映画「ヒットラー」
アドルフ・ヒットラーの半生を、豪華キャストでテレビドラマ化した作品をスカパー無料放送していたので録画、一気鑑賞。
第一部&第二部構成で、第一次世界大戦以前の幼児期から
オーストリアの美術学校受験生時代、
第一次世界大戦・陸軍16連隊伍長時代を経て
(母国へ復員後の)ナチス入党(1920)→
ナチス党首(1921)→ミュンヘン一揆(1923)→
獄中での「我が闘争」著述→ナチス再建(1925)→
総選挙でのナチス第一党(1932)→大統領ヒンデンブルク
からの首相任命(1933)→国会議事堂放火事件(同年)→
全権委任法の成立&ワイマール憲法の停止(同年)
という一連の過程を映像で見せてくれた。「ヒットラーの半生をドラマ化」というより、「ヒットラーの精神異常性を主題に映像化」という印象という感想もあるけれど、排外主義/ヘイトスピーチと熱狂が諸悪の根源と俺は感じた。軍部や経済界がヒトラーをどのように受け入れたかという視点もほしかったけど見て損はしない作品。
ところで、この映画の重要な登場人物でエルンスト・ハンフシュテングルという名を知った。
1923年のミュンヘン一揆にも参加した。一揆の失敗でヒトラーが逃亡した先はハンフシュテングルの家だった。ハンフシュテングルによるとヒトラーはここで自殺をしようとしたが、彼の妻ヘレナが止めたという。一揆後も引き続きヒトラーとナチ党を支援した。1931年にナチ党に正式入党し、党の海外新聞局局長(Auslands-Pressechef der NSDAP)に就任した。海外におけるナチ党のイメージ改善に努めた。党内においてハンフシュテングルの評判は良く、友人を多く持っていたが、宣伝全国指導者ヨーゼフ・ゲッベルスとだけは不仲だった。ゲッベルスはハンフシュテングルとヒトラーの個人的親密さが気に入らず、ハンフシュテングルの事を頻繁に中傷した。
ヒトラーといえども人間。人間は一応、独立した人格なれども場の中の場所。様々な光に照らされて場所は生成されるが、ミュンヘン一揆失敗時にヒトラーが自殺していれば歴史は変わったろうか?
2014年05月27日(火)
八木誠一読書ノート:神は世界と人間がそこに置かれている「場」であり、身体としての人間は、神の働きが宿る「場所」。場所論が語られる理由は、神は人格でも存在(実体)でもなく、働きだからである。yahwist.jimdo.com/%E5%A0%B4%E6%8…
posted at 03:29:46
「自己」とは「私のなかに生きるキリスト」のこと、「自我」とはそれをいわば映して成り立つ主体のことである。八木誠一「<はたらく神>の神学」岩波書店2012、P7。八木は「場」と「場所」の区別、「自己」と「自我」の区別をしているが故に西田幾多郎「場所」を超えていると主張している。
posted at 03:47:11
2014年05月28日(水)
問題は我執的・我欲的に変質した自我を正常な自我に戻すこと。つまり「自己を映し表現する自我」に変えることである。これが「回心」ということだ。八木誠一「<はたらく神>の神学」岩波書店2012、P8。自我に働きかける神(場)に目覚め、我執・我欲を捨て、自己(キリスト)を映すのが回心。
posted at 03:57:12
ちなみに俺も、自己愛は魂=自分軸(苦楽、美醜、虚実)誠実に美しく楽しむ心、エゴは世間=他人軸(損得、好き嫌い、理非、善悪)にこだわる心ということね。利害や好き嫌いや理屈や善悪にこだわるのがエゴと書いている。togetter.com/li/43305 エゴと自己愛はどう違うの?
