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2014年11月25日 (火)

「高倉健という生き方」に見る健さんの回心

Nスペ「高倉健という生き方~最後の密着映像100時間~」。印象的だったのは2点。

その一つは演技開眼/「森と湖のまつり」(1958年)内田吐夢監督

演技がどうにも出来なくて監督が(意識的に)罵詈雑言→本当にアタマに来てしまって「これでダメだったら止めてしまおう」と最後の撮影に臨んだらOK。

もう一つは俳優10年目を迎えた高倉健が「日本侠客伝」の出演で自身のハマリ役に出会って人気絶頂の頃。プログラムピクチャア粗製乱造、同じような役柄の連続で嫌気がさして失踪騒ぎまで起こした頃、たまたま映画館に自身の映画を見に行ったら映画館は満員。

「通路にまで人が座ってて」映画が終わると「明らかに、人が変わってる。始まる前と」
(これは俺にも実体験がある。見終わって外に出る時には健さんとおんなじように肩で風切って歩いてた)

健さんは衝撃を受けたんだろう。高倉健(本名・小田剛一)が自分の人生の意味に目覚めた瞬間だ(俺が勝手にそう思うだけだが)。お客さんは粗製乱造の映画にこんなに感動してくれている。

人生は固有から普遍への旅→固有(人間小田剛一)が普遍(俳優高倉健)に生まれかわった瞬間だ(と俺が勝手に決めつける)。言うならば回心やね。ああ、俺も生まれ変わりたい。終活キリスト教研究(きっかけは映画「嫌われ松子の一生)はそういう思いの現れなんだろうと今、気がついた。

2014年11月24日(月)

俗物の反対語、霊界イエスにインタビュー、アマデウス plaza.rakuten.co.jp/doyoubidayo/di… 十字架の神学(贖罪論)が納得出来ないので霊界イエスにインタビュー×冨原真弓「ヴェーユ」→他人と比べる人生を極小化すること。自己贈与(愛の実践)なんて出来ないけど肉の死(癌なのか何な
posted at 04:59:30

エク定演/ベートーベン12、15番。バランスのとれたマイルド名演 quartet-excelsior.wix.com/schedule しぶちん俺がCD買うてもたよ。 pic.twitter.com/1FQNiDau9h


posted at 16:39:02

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