文化・芸術

2009年8月19日 (水)

円空仏の最高傑作(と俺は思う)

Photo 以前から円空に興味を持っていたが、先日、BShiで放送されたプレミアム8<文化・芸術> シリーズ巨匠たちの肖像「円空 12万体の仏の願い」 を観て面白かったので、テレビ画面を撮影した写真を記録しておく。

高山市国府町にある清峯寺というところに十一面千手菩薩があり、番組で紹介されていた。その仏様をテレビ画面で観たときに、これは円空仏の最高傑作ではないかと思った(円空仏を実物で観たこともないしテレビ、写真でもたいした数を観てないが)。

Photo_2 左から「聖観世音菩薩」「十一面千手観音菩薩」「竜頭観世音菩薩」の三体が並んでいて、寺は現在無人なので、拝観したい人は予め連絡して鍵を開けて貰う必要があるそうだ。Photo_5 Photo_3

特に素晴しかったのは、十一面千手観音様の腰の辺りに立っている僧だ。円空自身ではないかと番組で語っていたが、柔和で円熟した素敵なお顔の坊さまである(記事冒頭の写真参照)。Photo_4

ご縁があったら一度高山に行ってみよう。いのちあるうちに。

| | コメント (0)

2009年8月17日 (月)

ゴーギャン展と萩原守衛「女」

ゴーギャン展(国立近代美術館)に行ってきた。
以前から、ゴーギャンの絵はようわからんかったが、実物を見てその感を更に深くした。すなわち、ゴーギャンが描く絵には何かしら意図的なもの感じる、寓意が強すぎる、言い換えると、ゴーギャンは頭でっかちにすぎるように思うのだ。

Items_1 例えば、この展覧会の売り物である「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」(ボストン美術館蔵)にしても、画面左下隅のトカゲをつかんだ白い鳥は「言葉の不毛さを表している」と言いつつ、絵のタイトルの言葉は冗長であり、見る者にある種の理解を強制しているように思う。そんなことを考えたからなのか俺は何の感動も味わえなかったのだ。

参考:「《我々はどこから来たのか》この大作の発するメッセージは何なのか。
ゴーギャン自身はそれについて明確な説明を残していない。しかし、この作品は、見る人それぞれのうちに様々な物語を誘発して止まず、私たちの内面の深い部 分に常に何かを問いかけてくる。この作品の強い喚起力は、混迷を深める現代の社会にあってますますその存在感を高めている。

それはさておき、常設展に移ると、「撮影希望の方は受付まで」なる表示があった。近くに居た係りのお嬢さんに問い合わせると「ストロボを焚かない、撮影禁止の作品に注意」とのこと、そして、袖に撮影許可ワッペンを貼ってくれた。いい気分だった。

P8160006 さてそこで、萩原守衛「女」である。この彫刻からは何かしらをいつも感じる。そして、大事なことは、作者は見る者になんら強制力を発信しようとはせず、ひたすら、女を表現しているだけだ。

作品に作者は意味を込めるべきではない。作品から意味を感じ取るべきなのは観客である。そして、感じ取る意味は観客によって様々であり、その多様性、豊かさこそが作品の価値である。ああ、これでまた俺の偏見(ゴーギャンは後世に残る画家なのか)がひとつ増えてしもたがな。Photo

※ところで、国立近代美術館へは(暑さのせいで)車で行った。行く前にネットで北の丸公園パーキング(なんと\400/3時間)に着目していたからだ。パーキングは空いていて予定通りに駐車することができた。何事も事前調査が肝要なり。
Photo_2

| | コメント (0)

2009年3月 1日 (日)

そうだ、ルーヴルへ行こう

Latour_charpentier00 2チャンネルは役に立つなあ。暇つぶしでちょろっとクリックしたら「【絵画】ルーヴル美術館展が開幕、フェルメールなど60点日本初公開 /東京・上野公園 国立西洋美術館」→ほーう、そういえばあったなあと思いつつ、公式HPを見たらラ・トゥールの大工ヨセフがあるではないか。これは見逃してはならぬ。6/14まで。当日券\1500ではなく前売券\1300を買わねばならぬ。

画像はラ・トゥール「大工ヨセフ」。サルヴァスタイル美術館から拝借した。

| | コメント (0)

2008年9月21日 (日)

