫 民主党 離党」で検索して見つけた記事である。昔からわかりにくい人ですなあ。写真は、

記者 今朝の会見では罷免されても主張は曲げないとおっしゃっていましたが、辞任という形を決意された理由というのは。

鳩山氏 いやあの、辞任はしない、罷免待ちだと言ったんですが、そこは仲間たちと相談をして、やはり潔く去るのがいいのではないか、という若手議員 が大勢おられましたので、そうだな、と思ってそういう道を選びました。まあいずれ、歴史が私の正しさを証明してくれると。歴史と言っても50年、100年 先じゃなくて、1年以内にも証明は出るのではないでしょうか。国民はそれを注視していると思いますよ。

から。

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バンドネオン奏者、鈴木崇朗(たかとき)

昨夜、ご縁があって中川美亜リサイタル/アルゼンチンタンゴの新しい風XXⅡⅡ行って来た。タンゴといってもピアソラ風の激しいものではなくトラッドなアルゼンチンタンゴであるが、そのバンドネオンを弾いていたのが鈴木崇朗(たかとき)さんという若い奏者。

1986年、札幌生まれ。
2001年より、バンドネオンを小松亮太氏に師事。
2005 年には、小松亮太&オルケスタティピカのメンバーとして、南米ツアーに参加。また、2005年、2007年には、アルゼンチンに留学し、バンドネオンをオ スバルト・モンテス氏、フリオ・パネ氏に師事。現在、小松亮太&オルケスタティピカ、小松真知子&タンゴクリスタル等で活躍中。

というプロフィルの人。イケメンだし、これからが楽しみである。 検索して、『小松亮太さん』と一緒に日曜日朝の『題名のない音楽会』に出演したこともあることを知った。スーパーボーカリストJamesKとの組合せでタンゴコンサートを開けないかと妄想中。

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マライアの臍のあたりを眺めつつメールして居り昔の女に

Photo_3 マライアの臍のあたりを眺めつつメールして居り昔の女に

BShiがマライア・キャリーのライヴを放送していたので録画して鑑賞中。
歌は、文学的虚構なので勘違いなきよう。また、写真はテレビ画面を撮影したもの。

それにしても、大画面(ヘッドホン)大音量の快感である。永久保存の所存。

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2009年6月11日 (木)

目が見えず、耳が聞こえない東大教授・福島智

20090609_1 爆笑問題のニッポンの教養を毎週ビデオで録って見ているが、今週はタメになった。

そもそも障害とは、近代になって生み出された概念だと、福島は主張する。産業革命のころ、社会は大量生産を可能にする均質な労働力を求めた。それは一定程 度の労働に耐えうる身体条件を備えた均質な労働者を必要とする社会でもあった。そこからこぼれ落ちる生産能力の低い人間を “障害者”とひとくくりにしたのだと福島は言う。

昔、パソコン通信をしている時に何かの拍子で「みんながハンディキャッパー」と書き込んだことがあったけれど、まさにその通りだと思う。「障害者」という言葉もあるプリズムから見た人間のレッテルに過ぎないのだ。

ナチスドイツの収容所に入れられた経験のある人で、ヴィクトール・フランクルという人がいるんですが。彼の本を読んでいて、すごい公式に出会ったんです。
その公式は、絶望=苦悩-意味って言うんですね。
左辺に絶望があって、絶望=苦悩-意味。これは何を意味するかというと、“-意味”を移行したら、絶望+意味=苦悩ということです。意味がない苦悩が絶望である。
で、苦悩と絶望は違うんだっていうことを、彼はアウシュビッツの経験から言っていて、私は同じことを18歳の時に考えて、全然違う時代と状況で似たような ことを考えている人がいるっていうことに出会って、すごく感動しましたし。何が幸福か不幸かっていうのを考える、そのさっきの三つのフィールドの議論の中 で、すごく重要な意味を持つのかなと。苦悩があるから、しんどいから不幸だって簡単に考えるのではなくて、意味をそこに見いださせれば、それは絶望ではな い。新しい豊かな人生が見つかるかも分からないっていうふうに思っています。

そこに意味を見い出すことが出来れば、苦悩するということも豊かさの一つと考えられる。つまり、障害も苦悩も豊かさの現れという思いに到ったのが収穫だった。

再放送予定は6月15日(月)午後3:15~<総合>、17日(水)午前2:30~(火曜深夜)<BS2>。お見逃しなく。

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2009年6月10日 (水)

酒飲めばコロンボ途中で眠り込み深夜孤独にバッハの快楽

フレッツテレビに移行したので多摩テレビ(CATV)を解約(STBを持って行って書類を書けばいいようだ)したいのだが、STBの中にまだ未見の刑事コロンボ(BShiで放映中)2本あり。これを消化せむと夕食(というか晩酌)しながら観ていると、いつの間にか眠り込んでしまう。こんなことの繰り返しで一本をきちんとろくに観たことがない。

そして、早く眠り込んでしまうから今朝なんかは夜中の二時前に目が覚めてしまう始末である。かくして、深夜孤独にバッハ(今朝はガーシュインのラプソディ・イン・ブルーvia小曽根真だったのだが)を聴く快楽に恵まれている俺である。さて、そこで、

 人生=世俗(損得、好き嫌い、理非、善悪)+魂(苦楽、美醜、虚実)

幸福は世俗の問題、快楽は魂の問題。だから、幸福でなくても人は快楽できるのである。

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2009年6月 9日 (火)

フレッツ開通

Photo これで、テレビも電話もインターネットも光となった。多摩テレビのSTBをようやく放逐できる。

電話端子からケーブルを内視鏡のように挿入して(写真参照)、端子盤で電柱からのケーブルとドッキング予定のようだったが、端子盤までケーブルが届かず(地中管の中をケーブルが進めず)、もうひとつ手前の端子盤に穴を開けて電柱からのケーブルをそこに入れたとのことだ。

