« バーンスタインの巨人 | トップページ | 国勢調査調査員拝命 »

2010年9月 8日 (水)

個と全体(ハーパード白熱教室メモ)

ハーバード白熱教室全12回を観終わったが、この講義の狙いは結局、個と全体の関係をめぐる考察だと所感したので、以下、まとめてみた。

※番組を観るにあたって篤志の方の全文文字おこしを利用させて頂いた。「1時間の動画を見るには1時間かかりますが、テキストは10分ほどで読めるため、時間の短縮」にもなるし、目と耳と両方による理解の促進にもなる。

①功利主義(ベンサム)
最大多数の最大幸福→全体は個に優先する
という考え方に通ずるのだとこの番組で教わったが、確かにそうだ。最大多数の最大幸福のためには少数者の幸福が損なわれても止むを得ないとする考え方がそこにはあるのだから。

②リバタリアニズム(自由第一自己責任主義)
人は自己自身を全て所有している→個は全体に優先する。
アメリカ共和党の思想的バックボーンの一つ(と思う)。所謂、市場原理主義にも通じる。
自己自身を所有しているから外部(特に政府)の介入を否定する。この番組では、人には自分ではどうしようもないもの(生まれつき、人種・民族、生まれた時代その他)があるのだから、自己自身を全て所有するという考え方は虚構であると主張しているように思う。

③近代市民主義(ロック、カント、ロールズ)リベラリズム
自由を重視する一方で全体にも配慮する。自由と平等(福祉)の両立。
人の属性(生まれや階層、職業など)を捨象して「人間」であることだけを取り出してそれを基本的人権(自然権)とし、全体に対抗させる。他方、自由は重視するが自己所有の考え方は採らず、政府の役割を重視するのがリバタリアニズムとの違い。アメリカ民主党の基本的思想といえるだろう。

ロールズは人の属性の捨象を「無知のヴェール」と名付けて彼の著作をヒットさせた。
属性を捨象するのだから当然にカントとロールズは正義と特定の善の考え方を結びつけるような目的論を退ける。正義は抽象的人格の問題となり、具体的な美徳や道徳と政治的正義を分離する。

ちなみに、我が日本国憲法はリベラリズムの清華たる憲法。教育の義務(26条2項)・勤労の義務(27条1項)・納税の義務(30条)の3つ以外に国民の義務はなく、国家・憲法に対する道徳的忠誠も求めない。表現の自由を最大限に、内心の自由を完全に認める価値観多元主義憲法である。一方、法の下の平等、生存権にも配慮していて世界で最もリベラルな憲法と言える。

④目的論適合主義(アリストテレス)
上の三つの考え方はいずれも道徳と政治的正義とを分離して考えるが、アリストテレスの目的論はそうではない。アリストテレスは正義とは適合させることだと言った。名誉にせよ報酬にせよ地位にせよ、それにふさわしい人に与えるのが正義と考えるのだ。つまり、正義とは人々に役割を与え、美徳にふさわしい名誉や承認を与えることだ。ここには、万物は全てその本来の目的が定まっているとする目的論がある。人にもそれぞれ自ずから定まった目的があると考えるのだ(だから奴隷制度でさえも肯定される。奴隷であることを目的とする人々が存在するのだから)。

とすると、そこに自由の余地はあるのだろうか?アリストテレスの目的論に基づいた正義論にはこのような疑問が生じる。アリストテレスによれば、人間は自分の潜在の能力を発揮する能力がある限り自由なのだが、近代的な自由(意思決定の自由)はそこにはない。

⑤コミュニタリアニズム(共同体主義)
政治的正義を考える上で、サンデル教授はリベラリズムだけでは不足するとしてこの立場を採る。教授は次のように言う。
カント派の考えに従っていけば、一般の人々に広く認めれ、賞賛される道徳的政治的な義務を説明できなくなってしまう。例えば、集団の構成員としての義務や忠誠心、連帯など、その人自身には同意したことなくても、人間には守らなければならない道徳的なつながりがある。

リベラリズムの人間の抽象化=基本的人権(自然権)は行き過ぎということなのだろう。家族や地域コミュニティ、国家など人間にはその属するコミュニティがあり、そこから発生する義務、道徳を抜きにしては政治的正義を論じられないということだ。サンデル教授はリベラリズムの議論からいきなりコミュニタリアニズムに移るのではなく、巧妙にもアリストテレスの目的論というワン・クッションを置いて講義を展開している。目的論がコミュニタリアニズムの必要性を補強している格好だ。

しかし、コミュニティという曖昧なものに対する義務や忠誠心はどうなんだろう。愛国心ひとつとっても政府や憲法を批判するのも愛国心だろうし、コミュニティへの態度は多様なあり方があり、いずれも愛コミュニティ心の現れともいえるだろう。

政治的正義はやはりリベラリズムの考え方で扱い、そこから洩れる種々の義務、忠誠心、連帯などの問題は道徳的正義の問題として考える。政治と道徳の問題は分離するのが妥当と俺には思える。道徳的に許せない奴(例:不倫クリントン、小沢一郎)は政治的にも許せないとするのはいかがなものかとさえ考えるのだ。道徳は個人の問題、政治は公共の問題なのだから。

ただいま図書館にリクエスト中。先客多数。

2010年09月07日(火)

3:30起床。井上道義N響日比谷公会堂第九。歌詞も譜面もまだうろ覚えなのだが一部歌詞を聴き取れるなあと思いつつ鑑賞。10/10には本棒(本番指揮者オケ)練習があるのでこれを目標にカラオケ自己練習に励もう。一期一会、ベストで本番に臨みたい。
posted at 07:22:18

@Hiro_NaOka @boosuke23 @sunajopon @biwaprancer @azumizoku @itutubosi @kgussan @udonenogure1 おはようございます。やきもきも人生のうち勝負事色事芸事自己愛としてposted at 07:27:08

#twnovel 私のこの美貌、目立つからイヤだったの。でも、ある時考え直して積極的に生かすことにしたんだ。街角でアプローチされても引っかかったふりしてじっくり観察したり、美貌を生かした沢山のつきあいの中で男を見極める術を磨いたわ。そして見合い結婚。いい男を選び出したのよ。
posted at 07:37:31

蹲踞して礼して負ける相撲かな #jhaiku #fhaiku #haiku #kigo
posted at 08:07:55

白熱教室(個人と全体):①功利主義(全体は個に優先)②リバタリアニズム(自由第一自己責任主義、個は全体に優先)③近代市民主義(自由を重視する一方で全体にも配慮。自由と平等・福祉の両立)④目的論適合主義(アリストテレス、正義とは適合させること)⑤コミュニタリアニズム(共同体主義)
posted at 15:03:25

ハーバード白熱教室全12回鑑賞終了。結論は「リベラリズムを超えて」ということか。リベラリズムの議論(宗教的道徳的問題を棚上げして人権のみで正義を論ずる)のみでは正義を論じ尽くせない。美徳・名誉・家族制度などに対する公共的承認も政府の役割だし、愛国心・集団的忠誠心も落とせないから。
posted at 17:19:39

|

« バーンスタインの巨人 | トップページ | 国勢調査調査員拝命 »

「哲学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« バーンスタインの巨人 | トップページ | 国勢調査調査員拝命 »