写真が撮れる美術館「松岡美術館」

Photo 東京・ミュージアム ぐるっとパスというのを先日買って(二千円で二ヶ月有効、常設展ならこのチケットで入れる)楽しんでる。
上野動物園も行ったし旧奏楽堂も見たし東京芸大美術館で狩野芳崖も楽しんだし古賀政男音楽博物館で30分\200カラオケも満喫した。

そして、こないだは松岡美術館に行って来た。ここは写真を撮ってかまわない(シャッター音をさせなければ)という稀有な美術館だ。ヘンリー・ムーア「横たわる女、肘」が非常に気に入った。その写真を見せたくてのこの記事である。ついでに、ガンダーラだっけ、違うなあ、カンボジアかどこかの道祖神みたいなのも掲載しておこう(今度、もう一度いつか行ってどこの像だったか確認の所存)。

ムーアは、パブリック・アートとして世界中にたくさん設置されているブロンズ製の抽象的なモニュメントで世間によく知られている。その題材はふつう抽象化された人体像、とりわけ「母と子」や「横たわる像」である。興味深いことに、1950年代に 家族群像に少し手を出した以外、その題材はほとんどいつも女性の体だった。ムーアのつくる人体は穴が開いているか、空洞を含んでいることが特徴的である。 多くの人々は、横たわる人体の起伏にとんだ形を、ムーアの生まれたヨークシャーの、丘の連なる風景から参照されたものだと解釈している。

でも、嬉しそうにパチパチ撮ってたのは俺だけだったなあ、やっぱり。Photo_2 Photo_3

| | コメント (0)

2008年8月 8日 (金)

笑犬楼大通り

Photo ここんところ電車に乗ることがあった(東京しごと財団という所の研修に数日通った)ので久しぶりの通勤気分、図書館から本を借りて読んでいた。中でも、「銀齢の果て」筒井康隆ワールド満喫、老人に対して甘い政策を重ねた結果、逆に老人を暴力的に減らすこととなりシルバーバトル(政府が強制する)開催、スラップスティックで暴力的な死の数々をこれでもかこれでもかと読ませてくれる。文庫本に最近なったようだが「後期高齢者うんぬん」という帯を編集者が付けたそうだ(後述の笑犬楼大通り偽文士日禄参照)。

読み終わって、たまたまネットサーフィン(飯田橋の研修施設で)していると筒井康隆がブログ(笑犬楼大通り)を開設したとのこと。ほほうと思って開いてみると、縦書き書籍感覚でページをめくる体裁になっている。さすが筒井康隆、一味違うのである。それに縦書きだからコピペ防止にもなっている。 

ちなみに、笑犬楼大通りの運営は朝日ネットとなっている。俺が使っていた(95年から06年まで)パソコン通信(筒井康隆と俵万智が広告塔だった)の運営会社だ。懐かしい。笑犬楼様からも一度だけコメントしてもらったことがある(政治と文学がらみで大江健三郎について書いた記事だった)。

筒井康隆氏、73歳。後期高齢者の星になるのももうすぐである。ご尊顔を勝手拝借した。いつまでも若々しく老いて下さい。

| | コメント (0)

2007年11月18日 (日)

フェルメールそしてヤン・ステーン

フェルメールを観に行こうと思い立った理由は、彼の現存する作品点数は、研究者によって異同はあるものの33~36点と少ないから多分、実物に接するのは俺の生涯で今回が最初で最後になるだろうからと思ったからだ。(でも、もう一度ヨーロッパに行きたいなあ、相場に大勝ちしたい)。
同じように考えた人が多いのだろう、フェルメールの絵の前は矢張り人だかり、前列は歩きながら鑑賞、じっくり立ち止まって鑑賞したい人は後列という具合に交通整理されていた(しようがないよねえ)。


Photo_5
このフェルメールが鑑賞コースの一番最後に設定されていて、そこにたどりつく前にオランダ風俗画の作品が展示されている。その中で印象に残ったのがこの絵、ヤン・ステーン「大人が歌えば子供が笛吹く(陽気な家族)」である。帰宅してから「ヤン・ステーンって何者やねん」とネット検索してサルヴァスタイル美術館に出会って絵を転載させてもらった。このサイト、個人の方が運営されているようだが美術史の勉強になる。そして面白いのはその芸術論。「芸術というものは、論ずれば論ずるほど陳腐に映るもの」だからこそ「老若男女問わず、誰でも、もっと手軽に触れられる場所を」と考えてこのサイトを創設されたとのことだ。

| | コメント (0)