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2009年8月17日 (月)

ゴーギャン展と萩原守衛「女」

ゴーギャン展(国立近代美術館)に行ってきた。
以前から、ゴーギャンの絵はようわからんかったが、実物を見てその感を更に深くした。すなわち、ゴーギャンが描く絵には何かしら意図的なもの感じる、寓意が強すぎる、言い換えると、ゴーギャンは頭でっかちにすぎるように思うのだ。

Items_1 例えば、この展覧会の売り物である「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」(ボストン美術館蔵)にしても、画面左下隅のトカゲをつかんだ白い鳥は「言葉の不毛さを表している」と言いつつ、絵のタイトルの言葉は冗長であり、見る者にある種の理解を強制しているように思う。そんなことを考えたからなのか俺は何の感動も味わえなかったのだ。

参考:「《我々はどこから来たのか》この大作の発するメッセージは何なのか。
ゴーギャン自身はそれについて明確な説明を残していない。しかし、この作品は、見る人それぞれのうちに様々な物語を誘発して止まず、私たちの内面の深い部 分に常に何かを問いかけてくる。この作品の強い喚起力は、混迷を深める現代の社会にあってますますその存在感を高めている。

それはさておき、常設展に移ると、「撮影希望の方は受付まで」なる表示があった。近くに居た係りのお嬢さんに問い合わせると「ストロボを焚かない、撮影禁止の作品に注意」とのこと、そして、袖に撮影許可ワッペンを貼ってくれた。いい気分だった。

P8160006 さてそこで、萩原守衛「女」である。この彫刻からは何かしらをいつも感じる。そして、大事なことは、作者は見る者になんら強制力を発信しようとはせず、ひたすら、女を表現しているだけだ。

作品に作者は意味を込めるべきではない。作品から意味を感じ取るべきなのは観客である。そして、感じ取る意味は観客によって様々であり、その多様性、豊かさこそが作品の価値である。ああ、これでまた俺の偏見(ゴーギャンは後世に残る画家なのか)がひとつ増えてしもたがな。Photo

※ところで、国立近代美術館へは(暑さのせいで)車で行った。行く前にネットで北の丸公園パーキング(なんと\400/3時間)に着目していたからだ。パーキングは空いていて予定通りに駐車することができた。何事も事前調査が肝要なり。
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