posted at 03:58:56
「八木誠一読書ノート」をトゥギャりました。 togetter.com/li/672412
posted at 04:44:05
アイーダとヒッチコックと夏井いつき plaza.rakuten.co.jp/doyoubidayo/di… WOWOWメト「アイーダ」ウルマーナ×ザジック×ボータ/終幕。第三幕でラダメスがアイーダにエジプト軍の進軍経路を漏らすのを盗み聞きしたアモナズロ、ずっと隠れてればいいものをと前から疑問に思っていたが
posted at 05:05:42
神(場)、神のはたらき(神の自己伝達作用つまり聖霊)、キリスト(すなわち人のなかではたらく神)は三にして一である。八木誠一「…神学」P45。これが八木の三位一体論。神を実体とは理解せず、キリストも人格主義的に捉えない場所論的神学だらこそこのような三位一体論が可能となる。
posted at 08:06:49
愛は「きよらかなやさしいこころ」であり、「損をしても真実を求め、語る誠実さ、無意味であっても生きる意欲」である。八木「…神学」P45。俺の人生方程式、人生=横軸(損得、好き嫌い、善悪、理非)+縦軸(苦楽、美醜、虚実)に対応づけると愛=実(きよらかなやさしいこころ)と言える。
posted at 08:13:10
RT @NaSaAnimation: ノンフィクションW『アカデミーを救った"消えない"フィルム』を視聴。現在デジタルデータを長期保存するには新しい規格に対応させつつ入れ替えていく以外にない。たとえ短編映画だとしても長期保存にはコストが発生する。その問題に再びフィルムがひとつの答えを見出した話。日本人技術者すばらしい
posted at 08:42:03
RT @doradoracafe: 【ドラ☆カフェ】 ドラマW「向田邦子 イノセント」三角波三角波 fc2.in/W7n4ZC貫地谷ちゃん可愛かった♪ #fc2 #ドラマ #WOWOW #貫地谷しほり
posted at 09:03:26
本書が「神のはたらき」と呼ぶ現実は確かにある.それは確認可能な事実である.それを示すのが本書の第一の目的である.ただし「神のはたらき」は,人間の世界では,ただ人間を通して,人間のはたらきとしてのみ,現実化するのが基本である.その条件は,www.iwanami.co.jp/moreinfo/02447…
posted at 09:53:31
アルミーダと八木神学と釣りバカ日誌 plaza.rakuten.co.jp/doyoubidayo/di… プール定休代替運動多摩センターまでウォーク(30分×往復)。ロイホ昼。三越逍遥していて毎月1980スマホ発見→STREAM X GL07S イー・モバイル/悪評芬芬ではないのでスマホ買い替え一応候補
posted at 05:09:19
コミュニケーションとは差別を克服する人格関係。八木誠一「…神学」P84 サマリア人の喩えは「我ー汝」直接経験の典型的な例とする。ここに「きよらかでやさしいこころ」の典型的な例とも言う。「自分自身が無限の神秘に根ざしているという感覚」←「山路きてなにやらゆかし菫草」芭蕉
posted at 08:03:39
自己・自我となって、自己のはたらきを現実化したパウロは、自己のはたらきに自分を超えたものと自分との作用的一を自覚したのであった。八木「…神学」P90 これを「自我ー自己」直接経験というそうだ。自我(損得、好き嫌い、善悪、理非)が自己(苦楽、美醜、虚実)の働きを自覚する事としておく
posted at 14:59:08
八木「…神学」P128 外的観察(例:指に刺さった刺)と内的感覚(例:棘による痛み)。外からだけ観察すれば神は存在しない、神は内的感覚(自覚、直覚)。客観的世界像(外的観察による)は現実の全面ではない。人間は客観的世界を認識し、それを操作するだけではない。棘による痛みもまた現実。
posted at 16:02:13
客観的世界像は現実の全てではない。人間の自覚にのぼる現実(苦楽、美醜、虚実)があり、それが人間を動かすという現実がある。つまり、自我(損得、好き嫌い、善悪、理非)が経済的論理的道徳的合理性と多数決(好き嫌い)によって肯定する現実であっても自己(苦楽、美醜、虚実)が否定する現実。
posted at 16:11:31
神は感覚・自覚・直覚。神=愛(きよらかなやさしいこころ)は誰の中にもあり、自我(損得、好き嫌い、善悪、理非)と自己(苦楽、美醜、虚実)を統合して人は生きるべき。人間は自覚的に「神のはたらき」を宿して、これを現実化する存在なのだと八木神学は言う。人はパンのみにて生きるに非ず。
posted at 16:18:34
ヒットラー 第1章:覚醒/第2章:台頭<TVM> www.jtnews.jp/cgi-bin/rv_114… の鑑賞開始。見応えありそう。
posted at 16:40:21
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