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2009年6月11日 (木)

目が見えず、耳が聞こえない東大教授・福島智

20090609_1 爆笑問題のニッポンの教養を毎週ビデオで録って見ているが、今週はタメになった。

そもそも障害とは、近代になって生み出された概念だと、福島は主張する。産業革命のころ、社会は大量生産を可能にする均質な労働力を求めた。それは一定程 度の労働に耐えうる身体条件を備えた均質な労働者を必要とする社会でもあった。そこからこぼれ落ちる生産能力の低い人間を “障害者”とひとくくりにしたのだと福島は言う。

昔、パソコン通信をしている時に何かの拍子で「みんながハンディキャッパー」と書き込んだことがあったけれど、まさにその通りだと思う。「障害者」という言葉もあるプリズムから見た人間のレッテルに過ぎないのだ。

ナチスドイツの収容所に入れられた経験のある人で、ヴィクトール・フランクルという人がいるんですが。彼の本を読んでいて、すごい公式に出会ったんです。
その公式は、絶望=苦悩-意味って言うんですね。
左辺に絶望があって、絶望=苦悩-意味。これは何を意味するかというと、“-意味”を移行したら、絶望+意味=苦悩ということです。意味がない苦悩が絶望である。
で、苦悩と絶望は違うんだっていうことを、彼はアウシュビッツの経験から言っていて、私は同じことを18歳の時に考えて、全然違う時代と状況で似たような ことを考えている人がいるっていうことに出会って、すごく感動しましたし。何が幸福か不幸かっていうのを考える、そのさっきの三つのフィールドの議論の中 で、すごく重要な意味を持つのかなと。苦悩があるから、しんどいから不幸だって簡単に考えるのではなくて、意味をそこに見いださせれば、それは絶望ではな い。新しい豊かな人生が見つかるかも分からないっていうふうに思っています。

そこに意味を見い出すことが出来れば、苦悩するということも豊かさの一つと考えられる。つまり、障害も苦悩も豊かさの現れという思いに到ったのが収穫だった。

再放送予定は6月15日(月)午後3:15~<総合>、17日(水)午前2:30~(火曜深夜)<BS2>。お見逃しなく。

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