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2014年11月13日 (木)

水と油のような霊と肉

若者たち 三部作 DVD-BOX 若者たち 三部作 DVD-BOX
山内久


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昔懐かし「若者の旗」うざい兄弟ディスカッション&喧嘩映画。金とセックスの亡者になった末弟松山省ニに左翼理論家山本圭が教訓を垂れる。生きることの意味は環境の改善と生命の再生産だぞ」

その瞬間ナルホドと思ったが暫くして森有正を思い出した。

この水と油のような二つの世界、霊の世界と肉の世界、この二つをアブラハムの生ける人格だけが結びつけて支えている。私はこの二つを結びつけて支えることを『責任』と呼びます。それ以外に呼びようがない。責任ということは何だ、いろいろなことを皆言いますけれども、根本は霊としての私どもと肉としての私どもと、この二つを私どもの中において一つに結びつけてしっかりと握って離さない、それが私は責任ということの一番深い意味だと思います。神に対して責任を持つ、人に対して責任を持つ、それは具体的にはどういうことですか。それは私どもの中にある霊と肉の二つをしっかり握って、霊を裏切らずに肉の生活を全うすることでしょう。それ以外に責任という言葉はどこにも使いようがないでしょう。それはたとえどんな小さな責任でも本質は同じことです。

そうなんだ。
人間=社会(損得、好き嫌い、善悪、理非)+魂(苦楽、美醜、虚実)

肉は社会で暮らし、魂は霊として生きる。だから、この二つは水と油。そしてこの二つを結びつけるのが自己(責任)。山本圭は「環境の改善と生命の再生産」なる生きる意味ならぬ社会の存在意義を生きる意味として霊に押し付けようとする。それでは松山省ニが納得しないのも当然だ。社会から人間を抽出しようとするのが左翼(アベコベに気付かぬ人たち)。

人生は固有から普遍への旅、神にも人にも責任を果たしつつ、霊を裏切らずに肉の生活を全うする。

が生きる意味なのだから。おお、俺は山本圭を乗り越えたぞ。

ところで、書かれた言葉と実際の人間森有正との間には、少なからぬギャップがあったとのこと。

「完璧、堅固、誠実、密度、強度」という座右銘を掲げ、「茶碗一つ正しく洗えない人間を僕は信じない」と書いているが、しかし辻邦生の言葉を借りるならば、「おそらく先生の理想はそうだったろうが、実際には、思想のデーモンが先生にとり憑いていて、身のまわりを構う暇がなかった」。東京でもパリでも、彼の住んでいた部屋がいかに乱雑であったかは家族や友人たちの証言するところである。また森と十年のつきあいのあった栃折久美子は、「書かれたものだけ読んでいたのでは、私には想像もできなかったような非常識、自分勝手、言動の矛盾、金銭感覚、……」と人間森有正を評している。彼はまた、その孤独で沈痛なエッセーの調子とは裏腹に、親友であった木下順二からは「日本三大おしゃべり」と呼ばれるほどの座談の名手であった。辻邦生も「先生ほど冗談やいたずら好きな人もなかった。…… 先生ほど生きることを大切にし、それを愛された人はなかったと思う」と述べている。また「森先生を夕食に招くとき、私たちはいつもの三倍くらい御飯を炊いた」と石井好子も書いているように、彼は知る人ぞ知る健啖家であった。

好きやなあ、こういう口先男。森有正を益々読む気になったわ。

2014年11月12日(水) 

クヴィエチェン、森有正を読めるのは図書館のお陰 plaza.rakuten.co.jp/doyoubidayo/di… 「内的促し」による出発、信仰と信頼の違い、感情というものに対する人間の大きな秘密、責任ある生き方/後ろ向きに歩く人生。 以上、神の実在は信じないけど責任ある生き方(誰に対して?)はしたい
posted at 05:10:11

#photoikku 短日や今日も歩きし一万歩  #jhaiku pic.twitter.com/nrs8cwG3xQ


posted at 10:36:03

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