俺のロースペックPCが光の足を引っ張るようなこともなく、他方、光のスピードを実感することもない。残るは来年のWindows7パソコン購入のみとなった。人生ほぼ先が見えたようである。 

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毎日をプールの水の浮き沈み世間の風はなるべく避けて

毎日をプールの水の浮き沈み世間の風はなるべく避けて

ここ数日、歌が浮かばぬなあと思いながら水中徒歩していたら上の句が浮かんだ。下の句の初案は「根性無いが根気はあるぞ」だったが前にもこのフレーズは使ったことがあるので推敲。

世間の風にあたらず過ごせるのは幸せと言うべきである。

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2009年6月 7日 (日)

我が声を残る時間で究めむと土曜日の夜コーラスに行く

ちょっとしたご縁があって、混声合唱団に入れてもらった。昨夜がその第一夜、毎週土曜日の夜が練習日である。歌った曲は(譜面もろくに読めないのに)「上を向いて歩こう」など、2時間半があっという間に過ぎてしまった。ストレス解消にもなるなあ。外に出たら月夜であった。

中学高校とブラスバンドをやったけど、大人になってからフルートやピアノを少々かじったけど、最近はキーボードを弾き始めたけれど、みんな中途半端、いいかげんである。さて、歌はどうなるか。

歌の技能もさることながら、自ら歌われて熱心指導の先生(高浪晋一という方)の下、演奏の鍛錬が音楽の聴き方に変化もきたしてくれると昨夜、予感した。これも俺の老いの道行きのひとつだろう。

 ありがたき人との出会い人の輪に入り行く我は人間嫌い

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2009年6月 6日 (土)

悪癖は早寝早起き度が過ぎて深夜の二時に目覚めるリズム

まさか、

前宮城県知事で慶大教授の浅野史郎氏(61)が4日、急性白血病のため、東大病院(東京都)に入院したことが分かった。関係者によると、浅野氏は約5年前 に成人T細胞白血病のウイルス保有者と判明。自覚症状はなく、経過観察していたが、最近になって白血球数の数値が悪化し、都内で診察を受けた結果、発症が 確認されたという。

こんなことにはなるまいが、昼寝等で睡眠確保を心がけよう。

ところが、今日はちと忙しい。午前はマンスリー実行委員会、午後はシルバーのパソコン無料相談当番、夜は混声合唱団初練習だ。

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2009年6月 5日 (金)

思い出す数々のあり旧友にネットで会えばこみあげ来たる

asahiネット、面白かった。今、主宰している哲学お喋りパーティ(小規模招待制SNS)がその復活版にあたるのだと昨日、思いあたった。砂女さん、来てくれないかなあ(左サイドに土曜日宛メール送信ボックスあり)。

前のパソコンが壊れたので心機一転、パソコン買い替え/ADSLに切り替えて抜けてしまったのは何年前だったか。パソコン、買い替えたのは2006年だから、えっ、わずか三年前か。なんじゃいな。

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2009年6月 4日 (木)

北のミサイルは中国を標的にしている(のではないか?)

(BS2などからダビング貯めたDVDの整理鑑賞をしているのだが)今朝は、アシュケナージ/N響のつまんないベートーベンを聴いているうちに妄想が湧き上がった。

北のミサイルは北京を向いているのではないか。

「世襲を認めよ、現体制の安定を保証せよ」と脅迫恐喝している相手は中国ではないだろうか。

仮に違っていたとしても、「その可能性があるから注意せよ、なんならアメリカと協力して金王朝を倒したらどうですか」と北京に向けてささやくような外交を展開したらどうかね、麻生君。

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2009年6月 3日 (水)

楽天に負けて悲嘆の一夜明けバッハのソナタ薄明に聴く

実際は、結果(ついに今季最多の借金8)も知らず(知る気もなく)眠ってしまった。短歌には文学的虚構も必要なり。

BS2が先日放映していたのをDVDに焼いて宝物にしました。味わい深い演奏です。ピアノのパーチェもいいです。繰り返し聴くつもりです。 」なるコメントをヴァイオリン・ウェブ(こんなのがあるんだ!)につけた。

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2009年6月 1日 (月)

野球には興味はあらず日曜は高速使いミレー見に行く

Photo 野球には興味はあらず日曜は高速使いミレー見に行く

「ベルギー王立美術館コレクション ベルギー近代絵画のあゆみ ~バルビゾン派、印象派、フォーヴ~」をやっていたこともあって山梨県立美術館へ行った。以前に訪れたのは、ミレー「種をまく人」をこの美術館が購入して話題になった記憶がまだ新しい頃だから、もう二十年以上前だろう、多分。上の写真はヘンリ・ムーア「四つに分かれた横たわる人体」と美術館建物との取り合わせ、これは彫刻の裏側写真なので表側を掲載しておく。Photo_3

目録に○などメモしながらじっくり鑑賞していたら、係員の方が寄ってきて鉛筆を渡そうとする。メモはボールペンではなく鉛筆使用が決まりだそうだ。理由を尋ねたが「先生がそうおっしゃっている」とのことでよくわからず。これからは目録を頂戴する際に鉛筆も借りることにしよう。

昼食は美術館内のレストランがスープ、サラダ食べ放題でパスタ\1200などコストパフォーマンスよし。近くの日帰り温泉で昼寝して80分の渋滞我慢して帰宅。
Bonnard_contre00
ということで、ボナール「逆光の裸婦(薔薇の長椅子のある化粧室、オー・デ・コロン) 」を転載する。これでこの作品を記憶に刻み込むことができる。

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