「使徒的人間」を読む/その2、映画「休暇」
休暇 [DVD] by G-Tools |
吉村昭原作「休暇」門井肇監督2007年
重く静かな秀作。死刑囚の犯した罪は敢えて暗示に留めている。刑務官には具体的な性格設定を施す一方、死刑囚は抽象化して生と死のドラマにしたかったのだろう。死刑囚を演じた西島秀俊のインタビューから引用。
ところで、死刑執行を前にした死刑囚(本人はまだ近日中に執行されることを知らない)の軽い気持ち 「音楽を聞きたい」という要望にベテラン刑務官が独断でCDラジカセを貸与するシーンがある。死刑囚はこの特別な計らいに執行間近と気付き、取り乱してし まう。このエピソードに触れて俺はちょうど今読んでいる「使徒的人間」の一節を思い起こした。
人間の自然的能力としての「自由意志」は、いかに善なる徳行をなそうとも、自己自身を追求する罪に陥っており、「すべてに勝って自己を愛することしかできない」その意志のなかに、神への反逆性が生じるというのである。
ここにユマニスムと宗教改革とを分かつ根本的な原理がある。
この(善なる徳行をなしたつもりの)ベテラン刑務官も「すべてに勝って自己を愛することしかできない」自己愛の人間。まさに、人間は自己愛の産物(それが原罪だ!)、そして人間中心思想、ユマニスムは神に反逆する、その実例を観た思いがした。
使徒的人間―カール・バルト 富岡 幸一郎 by G-Tools |
2014年09月04日(木)
商売人モーツァルト、百物語、使徒的人間 plaza.rakuten.co.jp/doyoubidayo/di… WOWOW百物語白石加代子ファイナルのうち「橋づくし」少々退屈しながらも最後まで、オチは気に入ったが俺にはちと高級すぎる三島由紀夫短編<「橋づくし」は、ストーリーもの全盛、といいますか、(い
posted at 05:07:52
RT @uepon2013: 【修正して再送】「イエス・キリストによる神の義は、宗教という朦朧たるものの中に落雷して、その場で人間の実存を炎上させる認識の雷火である。ゴルゴタの丘では、あらゆる人間的可能性と共に宗教的可能性もまた神に献げられる」『ローマ書』カール・バルト。これこそ本当の炎上。
posted at 07:53:08
「ゴルゴタの丘では、あらゆる人間的可能性と共に宗教的可能性もまた神に献げられる。…ゴルゴタは律法の終極であり、宗教の限界である」『ローマ書』カール・バルト。←富岡幸一郎「使徒的人間 p112 サルトルでさえも「自由」を神とする宗教的人間だそうな。イエスの死は宗教的人間の死なり。
posted at 07:59:29
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