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2014年11月16日 (日)

再臨はキリスト教徒にとって当然の信仰

新保祐司「内村鑑三」継続読書、再臨についてが少々わかりにくいが、「神の約束と人間の信仰」なるキーワード発見。それを頼りにググって次の記事。長いけどコピペ。

しかし、新約聖書が伝えるのはその復活の奇蹟にとどまらないのです。復活したイエスは、四十日間弟子たちと共にあったのですが、その後天に昇られる。イエスが天に上げられ雲に包まれてその姿が見えなくなったとき、残された使徒たちに、御使いが次のような約束を告げます。

 「あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」

(使徒言行録1・11)

 キリストは再びこの地上に来臨される。それは宇宙的な出来事として、将来にかならず起こり、救いはその時に完全に成就するというのです。この「終末」の時を待ち望み、そのことによってこの地上の生命を充実したものとすることができる。キリスト教では、これを終末論といいますが、内村鑑三は近代のキリスト教会があまり積極的に語らなくなった――しかし、聖書にははっきりと記されているこのキリスト再臨の信仰の大切さを再発見したのです。異邦の地にあって、日本人の一人のキリスト信徒として、この初代の教会の人々、パウロたち使徒が真理として信仰したイエス・キリストの再臨、再来を、聖書の最終的な秘義として信じたのです。いや、のみならず、一九一八(大正七)年から一年半にわたって、再臨信仰を日本の各地を巡って伝道します。

 内村がどうして再臨信仰に至ったのか、それは彼自身の聖書研究の深まりがあったのはたしかですが、それだけではなく時代と世界の情況が深く関わっていたと思います。つまり、第一次世界大戦という巨大な戦争がヨーロッパ、キリスト教の文明国において起こったことです。それはまさにキリスト教国ばかりでなく、世界の危機でした。そういうなかで、聖書が証しする真理に、あらためて耳を傾けたのです。

 同じことは、ほぼ同時期にスイスの牧師であった、カール・バルトにおいても起こりました。バルトもまた千九百年の時をこえて、初代の使徒たちの言葉を改めて聞き直したのです。そして、近代のキリスト教会が語らなくなった終末論の信仰を、生き生きと語り直してみせたのです。バルトの『ロマ書』(一九一九年)という著作がそれです。

 内村とバルトという、洋の東西のクリスチャンが、二十世紀の前半に、パウロの信仰と精神を現代へとよみがえらせたのです。

 さて、文学の方へ話を移していきたいと思いますが、内村鑑三は先程いいましたように、無教会というキリスト者の集まりを形成しましたが、明治以降の文学者たちにも少なからぬ影響を与えています。正宗白鳥、志賀直哉、有島武郎らは直接に内村と接していますし、その他にも太宰治など、内村に会ったわけでもないのですが、彼の著作を熱心に読んだ文学者がありました。それはやはり内村という信仰者の強烈な個性と、そこから発せられる自己をこえた超越者(神)への信頼からくる、言葉の力によるものだったと思います。

 正宗白鳥は自然主義作家として文壇で活躍した人ですが、太平洋戦争後に『内村鑑三――如何に生くべきか――』という評論を書いています。昭和二十四年のことです。そのなかで注目すべきは、内村の再臨信仰について言及している点です。

 「私が内村のこれ等の説(再臨・復活)に共鳴しようとすまいと、彼がそれを生存中の大問題としたことに、私は重要な意義を認めようとするのである。如何にして生くべきか、或ひは如何にして死すべきか、それを機縁として私は考へるのである。」

 七十歳の正宗白鳥は、若い頃に植村正久牧師から洗礼を受けていますが、内村の信仰にも強い関心をよせていたのです。しかし、敗戦を体験し荒廃のなかにあった戦後の日本のなかで、白鳥はとくにその再臨信仰に重要なものをはじめて見出したのです。

 「内村の再臨演説は一時、若い聴衆を感激させたとは云へ、感激した聴衆のうちに、再臨感を持続したものは殆んどなかったであらうと推察される。(中略)キリスト再臨なんか考へるのは、狂的な考へであると見做してゐるらしい。しかし、人間救済のために十字架に上りしキリストを信じる以上は、再臨を信じるのはあたり前の事で、奇矯でも何でもないのである。根本の一つを信ずれば聖書全体がそのまま信じ得られるのである。(中略)今日のような時世こそ、キリスト再臨は最も期待されるべきである。」

アブラハムの生涯(特にイサクを神の命ずるままに生贄として従順に差し出そうとしたこと)などを思い起こすと、まことにユダヤ教は「神の約束とそれに対する人間の無条件の信仰」の宗教。そして、これに加えてキリスト教は「イエス・キリストのこの世への到来と人間に代わる受難と復活の福音」の宗教。

そして、上にあるように、聖書に再臨が書かれている以上(使徒言行録1・11)、再臨を信じるのはキリス地教徒にとって当然のこと。なんら不合理なことではないと得心した。神もキリストも信仰出来ないけど、信仰の人について(例えば正宗白鳥)もっと知りたい、読みたいと考えた次第なり。

2014年11月15日(土)

箱根美術館紅葉狩り plaza.rakuten.co.jp/doyoubidayo/di… 天気がよかったので箱根紅葉狩り。129→小田原厚木道路→湯本→強羅。帰りは御殿場に出て246→129と高速代節約。拙い写真はこちら。
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