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2009年6月15日 (月)

延命治療の是非(嫁が泣いてしまった)

昨日は嫁と大激論。テーマは「延命治療の是非」である。

デイ・サービスやショート・ステイで姑が世話になっている介護施設が、救急(心肺停止)の場合に、救急救命士に心臓マッサージや気管挿管などの延命(救 命?)措置をしないでほしいという希望があればその旨の同意書を出してくれとの依頼をしてきている。(ネット検索してみると、そのような同意書を得ている 施設が世の中にはあるようだ)

この件を、嫁は「私が母の生死を決めることになる」とずっと悩んでいたようだ。昨日の夕方にこの件を初めて聞いて俺は「その件は尊厳死とかの問題とは違う だろう。緊急時なのだからその状況に応じて判断するしかないんじゃないの」と応えたり、夜には「同意書があっても緊急時なのだからそんなの施設、救急隊員 は見ているヒマが無いよ」とか酒を飲みながら真摯に接していたのだが、最後は「うるさい、泣くな、俺がこんなにきちんと対しているのに」と喧嘩別れで寝て しまった。

朝になって、いろいろ検索したけど、救急隊員はこうした救命(延命?)措置を施す際には本人または家族の意思の確認をするようだ。これを踏まえて思うに、 結局は齢相応(余命相応)の判断とするしかないのかもしれない。88歳の老婆に気管挿管などの措置を施すのは過剰(残酷?)医療と判断するべきなのかな あ。この件について23日に介護施設が説明会予定なので俺が行って来ようと思っている。

ということで、俺自身は自分のリビング・ウィルをどう考えるべきか。しぶちんの俺なのだからそれを全うするべく過剰医療拒否(尊厳死させてくれというようなエラソーなことまでは言わないが)することにする。参考までに、

「私はALSの告知を受け、いろいろ考えた挙げ句、延命措置を断る決断をしている。この延命措置の是非については、私は誰とも絶対に議論しないと決めてい る。ALSに直面する患者の状況は千差万別で、それによって、この問題の対処の仕方はみな違う。要するに、延命措置によって生き延びた時の生活の質を、自 然死選択と対比して、かつ、自分の年齢、これまでの人生の達成感、死生観などに照らして、どう考えるかの問題だ。二者択一の問題だが、それはあくまで個人 的な問題で、一般論として、どちらが正しいということはできない。(中略)この選択は患者本人だけが決断できるということ、(中略)他人が勧めたり、誘導 したり、いわんや強要することが許される問題では絶対にない」

という意見をリンクしておく。生老病死、四苦八苦である。

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