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2009年8月 6日 (木)

還暦を過ぎて歌手への道目指す我が身体の楽器ならずも

Photo 2時過ぎに目覚めておしっこに。もう一度眠ろうと努力してなんとか眠れて4時過ぎ起床。
今朝はお宝(カラヤン)ではなくて溜まっているビデオ消化に努めようと、ピアノとテノール。

ピアニスト(リーリャ・ジルベルテインという女性)は音がよくない。硬い。丁寧な音ではない(と思う)。ラフマニノフの前奏曲を聴けたのは収穫だが。 参考:「ラフマニノフ前奏曲集でのだらしのない離鍵とペダリングのイメージが強く印象に残っています」

次のテノール(アルベルト・クピード)は「誰も寝てはならぬ」などメジャーなアリアを歌っているが、 オーラが不足。ドミンゴやパヴァロッティはやはり大したものだ。それと、風貌。世間の風に耐えたオッサンという顔なのだが(写真参照)、これも色気不足。歌手は声から顔からからだつきまで全て楽器なのだなあと(還暦過ぎて歌手練習中の)俺は実感する。道は遠い。楽器も使用に耐えぬが。

あと、オケの東フィルいまいち。指揮者渡邊一正の凡庸のせいだとこれは断言できる。
参考:「渡邊一正というと以前N響とやった凡演が想起されて嫌な予感しまくりだったのですが、彼は東フィルで「指揮者」のポジションにあることもあり、東フィルとは気心の知れた仲だったのでしょう。ビシッと引き締まったサウンドは一体となってオペラシティにこだましたのでした」

 還暦を過ぎて歌手への道目指す我が身体の楽器ならずも

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