インマヌエル(神はわれらとともに)方程式
久しぶりに表ブログよ、こんにちは。
裏ブログに「我が終活宗教研究はキリスト教→ユダヤ教→イスラームとめぐりし後に仏教/西田幾多郎に立ち戻って来た。造物主(神)よりも仏の方が論理的情緒的に合っている証左ということなのだろう」と書いてから西田幾多郎の逆対応がずっと脳内に残っている。
そこで、この逆対応についてわかりやすい記事を見つけた。
「人間は個を自覚すればするほど、つまり一度きりのかけがえのない
個を自覚すればするほど、個に徹すれば徹するほど、
絶対者の自己否定の下に成立していることを自覚するのである
ここに、個(相対)の方向に行けば行くほど神(絶対)に縫着するという
逆-対応というということがある」
(竹村牧男:「逆対応」の宗教哲学)
つまり、人間というコインの表は個、その裏には神(創造主や造物主や主よりも仏教的に真如=空と呼びたい)ということだ。そこで、我が得意の人生方程式にこの逆対応を持ち込むと
人生=個(損得、好き嫌い、善悪、理非)+真如(苦楽、美醜、虚実)
ということになる。これをインマヌエル(神はわれらとともに)方程式と呼ぼう。
そこで、この逆対応についてわかりやすい記事を見つけた。
「人間は個を自覚すればするほど、つまり一度きりのかけがえのない
個を自覚すればするほど、個に徹すれば徹するほど、
絶対者の自己否定の下に成立していることを自覚するのである
ここに、個(相対)の方向に行けば行くほど神(絶対)に縫着するという
逆-対応というということがある」
(竹村牧男:「逆対応」の宗教哲学)
つまり、人間というコインの表は個、その裏には神(創造主や造物主や主よりも仏教的に真如=空と呼びたい)ということだ。そこで、我が得意の人生方程式にこの逆対応を持ち込むと
人生=個(損得、好き嫌い、善悪、理非)+真如(苦楽、美醜、虚実)
ということになる。これをインマヌエル(神はわれらとともに)方程式と呼ぼう。
自力と他力(ひょっとしたら信仰開眼?) http://t.co/ERc7lbvfFC 神は我に苦楽を与え給い、我が美醜と虚実を裁かれる。そんな神を俺は信仰しよう。世間(横軸)を自力で生き抜き、魂(縦軸)は神に委ねる。それを今のところの我が信仰(としておく)。人生=世間+魂
— 土曜日 (@doyoubi) 2014, 9月 8
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