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2010年6月22日 (火)

正義=公正+善(ハーバード白熱教室)

ハーバード白熱教室第11回「愛国心と正義 どちらが大切?」、まずは番組の流れを要約する。(番組を見る際にレジュメ代わりに重宝させてもらったブログから番組の流れを転載させて頂く)

アリストレス(政治と道徳の結合)vsカント(政治から道徳を分離)の対立、カントに分はあると認めるのだが、しかしカントの考え方の問題点を指摘する。

カント派の考えに従っていけば、一般の人々に広く認められ、賞讃される道徳的、政治的な義務を説明できなくなってしまう。

 例えば集団の構成員としての義務や忠誠心、連帯など、その人自身は同意した覚えがなくとも、人間には守らなくてはならない道徳的なつながりがある、とコミュニタリアンは言う。

 コミュニタリアニズムの政治哲学者アラスディア・マッキンタイア(アメリカ1929~)は、自己を説明するのに「物語的な観念」を用いている。
これは自己を語る上でカントとは異なる考え方だ。

物語的な観念
人間は、本質的に物語を紡ぐ動物である。『私は何をするべきか』という問いに答えるには、まず、『どんな物語の中で私は自分の役を見つけられるか』という問いに答えてからでないと答えることはできない。


たしかに、これはカントの考え方の弱点である。カントのいう「自由で自律した人間」は言うなれば無知のベールによって抽象された人間であって、生まれ・育 ち・コミュニティ・仕事・立場の全てが捨象されている。人は現実にはこうしたしがらみ(物語)を背負って生きている。物語を捨象したから「一般の人々に広 く認められ、賞讃される道徳的、政治的な義務を説明できな」いというのだ。

次に、番組は人間の義務について語る。ここで「リベラル」というのはカント、ロールズの考え方である。

リベラルの観念では、道徳的、政治的な義務は、次の二つの方法のどちらかで生じる。

 ひとつは人として、人を尊重する。と言ったような私たちが、人間に対して負う義務。こういう義務は普遍的なものだ。

 もうひとつは、ロ-ルズが指摘したような、自発的な義務。約束であれ、取引であれ、契約なのであれ、自分が同意したことのよって発生する、特定の誰かに対して負う義務だ。

 自己の解釈における、リベラリズムとコミュニタリアニズムとの論点は、義務にはこれとは別のカテゴリーがあるのではないか。ということだ。

 コミュニタリアンは別のカテゴリーがある。連帯、忠誠心、集団の構成員とての義務とでも呼ぶべき、第三のカテゴリーあると主張する。

 コミュニタリアンは、すべての義務を自然的の義務あるいは、自発的な義務のどちらかにしてしまえば、集団の構成員としての義務や連帯の義務をとらえそこなうと考える。


人間を抽象的モデルではなく「具体的物語」として捉えるからこそ、①普遍的義務②契約義務に加えて③集団構成員義務を説明できるというのがコミュニタリア ンである(リベラルは③集団構成員義務についても②契約義務として説明できるというが生まれ等の自己責任範囲外については苦しい。例えば愛国心を契約の結 果とは言いづらい)。

ただ、コミュニタリアンも

正義は、社会的な意味に相関している。ある社会が正しいのは、その社会の実質的な生が、その社会の構成員の共通の理解に忠実な方法で営まれる場合である。

物語的な自己、ある境遇に位置する自己は、伝統に囚われてしまう。
 ある時代の、あるコミュニティで正しいとされている「善」という共通理解に「正義」を結び付けてはならない。


という限定は留保する。特定のコミュニティにおける善を一般的な正義に結びつけるな、というのである。
そこで、番組はいよいよ最終回第12回「善き生を追求する」を迎える。正義とは何か、それを善とは何かから考えようということだろう、多分(最終回はまだ俺は見ていない。再放送を追いかけているから)。

さて、ここで俺の疑問。この番組のテーマである正義が俺の理解と食い違っているということだ。

この番組が追求していた正義は政治的正義(政治における分配の公正)のことだと理解していたのだが(第8回「能力主義に正義はない?」以降しか俺は見ていず。それ以前に善とか正義を論じていたかもしれない)、今回放送でコミュニタリアンの主張①人間は抽象的モデルではなく具体的物語である②人間には普遍的義務、契約義務に加えて集団構成員義務があるが出て来た。
このうち①は納得できるとしても②義務は政治的正義(政治における分配の公正)ではなく生き方的正義(つまりは善)だということに俺は気づいたのだ。

公正と善とは切り離して考えられないし、政治もそれに関わる人たちの生き方だししようがないか。しかし、番組前回の俺の整理

政治から道徳的価値を分離できても社会的価値を全て分離することはできない(次期ハヤブサに3千万予算だけでいいのか)。社会的価値に対する資源配分の公正をいかに図るべきか、さて、サンデル教授はどのようにさばいてくれるだろうか。

はどうなるのだろう。最終回を見てのお楽しみである。とりあえず、
正義=公正+善
としておこう。

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コメント

トラックバックありがとうございます。
勉強させていただきます。

投稿: 信濃大門 | 2010年6月25日 (金) 午後 05時29分

こちらこそ、RSS取得していつも拝見しています。

投稿: 土曜日 | 2010年6月26日 (土) 午前 06時22分

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