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2014年11月11日 (火)

「アブラハムの生涯」Ⅳ死と墓 Ⅴ平和の王

アブラハムの生涯―森有正講演集 (1980年)読了。

妻イサクが亡くなって墓の土地を取得する際に、無償贈与の話を丁重に断って相当の高価で買い入れたアブラハム。土地取得は肉の世界の話、信仰は霊の世界、この両者をきっちり区分けした物語を森有正は次のように評価する。ググって牧師説教からコピペ。

信仰者はこの地上において、二つの世界を同時に生きていると言うことができます。神様との関係における霊の世界と、この世の社会生活、人間関係における肉の世界です。信仰者といえども、霊の世界だけを生きることはできません。また、日曜日は霊の世界を、週日は肉の世界を生きる、という使い分けもできません。常にこの二つの世界の緊張の中で、片方のみに埋没してもう片方をないがしろにしてしまうことなく、いずれに対しても誠実に生きることが、旅人、寄留者としての信仰者の姿なのです。

責任ある生き方
 森有正というキリスト者である哲学者が、アブラハムの生涯をテーマに語った講演集である『アブラハムの生涯』という本があります。その中の、この23章についての講演にこのように語られています。「この水と油のような二つの世界、霊の世界と肉の世界、この二つをアブラハムの生ける人格だけが結びつけて支えている。私はこの二つを結びつけて支えることを『責任』と呼びます。それ以外に呼びようがない。責任ということは何だ、いろいろなことを皆言いますけれども、根本は霊としての私どもと肉としての私どもと、この二つを私どもの中において一つに結びつけてしっかりと握って離さない、それが私は責任ということの一番深い意味だと思います。神に対して責任を持つ、人に対して責任を持つ、それは具体的にはどういうことですか。それは私どもの中にある霊と肉の二つをしっかり握って、霊を裏切らずに肉の生活を全うすることでしょう。それ以外に責任という言葉はどこにも使いようがないでしょう。それはたとえどんな小さな責任でも本質は同じことです」。

水と油のような二つの世界、霊の世界と肉の世界を結びつけて支える責任、この言葉に惹かれて責任方程式をひねり出し本書を読むことになったのだ。世間は自力合理的分別で暮らし、魂は他力無分別に生きるべしという我が人生観にぴったりなのだ。

そして、もう一つの収穫。森によると、ある有名な詩人の言葉だそうだが、ググっても不明だった。

人生というのはちょうど後ろ向きに歩いてゆくようなものだ。過去にどんな所を歩いてきたかということは、後ろ向きに歩いてゆけばよく見えるけれども、どういう所に進んでゆくのか、後ろに深淵が待っているのか、それは一切分からない。自分の道は間違えていて、その道は深淵の中に落ち込んでしまうのかも知れないけれども、後ろ向きに歩いていて絶対に正面を向くことはできないから、私どもは見ることができない」p158

かくして、世間を自力合理的分別で後ろ向きに歩き、魂は主を仰いで歩く。まだ俺に回心は来たらないがそんな生き方をしよう。生きる意味を噛み締めつつ。

人生は固有から普遍への旅、神にも人にも責任を果たしつつ、霊を裏切らずに肉の生活を全うする。

2014年11月11日(火)

大腸クリーンアップ、信仰は感情激発のブレーキ、大統領の料理人 plaza.rakuten.co.jp/doyoubidayo/di… 人間はその自由な決断(内的促し)によって運命(生きる目的)を発見する。それが信仰だと理解した。汝弱き者よ、そこまでの覚悟がお前にあるか?
posted at 05:11:43

RT @sohbunshu: 中の悪いプーチンとオバマの間に立つ訳も行かない習近平。奥さんを挟むアイディアが悪くない。 pic.twitter.com/t0R8IfaAwf
posted at 09:00:10

ある有名な詩人の言葉とのことだがだが、誰?→「人生というのはちょうど後ろ向きに歩いてゆくようなものだ。過去にどんな所を歩いてきたかということは、後ろ向きに歩いてゆけばよく見えるけれども、どういう所に進んでゆくのか、後ろに深淵が待っているのか、それは一切分からない」
posted at 09:01:33

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