「アブラハムの生涯」Ⅲモリヤの山
創世記22章
神はアブラハムを約束の地に導き、イサクという叶わぬ筈の息子まで与えたが、今度はそのイサクを生贄として差し出せと命じた。信仰篤きアブラハムが神に何一つ訊こうともせず従順に従おうとしたその刹那、神はそれを差し止めた。
森有正はこの物語を下のように読み解く。
約束の地へのアブラハムの出発は「自由の瞬間」である一方、神との契約により彼は「自分の生きる目的」を設定し、自由を失う。これが全ての人が平等となり人格を持って接する民主主義社会だという(まあ、理想型ではあるな)。
なんでここまで厳格な契約で人間を縛ろうとするねん?という疑問に対して森有正は答えを用意している。それは
人間の感情はそれ自体にまかせられると必ず悪化し、激化し、自らを破壊するに至る、と私は考えています。ですから、人間の感情、個人的なでも、あるいは愛のような感情でも、あるいは破壊的なもっとも大きな感情でも、何か自分の運命と絶えず接しているところにそれを置かなければならない。これが感情というものに対する人間の大きな秘密だと思います。p108
「何か自分の運命と絶えず接しているところにそれを置」くこと、それが神との契約(運命)だと思う。人間はその自由な決断(内的促し)によって運命(生きる目的)を発見する。それが信仰だと理解した。汝弱き者よ、そこまでの覚悟がお前にあるか?
2014年11月10日(月)
検査食そして断酒、倶会一処、ジャッキー・ロビンソン plaza.rakuten.co.jp/doyoubidayo/di… 信仰は根拠・理由のなき内的促し(経験)ということだ。そんな内的促しの訪れを神の恩寵(回心)と考えておけば、俺にもいつか回心があるかもしれない。
posted at 05:26:07
内視鏡検査終了0ポリープ慶賀^_^
posted at 13:30:37
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