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2014年7月 9日 (水)

マラ7「夜の歌」

高田馬場管弦楽団ライブ機会があるのでジンマンN響録画リマインド予習再生。録画冒頭インタビューでジンマンが面白いことを言っていたのでコピペ。

ここでジンマンは「マーラーは大袈裟にやった方がいいと言う人もいるが、自分はできるだけスコアに忠実な演奏を心掛けている。マーラーは一般的に言われているほと、極端な人ではない。完壁主義者だが清らかで純粋な人だ」と語っている。

ま た第7番に関しては、「交響曲第7番は1~6番や9番と比べて、感傷的な所が少なく抽象的な曲だ。1~4楽章は闇の音楽で、第1楽章は戦争のような険し さ、厳しさがある。第2楽章はレンブラントの「夜警」を思わせる夜の不気味な行進。第3楽章は邪悪な闇の世界で、悪魔か、メフィストフェレスのセレナード だ。第4楽章で少し光が差してきて、ドン・ファンやドン・ジョヴァンニのセレナードのようなロマンチックな音楽になっている。第5楽章はハチャメチャな カーニバルと言った感じで、人間の愚かさのすべてを描いている」と語っていた。

ナルホド、「感傷的な所が少なく抽象的な曲」かあ、そうかもしれないなあと思いつつ聴く。俺の感想、ライブ時は

だが、テノールホルンもトランペットも何度もミス、そのためか第一楽章は散漫な印象、次第に立ち直り第四楽 章(セレナーデ。ギター&マンドリンが美しい)しかし第五楽章はやっぱり分裂症、終了後すぐに多くの聴衆立ち上がる、俺は鬱憤晴らしにホルン福川さんにブ ラボー(隣のお兄さんもブラボーしてた)。
演奏がよくないのか、それとももともと難曲なのか、多分、後者なのだろう。これでまたマーラーを聴く楽しみが増えたわいと帰途についたのだった。

その後、放送された時は

指揮者・楽員の表情が見えるテレビではどうかと謹聴したが、やっぱり消化不良。これは曲がワルイんだ多分(演奏まして指揮の良し悪しはようわからんのだ)統一的印象を作りづらい分裂症的作品ということにしておく。

そして、今回は

この曲の難しさを俳句に例えると、心象・叙情ではなく叙景・写生句の難しさにある。俺みたいな初歩聴衆には分裂症的な音楽に聴こえ感情移入できず置いてけぼりにされてしまう(例えば、終楽章最後の盛り上がりは何を意味してるかようわからん)。

さて、米津俊弘×高田馬場管弦楽団、どんな演奏をしてくれるか、そして俺はどんな聴き方を出来るか、楽しみだ。あ、いま、アバド×ルツェルンを聴き始めたけど音の厚みがちゃうでえ、N響さん。

2014年07月08日(火)

ショスタコ8番とシェイクスピアとゴルバチョフ plaza.rakuten.co.jp/doyoubidayo/di… 作曲された1943年の日本では4月に山本五十六戦死、5月がアッツ島玉砕。戦争の大勢は連合国側に大きく傾きつつあったが、世界中で悲惨な殺し合いはなお継続。この曲は「スターリングラード攻防戦の
posted at 05:22:17

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